覆る常識
はぁ・・・。
溜め息が止まらない。
ざくざくと、土を踏み締める音まで自分を地獄へ誘う音楽のように聞こえる。
正直気が重い。
今日は一体どんな我が儘に付き合わされるのか・・・。
昨日は、王女に謎の液体を髪に塗られた。
やんわり断ったのに、笑顔で押し切られた。
その前は、謎のどろっとした緑色の液体を体中に塗られた。
こちらは本気で断ったのに無駄だった。
青臭くて、鼻が曲がりそうだった。
その前の日は、農作業でどろどろに汚れた服に謎の固形物を塗りたくり、その後木の棒で叩きまくっていた。
アッシュもそれに付き合わされた。
一心不乱に、しかも笑顔で服を叩く王女のその姿は、おかしいを通り越しもはや怖かった。
はあ・・・。
もともと女性の相手は得意な方ではない。
あのキンキンと耳に響く高い声や、自分望みはきいてもらって当たり前という、あの高慢な態度も好きじゃない。余りに辟易して、遠回しにこれ以上ないくらい優しく窘めた時でさえ、目に涙を溜めて「どうしてそんなひどいことをおっしゃるの」とこちらが逆に責められた。
あれはもう自分とは別の生き物だ。
普通の女性でも持て余すのに、あの王女はさらに規格外だ。
全く理解できない。
・・・・けれどそれでも、なんとか機嫌をとらないと。
こんなチャンスは、もうきっと二度とない。
クロス一族の命運を今、自分の手が握っているといっても過言ではない。
何としても、絶対に自分に惚れてもらう。
はあ・・・。
今日何度目になるか分からない溜め息。
けれどそれくらいは許してほしい。
屋敷に入った瞬間に、完璧な紳士の仮面を被ることくらいわけない。
だから、今くらいは・・・。
ザク。
踏み締めた土が音を鳴らす。
もう屋敷がすぐそこだ。
はあ、とまた溜め息をはいて気持ちの整理をつける。
やらなければ、自分が。
ざわつく心をおさめ、冷えきった心をなんとか奮い起こし。
覚悟を決めて顔を上げたアッシュは。
驚きのあまり、一瞬言葉を失った。
「・・・・・・・・・・・・・・え・・・・? 芽が・・・でて、る・・・?」
目の前の光景が信じられない。
「・・・・そんなばかな・・・・」
アッシュの目の前に広がる10もの畝。
その全てから、青々とした新芽が土を突き破って出てきている。
あんな方法で芽などでるわけがないのに。
けれど、確かに目の前の畝から発芽しているのはフルージエだ。
アッシュも何度か研究所に立ち寄り、目にしたことがあるからわかる。
種を植えて今日で4日。
発芽しなかった種はもう腐っているはずだ。
けれど、先が少し青みがかった特徴的な形の双葉。これはフルージエの新芽だ。
見間違えるはずがない。
肥料も水も、湿度も温度管理も目茶苦茶だったのに。
けれど、芽は確かに出ている。
かつて目にしたものと違いがあるとすれば、茎が明らかに太く、葉も大きく、そして生き生きとしている。
アッシュが研究所で見たものは全て、発芽直後にも係わらず、茎が細く葉も萎れかかっていた。
それが普通なのだと思っていたのに。
こんな、フルージエは今まで見たことがない。
王女が新しいフルージエの新芽と植え替えた?
そんな考えが頭を過ぎったがすぐにそれはないと答がでた。
フルージエは発芽させるのも難しい植物。
せっかくでた新芽を植え替えたところで、そのストレスに耐え切れずすぐに枯れるだけだ。
なにより、その新芽を手に入れることすら困難であり。
ここからでることができない王女がそれを入手できるわけがない。
であれば、この芽は確かにあの時王女が植えた種が発芽したということであり・・・・。
「メチオ産の無機質肥料は、カリウムが多過ぎます」
急に後ろから声が聞こえ、アッシュはぎくりと肩を奮わせた。
いくら衝撃を受けたとはいえ、なんの心得もない王女にこれほど近くまで距離を詰められ、声をかけられるまで気がつかなかったとは。
後ろには、いつものようにニコニコと穏やかに微笑む王女の姿。
「水に溶けやすく、吸収されやすいため、種に急速に栄養が行き過ぎです」
最も最適なのは、カリウムが少ないアガイエル産の肥料、バイエイ産の肥料、サイエ産の肥料が1:2:1。
リン酸が豊富なホウアエイ産の肥料、そしてケイオ産の肥料、ブオアイ産の肥料、フェルアイ産の肥料が4:2:1:3。
それだけでは足りない栄養を補うために数種類の肥料を混ぜ、魔石落ちでその効果を持続。
水は最初にあげるだけで芽が出るまで放置。
王女が言った肥料は、誰にでも手に入る安価なものばかり。
全てアッシュが手配したものだ。
栽培方法はまさに、アッシュの目の前で王女がやって見せたやり方だった。
なぜだ・・・・・?
やり方なんてめちゃくちゃなのに、それでも発芽した。
10植えて1発芽すれば成功だと言われる芽が。
明らかにアッシュが見てきたものよりも立派で元気な新芽がこんなにたくさん。
それはつまり、ハイエィシアが総力をあげて研究し長い間かけて確立してきたそのやり方よりも、王女のやり方の方が正しいという証明であり・・・。
「何でこんなやり方を知ってるの・・・?」
アッシュの中の常識が、一気に覆った瞬間でもあった。




