贄姫3
イザベラとの約束を簡単に反古にした夫が憎い。
平気な顔をしてイザベラを裏切る侍女が恨めしい。
大事なルーナルドを踏み付け見下す側妃を殺してしまいたい。
けれど一番憎くて、恨めしくて、そして殺してやりたいと思うのは自分自身だ。
あの時確かにルーナルドは、期待を込めた目でイザベラを見上げてきた。
誰かに事前に教えられていたのか、それとも本能的に気がついたのか。
今目の前を歩いていくのが自分の母親だとそう気がついて。そうして希望をもって、あんな弱った体をおして頑張って頑張って歩いてきた。
きっと何かが変わるのだと信じていたはず。
抱きしめてもらえるものだと信じていたはず。
なのに無条件で愛してくれるはずの母親に拒絶され、あろうことか言葉のナイフでズタズタに傷つけられた。
それはどれほどの絶望だっただろう。
あの小さなルーナルドの心にどれほどの傷を残したことだろう。
なぜもっとうまく立ち回れなかったのか。もっと上手にやり過ごすことはできなかったのか。
何度も後悔し、何度も自分を責めては、やり場のない怒りに苦しんだ。
けれど今更どれほど後悔してももうどうにもらない。
であれば考えなければいけないのは、これから先のこと。
このままの状態ではあの子は殺されてしまう。
直接手を下されなくても、栄養不足でいずれ・・・。
・・・・・王宮の外に逃がさなくては・・・。
そのためには、ルーナルドの後見人になってくれる人間がいる。
王でも無視できない地位があって、信頼ができて、愛情を持ってあの子を育ててくれる人間。
そして仮にも王子を養子にもらいたいと訴えても、おかしくないほどの実力者が。
夜会を通じて幾人もの高位貴族と接触し、その為人を、実力を、懐の深さを精査していく。
何十人もの人間と話をした。
なのに息子を任せてもいいと思える人間は一人もいない。
当然だ。
今や王族最大のタブーとされるルーナルドの後見人になるなど王に逆らうのと同じこと。
表向き、王妃であるイザベラまで息子を軽視しているのだから。
誰が好き好んでそんな厄介者を家に引き入れたいと思うだろう。
時間だけが過ぎていく。こうしている間にもルーナルドはあのボロボロの小屋でたった一人で堪えている。
早く、一刻も早くあそこから逃がしてあげないと。
けれどどれだけ探してもルーナルドを任せられるほどの人格者は現れない。
もうこれ以上待てない。
これ以上あの子を放ってはおけない。
いるかどうかもわからない人間をいつまでも探すよりも、ルーナルドとカーティスをつれて逃げよう。
実家には頼れない。
激怒した父に王宮に引きずり戻される未来しか予想できない。
では市井に紛れようか。
平民の暮らしなどしたことはないが、刺繍ならできる。その腕で親子三人なんとか生きて行けないだろうか。
けれどこの国のどこにいても安心して暮らせない。いつ連れ戻されるか。
ならばいっそ他国に逃げよう。国境を越えてしまえばあるいは・・・。
頭の中で一番生存確率が高い方法を模索しながら・・・本当はわかっていた。
市井どころか、きっとイザベラはこの城からも逃げ出せない。
仮に運よく護衛という名の見張りを全てかわし城から逃げられたとしても、幼い子供二人を連れて国境など超えられない。
そしてなんのツテもなく平民の常識さえ知らないイザベラが、市井で暮らして行けるほどこの世の中は甘くはない。
イザベラには逃げ場がない。
もし捕まって連れ戻されれば、ルーナルドもカーティスも殺されてしまう。
それとも王も側妃もそれを狙ってイザベラを泳がしているだけなのだろうか。
イザベラが事を起こすことは、逆に大事な息子二人の命を危険に晒すことになるのだろうか?
わからない。どうすれば最善なのか判断できない。
子供達だけは守りたい。失敗すれば我が身ではなく、愛する息子達の身に危険が及ぶとなれば身がすくむ。
相談する相手もいない。信頼できると思っていた侍女も、誰が裏切っているのかわからない。
誰にも話せない。気を許せない。
でもこのままでいいわけがない。
精神は疲弊し、イザベラはみるみる憔悴していった。
そんな時だった。
「昇ったばかりの太陽が分厚い雲に覆い隠されている。放っておけば嵐になりそうですね?」
────・・・王妃さまはそれでよろしいのですか?
場所は国王の誕生祭が開かれている王宮。
国中の貴族が集まる華やかな夜会で。
誰よりも・・・いっそ主役である国王よりもずっと存在感を放つ異様な空気を纏った男が、鬱々とした気分をひた隠しにして、気丈に振る舞っていたイザベラに話しかけてきた。
夫である国王は、側妃を連れて早々に場を離れている。
イザベラも話すべき人物とは交流したのでそろそろ退席を、と思っていた矢先のことだった。
夜会の場だ。当然日はとっくに落ちている時間で。ついでに言えば、今日は雲一つ浮かぶことなく星空と、そして少しだけ欠けた月まで綺麗に見える。
すぐに気がついた。
これは言葉通りの意味ではない。
昇ったばかりの太陽。
これは幼い王子を意味する。
分厚い雲は、その存在を害する環境。
ルーナルドをこのまま放っておけば命の危険があるが、それでいいのかと。
この男は王妃であるイザベラに直接問い掛けに来たのだ。
珍しい銀色に輝く髪にアメジストのような瞳を持った、非常に整った顔立ちの男。
めったに社交の場姿を現さないが、この国で彼を知らない人間はいない。
王家につぐ権力者、クロス公爵。
その男が無難な笑みを浮かべながら、けれど少しも笑んでいない目でイザベラをじっと見据えている。
ぎらぎらと光る目が、態度が、その身に纏う全てが、明らかにイザベラを非難している。
彼だ、と直感的に悟った。
今までイザベラにルーナルドの話を振って来る人間は何人かいた。
しかしそれはルーナルドのことを面白おかしくおとしめる輩か、あるいはその存在を利用してイザベラに擦り寄りたいと考える輩かの、二種類しかいなかった。
こんな風にルーナルドの身を心配して、王に次ぐ権力を持つイザベラに直接文句をいいに来た人間は今まで一人もいなかった。
歓喜で震える体を必死で押さえ込んで。
懐から取り出した扇で顔を隠しつつ、その人格を精査していく。
奢った言い方だが・・・何もかもが合格だった。
彼ほどの人格者はそういない。
家格も申し分なく、ルーナルドの盾となり剣となって守ってくれる。
それがわかると、後日その夫人を、そしてルーナルドの義兄になるかもしれない嫡男を茶会にかこつけて呼びだしまた注意深く観察する。
公爵夫人は慎ましく穏やかで、しかし自分の考えをしっかりと持った人物だった。
その嫡男もその年齢からは考えられないほど優秀で。試すつもりで少しばかり難しい質問をしても、その全てに大人顔負けの答がかえってきた。性格も夫人に似て穏やかで少し真面目過ぎるくらいだが。この子ならルーナルドと仲よくやってくれるだろうと思えた。
ルーナルドを任せるならこの家族しかない。
問題はどうやってその話をクロス公爵に切り出すか。
イザベラが直接動けば王の耳に入る。それは『情をかけた』ことになるだろうか?
それにイザベラには、クロス公爵家になにも見返りを用意できない。せいぜい手持ちの宝石を与えるくらいしかできないが、そんなものであの公爵が動いてくれるだろうか。国で一番裕福で広大な領地をおさめている公爵家だ。宝石や金など腐るほどあるだろう。
不利にしかならない頼みごとに対する見返りが宝石ではあまりに弱すぎる。
上手に話を持っていかなければ。
クロス公爵家がダメならもう望みはない。
ルーナルドの身の安全のために、迅速にそして慎重に事を進めなければ。
けれどその心配は杞憂に終わる。
イザベラが夫人を茶会に呼んだ、わずか三日後。
大型の魔物討伐を成したクロス公爵へ褒美を与える、と上機嫌で告げた王に。
クロス公爵の方から『ではルーナルド殿下の後見になりたい』との申し出があり。
王がそれを簡単に許したことにより、ルーナルドはやっとこの地獄のような場所から助け出されて行った。




