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漆黒の背中

───・・・・なんて役立たずなのだろう。


己のふがいなさに叫びだしそうになり、唇を噛み締めて何とか堪える。

その口のすぐ側を、意思とは関係なく目からボロボロとこぼれる落ちる涙が幾筋も滑り落ちていく。

泣くな、泣いて何になる。泣くくらいで命が助かるならいくらでも泣いてやる。

けれどそうではない。泣いたところでなにも変わらない。泣いている暇があれば少しでも自分にできることをしなければいけない。

分かっているのに、涙はいっこうに止まってくれない。

必死で組み立てた術式もすぐに砕け散って色を失ってしまう。

回復魔法の適性は確かにあるはずなのに。それを発動させるための魔力が圧倒的にたりない。

役立たずなユーフェミアには、なにもできない。

目の前で今まさに消えようとしている大事な友人の、小さな命の火を守ることすらできない。


「・・・・も・・・・い・・・・・」


アッシュのカサカサに乾いた口が、先程から何度も動く。

必死でユーフェミアに何か伝えようしている。

けれど、どうしても聞き取れない。


「・・ユー・・・ア・・・・あ・・し・・・・いる・・よ」


ゆっくりと、アッシュの目が閉じられていく。

微笑んでさえ見えるその口元から、ごぼっと赤い血が吐き出された。


「アッシュさま! 待ってください、待って! 目を開けてください!」


懇親の力を込めて展開した魔方陣がまた砕け散った。

もう次の術式を組み立てている時間は、きっとない。

砕けたそれらが細かい粒子となってアッシュに降り注ぐ。

回復魔法のなりそこない。少しも癒しの力を宿さない綺麗なだけの粒子が。


・・・・待って、まだ、死なないで。


ヒューヒューと嫌に耳に付く、苦しそうな呼吸音。

とにかく少しでも彼が呼吸がしやすいように、と衿元を寛げようと手を伸ばした。

首もとのホックを外して、左右に押し広げて。


そこでユーフェミアは息を飲んだ。

喉まででかかった小さな悲鳴を必死で飲み込む。


「・・・こ・・れは・・・」


アッシュの首もとに浮き出た、グルグルと蛇のようにとぐろを巻く黒い字。


「呪い・・・?」


数日前にアッシュ本人から聞いたばかりの、クロス家を苦しめるエリンティア王女の呪い?


・・・いったいいつから?


あの時は妹と弟が、という話だったけれど。

いつからアッシュ本人にも呪いが顕現していたのか?

首もとに巻き付かれたらひどい痛みに襲われると、確かにアッシュはそういっていたのに。

彼はいつからそんなひどい痛みと戦っていたのか。

妹と弟の命を一身に背負いながら、自身もそんなひどい痛みの中で苦しんでいたなんて。


・・・なにも気づいてあげられなかった・・・。


思えば、ここに来た時点でひどい顔色をしていた。

あれは、心労からくるものばかりではなかったのだろうか。


そんな状態で今までずっとユーフェミアを背中にかばって戦い続けてくれていた。


キュウッと胸の奥が痛んだ。

どうして彼はこれほどの苦しみを与えられるのか。

償わなければいけない罪などなにも犯してはいないのに。

とても紳士で穏やかで、優しい人なのに・・・。

ユーフェミアのなにかの権限があるというのなら。


・・・・もう許してあげてほしい・・・。


心の底からそう願った。

その時。


『──もしこれから先の人生の中で・・・あなただけが解けるといわれている呪いに侵された人間と出会ったなら・・・・』


ふと頭の中で声がした。


それは遠い日の記憶。

幼い頃、何度も言い聞かされた・・・。


そこまで思ったところでぐいっと体を引っ張られ、手繰り寄せた記憶の糸がぷつりと途切れる。


急に伸びてきたアッシュの腕がユーフェミアの頭を守るように抱き込み、強引に体の位置を変えられた。

何が起こったのかわからず混乱するユーフェミアの体に、アッシュの体ごしに鈍い衝撃が伝わってくる。


「・・・・・・アッシュ・・・さま・・・?」


恐る恐る目を向ければ、ユーフェミアを抱き込んだままのアッシュの右肩に、赤い羽が付いた矢が二本深々と突き刺さっている。

赤い羽根は毒矢の印。アルフェメラスではそうだった。それともここでは違うのだろうか?

いや、例えこれが普通の矢だったとしてもこの状態でさらにこの傷は・・・。

一瞬絶望で目の前が暗くなる。

けれどすぐにユーフェミアは弱い心を押さえ込み、己の心を奮い立たせた。

無駄にできる時間など一秒もありはしない。幸い臓器には当たっていない。今すぐ矢を抜いて適切に処置をしなくては。

家の中にある薬草の中に毒素を抜くものがある。それをすぐに塗って、止血をすればまだ。


アッシュの腕を振りほどき、走り出そうとしたユーフェミアの前に立ち塞がる誰か。

もちろんアッシュだ。

痙攣を起こしてブルブルと震える血だらけの体が、それでもユーフェミアを守ろうと前に立ち続けてくれる。


「アッシュさま、どいてください。今薬草を取ってまいります」


もっと早くにそうしていればよかった。できもしない回復魔法に固執したりせず初めから薬草を使っていれば。

ユーフェミアの言葉に、アッシュがゆっくりと顔だけこちらに向けた。

そしてまっすぐにユーフェミアを見つめるその目が、穏やかに細められた。


必要ないよ。


そう、いわれた気がした。


「・・・アッシュ・・さま・・・」


ユーフェミアが呟いたほぼ同時に、アッシュは走り出した。

いや、走り出そうとして。

足を踏み出したところで、ぐらりとその体が傾いた。 

当然だ。

彼は誰がどう見ても歩くどころか、起き上がれるような状態ですらなかったのだから。


「アッシュさま!!」


ドサリと倒れ込んだアッシュに駆け寄り傷だらけの体を抱き起こしたユーフェミアの耳に、ヒュッと風を切る不吉な音がいくつも聞こえる。


反射的に顔を上げれば、自分達に向かって降り注いでくる何十もの赤い羽根をつけた矢が見えた。


とっさに右手を突き出し、防御魔法を展開させる。

なんとか発動した赤い魔方陣が、パシリパシリと甲高い音を立てて矢を弾いていく。

なんとか防ぎきった。

けれど、次は?

思ったときにはもう次の攻撃が降り注いでいた。

ユーフェミアの魔力では次の防御魔法を発動させることができない。

なんとか発動できたとしても、強度が弱く攻撃を防ぎ切ることはできない。


剣で迎撃を。

けれどこの体制ではそれも難しい。


なによりもう、矢はすぐそこだ。立ち上がって剣を構える時間はない。


倒れたアッシュの体に覆いかぶさり、ルーナルドが残してくれた外套を必死で手繰り寄せる。


その時。


ジュッと音を立ててユーフェミアに降り注いでいた矢が一つ残らず空中で焼き落ちた。


「・・・・何をしている・・・」


不自然なほど静まり返ったその場に響き渡る、低い美声。そしてぬかるんだ地面を踏み締める革靴の音。

ユーフェミアの後ろから聞こえてきたそれらはゆっくりと近づいてきて。

やがてユーフェミアの目の前で歩みを止めた。


艶のある美しい黒髪。

襟の詰まった黒い軍服。腰からさげられた黒い鞘の長剣。

黒い紐で縛り上げた黒いブーツ。

全身美しい黒づくめの・・・。


「・・・・ルー・・ナルド、さま」


あの時あの夜に別れたきりのルーナルドがそこにいた。






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