血狂いの狂王子
「お前に選択肢をくれてやる」
むせ返るような血の臭いの中、嫌悪感丸出しの冷たい声が響き渡る。
月を背に、不自然なくらいぎらぎらと不気味に光る金色の瞳。
風に揺れ動く闇よりも深い漆黒の髪。
血でテカテカと黒光りする剣を、これみよがしに倒れている騎士の首元にあてがったまま。整いすぎたその顔でまるでゲームでもしているかのように。楽しげにクツクツと喉を鳴らして笑うその人物を見た瞬間、ユーフェミアは悔しさのあまり唇を噛み締めた。
━━━━━・・・なにが選択肢だ。
さも、温情でも与えてやったといわんばかりの傲慢な物言い。
ユーフェミアの反応を楽しむかのようにランランと輝く三日月型の目。
そうして未だに騎士達の首元に突きつけられたままの血塗られた剣。
なにを言われるのか想像もできないが、状況からいってその選択肢とやらがろくでもない内容なのは確かだろう。
ユーフェミアは目の前の人物に実際にあったことはない。けれど、彼が何物であるのかは容易に推測することができた。そうして、おそらくその予想で間違ってはいない。
特徴的な金色の瞳。そして漆黒の髪。これだけでも十分その出自を推測できるのだが。もっと確実に彼の身分を決定づけるものがある。彼の身につけているその服。上等な仕立てだと一目でわかる、けれど闇夜に溶けるような黒一色の服の、その左胸に縫い込まれた刺繍。二頭の向かい合う龍。その後ろに交わる剣と斧。
考えるまでもない。
それを国章として掲げる国を訪問するために、先ほど国境を越えたばかりなのだから。
そうしてその国章を胸に縫い付けた服を着れる人間など数えるほどしかいない。
━━━━・・・血狂いの第二王子、ルーナルド ロイ ハイエィシア
人を殺すことがなによりも好きで、何の罪もない人間にいいかがりをつけては人を殺すと噂の狂王子。
噂では、夜な夜なその殺した人間の生き血を酒に混ぜて宴会している、とか。
噂をまるまる信じているわけではないが、火のないところに煙りは立たないともいう。
用心するに越したことはない、とあれほど彼の行動を警戒していたのに、結局こうやって捕まってしまった。
この呼出しにはなにか裏があるのではないかとあれほど疑っていたのに。それゆえにあれほど念入りに調べたはずなのに。他意はないとそう結論をだしたはずなのに。
それなのに・・・・。
悔しさのあまりどれだけ歯を噛み締めたところで状況はなにも変わらない。
最初に異変を知らせたのは、高く響く馬のいななきだった。そうして、ユーフェミアがのった馬車のすぐ隣を並走していた騎士達の緊迫した声が聞こえた。
2、3、怒鳴りあうような声がしたなと思った瞬間には、馬車が物凄い勢いで走り出した。
カーテンを開けて外を確認しようにも街道から外れてしまったのか揺れがひどく、しがみついているだけで精一杯で。気がついたときには、こんな人気のない森の中まで来てしまっていた。
・・・いや、違う、恐らくここに誘い込まれたのだ。
街道からずいぶんと離れた森の中。人目に付かず、それでいて開けていて襲撃しやすい場所。
馬車はようやくそんな最悪な場所で止まり、騎士達がなにかと戦っているような音がした。
まさかこんな街中で魔物が?
一瞬そう思ったが、騎士達が誰かと言い争う声が聞こえ、襲撃してきたのは人なのだと理解した。
では誰が?
その疑問は、すぐに解けることになる。
ほんの数分で辺りは静かになった。騎士の声も、争う音もしない。
一体どうなったのか・・・。
そっとカーテンを開けて外を除き見ようとしたところで。
馬車のドアが乱暴にこじ開けられた。内側から鍵をしてあったにもかかわらず。まるで鍵など何の意味もないと言わんばかりに、簡単に外れてしまい外から何かが差し込まれる。
腕だ。黒い服、黒い皮手袋をはめた誰かの右腕。騎士達は誰もこんな皮手袋をつけていない。
逃げなければ。
でもどこへ?
狭い馬車の中で逃れることなどできるはずがない。
真っ黒な腕は、抵抗する暇すら与えずユーフェミアの胸倉を掴んだ。
そうして悲鳴をあげることもできないユーフェミアを力任せに外へと引きずり出した。
「・・・・・・・・。 ・・・・・・アルフェメラス王国、第一王女ユーフェミアで間違いないな?」
背筋がぞっとするほど冷たい声だった。
思わず顔を上げて。そして言葉を失った。
月明かりに照らされて辛うじて見える、全身黒づくめの男。
素晴らしく整った顔立ち。不気味に光る金の瞳。闇に溶け込むような艶のある黒髪。服をきていてもわかる引き締まった体躯。そしてそれよりもさらに目を引いたのが周りに転がっているたくさんの何か。
もぞもぞと動いているから、それが生き物であることがわかる。うめき声もあちこちから聞こえる。
ユーフェミアを気遣かって、逃げろと告げる弱々しい声も。
森の中を温い風が通りすぎれば、あまりの血生臭さに思わず顔がしかまった。
━━━━・・・なんてこと・・。
今この場で立っているのは、月を背に立つこの男ただ一人。そうしてそれはユーフェミアと共に来た騎士のうちの誰でもない。目を凝らしてみれば、倒れているのはみんな同じ格好をしている。
つまり、襲撃者は目の前に立つこの男ただ一人。
たった一人の男に手練れの護衛騎士30人があっという間に倒された。
「お前に選択肢をくれてやる」
男、ルーナルドは冷たい声で傲慢に言い放つ。そうしてユーフェミアの前に指を三本立てて見せた。
どうやら選択肢とやらは3つあるらしい。
「一つ。 このまま惨めに死ぬ」
指がゆっくりと一つ折られた。
それは選択肢と呼べるものだろうか・・・。
「二つ。ここに捨て置かれ魔物の餌になり、ぐちゃぐちゃになって死ぬ」
二本目の指もゆっくりと折られた。
結局死ぬということか。やはりろくな選択肢ではない。
「三つ・・・」
ずいぶん勿体ぶる。ユーフェミアがどう答えようが、もうこの男の中では結論は出ているだろうに・・。
ユーフェミアはここで死ぬのであって後は死に方だけなのだろう。
これはできれば面倒なんで選んでほしくないんだが・・・。
なんて言いながらこちらを見、ニヤニヤと意味深に笑う。
不愉快以外の何物でもなかった。
「俺の奴隷となる」
「なっ!?」
━━━━・・・奴隷・・・?
奴隷になれといったのか、この男は?
西の魔法大国アルフェメラスの第一王女である自分に?
「・・・・ふ、ふざけ・・・・」
「まあ、俺はどれを選んでも別に構わない」
お前が生きようが死のうが対した問題じゃない。
ユーフェミアの言葉を遮るように、狂王子が告げる。心底楽しそうに。それでいて、心底どうでも良さそうに。
そして言葉は続く。
ただ、と
「ただお前の存在が邪魔でしょうがない」
━━━ええ、そうでしょうね。
ユーフェミアは唇を噛み締めた。
この男が噂通りの血狂いならば。他者を殺して喜ぶような人間なら。
ユーフェミアの存在は邪魔でしょうがないだろう。
けれど、ユーフェミアとてここまで来て簡単に殺されるわけには行かない。
なぜならユーフェミアは、ここに。
この国に。
300年に及ぶ戦争を終結させるため。和平の協定を結びにやってきたのだから。
読んでくださりありがとうございます。