私があなたを死なせない
「初めまして、皇女殿下。」
それは、スチルよりも柔らかで優しげなレオナルド様の微笑み。
くせっ毛を緩く遊ばせたショートボブの金髪は、優雅で無造作。
「本日は領主の父と兄も不在のため、名代として僕が歓待するよう、仰せつかりました。」
線は細く、けれどしなやかに均整の取れた体躯。
安心感を与える物腰で、けれどウインクに茶目っ気を忍ばせた紳士のお辞儀を披露してくれる。
「……そんな、固い言葉はここまでにして、ゆっくりと寛いでくださいね?」
前世で、大好きだった乙女ゲームで何度も眺めた最推し。
……けれど。
叶うことなら、ここにいないで欲しかった。
だってあなたは死んでしまう。
*** ***
思い出したときには、遅かった。
この世界は、前世で何周もした乙女ゲーム『プリンセス・マキャベリ』……つまり『プリマキ』の世界で、私が前世を思い出したのは、いわゆる留学皇女として学園に転入するために、隣国へ向かう直前だった。状況を飲み込むことが難しい中で私が出来たことは、混乱を気合いで押し込めて、思い出せる限りの人へ手紙を書いて送ることだけだった。
それほどまでに、私、第二皇女セレスティア・ラブレー・ド・アーカーは身動きが出来ない身分だった。
「殿下、様々な支度が済むまで、こちらでお寛ぎください。よろしければ、何か摘みながらお話などいたしましょう。」
流れるように案内されたサロンで、使用人が荷運びをして私の生活を整える間、レオナルド様が持て成してくれるという。
ああ、レオナルド様。レオナルド・クロイツフェルト・フォン・アーリンゲル伯爵次男様。前世で私が最推ししたご尊顔は、キラキラと輝いている。
気遣いから入って、そして押し付けがましくなく、私に会話の主導権を預けてくれる。
その優しさに、もう、蕩けてしまいそう。
けれど、私は皇女。私もキラキラと謎に輝く白銀の髪の毛を靡かせて言うの。
「殿下、だなんて他人行儀な言い方では、肩が凝ってしまうわ。」
傲岸不遜な憎まれ口を。けれども、そんな言葉を口にした私の声は、澄んでいるのに円やかな丸みがあって、儚さも併せ持つ憂いを帯びて美しくて、悪戯っぽい含み笑いを忍ばせているのよ。
まるで自分の声じゃないみたい。
それはさっき、レオナルド様が緊張を解すためにしてくれたことのお返し。
私は冗談を口にして、あなたと仲良くなりたいと言外に告げる。
「ラブレー嬢。」
「セレス、でも構わなくってよ?」
「……降参です。悪戯がお好きなのですね、セレスティア様は。」
「ええ、レオナルド様。」
最推しなんてとんでもない。
前世でもガチ恋していましたし、もうすでに、ひと目惚れしている。
ダメだとわかっていても、止められないの。
*** ***
いまだ、アーリンゲル伯爵の館で過ごしていた。
「炎の魔法が『炎』を中心とした古代語で構成されているのは、」
「ええ、知っているわ。」
「良かった。僕は、火属性の魔法が得意ですから。確か、セレスティア様は『幸運』がお得意でしたね。」
「ええ、けれど、レオナルド様の『炎』と比べれば、おまじないみたいなものよ。」
レオナルド様は、復習も兼ねてだなんて言って、私が学園で勉学に遅れないように考えてくれている。さすがは何でも卒なくこなせるスパダリ候補の万能タイプね。学園2位の魔剣士様だわ。
本当に、尊い。
乙女ゲーム『プリマキ』は、細部まで作り込まれたゲームとして評判だった。マルチストーリーを採用して、正ヒロインのフローディアの行動次第で、ライバル令嬢の行動も変化した。攻略対象ごとにライバル令嬢がいて、特に、悪役令嬢を学級委員長キャラとして再解釈し、聖女となる正ヒロインとの正妃と側妃のレースにしたのは英断だった。
婚約破棄のシーンも、正ヒロインが正妃として選ばれた場面として映えていたし、悪役令嬢の行き過ぎた嫉妬を諌める場面としてもスッキリした。
そんな『プリマキ』の世界で、私は留学皇女という、特別な立場だった。
「火属性の魔法は『炎』を中心に組み立てる場合が多いけれど、僕は『火』の方が好ましいと思っているんですよ。」
「それはどうして?」
「……少し、驚かせてしまうかもしれません。『火よ。儚く映す幻の火よ。』」
ふわりと瞬いて顕れたのは、蝶々。
手を伸ばして近寄ってみれば、それはわずかに透けていた。
「すごい……これが幻?」
「火は幻を操ることも得意ですから。」
正ヒロインがレオナルド様ルートに入るのは、私が留学する前。だから、ゲーム内で私が正ヒロインのフローディアとレオナルド様を取り合うというような場面は出てこない。もっと言えば、レオナルド様ルートは、他の攻略対象の好感度を上げられなかった時の救済ルート的にも発生するから、コミュ障救済ルートとかボッチ回収令息とか言われていたっけ。
つまり、この世界には正ヒロインのフローディアが存在しないか、もしくはいたとしても、レオナルド様ルートも逆ハールートも進めていないことになる。いるのだとしたら、たぶんメインルートと言われる王太子ルートを進んでいるんだと思う。
それはさておきね?
私、第二皇女セレスティアは、正ヒロインがレオナルド様ルート以外に入ると、フローディアの親友として、王族の心得など様々なことを伝えるポジションになる。
けれども。
その、レオナルド様を攻略するルート以外の、すべてのルートでレオナルド様は亡くなってしまう。
なぜなら正ヒロインがレオナルド様を攻略しないせいで、私と恋仲になってしまうから。
「だから、僕は『火』の魔法が、好きなんですよね。」
言って、レオナルド様はにっこりと微笑んでくれる。
そりゃあもう、こんなイケメン好きにならない方がおかしいでしょう??
むしろどうやったら拒み続けられるというのか。
正ヒロインが『恵みの雨』を降らせた結界、アーリンゲル伯爵領では、地盤の弱い場所や治水が追いついていない地域での災害が起きた。
そのせいで足を止められた私たちは長期休暇の間ずっと、ともに時を重ねることになってしまう。
あまりにも予定通りの運命。
その運命に従えば、私はレオナルド様の隣で笑顔をもらえる学園生活を送れるのだろう。けれども私が留学を終えて帰る時に、随行してくれたレオナルド様は学園に戻ることはない。
それがなぜなのか、わからない。
だとしても、それに抗いたいから手紙を書いて送ったの。
前世の知識を役立てたら、帰国しなければならなくなった原因を、なくしてしまえるのではないかと期待したから。
*** ***
あれから、予定通り何事もなく学園に着いて、学園生活が始まった。
そして、ゲーム通り正ヒロインのフローディアが王太子ルートっぽい感じで進んでいるのを確認してしまった。何度も繰り返したゲームだから、いくつものシーンやセリフを覚えてしまっている。
それが目の前で再現されてしまった。
つまり、レオナルド様の運命も確かなものなのだろう。
そんな憂鬱になりそうな出来事と対照的に、ゲームでは描ききれなかった世界が広がっていて、私はときめいてしまう。
例えば、学園の授業。
魔物学の先生は、王太子ルートで遭遇するドラゴンやウルフなど領主に害のある魔物の生態を教えてくれるし、薬草学の先生は、解毒薬や真実の雫のような領主にとって有用な妙薬の調合方法や薬草の育て方を教えてくれる。ダンスや護身術、そして嗜みとしての剣術やアーチェリーのレッスンもあった。
徹底して、貴族として生き残る術を学ぶ場所として、現実の存在として実感があった。
「セレスティア様?」
「え、はい。レオナルド様。……やだ、少しぼうっとしてしまったかしら?」
午後のひと時を、学園での私のサロンで過ごす。
私と、レオナルド様と、そしてフローディア……つまりルディと王太子のミハエル様と。って、今日はルディの日なのね、ミハエル様は。
「あ、ごめんなさい。私気付かなくって。」
「いいの、ルディ。……もう。ひと月も過ごしたところで疲れが出ちゃったのかしら。」
「大変じゃないですか、今日はもう私、お暇しますね? セレス様、お体をお大事になさって?」
薄いピンクブロンドを結い上げた、利発そうで愛されるフローディア。
……レオナルド様が亡くなってしまうのが、ルディのせいじゃないとわかっていて、そしてやっぱり仲良くなってしまった不思議な魅力を前にして、私の心は複雑だ。
「温かいハーブティーをいただくことにするわ。……ねえ、誰か。」
それで、侍女にお茶を入れ替えてもらう。
「さあルディ、セレスティア嬢はレオンに任せて、私たちは行こうか。」
「はい。ミハエル様。」
その表情があまりにも幸せそうで、純粋無垢そのものだったから。
「ルディ?」
「はい、セレス様。」
「エリザベス様に胸を張れるよう、教えられることは伝えるからね。」
「はいっ。」
それは大輪の花が咲くような、温かな笑顔。
悪役令嬢のエリザベス様と正妃を競う中で、ルディに足りない王妃としての心得を教える親友。
それが私、隣国の第二皇女セレスティアのゲーム内での役目。
それを拒めばゲームとは異なる運命の軌道に乗れるのだろうか?
だとしても、他国の学び舎で不用意に敵を作るような行為に励むことは許されず、利口ではない私には、ルディを拒む正当な理由が浮かばなかった。
*** ***
「セティ、掴まって。」
「はい、レオン。」
いつでも変わらない柔らかな微笑み。
ゲームでは体験できなかった、第二皇女セレスティアの物語。
学園から程近い森林公園の湖畔に建てられた阿舎までピクニックに来た。
レオナルド様……レオンとは、恋人関係になった。この世界の貴族同士は、告白して付き合うという習慣がない。何となく、いつも一緒にいるよね? という親しい友人関係から、恋を囁く相手として、主に男性が短い詩を贈り、女性がそれに答えることで恋人として振る舞うようになる。
貴族として口約束でも婚約じみた告白を回避しながら、でも言い訳できそうな確認をしたい。そういう考察がされていたっけ。
「ふふ。」
「……何か、おかしかった?」
「レオンってば、私のことを今にも割れてしまいそうな硝子細工のように扱うんだもの。」
「それくらい、セティのことが大切なんだよ。僕にとって。」
「私は転んでも壊れたりしないわ。ふふふ。」
今、この瞬間だけは、レオンが死んでしまうなんて忘れられる。
むしろ、死んでしまうなんて嘘なんじゃないかとさえ、思ってしまう。
『夜ごとあなたのことを想う
私の想いを夜空は知らない
唯一のひとに届けておくれ
夜の退屈を我慢ならない心
帳が想いを隠し通せる間に』
あの日の、直情的過ぎる燃えるような言葉と、決心をしたような表情は、ゲームでも見たことがなかった。
セレスティアになって初めて知ったレオンの、そんな感情。
その選択が、レオンの運命すら決定づけるかもしれないと迷う事さえ許されずに、私はレオンの胸に飛び込んだ。
その日、私は初めてレオンの腕の温かさを知った。
*** ***
運命と、時の流れは残酷だった。
私が出国前に書いて出したいくつもの手紙。
それが功を奏して、ゲーム内で私が帰国しなければならない理由が解決した。
だというのに。
まったく別の理由で、帰国しなければならなくなった。
なってしまった。
『また、会えますよね! 私、セレス様の言葉にすごく助けられて、もう、ひとりでもエリザベス様に指摘されなくなったんです。……だから、次にお会いするときは、ミハエル様の婚約者として、セレス様と対等にお話をさせてくださいね。』
ルディは、別れ際の涙を隠して健気だった。
『短い間だったが、公平で在らねばならない私の代わりにルディを助けてくれて助かった。』
相変わらず、王太子ミハエル様は真面目だった。
そして。
『国境まで、僕の威信にかけてセティを無事に連れていく。』
『……そんなに心配しなくても構わないのよ?』
『……セティ。僕は、そんなふうに無理して笑うセティを放っておけるような男じゃないんだ。』
待って、ダメ。
『無理なんて、』
『セティ。元々、アーリンゲル伯爵領の誰かが随行しなければならないよね。……だったら、セティを故郷に帰すまでの間の時間を、僕に与えてくれないか?』
『――――は、い。』
悲しいのに、すごく嬉しかった。
私の莫迦。
だから、こんなことになるのよ。
「――ドラゴンだって!?」
それが、死に神なのね。
報告では火竜が迫っていて、逃げられる状況ではないということだった。
出来ることは少しでも戦いやすい場所まで移動して、そして、いかに私を逃がすか、という作戦を立てることだけだという。
「待って、私ひとりで逃げろというの?」
「セティ……それしかセティをアーカー皇国まで無事に届ける術がないんだ。」
「けれど。」
「大丈夫。すべての馬車に魔封じをかけてあるから、魔晶石の香に釣られてセティが襲われることはないよ。きっと、この数の馬車が目立ってしまっただけだから。」
言葉も出ずに、首を横に振ることしかできない。
「セティ。……大丈夫、僕は死なないよ。セティが安全なところまで逃げられたら、うまくドラゴンを誘導して、それでみんなで散り散りになって逃げるから。」
待って、だって。
「だから、泣かないでセティ。」
「レオン……レオンっ。」
私はどうしたら良いの?
けれど時間はない。
まともな防具も無いレオンは、それでも止まらない。
「……ねえ、約束して。」
「約束?」
私は、レオンの小指を自分の小指で絡げてとった。
「指切り。……これで約束したことは"絶対"守らなければならないの。そうでしょう?」
「……敵わないなあ。」
年端も行かない子供が、"絶対"を口にして約束するお遊び。
「必ず、生きて私を抱きしめにきて。」
「――"絶対"に。」
それは、あまりにも綺麗な微笑みだった。
そしてレオンは絡めた小指を引き寄せて、キスを落としてくれた。
そんなの、ずるいわ。
「行って。……行って、僕のセティ。」
「はい。」
レオンはもう一度、場違いみたいに柔らかな微笑みをくれて、そして私の馬車から降りて行ってしまった。
*** ***
これで良かったのか、そればかりが頭を過ぎる。
後ろでは、何かが爆発するような音や、恐ろしいドラゴンの鳴き声が断続的に聞こえてきて、その度に心臓が締め付けられる。
このままではレオンは死んでしまう。
なぜ?
どうして?
何もできないの?
「お嬢さま! 少し操縦が荒くなりますがご容赦くださいっ!」
不意に、馬車の御者が侍女も通さずに大声で伝えてきた。
そして直後、その言葉のとおり馬車が急に曲がる。
「きゃっ。」
パアッと左側が明るくなって熱くなった。
「焦げましたが燃えちゃいません! 大丈夫です!」
竜の息吹だ。火竜が噴いた炎が、こちら側にまで届いたのだろう。
そして。
「――あれは!?」
今の拍子に開いた、馬車の後ろのカーテンから見えた姿。
それは、乙女ゲームで見た姿。
王太子ミハエル様ルートで『隻眼の火竜』として登場する魔物。レオンが亡くなって、正ヒロインが聖女として真に覚醒するために、ミハエル様と試練に向かわれる途中で遭遇する魔物。
火竜。
「くそっ! なんだってんだ!」
「どうしたのですか!?」
御者と侍女の言葉にハッとする。
「すみません! あのドラゴン、なぜかこっちの方へ……ああ! そうか! さっきのブレスで魔封じが解けてしまったのか!」
――そっか。それが理由だったんだ。
レオンが、亡くなってしまった理由。
私を、最期まで護ろうとして、火竜の片目と遠近感を奪うのね。それできっと私は助かるけれど、レオンはそのために亡くなってしまう。
――ストンと、納得できてしまった。
ああ、なんだ。そっか。
「停めなさい。」
……聞こえていないわね。
「停めなさい!」
「――から、魔晶せ、えっ!?」
「お嬢さま!?」
私がレオンを死なせない。
それが無理なら、せめて一緒に。
そんな、簡単なこと。
だって"絶対"の約束は、レオンが生きて抱きしめに来てくれることだけ。それがいつだとか、ここで私が逃げ切ることだとか、そういうことは約束しなかった。
きちんと確認しないと、だめよ? レオン。
「停めなさい、と言ったの。」
「いけません。」
私と言葉を交わして良い侍女だけが、私を諌める。
「いいえ、停めなさい。この馬車が狙われてしまったというなら、レオンたちとの連携もあったものではないわ。そうよね?」
「ですが。」
「それなら、あなたは馬に乗って逃げなさい。」
私のわがままに付き合う必要はないわ。
「――そのようなことは、あり得ません! お嬢さま、私はお嬢さまが死ねと言うなら喜んで死にましょう。けれども、それはお嬢さまが生きながらえるために必要であるなら構わないという――、」
「ごめんなさい。」
「――いえ、出すぎました。」
「最期まで、そこにいなさい。」
「はいっ。」
あなたの忠誠にも困ったものね。
けれど、やはり顛末を知らせる役目も欲しい。
「ペンを取って? これからお母様たちに手紙を書かないと。そこの、御者に私のハンカチと魔晶石を使っていないアクセサリーをともに持たせて伝えさせないと。」
「はいっ――聞いたでしょう?」
「はい! ――お嬢さま、必ず、必ず届けます……っ!」
まだ、死ぬとは決まっていないでしょう。
それなのに、皇女の御者がだらしないじゃない?
「ふふ、おかしいですねお嬢さま。」
「奇遇ね。私も。」
「こんなにも絶望的なのに、どうしてか、今この瞬間だけは、怖いどころか、少しだけ心が浮ついています。」
そうしてカリカリとペンが羊皮紙を引っ掻く音が響いた。
恐ろしい火竜の鳴き声は近付いている。けれどそれが空からではないところを考えると、レオンたちが飛び立たせないように踏みとどまらせているのだろう。
「……お嬢さま。」
それは、震えた声だった。
「ようやく、っ、実感してきたみたいです。……お嬢さま、怖い……怖いのです。」
「私がついているわ。」
「はい……はい。」
そうして、わずかな言葉を紙に綴って、髪の毛をひとつ抜いて簡単に魔術的な封をした。
それを御者に渡し、先を行かせた直後に、レオンは追いついた。
「セティ!? どうして!?」
「どうして? あの火竜は、この馬車から漏れる魔晶石の香に引き寄せられているのでしょう?」
魔晶石のアクセサリーは、護身用の魔術や解毒・回復の魔術を刻むものとして、貴族なら必ず持ち歩くもの。
「さっき、こちらに通してしまったブレスのせいか。」
「はい。けれど、それはどうしようもなかったでしょう?」
「――でも、それなら馬に乗って逃げるとか、そういう。」
「そうだとしても、レオンは残された馬車の中に私がいたらと思って、結局は来てしまうから。」
「~~~~~~っっ!!」
だから、ね?
「ほらっ……約束は、"絶対"なのよ?」
レオンは、私が広げた両手の中に迷わず飛び込んで抱きしめてくれたわ。
「~~~~莫迦!」
「……初めてね、レオンからそんな口を利かれたの。」
「なんで僕を残して生きてくれなかったんだ。」
「だって、レオンが私の唯一だから。」
「そんな、そんな。」
「レオンが死ぬとき、私も一緒に連れていってくださらないの?」
「それが嫌だから、僕はセティに生きてほしかったから。」
「それは私も同じ。馬車を停めていなかったら、火竜は無理矢理飛び立っていたかもしれないし、レオンも隊列を無視してでも私を追ってきてしまったかもしれないじゃない?」
「それでも、セティを護れるなら。」
「ばか。」
ばかね。
「それで生き残るくらいなら、私はレオンと一緒に逝くことを選ぶわ。」
だって私、年齢通りの娘ではないから。
ガチ恋した最推しと一緒に死ねるなんて、本望なのよ?
「――ああ、もう、僕のお姫様は、欲深いんだね。」
「まあ! 欲深いだなんて、」
その時、至近距離で火竜が吠えた。
「時間はないみたいだ。」
「はい。」
「セティ……せめて何かの陰に、」
「だめ。」
「は?」
「だって、狙われているのは私だから。」
「……じゃあ、それなら僕の後ろにいて。誰か騎士をつけるから、ブレスにだけは絶対に気をつけて。」
「ええ、"絶対"に。」
「ああっ、そういう意図じゃなかったんだ。」
「はい。」
――あ、そうだ。
「ねえ、レオン。」
「なに?」
「『幸運を。迷うことなく進むべき道を示す幸運を。』」
『幸運』の魔法は、詠唱の後に相手の体に触れ、印を付けることで完成する。
その効果は、詠唱者の想いの強さに依存すると聞いた。
だから。
「ん……っ。」
私は迷うことなくレオンと唇を重ねたわ。
その瞬間だけ、何もかもが永遠に感じられたの。
「……セティ。」
「ねえ、レオン? 無事に帰ってきたら、また、あの幻の蝶々を見せてね?」
「……喜んで。」
またあの柔らかな微笑みをくれて背を向けて、そしてレオンは振り返らなかった。
私はレオンの背中を、最愛の唯一の人を見守ることしかできない。
火竜が私の身につける魔晶石を狙う限り、遠からず近からずいることで、火竜に目の前の障害を取り除かさざるを得ない状況を作り出す。
それで火竜がレオンたちの頭上を飛び越えて、私の方へ来てしまうことを防いでいる。
……それだけだった。
「……綺麗。」
そして私は場違いな感情を覚えていた。
レオンの得意な魔法は火属性で、火竜も当然だけれど火属性だった。だからレオンの魔法は相性が悪く、決定打どころか有効打すら無いような状況が続いている。
だというのに。
その、炎が舞う光景こそが、美しかった。
一歩間違えれば、死に繋がるような綱渡りで、曲芸を披露し続けるような、そういう極限の攻防。
火竜に立ち向かえるほどの騎士が、レオンしかいなく、周りはただ観客になって邪魔をしないように努めているかのよう。
こんな、分が悪い相手にレオンは、片目をもぎ取ったのね。
どうやって?
「――あ。」
そんなとき。
風に乗って、レオンの声が届いたの。
「『火よ。儚く映す幻の火よ。』」
そうして、レオンが二人になった。
一瞬、火竜も混乱しているのが見えた。
けれど、その一瞬の混乱の直後、火竜は怒りに吠えてレオンを襲う。
良かった。火竜が怒ったように叩いたのは幻のレオンで、その隙を突いてレオンは火竜の皮膚を切り裂いた。
それがまた、火竜を怒らせる。
「……お嬢さま。」
「なに?」
「レオナルド様は、お疲れなのでしょうか? 先程から『火』の魔法しか使われていないように見えます。」
「……そうね。」
魔力だって、無尽蔵にあるわけじゃないし、火竜も疲労が溜まっているだろうけれど、レオンほどじゃない。
『火』の幻が、たまたま火竜を惑わせることが出来たから、今、歯車が噛み合ったような均衡を保っているだけ。
その均衡は必ず崩れて、レオンにとって最悪の結果を齎すってわかる。
その呆然が、私に場違いな感動を覚えさせていた。
それも少しして落ち着けば、沸々と怒りが湧いてくる。
私自身の無力さに。
「 」
「お嬢さま?」
なにが、私があなたを死なせないよ。私には何もできないじゃない。
結局のところ、私というお荷物が、レオンを殺したんじゃない。
私が、あなたを死なせたんじゃない!
なぜ?
なぜ?
なぜ、レオンは私を護らないといけないの?
っ。
そうだ。
狙われているのは、魔晶石。
つまり私が魔晶石なんて後生大事に持っているのがいけないのよ。
そして、そんなに欲しいなら、あげてしまえば良いんじゃない。
「弓を。」
「お嬢さま!?」
なんで、そんな簡単なことに気がつかないのかな。
「いけません! こちらから手を出しては、」
「良いから弓を取りなさい――早く!」
護身の魔術が組み込まれているから?
解毒や回復の魔術が組み込まれているから?
皇族の紋章が彫られているから?
肌身離さないよう教えられているから?
そんな、この世界の価値観がレオンを殺したのなら、私はいらない。
レオンが生き残るなら、くれてしまえ。
こんな、大きな髪留めくらい。
バラバラと、丁寧に結い上げられた白銀の髪の毛が零れていくのがわかった。
髪留めに嵌められた、特に大きな魔晶石。それを、銀の矢に括り付ける。
私、アーチェリーのレッスンは、得意だったのよね。だから少し……いいえ、だいぶ重心は狂ってしまったけれど、きっとこの矢は真っすぐ飛んで、レオンを助けてくれる。
だって私が『幸運』を口付けで、レオンの唇に重ねて施したから。
前世の分も合わせた、私の想いなんだから。
ねえ火竜?
魔晶石に気付いたでしょう?
だから、レオンから注意を一瞬逸らしてしまったのでしょう?
「レオン!」
「――セティ!?」
私は、大きな口を開けた火竜に向けて、銀の矢を放った。
それから先は、すべてがスローモーションの世界だ。
矢は過たず、真っすぐ飛んで火竜の頬を掠めた。
その魔晶石に、火竜は気を取られてしまう。
その瞬間を、レオンは見逃さなかった。
そう。
レオンは名を呼ばれたから、私の矢に合わせることが出来た。
火竜は至近に迫ったレオンではなく、その幻影をレオンと間違て噛みついた。
その、細い糸を切らずに手繰り寄せたような幸運が、レオンの剣を火竜の首に届かせた。
火竜の喉を、切り裂いたのだ。
*** ***
「レオン。」
「どうしたの? セティ。」
火竜を討伐した英雄、レオナルド。
アーカー皇国は、第二皇女である私の窮地を守り抜いたレオンを厚遇した。
「……ううん。なんでもないの。」
「そっか。」
皇国は新公爵となった私の伴侶として、レオンを迎え入れた。それは、ほとんどレオンのために公爵位を用意して招き入れ、私を降嫁させたことに等しい。
……お父様、つまり皇帝陛下が崩御されて宮中が混乱する中で、第二皇女という可能性を摘みたかったのだと思う。女皇帝も擁立可能なアーカー皇国で、継承2位の私という可能性。
「ふふ。」
「さっきから、セティはどうしたのさ?」
それはね?
「レオン。……幸せを噛み締めているの。」
色んな思惑の間を縫って、私はレオンを自国に引き込んで、幸せを手にした。
「あの日、あの時に私たちは、死んでしまったかもしれないのに。」
「ああ、そうだね。僕も、どうして生き残れたのか……ああ、いや、きっとセティの『幸運』のおかげかな?」
「あれは、おまじないくらいの効果しかないわ。」
ゲームの運命を、乗り越えた。
その先は、前世でも知らないスチルだらけの物語。
「時には、そんなおまじないこそが、一番重要かもしれないよ?」
「そうね。"絶対"に守らなければならない約束もあったから。」
「うん。」
今日もガチ恋した最推しが尊いの。
まず、顔が良い。
性格も最高。
そして順調に私を蕩けさせるスパダリに成っていっている。
まだ宮中のゴタゴタは収まりそうにない。皇帝レースが片付いたと思っている私をもう一度、宮中に戻すかもしれない。
だとしても。
いいえ、だからこそ。
ここからは、私の戦い。
相手は人で、ドラゴンなんていないから。
だから、ちゃんと言える。
私があなたを死なせない。
「……ねえ、レオン? 今日も約束を守って、ね?」
「もちろん。僕のセティ。」
そして私は、ずるい女なの。
だって、あの約束の期限も回数も決めていなかったから、毎日私を抱きしめて、なんてレオンに迫った。
レオンも柔らかく微笑んで受け止めてくれる。
ねえ。私、すごく幸せよ。
~fin~
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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