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夜の音

作者: 灯兎

江國香織先生からの影響を強く受けた小説となっています。そういったものが苦手な方には読まないことを推奨します。

 真夜中をすぎて寝付けずに、ベッドをぬけ出ると、上弦の月がカーテンの波間から忍びこんでいた。見あきてしまった雪景色のような光が、本の背表紙を浮かびあがらせている。それを見て、なんて遠くまで来てしまったんだろうと思う。私はひとりだ。この光に混じって消えてしまいそうなくらいに、ひとりだ。影がひらひらと揺れていて、いやいやをするように見える。きっと昔の私はいつもあんなふうだったに違いない。嘘じゃないもん、あの人は私を抱いてくれたもん、と泣いていた私を思い出す。


あのころの私はひどくわがままで、彼はいつも困ったような笑みを口元に浮かべていた。わがままさこそが、女の美徳だと勘ちがいしていたところさえあった。それでも私を抱きかかえてくれた彼の包容力はたいそうなものだったなあと思う。彼が大人だったから、ではない。きっと彼は誰かを甘やかすことで、自分が許されると錯覚してしまっていたのだろう。そこに甘やかされることで、自分が愛されていると錯覚してしまう私と出会った。ただそれだけのことなのだ。あれはきっと、恋などという、蛮勇で向こうみずな、けれども甘ったるくて素敵なものだったのではない。

 

着信音ががちゃがちゃと鳴り出した。こんな時刻に誰だろう、という迷いもあったけれど、出てしまうことにした。

「久しぶり、元気にしてた?あたし、葉子だけど」

  一瞬、誰だかわからなかった。けれどその名前の響きに、懐かしさが込みあげてくる。

 「本当に久しぶりね。こんな遅くにどうしたの?」

 「ううん、とくにこれと言って用事はないの。ただ懐かしくなっただけ」

 懐かしい友人からの電話というのは、クリスマスカードに似ている。なければ忘れているし、あれば嬉しい。いくらかぽつぽつと雑談めいたものをしていると、ふと葉子が言った。

 「そういえば、彼とはどうなったの?」

 「ああ、とっくに別れちゃった。」

 そういえば葉子とよく遊びまわっていたころは、彼と一番仲が良かったころだっけ。時差めいたものを感じて、少しだけめまいがする。

「えー、あなた達ってすごく仲がよかったじゃない」

「うん。でもけんか別れとかじゃないんだ。お互いのために別れたの」

「それって体よくあしらわれているだけじゃないの?」

こういうお節介なところは相変わらずだ。疎ましく感じることもあるけれど、この性質に何度救われたかわかったものじゃない。

「ううん。私から話を持ちかけたことだし、いいの」

「それならいいんだけど……。きちんと生きてる?」

「大丈夫。心配しないで。それより寝なくて大丈夫なの?」

「ふん、そろそろ寝ようかな。じゃ、また。元気でね」


 そう言って、切れた電話を見つめてみる。不思議なものだ。話しているときは確かに満たされていたのに、今はもうからっぽだ。どこかに電話をしなきゃ、そう思った。けれど、私は押すべきダイヤルを思い出せない。ああ、やっぱり遠くまで来てしまった。電話口からは、何の音もしなくて、夜の底に落し物をしてしまったようだ。手持ちぶさたに煙草をくゆらせて、煙を見つめてみる。窓の向こうで薄く垂れた雲と混じっていくのを見つめていると、泣きだしてしまいそうになる。このまま泣いてもいいのだけど、泣いてしまえば今の生活が崩れてしまう気がして、なんとか抑えつけようとする。二十本の煙草にいっぺんに火を点けてみたらどうだろう。それが良い思いつきであるような気がして、さっそく煙草をデスクに並べる。一本一本、慎重にていねいに、火を点けていく。最後の煙草に火を点けるころには頭がくらくらしたけれど、やりきった。そうして、たくさんの煙草がいっせいに煙を吐き出しているのを見ていると、だんだん気持が落ち着いてきた。


 そうして窓の外を見ると、月が頭を下げ、青ざめた夜が雲を脱ぎ捨てはじめる。ちょうど、そんなころだった。大丈夫。まだ私はきっちりと生きていける。大人なんだから、大人なんだから。そう呟いて、コーヒーを入れることにした。


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