1.記述式問題の導入について
2020年度のセンター試験が「大学入学共通テスト」へ変わる。
実施日程や科目は現行のセンター試験と同じ。変わるのは、出題形式だ。
筆者は、2020年度に入試を受けることになる学年、『共通テスト元年』の学年である。そこで教員などからも色々入試の話を聞くが、どうも納得がいかない。どうしてセンター試験を変えてしまうのだろうか。学生である筆者から見ても、おかしな点がいくつか浮かび上がってくる。本稿の目的は、そんな筆者の違和感を伝えることである。個人的な意見のため、一部偏った見方になるかも知れないが、ご容赦いただきたい。
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まず、「大学入学共通テスト」では記述式問題が導入される。ご存じの通り、現行のセンター試験はマーク式である。全てを記述式にするわけではないが、国語では2~3問程度、記述式問題が導入されるらしい。数学でも記述式問題を導入するという話があったが、それは立ち消えになった。数学の証明問題を論述形式にすると、採点があまりに難しいからだそうだ。
はい、ここ。
ここが、筆者が第一に指摘したいポイントだ。
記述式問題、誰が採点すんの?
マーク式であれば、機械に答案を通して一発で採点は完了だが、記述式になると必ず人間が必要になる。じゃあ誰がするのか。
これまで行われた試行テストにおいては、バイトを雇って採点していたらしい。本番も、ベネッセとかの人間が関わると聞いた。
何故、バイトや圧力団体に採点されなければならんのか。採点が運に左右されるような感覚に陥る。
どうしてそんな手間がかかるのに、わざわざ記述式問題を導入するのか。その理由は、
「記述式問題の導入により、解答を選択肢の中から選ぶだけではなく、自らの力で考えをまとめたり、相手が理解できるよう根拠に基づいて論述したりする思考力・判断力・表現力を評価することができます。(文部科学省ホームページより)」
とのこと。
まあ一理ある。確かに多くの学生が記述式問題を敬遠し、選択肢の問題を好む。そっちのほうが楽に見えるから。
だが、言わせてもらえば、記述式問題より選択肢のある問題のほうが難しいものだ。現代文について言おう。センター試験の問題は本当に良問が多く、選択肢にも正解か不正解かの判断に迷わせるようなものが混在している。その中から唯一正しいものだけを選ぶというのは本当に難しいのだ。一方記述式は、言ってみれば問題文の中に解答はあるのだから、あとはそれをまとめればよいだけ。勿論簡単な作業ではないが、文章の要約の技術が身に付けばできること。
ここで、筆者は乱暴にこう主張する。
マーク式で十分じゃん
マーク式問題でも十分に思考力は測れる。ならば、わざわざ運任せみたいな採点する羽目になるようなことはせず、現行のままでいいんじゃないのか。
文科省のお偉いさんが、「マークで人間は測れない」と言ったそう。
いやいや、「人間」は測らんでよろしい。そもそも大学入試で「人間」を測り出したら、筆者のようなクズ人間は軒並み入学できないではないか。クズ人間であっても、勉強さえすれば、社会人の入り口(大学卒業)までできるような教育であるべきだろう。センターの「人間性」の科目で落ちちゃったら、何を勉強したらいいの?「数学」で落ちたんなら数学を勉強するけど、人間性の勉強って?小学校の道徳教育からやり直せとでも?(ちなみに筆者は道徳を学校教育の一環として行っていることにも反対である)
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筆者の考える、記述式導入の問題点。それは確実性の欠如である。点数見て、「でももし別の人が採点してたらあるいは……」と考えてしまう受験生がいれば、それは無論彼がダメな人間ということだ。でも、問題はそこじゃない。
そんな風に考えることが可能な試験制度じゃダメだろ!ってことだ。
天皇家の正統性と少し似ているかもしれない。天皇家は天照大神から今上天皇まで、万世一系の血筋を保っている。
大学入試だって、何処までいってもぶれない、「筋」が必要なはず。ある人は認め、ある人は認めない、というようなことになれば、この国の大学教育は終わりではないか。
では次回からは、英語科目、特に民間試験導入について私見を述べていく。