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地方都市の高校生の楽しみといえば、郊外にある大型ショッピングモールに行くこと。
街道沿いにある大型書店に行くこと。
それに駅前にある大型DVDレンタルショップに行くこと。
このみっつくらいだろうか。
四つ目の選択肢、男女交際をし、青春を謳歌する、という高校生たちもいたが、僕と葉月はそういうタイプではなく、友人の延長線上のような青春を過ごしていた。
僕が奥手なのか、彼女が怖がりなのか、判断に迷うところであるが、たぶん、前者なのだろう。
ツタヤに訪れる途中、彼女は僕の手に指を絡めてきた。
彼女は稀に、自分から恋人の真似事みたいなことを仕掛けてくる。
当時の僕はさりげなく距離を取ったり、顔を真っ赤にして彼女のもくろみ通りの反応を示したものだが、大人になった僕はそのような子供ではなかった。
距離は取ったが高校時代よりも半歩だけ近く、顔は赤らめたが高校時代よりも若干、紅潮の具合が少ない。
――はずであるが、僕の心臓は早鐘のように鼓動し、顔は熱かった。
たった二年程度の成長ではこんなものなのかもしれない。
口の中でそうつぶやくと、僕は彼女の手を離した。
彼女と手を繋ぐのが嫌だったのではない。
ツタヤの前にきたからだ。
往来で手を繋ぐのにもこんなに逡巡するのが僕という男だ。店の中で手を繋ぐことなど不可能と言い換えてもいい。
それは彼女も熟知してくれていたので、店の前にくると自然と絡み合った指がほどけていた。
「さあて、まずはこのDVDを返してくるけど、なにを借りようかしら」
ちなみに彼女が持っているのはDVDではなくBD、ブルーレイ・ディスクであるが、僕の母親はいまだに『ビデオ』と呼ぶので、まだ彼女のほうが若々しい感性を持っているのかもしれない。
彼女はそそくさとカウンターに行くと、さっとDVDを返却する。
手慣れたものだ。さすがにこの店の面白い映画の半分は借りたと豪語するだけはある。
その間、僕は旧作コーナーを軽く見ていた。
一年前よりも縮小されているような気がする。
昨今、DVDを借りるのは流行らず、ネットで配信が主になっているので、店の品揃えが妙に高年齢化したような気がする。
韓流ドラマのコーナーがやたら拡充していた。
それに邦画も好調なので邦画のコーナーも。
ハリウッド映画党の僕らとしては寂しい状況であるが、それでも映画といえばアメリカ映画。ハリウッド。旧作コーナーにも準新作コーナーにもハリウッド映画があふれ、健在ぶりをアピールしていた。
そんなふうに店内を眺めていると、彼女が声をかけてくる。
「DVD返してきたよ」
それはそのまま新作のコーナーに行きましょう、ということでもあった。
彼女に従い新作コーナーに移動する。旧作コーナーはあらかた見尽くしたのだ。
新作コーナーは活況に呈している。いくつもパッケージが並び、映画好きの目を楽しませてくれる。
僕たちは無言で映画を選び始める。
基本的に僕たちは映画を選ぶとき、事前に協議しない。
店におもむき、パッケージとあらすじだけを見て選ぶ。
選ぶときもあれこれ語ることは少ない。
最初は協議していたような気もするけど、協議すると主体性のない僕は能動的に作品を選ばず、彼女の好きな映画ばかり選んでしまうからだ。
それではいけない、と彼女のほうから提案をし、互いにパッケージを隠しながら、いっせーのせっ! で、どれを選んだか明かすのが僕たちの映画選びの基本となっていた。
今日もそうする予定だったのだけど、ひとつだけ困ったことがある。
新作の棚にある映画はほとんど見てしまっていたのだ。
僕にとってこの棚は旧作も同じだった。
なぜならば僕は未来からやってきた人間、彼女と付き合っていた当時も、別れたあとも、映画を見る趣味は途絶えず、家でも外でも映画ばかり見ていたからだ。
こういうときはどうすればいいのだろうか。
この棚にある一番のお勧めを選べばいいのだろうか。
それとも棚の中にある見たことないものを選べばいいのだろうか。
迷う。
見たことがないもの=世間の評価が低いもの。あるいは僕の食指が動かなかったものだ。
面白い映画である可能性は低い。
ならば一度見たものを選べばいいのかもしれないが、この棚には何度も見たいような作品がなかった。
名作とは呼べない映画ばかりが並んでいた。
どうするべきか。彼女をちらりと見る。
彼女はおおらかで、細かいことは気にしない女性であるが、こと映画にはうるさい。
それに女性だから妙に勘が鋭い。一緒に映画を見れば僕が一度見た映画だとすぐに気が付くはずだ。
わずかな所作、表情から読み取ってくる。以前、映画館で同じようなことがあったのだ。
彼女は別に怒らなかったけど、こうはつぶやいた。
「一緒に映画を見るときは互いに初めてのものが基本、ってルールだったはずだけど」
と。
残念そうな瞳でそう言われると申し訳ない気持ちでいっぱいになり、以後、一度見た映画を選ぶ場合は事前に告げるようにしていた。
今回も告げればいいのだが、この棚には今日入荷したものもあるかもしれない。
その場合は彼女にどんな言い訳をすればいいか、思い浮かばなかった。
仕方ないので僕は見たことのない映画を選ぶ。その中でも比較的面白そうなものを手に取った。
それは「家族愛」をテーマにした映画。父と子供の絆を描いた映画で、文芸大作に分類される。
帯にはアカデミー賞候補! とあるが、未来からきた僕はそれが受賞作にならないことを知っていた。
しかし、それでも候補になるくらいだから面白いのだろう、そう思って選んだ。
一方、彼女のほうはすでに選び終えているようだ。
勿体つけるように後ろに隠している。
せーので見せ合いしようか、小学生のような笑顔で言う。
もちろん、と僕はOKすると、ほぼ同時にパッケージを公開した。
僕が見せたのは先ほども説明したとおり、家族愛を描いたもの。父と子の絆ものだ。
彼女が選んだのはイギリスの恋愛映画。ヒュー・グランドが出演しているやつだ。
彼が出演する恋愛映画は、コミカルでも人間の心の機微を描いており、文芸作としてみてもコメディとしてみても面白い。
映画好きの男女が見るにはぴったりの作品である。
さすがは葉月だ。なかなかの選択。素直に感心していると、彼女の表情が優れないことに気がつく。
いったい、なにがあったのだろうか。
僕が選んだ映画が彼女の表情を鎮めてしまうくらいの駄作だったのだろうか。
そんな心配をしていると僕はとあることに気がついた。
北原葉月という少女がこの手の父子感動作が嫌いなことに。
彼女と映画の話をするようになったとき、一番好きな映画はなに? と訪ねたら「うーん」と首をひねって三〇分ほど悩んだ末に一〇〇作ほどタイトルを列挙してきたが、嫌いな映画と訪ねたら一〇秒で答えが返ってきた。
彼女が嫌いな映画は、「クレイマークレイマー」だった。
クレイマークレイマーとは、妻と離婚した男が、男手ひとつで息子を育て上げる話で、父子ものの感動作は? という話題になれば映画通ならば誰でも上げる名作であった。
七〇年代の古い映画であるが、名優ダスティン・ホフマンと子役の子の演技は、現代でも十分、通用するし、父親と母親、どちらと一緒に暮らすか悩む少年の気持ちはいつの時代も共感できるテーマであった。
しかし、彼女はこの映画が大嫌いだという。
これを見るくらいならばまだ便所コオロギと接吻するほうがまし、と公言していた。
なぜ彼女がクレイマークレイマーが嫌いなのか、それは彼女の家庭環境が影響しているのは容易に想像できた。
だから僕は感動作でも、家族もの。それも父子の愛情ものは避けるようにしていた。
少なくとも彼女と一緒に見ようと提案しないようにしていた。
それがこの期に及んで、しかも、この場所で選んでしまうなんて、僕はなんて浅はかで愚かな人間なのだろうか。
いくら彼女との別れから二年が過ぎていたとしても弁解しようのない失敗を犯してしまった。
慌ててパッケージを引っ込めると、これはやめよう、と提案した。
代わりに彼女が持っている映画にしよう、と提案する。
そうすれば丸く収まると思っていたのだが、そうはいかなかった。
「なんでその映画にしないの? 私はそれでも構わないけど」
嘘だ。君は父子感動作が嫌いなくせに、とは言えなかった。
気まずい沈黙が流れるが、彼女は続ける。
「そういえば三回連続でどちらかが選んだ映画になった場合、次は無条件で選ばれなかったほうの映画を見る、という不文律があったのを覚えている?」
覚えていない。
正確に言うと思い出したくなかったが、たしかにそんな取り決めをした記憶があった。
もっとも、僕と彼女の映画選びは拮抗しており、そのような事態になったことは一度もなかったはずだ。
だが、彼女は思い出したかのように言う。
「そういえば前回、前々回、そしてその前も私が選んだ映画を見たような気がする。気のせいかしら」
それは分からない。
なにしろ二年以上前のことだ。彼女がそうだと言えば違うと反論できるほど、僕は記憶力がよくなかった。
「というわけで今回は君が選んだ作品にしましょう」
彼女は断言する。もはや決定事項のようだ。
彼女はパッケージを握りしめ、抵抗する僕からディスクを奪うような愚かな真似はせず、新作の棚から同じものを選ぶと、それをカウンターに持っていった。
彼女も店員も手慣れたもので、数分も掛からずに映画のレンタルが成立すると、彼女は青い袋を持ってきた。
彼女はこちらに歩いてくると思わぬ言葉を投げかけてくる。
「たぶん、私はこれを見たら泣いちゃうから、責任をとって」
責任? どういう意味だろう? 逡巡していると、彼女は僕の手を取った。
「今日は君の家で一緒に見ましょう」
「……え?」
思わず素っ頓狂な言葉を上げてしまう。
たしかにそれは僕が望んだことだけど、この期に及んで彼女から誘ってくるなどとは夢にも思わなかった。
彼女の好き嫌いを無視した僕、彼女に振られる日が一週間早まり、今日、三行半を突きつけられるかもしれないと覚悟していたのに。
彼女の意外な反応に驚く。
「どうしてそんな提案をするの?」
僕は訪ねるが、彼女は明瞭な答えをくれなかった。
自身の顎に指を添え、弄びながら、
「うーん、なんとなく、かな。一度、君の家で映画を見たかったから、じゃ、だめ?」
と言った。
そんなふうにいわれてしまえば、なにも言えない。
それにそれは願ったり叶ったりであった。
彼女の好みに合わない映画を見せることはいささか気分が滅入るが、失点を挽回するチャンスはまだまだありそうだ。
というか、作るしかない。
そう思った僕は彼女と一緒に店を出た。
出たあと、家に帰る途中で気がついたけど、DVDの代金は半分僕が払うべきだった。それにDVDの袋も僕が持つべきだと思った。
こういったところで気が回らないから、女の子にもてないのよ、姉の言葉が頭に反芻されたような気がした。