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 自分が我であると思い出す。

 自我を取り戻した僕はまず自分の腹を見た。


 そこには血のあともなく、金属の破片も突き刺さっておらず、真っ白なシャツがあるだけだった。


 僕の腹は規則正しく上下していた。

 呼吸をし、血液も正常に全身を循環している。

 ゾンビになっているとか、幽霊になっているというオチではないようだ。

 僕の身体は死の間際、渋谷の裏路地にいたときとまったく変わらない。


 ――わけではないようだ。


 すぐに異変に気が付く。

 まず気が付いたのは着ている服が違うこと。


 渋谷に出るときはジャケットの下にTシャツを着ていたが、今は真っ白なYシャツを着ていた。


 それだけならば病院で着替えさせられたのかと納得してしまったかもしれないが、羽織っているジャケットも違う。


 学生が着るようなジャケットをまとい、ズボンもそれと同じ色のスラックスになっていた。


 先ほどまで着ていた衣服の名残は一切ない。唯一、靴下は同じ柄であったが、僕は学生時代から似たような靴下しか着用していなかった。


「学生時代……」


 自分の脳内に浮かび上がった言葉に思わず反応してしまう。

 もしかしてここは高校の保健室なのではないだろうか。


 消毒液の香りがしたし、あのような大事故のあとだから、病院だと誤認してしまったが、この部屋には見覚えがあった。


 どこか懐かしい感じがした。


 もしもここが高校の保健室だとしたら、そこにあるカーテンを開けると、妙齢の女性の養護教諭がいて、電子タバコを吹かしている可能性が高い。


 僕が通っていた高校の教諭は、美人で有名であったが、とても個性的な性格をしており、保健室で堂々と煙草を吸うことで有名だった。


 もちろん、それを知っているのは生徒だけで、教諭たちの間では保健室の美人先生で通っていた。


 要は生徒たちの前では本性をさらけ出し、大人たちの前では猫をかぶっているのだが、そのざっくばらんで親しみやすい性格から生徒たちの間では人気が高かった。


 僕は彼女が存在するか、たしかめるためにカーテンを開けてみた。


 ――カーテンを開けると、そこには制服を着た女生徒がいた。


 思わず表情が固まってしまう。

 見慣れた人物だったからだ。

 黒髪の少女で、とてもよく制服が似合っている。


 一見、寡黙で人見知りするタイプに見えるが、その見た目通り他人に心を開くことのない少女。


 学校でも彼女と親しげに話すのは僕くらいの少女。

 僕が過去にさかのぼってまで会いたかった少女。

 数年後、自ら命を絶ってしまう少女。

 北原葉月がそこにいた。

 彼女は沈黙したままそこに立っていた。

 出逢ったころと変わらない無口で切なげな表情で立っていた。

 誰とも交わろうとしない拒絶のオーラを放っていた。

 しかし、それはいつものことだった。だから僕が彼女に声を掛けない理由にはならない。

 僕が声を掛けられなかったのは、あまりにもたくさんの感情が押し寄せてきたからだ。


 数年前、僕は彼女と別れたが、彼女が嫌いだったからではない。彼女が僕とはもう会いたくない、そう言ったからだ。


 そう告白された瞬間も、その後も、高校を卒業し、大学に入ってからも僕は彼女のことが好きだった。


 いつかまた彼女と付き合える――、そんなおこがましいことは思っていなかったけど、また昔のように好きな映画について語り合える日がくる、そう信じていた。


 それは彼女の死によって不可能となったと思ったのだけど、そうではなくなった。

 時間をさかのぼり、また彼女と再会できた。

 嬉しさのあまり言葉を失うのは必然のことであった。


 あまりにもな表情で、長時間沈黙してしまったためだろうか、彼女は心配そうな瞳で話しかけてきた。


「……大丈夫? もしかしてどこか悪いんじゃ?」


 その目は本当に僕を心配している目だった。


 心配されるのは悪い気分ではないが、僕は彼女に同情されるために過去に戻ってきたわけではない。


 目的を達成するために戻ってきたのだ。

 それを優先すべきであった。

 まずは情報を収集する。


「大丈夫、ちょっとくらっとして保健室で休んでいただけだから。すぐによくなるよ」


「そう、それはよかった。君は授業をさぼるタイプじゃないから、授業中に倒れたときは本当に焦ったわ」


「……そうか、僕は授業中に倒れたのか」


 小さな声。葉月には聞こえない音量でつぶやく。

 僕は子供の頃から健康だけが自慢の子供だった。


 風邪で学校を休んだことはあるが、授業中、倒れて保健室に運ばれたという記憶は一切ない。


 もしかしたらこれが歴史の【弾力性】というやつかもしれない。


 SF映画などによくあるやつで、タイムスリップという歴史の矛盾を修正するためにおこなわれる歴史改変。


 この時点で歴史が分岐し、僕の知っている世界とは違う時間軸が発生した可能性がある。


 そのことを未来に尋ねてみたかったが、ポケットに入っているスマホは無反応であったし、葉月の前でスマホを使うことはできなかった。


 代わりに彼女に尋ねる。


「ねえ、葉月」


「なに?」


「今日は何月何日か分かる?」


「一〇月一七日だけど」


「西暦は?」


「二〇xx年だけど……」


 軽く首をかしげる葉月。


「まるでタイムスリップしてきた人みたいね」


 と彼女はわずかに笑う。


「そうだね。映画でよくある」


「映画だとこのあと、君は命を狙われているんだ。一緒に逃げよう、と手を引いてくるんだけど」


「よくあるパターンだ。ちなみに襲ってくる敵は殺人機械?」


「そう。殺人機械。私は将来、反乱軍の指揮官となる英雄を産む宿命にあるの。だから未来の殺人機械は私を始末して歴史を改変しようとするの」


「アーノルドなんとかが出てきそうだ」


「そのときは君が私を守ってくれる?」


「取りあえず溶鉱炉の位置をスマホで探しておく」


「1と2が混じっているけど、面白いから許す」


 彼女はくすくすと笑う。


 クラスでは決して笑わない女。鉄面皮の美人などと陰口を叩かれる彼女であるが、彼女は存外、笑う。


 少なくとも僕が冗談のようなものをいえば、それに応えてくれるくらいの愛嬌はあった。


 僕は彼女の笑顔が大好きでずっと眺めていたかったが、残念ながら僕の冗談は稚拙で、三回に一回くらいしか彼女は笑ってくれなかった。


 大学生になればもっと語彙と知識が増え、彼女を笑わせることができるかもしれないと思っていたが、残念ながら僕の冗談の質はそれほど向上していないようだ。


 これ以上、適当な冗談は思いつかなかった。

 残念に思ったが、今は他に確認すべきことがたくさんあった。

 たしかにここは二年ほど前の僕が通っていた地方の高校のようだ。


 映画でもこんなに精巧なセットは作れないし、彼女が生きて目の前にいる事実がそれを証明していた。


 僕は過去に戻ることに成功したようだが、それは精神だけだろうか?


 身体のほうはどうだ? 大学生のまま過去に戻ったのか。それとも精神だけが過去に戻ったのか、気になるところである。


 これが中学生ならば一目でわかるのだけど、残念ながら僕の成長は高校時代に止まっており、身長の高さでそれを確認することはできなかった。


 毎日鏡を凝視するナルシストタイプでもないので、わずかな違いを自覚することもできない。


 こういうのは葉月に聞いたほうが早いだろうと思った僕は、彼女に尋ねた。


「葉月、また変わった質問をするけどいい?」


「いいけど。今度はなに? 実は宇宙人でした、とか」


「まさか。もっと日常的なことだよ」


 いいよ、と気軽に応じてくれる。


「最近、僕になにか変化はない?」


「変なことを言うようになった、とか」


「そういう精神的な変化ではなく、肉体的な変化。大人っぽくなったとか。どこかたくましくなったとか」


「さて、そういう細かいところに気が付くほど君の身体に詳しくないし。ほら、わたしたちってそういうこともしたことないでしょ」


「そういう意味の質問じゃないんだけどね……」


 返答に窮することを言われたが、これで分かったのはふたつ。

 僕の肉体はたぶん、高校時代のもの。精神だけが憑依しているようだ。


 そしてたぶん、この世界軸の僕と葉月は恋人であるが、従来の歴史通り、手を握るくらいの関係らしい。


 ある意味ほっとしたが、僕は焦っていた。


 たぶんであるが、ここまで歴史が同じということは、このあと、僕と彼女は別れることになる。


 彼女が突然別れを切り出し、僕がそれを受け入れる。

 歴史には柔軟性があることが分かっているが、それでもその日は変わらないはず。

 忘れもしない一〇月二四日、文化祭当日、僕は彼女に別れを告げられるはず。

 それはそれで構いはしなかった。

 元々、僕と彼女は釣り合いが取れない。

 僕にとって彼女はすべてであるが、彼女にとって僕がすべてではないはず。


 だからこのまま別れても問題はなかったが、このまま彼女と別れてしまうと僕の知っている歴史が繰り返されることになる。


 彼女が自殺する。

 その日付も知っていた。

 二月の一四日。世間ではヴァレンタインと呼ばれる日に彼女は自ら命を絶つ。

 それは耐え難いことであったし、受け入れがたいことであった。

 それを阻止するため、僕は歴史を変える。

 改変する。


 SF映画や小説ならば、知った風なことをいうキャラが出てきて、歴史を改変するのはよくない。そう僕を諭すのだろうが、そんなことは知ったことではなかった。


 彼女のことを救えるのであれば、僕は時間警察に逮捕されてもいいし、極論を言えばこの国が滅んでもよかった。


 もう二度と彼女がいない世界を生きたくなかった。

 それが僕の偽らざる気持ちだった。

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