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 彼女はおもむろに説明を始める。

 僕に過去にさかのぼる能力があることを。

 その話を聞いたとき、あまりにも荒唐無稽すぎて、思わず笑いが漏れ出てしまった。


 それを見ていたわけではないだろうが、違う世界軸の少女はこんなメッセージを送ってきた。


『にわかには信じられないって顔をしている』


 その話を素直に信じる人間がいたらさぞだましやすいことだろう。

 今さらながらに彼女がマルチ商法や宗教の関係者でないか疑い始めた。


『だよね。こんな荒唐無稽な話、信じてくれるとは思えない。でも、虚心で聞いて。もしもこの話が嘘でもあなたにはデメリットはないでしょ』


 たしかにないが……。


『だから茶飲み話だとでも思ってよ。もしもごっこだよ。もしもこうだったらいい、友達とよく話すでしょ』


 友達などいないよ、とは言えないので、既読を早めにつけると、彼女の次のメッセージを待った。


『あなたには過去に戻れる能力があります。仮の話ね。もしもそんな能力があったら、あなたはどの時代のどの場所に戻りますか?』


「…………」


 沈黙が続く。答えは決まっていたが、容易に言語化していいか迷ったのだ。


『これはわたしの想像だけどね。あなたはたぶん、高校生時代に戻る。北原葉月に別れを言い出された日に。そこに戻って今度は別れを断る。もうお前を離すもんかと抱きしめる。そうすれば彼女は自殺をしないかもしれないから。そう思っているでしょ?』


 彼女には読心術の心得があるのだろうか。

 それとも違う世界軸の女の子には他人の心を読む不思議な力があるのだろうか。

 僕は今、あの日、彼女に別れを切り出された日を思い出していた。

 あの日に戻り、人生をやり直すことを想像していた。

 もちろん、そんなことは夢物語。実現不可能だ。


 ――と言い切ることはできるだろうか? 彼女が言っていることが真実ならば、僕は過去に戻り、人生をやり直すことができる。


 そうすれば葉月の死をなかったことにできるかもしれない。

 そう思った。いや、思ってしまった。


 あまりにも馬鹿馬鹿しいことで、普段なら夢想さえしないことであるが、僕は今、その実現性を考慮していた。


 未来のことを次々と言い当てる違う世界軸からきた少女。


 それだけですでに不可思議で僕の理解を超えている。もしも彼女のような存在が成立し得るのだというならば、過去にさかのぼることができる男も存在することができるのではないか。


 そんな夢を思い描いてしまう。


 この異常な雰囲気、尋常ならざる少女の存在は、この世界の物理法則を捻じ曲げても不思議ではない。


 そんな気持ちにさせてくれるのだ。

 僕は震える手でスマホのメッセージアプリに文字を入力する。


『もしも君の言葉を信じるとして、僕が過去に戻るにはどうすればいい?』


 答えはすぐに返ってくる。


『念じればいい。今、あの日、彼女と別れた日のことを。願えばいい。あの日に戻り、もう一度彼女と出逢うことを』


『そんなことはあの日以来、毎日している』


『ならば思いが足りないんだね』


 そんなことはないはず、と断言できないのが悔しい。僕は彼女と別れたときも、彼女の死を知ったときも泣かなかった。


 付き合っていた当時も彼氏らしいことはあまりしてやれなかった。

 彼女に対する愛情が薄いと糾弾されれば、反論することが難しかった。

 僕は恥を忍んで未来からきた少女に頼む。


『頼む。なんとか僕を過去に連れて行ってくれ』


 彼女は気前よく了承してくれた。

 それがわたしの使命だからね、と、にこやかなスタンプを送ってくれた。



 違う世界軸の少女、未来に全権を託した僕は彼女の指示に従い、家を出る。

 彼女はそれじゃあ、デートをしようか、と気軽な口調で言った。

 まずは僕に自分がかっこいいと思う服装をするように指示する。

 葉月とデートするような格好がいいという注文を受ける。

 葉月とのデートではいつもジーンズとパーカーだったと話すと、彼女はむくれる。

 あなたは大切な彼女とのデートのときも服装に気を遣わなかったの?

 と至極まっとうなお叱りを受ける。


 葉月は僕の服装に無頓着でなにも言わなかった。そう抗弁しようとしたが、その回答では彼女は満足しないと思い、僕はクロゼットの中にある上等なジャケットとスキニーパンツを取り出した。


 スマホで写真を送ることはできないので、文字で形状を説明するが、未来は満足してくれたようだ。


 なかなか素敵だね、と評価してくれた。


 これはお洒落に無頓着な僕のために姉が買ってきてくれたもの、と言ったら彼女の評価はどう変わるだろうか。


 怖いので黙っておくが。

 着慣れぬ服に着替えると、彼女の次の指示に従う。

 私鉄とJRを乗り継いで、渋谷へ向かえという指示をもらった。

 まずは忠犬ハチ公の前に行けという指示が。


 まるでデートみたいだね、そう皮肉ると、彼女はデートだよ、と真顔で言った。いや、メッセージ越しなので表情は分からないけど。


『僕はデートがしたいんじゃなくて、過去に戻りたいんだけど』


『等価交換って言葉、知ってる? それにタダより高いものはないって』


『知ってるけど』


『これはわたしへのご褒美だと思って。わたしには風景さえ見えないけど、年頃の男の子と渋谷に行くという疑似体験をしたいの』


 だからあなたが見たものをつぶさにわたしに報告して、と彼女は言う。

 了承するしかないので従う。


『こんな可愛い子と疑似デートできる君は幸せものだね』


 最寄り駅の私鉄に乗り込んだとき、そんなメッセージが流れる。

 僕は私鉄の車両の色、混み具合、窓から流れる景色を説明する。

 彼女の返答は「散文的すぎる。もっと詩的に説明して」だった。


 無理難題だ。僕は普通の大学生で、小説家でもなければ詩人でもない。見たままを有りのままに伝えるしかなかった。


 彼女は不満を漏らすが、以後、渋谷につくまで文学性がない文章を送る。


 渋谷につく。ハチ公前に行くが、普段、待ち合わせなどをしない僕は盛大に迷った。駅員や親切な女性に道を尋ねつつ、なんとか到着すると、こんなメッセージが流れる。



『ハチ公、可愛いよね。思ったより大きいし』



 まるで一緒に見ているかのような文章だった。それを指摘すると、あなたは推理作家に向いてるのかもね。文章も散文的だけど読みやすかったし、という返事をもらった。


『それ正解。今、違う世界軸のわたしも渋谷にいます。渋谷のハチ公は違う世界軸でも存在してるってことだね』


 なるほど、ね。僕たちの世界にはそう大きな違いはないのか。

 妙に納得したが、彼女は言う。


『こうして一緒にハチ公の前にいるとまるで恋人みたいだね』


 違う世界の住人だけど、と答えるのは野暮のすることだろうか。

 僕は野暮であるが、時間が惜しかったので、違う野暮な質問をする。


『ハチ公の前にいれば過去に戻れるの?』


『まさか。そんな簡単に戻れるなら、君は過去に何度か戻ってるはず』


 たしかにそうだ。滅多にやってこない場所だが、通りがかったことは何度もある。


『ちなみにこれからあなたは過去に戻るけど、過去に戻る際、私に対して憎悪が募るかも』


『……どういう意味?』


『そのままの意味。まあ、そのときに分かるから詳細は説明しないけど、必ず過去には戻してあげるから、安心して』


『分かった。過去に戻れるならばなにをされても文句は言わない』


『その言葉、忘れないでね』


 未来はそう言うと、ハチ公前から離れ、渋谷にあるとある雑居ビルに向かうように指示した。


 その雑居ビルは渋谷の繁華街の裏通りにある寂れたビル。

 町金融と風俗まがいのテナントが入っており、人は極端に少なかった。

 目立たないところにあるので、スマホの地図アプリがなければ確実に迷ったことだろう。

 ここでなにをすればいいのだろうか。


 もしもここから強面のお兄さんが出てきて、金銭を要求されたら、僕は見事に騙されていたということになる。


 そちらのほうが現実的というか、可能性が高いな、そう思っていると、スマホにメッセージが届く。


『今、あなたは騙されているかも、と気が気ではないかもしれないけど、安心して。お金を借りろとか、変な店に入れとかいう指示はしないから。ただ、三分ほど、その雑居ビルの看板の前にいて』


 三分か。ここまできたのならばそれくらい待つ余裕はあった。


 彼女が僕をだましているかもという疑念が払拭されるわけではないが、この期に及んで帰るという選択肢はなかった。


 僕はじっとその場で待っている。

 その間、彼女から何通もメッセージが届く。



『これから君は過去にタイムスリップします』


『戻るのはたぶん、北原葉月があなたに別れを切り出す直前』


『あなたは頑張って別れを回避して。二度と彼女を手放さないで』


『彼女は一見、強い女性に見えるけど、とても儚い女の子。その羽に触れただけで死んでしまうような綺麗な蝶々』


『この世界はどこか澱んでいる。だけどあなたの周りだけは澄んでいる。あなたの傍でだけは儚い蝶々も生きていける』


『そんな気がするの。だからあなたはずっと傍に居てあげて。何度過去に戻っても彼女のその指を離さないで』



 それだけがわたしができるアドバイス。

 未来という名の少女は僕にそう告げると、次の瞬間、耳を切り裂くような爆音が聞こえた。


 それが目の前にある雑居ビルから漏れ出たガスに火が引火した音だと知るのは、後日のことであった。


 僕は爆発に巻き込まれたが、火傷を負うことはなかった。爆風で吹き飛ばされ、頭を打つこともなかった。


 ただ、爆風によって吹き飛ばされた金属の破片が僕の腹に突き刺さっていた。

 腹からとめどなく血が流れる。

 ジャケットをめくると臓腑が見えた。

 この出血量ならばそう遠くない未来に死ぬ。そう思ったが、死の恐怖は感じなかった。

 僕が感じ取ったのは新たな旅立ちの瞬間であった。

 死が新しいステージに導いてくれるという宗教的な解釈ではない。

 僕はこのまま死ぬことなく、過去に旅立つような気がしたのだ。

 その想像は正しかった。

 スマホに新しいメッセージが着信する。

 メッセージアプリにはこう書かれていた。



『これがあなたが過去に戻るトリガー。死ぬほどの痛みを味わったとき、あなたは過去に旅立つ。これから何度も。もしかしたら永遠に』


『だけどあなたは挫けず、諦めず、何度も北原葉月を救う。周りにいる大切な人たちを守る』


『これから始まるのは長い長い過去への旅。未来を変える旅。苦難の旅だけど、わたしは祈っています。あなたがすべての人を幸せにすることを』


 長いメッセージが連続で表示されると、最後に彼女はこんな文章で締めくくった。

 


『hello summer goodbye(こんにちは夏、そしてさようなら)』



 それがとあるSF小説のタイトルであると気が付いたのは、僕がこの世界から旅立ったあとであった。


 季節は初夏に差し掛かっている。


 夏の挨拶をするには早い時期であったが、この世界で聞く最後の言葉として、これ以上適切なものはないような気がした。 

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