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 神社の祭りから帰り、真柴一樹の家で一泊する。

 朝、目覚めるとやはり時間軸が変わっていた。

 想像通り、僕は大学生に戻っていた。

 スマホが大学二年生時の西暦に戻っている。

 あの日、姉が刺されたニュースを見た翌日だ。


 思わず姉が血まみれで倒れている光景が浮かび、気分が悪くなったが、スマホのディスプレイの上に数滴、血がしたたり落ちる。


 それが自分の鼻血だと気が付くのに数秒の時間が必要だった。


 それが何度もタイムスリップした代償だと気が付くのにはこの世界軸ではない世界に住んでいる少女のメッセージが必要だった。


 なぜ、僕は鼻血を流しているのだろう。

 そもそも、僕は『なに』をしてるのだろう。

 それすら思い出せないほどに僕は混乱していた。

 頭が濁っていた。

 もしも未来からメッセージがなければ、僕は忘れてしまっていたかもしれない。

 過去に戻っていたことも、何度も葉月を救ったことも、僕が彼女を愛してることさえ。

 それすら覚えられないほど僕の脳は消費されていた。

 未来は悲しげなメッセージをくれる。


「……ね、だから言ったでしょう。タイムスリップは何度もできないって」


 その言葉によって僕は未来との会話を思い出す。

 タイムスリップのに回数には限界があることを思い出す。


「――でも、タイムスリップはこれで最後だ。この世界では葉月は幸せになっているはず。姉も殺されないはず。僕に関わる人、皆が幸せになっているはず」


「根拠はあるの?」


「ない。ないけど、どんな手段を用いてもそうする」


 そう言い切ると、未来にメッセージのやりとりを止める宣言をする。

 一刻も早く葉月と合流し、現状を確かめたかったのだ。

 僕は周囲を確認する。

 知らない場所だ。しかし、ここが男子用のトイレだとは推察できる。

 小便器があった。奥には個室がある。

 僕は個室に入るとトイレットペーパーで鼻血を取り、それを流す。

 それ以上、鼻血が流れないことを確認すると、僕は個室から出て、鏡を見る。

 外見上の変化はなかった。

 どの世界軸の僕も平凡を絵に描いたような男。どの世界軸の僕もお洒落には縁がなかった。

 ただし、今日はどこか違う。

 今まで着たこともないようなスーツを着ていた。


 上等なスーツで、リクルートスーツではない。このままどこかのパーティーにでも出られそうな出で立ちをしていた。


 もしかしてこの世界軸での僕はお洒落に目覚めたのだろうか。

 あまりに葉月と釣り合いがとれないので、着ているものを改めたのだろうか。

 そんな感想が湧くが、それにしても似合っていない。

 これでは服に着られているな、そんな感想が漏れ出ると、姉からメッセージがくる。


「まだトイレ? お腹でもくだした?」


 そのメッセージを見た瞬間、僕は幸福に包まれる。

 良かった。この世界は変わっていたのだ。

 この世界軸では姉は死ぬことなく、生きていた。

 それは僕にとって幸福で僥倖なことだった。


 あとは願わくは、葉月も生存し、幸せでいてくれること。欲を言えば彼女の恋人が僕であることが望ましかったが、神はそれ以上の幸福をくれる。


 姉のメッセージにはこんな文字が書かれていた。


「今日は葉月ちゃんとの結婚式なのに、昨日、なんか変なものでも食べた? それとも緊張し過ぎ? 今、彼女の衣装を見ているけど、心配してるよ」


 姉の言葉が本当ならば、今日は葉月との結婚式ということになる。

 僕たちは恋人どころか、結婚式を挙げるような関係になったのだ。

 未来の言葉を思い出す。


「三回目はきっとみんな幸せになるよ。もしかしたら次は結婚しているかも」


 彼女の予言は奇しくも当たったのだ。

 僕と葉月は学生結婚をする予定のようだ。

 それは姉と葉月のメッセージのログから察することができる。

 僕たちは今日、式を挙げる。

 家族と親しい友人を呼び、都内の小さなレストランで上げる小さな結婚式。

 僕と葉月が一生懸命にバイトをし、貯めたお金で挙げる結婚式。

 出席者のリストには葉月の父親とその妻の名前もあった。

 友人の名前が少ないのは想像通りだったが、高校時代の同級生の名前もある。


 もしかしたらこの世界軸での僕たちは、高校時代、友人と呼べるような人たちを持つことができたのかもしれない。


 なにもかもが変化していた。

 それも良い方に。

 葉月は自殺せず、積極性も増しているような気がした。


 この世界軸での葉月は、自立しているようだった。バイトなどもし、自分で生活費を稼ぎ出しているようだ。


 先ほども言ったが、高校時代に友人も作ったようで、それを何人か呼んでいた。

 大学の友人もいるようだ。


 彼女のメッセージからは今日は大学の友人たちと飲みに行く、という文言もある。追伸、女の子だけだよ、という文字も彼女らしかった。


 それにメッセージ履歴によれば、父親との関係も良好のようだ。


 月に一度は会っている。義理の妹とも仲が良く、誕生日にはプレゼントを贈っているようだ。


また妹である可憐が学校行事の都合で結婚式に参加できないことを非常に残念がるそぶりもあった。


 できれば結婚式をずらしたいと書かれている。

 それはできなかったようだが、ともかく、彼女のメッセージは幸せがあふれていた。


 彼女のメッセージ履歴から伝わる幸せ。いくらでも続きが読みたかったが、姉の二度目の呼び出しメッセージで今日が結婚式当日、ここが会場であると気が付く。


 僕はスマホをしまうとそのまま控え室に向かった。


 トイレを出るとそのままテーブル席が見える。本当に小さな会場のようだ。しかし、花嫁を控えさせる個室はあるらしく、店員にその場所を尋ね、出向く。


 ノックをしなかったのは早く葉月の姿を見たかったからであるが、僕は忘れていた。

 彼女が花嫁衣装でいることを。

 よくよく考えれば当たり前なのだけど、彼女は真っ白な花嫁衣装を着ていた。

 飾り気のない品の良いウェディングドレス。

 肩口が開いており、スレンダーな彼女によく似合っていた。

 僕はしばし呆然とする。

 あまりにも綺麗な姿だったし、あまりにも予想外の光景だったからだ。


 もちろん、彼女と結婚することを夢見たことがないと言えば嘘になるが、男はあまり現実的に物事を考えない。


 葉月と結婚するようなことはあっても、彼女がウェディングドレスを着るところを想像したことはなかった。


 今の僕は魂でも抜かれたかのように間抜けな表情をしていることだろう。

 そんな間抜けな僕をとがめたのは姉だった。

 姉は黒いドレスを着ていた。十分美しいが、葉月の前では霞んで見えた。

 姉は僕のそばに近寄ると、小声で諭す。


「あなたって本当に朴念仁ね。花嫁さんを目の前にしたら、なにか言葉にするでしょ」


 とアドバイスをくれる。


 それでも僕には適切な言葉が浮かばず。思わず、「ありがとう」という素っ頓狂なことを言ってしまう。こんな僕と結婚してくれてありがとうという意味なのだけど、それを聞いた姉と葉月は同時に笑う。


 葉月は「どういたしまして」と笑いが止まらないようだ。「ごめんね、気が利かない弟で」と僕の代わりに謝る姉。ただ、葉月は「いえいえ、そういうところを好きになったのです」とかばってくれた。


 姉は見かねて言う。


「こういうときは、綺麗だね、葉月、というものよ」


 なるほど、と納得した僕は、それをそのまま口にするが、また彼女たちに笑われる。少しはアレンジしたらどうなのか、ということらしいが、僕にそんな作家みたいな才能を求められても困る。そう伝えると彼女たちは「そうだね」「そうですね」と笑った。


 その笑い声は幸せに満ちていた。

 僕は彼女たちの声を永遠に封じ込めておきたかった。 

 それくらいこの空間には幸せが詰まっていた。




 控え室から去る姉。

 彼女がこのこじんまりとした結婚式の幹事のようなことをしている。

 料理の手配、出席者の確認、祝儀の受け取り、すべてやってくれた。


「お姉さんには頭が上がらないね、一生」


 と葉月は言うがその通りだった。

 いつか恩が返せるといいが、そんなことを考えていると、沈黙が訪れる。

 僕たちはこれから結婚するが、この期に及んでなんだか気恥ずかしくなってきた。


 明日から彼女を妻と呼び、夫と呼ばれるような関係になるかと思うと、えもいわれぬ気恥ずかしさが湧き上がる。


 それは葉月も同じで妙に頬を赤らめさせていた。

 ただ、それも永遠には続かない。

 葉月は意を決したかのように言う。


「私、永遠に君の妻として尽くすね」


 甲斐甲斐しくも決意に満ちた言葉だった。僕のほうこそ君を大切にする、と返す。ただ、幸せにできるか保証はできないけど、と続ける。


 その言葉に彼女は首を振る。


「私の幸せは常に君とともにあるの。仮に今後、なにがあろうとも君と一緒なら私は幸せだと思う」


「贅沢はさせてあげられないかも」


「構わない。私が髪を売ったら、君は金時計を売ってくれるでしょう。だから私はいつも幸せ」


 賢者の贈り物の故事をさらりと言う彼女。


「僕は金時計さえ持ってないよ」


「ならばもっと髪を伸ばすわ、長いほうが高く売れる」


 と笑う彼女。

 しばらく笑うと、真剣な表情に戻る。


「私は別に贅沢は欲してないの。私たちがふたり、静かに一緒に暮らせれば。たまに映画を見に行ったり、その帰りにお茶を飲んだりできればそれで十分。今の日本ならそんなに難しいことではないでしょう」


「たしかに」


 どの世界軸での僕たちも気軽にしていたことだった。


「それに何度も言うけど、私の幸せは君のそばにいること。君のそばにいるだけで幸せ。覚えている? 子供のとき、一緒に駆け落ちしてくれたことを」


「駆け落ち? ああ、小学校のときに葉月のお父さんの家に行ったこと?」


「あれは家出。駆け落ちは男女ふたりでするもの」


 ほら、中学一年生のとき、ふたりで逃げ出したでしょう、と彼女は言う。

 僕はしばし放心したが、すぐに記憶が濁流のように入ってくる。

 この記憶はまるで今生まれたかのように鮮明だった。

 もしかしたらこの記憶はこの世界軸にしか存在しないのかもしれない。

なにもかも上手くいったこの世界でしか存在しない記憶なのかもしれない。

 僕はそれを明確にするために彼女に話す。


「……中一のとき、あれは冬? そう、クリスマスイブだ。クリスマスイブの晩、僕たちは逃げ出した」


「そう、私が君に一緒に逃げてと言ったの」


「そう、一週間前に計画した」


 どうしてだろう? と記憶をたどるが、彼女がなぜ、駆け落ちを持ちかけたかの記憶はなかった。しかし、ふたりで電車に乗り、東京まで逃げたことを思い出す。


 幼かった僕たちは東京でなら中学生でも生きられると思ったのだ。


「でも、すぐに捕まってしまった。でも、嬉しかったよ、一緒に逃げてくれたこと」


 彼女はそこで目をつむる。


「あの日以来、わたしたちはしばらく離ればなれになってしまったけど、あの日、一緒に逃げてくれたから、私はあなたのことがさらに好きになった。この人のお嫁さんになりたいと思ったの」


「もしも駆け落ちしなかったら結婚してくれなかった?」


「そうね」


 と断定するが、すぐに彼女は首を振りながら否定する。


「冗談よ。でも、一緒に逃げ出してくれたから、私は生きられたのかもしれない」


 あのね、と彼女は続ける。


「私、実はママに虐待されていたの」


「…………」


 突然の告白に僕は驚く。言葉を失う。

 

「虐待って?」


「君は私の足が不自由なのを知っているでしょ」


「知っている。ときどき引きずっているね」


「君にはあれは小さなころの事故だと言ったけど、あれは嘘なの。本当はママのせいなの」


「母親のせい?」


「ママは私とふたりきりになると人格が変わってしまうの。お前を見ているとあの男を思い出す、って私をぶつの」


 どこか他人事のように彼女は言う。


「最初は軽くつねったり、髪を引っ張られたりするだけだった。でも、だんだんひどくなって、私を階段から突き落としたの」


「それで足が……」


「そう」


「そのことはお父さんは知っているの?」


「知らない。誰も知らない。もしも言ったらもっと酷いことをするって脅されていたから」


「……どうして黙っていたの?」


「子供のころの話だし」


「でも、いまだにそのことを思い出すんだろう?」


「うん、でも、大丈夫。ぶたれたりしてたのは中学生までだから」


「そんなに長い間……」


 その間、彼女はずっと耐えていたのだろうか、ずっとこらえていたのだろうか。

 その小さな身体ですべてを受け止めていたのだろうか。

 そう考えると彼女が哀れで、不憫に思えた。


「どうしてそのことを僕に教えてくれなかったの?」


「今、話してるじゃない」


「もっと早く相談してくれれば……」


「それで歴史が変わるの?」


 変わるさ、もしも過去に戻ったら、すべてをなかったことにする。

 そう心の中で叫んだが、言語化はできなかった。


「あのね、実は警察とか学校の先生には相談しようと思ったの。でも、できなかった。どうしてだと思う?」


「どうして?」


「少しは考えてよ」


「分からない」


 ほんと、鈍感なんだから、と彼女は笑う。


「君がいたからよ。君と出逢ったしまったから。警察に相談すれば虐待を止めてくれるかもとは当時から思った。でも、そうなると私はお父さんに引き取られるでしょ」


「お父さんが嫌いなの?」


「まさか、大好きだよ。でもふたりが離ればなれになったら、今、こうして結婚していたと思う?」


「…………」


 沈黙によって答える。


「それが答え。私は君とずっと一緒にいたかったの。だからあの街にとどまりたかった」


「そうなのか」


 嬉しいよ、と言えばいいのだろうか、それとも、馬鹿、と叱ればいいのだろうか。

 迷っていると彼女にそのことを指摘される。

 彼女は僕が四の五言う前に行動で示した。


「こういうときは『愛している』でしょ。鈍感」


 彼女はそう言うと僕に唇を重ねてきた。

 その後、姉が戻ってくるまでキスをしていたが、その光景を姉に見られる。

 姉は「邪魔してごめんなさい」とその場を立ち去った。

 気恥ずかしかったが、それでも葉月という存在を唇越しに知覚できるのは嬉しかった。

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