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 こうして北原葉月は実の父親と再会した。

 涙にあふれた再会だった。


 葉月の涙が収まり、感情が落ち着くと、真柴一樹の妻、沙織の勧めにより家に招き入れられ、お茶を頂いた。


 ココアだった。

 温かいココアは長旅で疲れた僕らを癒やしてくれる。

 冷えていた体温を温めてくれる。

 涙となってしまった水分を補充してくれた。

 ココアを飲み終えると、僕たちは礼を言う。

「どういたしまして」と微笑む沙織。彼女の笑顔はどこまでも優しい。

 さらに彼女は気配りのできる人だった。夫である一樹に伝える。


「夕食の買い出しに行ってきます。可憐がお菓子をねだっていたから一緒に連れて行きますね」


 久しぶりの父と娘の再会を祝福し、親子水入らずの環境を用意してくれるようだ。


 普通ならば前の妻の子が遊びにきたら、虚心ではいられないはずなのに、どうしてここまで落ち着くことができるのだろうか。


 できた女性である、と思ったが、同時にこうも思った。

 彼女がそこまで気を利かせるのならば、僕も席を外すべきではないか、と。


 親子水入らずの環境を用意してあげるべきではないか、そう悩んでいたが、それも沙織によって解決される。


 彼女は小声で言う。


「あなたは一緒にいてあげて。葉月ちゃんには頼れる彼氏が必要なの。近くに小さな勇者がいるから、ここまでやってこられたし、逃げ出すこともなかった。あなたはもう葉月ちゃんの大切な家族のひとりよ」


 そんな台詞を言われたら、席を立つわけにも行かず、ただ、ぽうっと顔を赤らめてしまう。

 結局、僕は勧め通り、その場に残った。


 ただし、なるべく空気のような存在になり、葉月たち父子の再会を邪魔しないよう努めた。


 空気になるのは得意だった。どの時間軸でも僕は他者と交わらず、静かに人生を送ってきたから。


 自分の得意技を生かしながら、彼女たちを観察した。

 真柴沙織が娘の手を引き、その場から去ると、父と娘の会話が始まった。


「大きくなったね、葉月」


「……うん」


 一樹の言葉には愛情があふれていたが、葉月は父親の愛情になれていないのだろう。ぎこちなかった。


 しかし、少しずつ慣れていく。


「もう小学五年生?」


「ううん、六年生」


「じゃあ、来年は中学生だ」


「うん」


「進学先は常陽中学?」


「うん、近所だから」


「父さんもあそこだった」


「先輩後輩だね」


「そうだな」


 何気ない会話。ほんと一言二言であるが、互いが互いを思い合う気持ちが伝わってきて、見ているほうも幸せな気持ちに包まれた。


 僕の顔も自然と緩むが、不意打ちのように一樹が話しかけてくる。


「君は葉月の彼氏かな?」


 意識している相手の女の子の父親からそんな言葉をもらうと、とっさに言葉を返せないというか、慌ててしまうが、葉月は助け船を出してくれた。


「クラスメイトだよ……、ううん、友達。大切な」


「じゃあ、ボーイフレンドだね」


 娘をここまで連れてきてくれてありがとう、と手を差し出してきた。


 一樹の大きな手を握り返す。彼の手はごつごつとしていた。かつてはギターを弾いていただろう繊細な手はもうない。


 聞いたところによると、現在はハウスメーカーの工場に勤めているのだそうだ。きっと、毎日力仕事をしているのだろう。


 愛する妻と娘のため、毎日働いているに違いなかった。

 善良な容姿の男は、その生き様も善良なようであった。

 それは喜ばしいことであったが、その善良な男はどうして葉月を捨てたのだろうか。

 気になった僕は尋ねる。


「……あの、どうして北原さんのお母さんと離婚したんですか?」


 場違いであり、無礼な質問であるが、この場にふさわしくないかと問われればそれは違った。


 それを証拠に一樹は表情を曇らせることなく、真剣な目で答えてくれた。


「これは葉月にも話していなかったね。葉月も大きくなったし、わざわざやってきてくれたんだ。そろそろ話す頃合いかもしれない」


 そう前置きし、娘の目を見つめる。


 この話をしても耐えられるか、そもそもこの話を聞きたがっているか、確認をしたようだが、葉月は真剣な表情をしていた。


 話しても大丈夫。いや、話すべきだと悟った一樹は語る。


「僕の前の妻、女優北原栞はとても美しい女性だった。見た目だけではなく、その生き方も、才能も。僕はそれに惚れて彼女に求婚し、承諾をもらった」


 一樹はそこで一呼吸置く。


「一世一代の賭けだったと思う。音楽を志し、挫折した僕。僕にとって彼女はすべてだったが、彼女にとって僕はただのマネージャーに過ぎないんじゃないか、そう思って悩んだが、彼女は僕の求婚を受け入れ、結婚してくれた。そして僕の子を産んでくれた。それが葉月、君だ」


 名指しされた葉月は父親の目をじっと見ていた。


「僕たち夫婦は葉月を自分たちの分身のように可愛がった。夫婦仲も最初は上手くいったと思う。だけど、それも永遠には続かなかった。互いにすれ違いが続き、彼女の仕事にも陰りが見えた。だから協議の末、離婚することになったんだ」


 子供の手前だろうか、一樹は詳細を語らなかったし、北原栞の悪口は言わなかった。自己弁護も一言もしない。


 男気ある人だと思った。


「本当は葉月は僕が引き取りたかった。しかし、この国では母親のほうに親権が優先的に与えられる。それに栞には社会的な地位もある。弁護士に相談しても勝ち目はないと言われた。それに栞からは葉月に会わないように釘を刺されていてね。だから今まで会うことができなかった。葉月も僕には会いたくないと言っていると伝え聞いていたしね」


 でも、これからは違う。と一樹は断言する。


「葉月が自分から会いにきてくれた。数年ぶりに会ってもやはり葉月が自分の娘だとこの心が騒いでいる。もう迷わないし、心乱されることもない。栞になにを言われてもいい。父親としての権利を行使させてもらう」


「それってどういう意味ですか?」


「毎月、葉月と面会させてもらう。葉月が望むのならばうちで引き取る。また一緒に暮らす。可憐のお姉さん、僕と妻の娘になってもらう。もちろん、葉月が望むのならば、だけど」


 一樹は長年娘と会わなかった後ろめたさもあるのだろう。娘の表情をのぞき込むが、その娘はその言葉を聞いて涙を流していた。


 悲しみの涙ではない、嬉しさのこもった涙だった。

 感情を制御できないために流れる涙だった。


 恥ずかしがり屋の葉月はそれを誤魔化すためだろうか。それとも適切な言葉が浮かばなかったのだろうか。


 ただ、「パパ」と口にし、父親の胸に飛び込んでいた。

 それを優しげに迎え入れる父親。娘の身体を抱きしめ、その黒髪を撫でる。

 このふたりからはただただ愛情しか感じ取ることはできなかった。

 僕は親子水入らずという言葉を思い出し、そっとその場を去る。

 もちろん、彼女を送り返さねばならない。

 本日中に帰らなければ彼女の母親が捜索願いを出し、ちょっとした事件になるからだ。

 前回はそれで一週間、学校に登校できなくなった。


 同じ轍は踏みたくなかったが、それでも僕は父子が一秒でも長く一緒にいられる方法を考えた。


 僕は真柴一樹に北原栞に連絡してもらう方法を思いついた。

 実の父親の家に一日泊まるというのならば北原栞も捜索願いは出さないだろう。

 それに今後、父親と定期的に会い、歴史を変える伏線になるかもしれない。

 そう思った僕はそれを提案するが、リビングに戻ったときにはすでに実行されていた。


 北原栞は最初こそ怒ったそうだが、今、この街にはおらず、どうしようもできないということで許可をくれた。


 少なくとも警察には届け出ないようだ。

 僕たちは喜んだが、さて、問題なのは僕がどうするか、である。


 一樹はもちろん、その後帰ってきた沙織からも夕食を勧められ、その娘である可憐からもお兄ちゃん遊んで、とせがまれた。


 結局僕の家にも真柴一樹が連絡することになり、僕たちは一晩泊まることになった。

 その一連のやりとりをみてニヤニヤとしている葉月。


 なにがそんなに楽しいのだろうか、尋ねると彼女は、

「秘密」

 と微笑んだ。


 自分の心の内を言語化するのが苦手な少女であるから、答えられないのだろうが、少なくとも僕に好意を抱いてくれているようだし、今日の一連の選択肢はすべて正しかったのだと悟る。


 彼女の笑顔は僕にとってなによりも素晴らしいご褒美だった。



  結局、その後、五人で夕食を食べる。

 すき焼きだ。


 葉月が大好きだからと言う理由で選ばれたことは明白であったが、僕もすき焼きは大好きだった。


 いくらでもおかわりして、と微笑む沙織。


 男の子はいっぱい食べるもの、という先入観念がある一樹にも勧められて僕はご飯三杯もおかわりしてしまった。


 葉月は小食なのでご飯一杯だけであるが、それでも食べたほうだと思う。

 付け合わせのポテトサラダなども残さず食べていた。


 出されたものを残すのは悪いという感覚よりも、純粋に美味しく、楽しい雰囲気が食を進ませたようだ。


 彼女の家はいつもお手伝いさんが作るそうで、ハンバーグとトンカツとカレーライスなど、有り触れたものしか食べられず、こうして鍋をみんなで食べる習慣はないらしい。


 無論、プロの家政婦が作るのだから、味はそれなりらしいが、それでもやはり「母親」が作る食べ物は別格なのだろう。それが自分の母親ではなくても。


 初めて母親の味を知った葉月は戸惑いながらも喜んでいた。


 可憐も幸せいっぱいに食べており、この食卓は世界中の幸せをかき集めて陳列したかのような華やかさがあった。


 

 その後、子供たちを交え、ボードゲームなどをしていたが、真柴沙織からこんな言葉を聞く。


「近くの神社でお祭りをやっているみたい」


 その言葉で僕は思い出す。

 そういえば前回の世界軸ではそこに立ち寄ったことを。


 前回は父親と会うことなく、そのまま立ち去ったが、あまりにも葉月が不憫だったので、近くでやっていた祭りにより、夜店で遊んだ記憶がある。


 そこで子供用のおもちゃの指輪を買ってあげたのだ。


 買った本人はそのことを忘れ、大人になったあとに受け取った本人から聞き思い出したことであるが。


 葉月が嬉しそうにその指輪を見せてくれたことも思い出す。


 男の僕にとってそれは指輪ですらなく、ただのプラスチックなのだが、あのときの笑顔を思い出せば、そのイベントを無視することもできない。


 僕たちは神社に行く旨を伝えると、五人で神社に向かった。


 ご飯を食べたばかりだから、前回のように焼きそばを注文し、ふたりで分け合ったりはしなかったが、その代わり祭り独特のゲームはした。

 

 射的にスーパーボールすくい、ヨーヨー釣り。金魚すくいなど生物系の遊戯はしなかった。

 もらっても困るからである。


 僕たちは夜店を心の底から堪能した。前回、ふたりで巡ったときよりも楽しいくらいだった。


 ただ、ひとつだけ問題があるとすれば、今回は彼女の父親の目の前で指輪を買う羽目になったことだろうか。


 いや、その奥さんと娘さんもいる。


 指輪を買うとき、一樹に、

「君も隅に置けないね」

 という言葉をもらい。


 沙織に、

「ふふふ、一生ものの記念ね」

 という台詞も頂き、その娘さんからも、


「お兄ちゃんたちけっこんするのー?」


 と囃し立てられた。


 僕の中身は小学生ではないが、それでも赤面を禁じ得ない。


 前回の時間軸の僕は、他に見物人がいなかったとはいえ、よくもまあこんなプレイボーイみたいなことができたものである。


 あるいは僕にはその手の才能があるのかもしれない。

 そんなふうに自己分析していると、葉月が最後にぼそりと耳打ちしてくれた。


「……大好き」


 言葉にするとたったの四文字であるが、その言葉を聞いたとき、僕の疲れは吹き飛び、全身全霊で喜びを感じた。


 僕はどんなに小さくなっても、何度過去に戻っても、彼女に対するこの気持ちは変わらなかった。


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