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 気が付くと僕は児童公園にいた。

 近所の児童公園で、子供たちからはタイヤ公園と呼ばれている小さな公園だ。

 この公園は大型トラックのタイヤが遊具として置かれているので、その名が付いた。

 次に自身を確認する。

 僕の身体は縮んでいた。


 高校時代に戻ったときは身体の変化に違和感はなかったが、さすがに小学生に戻ると違和感しかなかった。


 まず背が小さい。見える景色も普段とは全然違った。

 小学生の視線だと世の中のものはこんなにも大きくみえるのだろうか。

 妙に新鮮な気持ちに包まれたが、僕はスマートフォンを確認する。

 時間を確認しようと思ったのと、あわよくば未来と連絡が取れると思ったのだ。

 そのもくろみは外れるが。

 小学生である僕はまだスマートフォンを持っていなかった。

 家庭の教育事情で僕がスマホを持たされるようになるのは中学から。


 それも姉が中学のときにねだったから、その先例にならって弟にも、という理由で持たされただけで、当時の僕は携帯など欲していなかった。


 極論を言えば大学生になった今もスマホには興味がなく、葉月と家族がいなければ持たなかった可能性もあるくらいそのへんに頓着していなかった。


 なにがいいたいのかといえば、携帯電話を持っていないと時間も分からなければ、葉月と連絡を取ることもできなかった。


 困り果てる僕。


 まず年月日が分からないと状況判断が難しい。身体を観察すれば小学校高学年。つまり五年生か六年生だとは推察できる。


 他人にはたった一年の差と思われるかもしれないが、僕には大きい。


 葉月とは小学五年生のときに出逢ったが、彼女は天性の人見知りで小学五年生のころはろくに会話できなかったし、友好的でもなかった。


 ただのクラスメイトの一人に過ぎない。


 僕は彼女のことをよく知っているが、もしも小学五年生のときに彼女に話しかけても無視をされるどころか怖がられるに決まっていた。


 小学生に戻るなら、せめて彼女と仲良くなってから。互いに映画好きだと分かって会話を交わすようになってからにしてほしい。


 さらに欲を言えば彼女ととあるイベントを乗り越えてからにしてほしかった。


 そのイベントとは、彼女と一緒に軽い家出をしたことなのだが、事件後、僕たちの仲は急速に深まり、中学時代の告白に繋がるという経緯がある。


 その事件のあとにタイムスリップしていれば、都合がいいのだが。

 そんなふうに思っていると、僕の肩をぽんとたたく存在に気が付く。

 いや、ぽんではなく、軽く手を添えるような感じか……。

 控えめであまりに不器用な触れ方。その手がすぐに小学生時代の葉月だと気が付いた。

 振り向いて彼女の名前を呼ぼうとしたが、思いとどまる。


 前述したとおり、小学校時代の彼女は怖がりで引っ込み思案。それに僕たちの仲はそこまで深まっていない。


 たしか呼び名も葉月ではなく、北原さんと呼んでいたはず。


 それが葉月さんになり、葉月となるのは中学時代だった。それを思い出した僕は彼女のことを、

「北原さん」

 と呼んだ。


 他人行儀であり、少し寂しくはあるが、その名を呼ばれた少女は少しだけ嬉しそうだった。

「こんにちは」

 と微笑む。


 僕は彼女を観察する。

 小学生の葉月は中学時代の葉月をそのまま小さくしたような感じ。


 長い黒髪の少女だった。このまま成長を重ねればさぞ美人になる、そんな可能性を感じさせる少女であったが、事実、彼女はその通りに成長する。


 小学生時代もませた男子に人気があった記憶がある。


 当時の僕もその容姿に魅了されていたのだろうか、そんなことを思い出していると、彼女は尋ねてきた。


「……あの、なんで君はリュックサックを背負っていないの?」


「リュックサック?」


 どういうことだろう? 考える。


 ここは児童公園だから、リュックサックを背負うのは変だ。リュックサックなど、遠足のときくらいしか使わない。


 小学校時代、私的に彼女とハイキングに行った記憶などない。


 なぜ、彼女はリュックサックを背負い、それを僕にも求めているか、考察しているとひとつの結論に達する。


 もしかしてここはあの日なのではないか、と。

 あの日とは葉月と一緒に事件を起こしたあの日。

 ふたりで小さな家出をしたあの日なのではないか。


 それを思い出した僕は、タイヤ公園にある遊具を見つめる。やはりそこには僕のリュックサックがあった。


 僕は慌ててそれをとってくると背負う。

 すると彼女は満面の笑みで微笑んだ。

 この笑みだ。

 と僕は思い出す。

 彼女が初めて見せてくれた混ざり気なしの笑顔。

 それはこの日、初めて見せてくれた気がする。


 一緒に家出をするという世間一般では悪とされる行動を共にし、共犯者になったとき、初めて彼女は気を許してくれたのかもしれない。


 そう思った。





 僕たちが家出をしたのは理由がある。

 僕と言うよりも葉月にだが。


 北原葉月の家は母子家庭である。葉月が小学校に上がったときには父親と母親が別れたと聞いている。


 最近、別れた父親が再婚した、という話を聞きつけた葉月はその父親に会うため、僕とふたり隣町に出かけた。


 結局、そのときは父親と会うことはなく、彼の家の前で引き返したのだけど、その小旅行、いや、小冒険が切っ掛けでふたりの仲は急速に縮まる。


 なので今回もそのイベントを無視するつもりはなかったが、今回はちゃんとその冒険の理由を尋ねた。


 前回はただ誘われるがままに彼女に付いて行ったが、今回は自主的に、目的を持って行動したかった。


「はづ……、北原さん、どうして隣町に行くの?」


 声変わりする前の僕が尋ねる。


「付いてきてくれるって昨日約束した……」


 蚊の鳴くような声だった。

 彼女が今にも泣き出しそうになったので、フォローを入れる。


「もちろん、北原さんの頼みならどこまでも付いて行くけど、やはり理由が知りたくて」


「パパと会うの」


「それは聞いた。でも、なぜ?」


「パパと会うのに理由が必要なの?」


 と問われてしまえばなにも反論できない。


 それにその表情は少なくとも新しく家庭を作った父親の家をめちゃくちゃにしてやろうとかいうものではなく、純粋に幼子が父親を求めているような顔だった。


 嘘偽りのないというか、本当に理由などないのだろう。

 これ以上、尋ねても無駄そうであったので以後、理由は尋ねなかった。


(でも、葉月は幼いころに父親に虐待されてたんじゃないのか? そんな父親と会ってどうする?)


 その疑問と疑念は消え去ることはなかったが、彼女に付いて行くという基本方針が変わるわけでもなく、僕は黙ってリュックサックをかつぎ、児童公園をあとにした。


 彼女は電車どころかバスにもひとりで乗ったことがない。そんな彼女が隣町に行くことなど不可能である。


 僕が案内しなければ彼女は警察にすぐ保護されるだろう。

 それはそれで避けたかった。


 過去に何度もタイムスリップして分かったことだが、時間を司る神というやつは無意味なことをしない。


 なにか重大なイベント、ターニングポイントの直前に僕を送り出す。

 おそらく、いや、疑いようもなく今回のターニングポイントはこの事件だった。

 僕は彼女とともに行動し、彼女の運命をより善き方向に導かねばならない。

 そのために僕はこの世界軸にやってきたのだ。




 

 僕たちはふたり、一緒に隣街に向かう。


 リュックサックを背負った小学生がふたり、電車に乗っている姿は奇異と言えば奇異であり、道中、老齢の女性から、「あなたたちどこに行くの? ご両親は?」と尋ねられた。


 機転が利かない上に根が善良である葉月は、言葉を窮してしまうので、僕が代わりに答える。


「僕と妹で一緒に隣町の親戚の家に遊びに行くんです」


 はっきりと、小学生らしいハキハキした声で。


 その態度と台詞で女性の疑惑は晴れたのだろう。「そう、偉いお兄ちゃんね」と飴をふたつくれた。


 老齢の女性は二駅後に駅を降りた。

 すると葉月が礼を言ってくる。僕の機転を褒める。


「学校では静かだけど、しっかりとしゃべれるんだね」


 と言ってくれた。

 中身は大学生だからであるが、それを馬鹿正直に言う必要はない。

 適当に相づちすると、もらった飴を口に入れる。

 黒砂糖の飴で、素朴な味がした。

 彼女も舐めるが、口に入れてしばらくすると、突然、こんな文句を言う。


「……11ヶ月も私が年上なのに」


 なんのことだろう、と尋ねると、どうやら「妹」扱いされたのがご不満らしい。


 弟のほうがハキハキと答えるほうが変だと思ったらしいが、たしかに彼女のほうが大人っぽかった。


 まあ、世間から見れば誤差であるし、僕にとってもそれは同じだ。

 それにしても同じ学年なのに誕生日の差でお姉さんぶるところは小学生から変わらない。

 彼女はどの時間軸でもそれをよりどころに、年上として振る舞う癖があった。


 僕以外の人間には積極的に話しかけられないほど奥手なのに、僕の前でだけ見せる可愛らしいところであった。


 そういうところも大好きなのだが。

 そんなことを思っていると、電車内のアナウンスが聞こえる。

 乗り継ぎ駅だ。


「乗り継ぎ駅ってなに? 電車に乗ってればパパのところに行けるんじゃないの?」


 と尋ねてくる彼女はまさしくお嬢様というか、世間知らずだろう。


 路線というものがあって、それを乗り継がなければ目的地に着けないことを伝えると、彼女は納得したような、しなかったような顔をした。


「パパの家の前まで線路を延ばせばいいのに」


 とマリー・アントワネットのようなことを言っていた。


 どんなに税金を納めてもそこまでしてくれないだろうが、偉くなったら頼んでみるよ、と言うと、彼女は喜んだ。


 その後、路線を乗り換え、目的の駅まで向かう。


 今でこそすいすい行けるが、前回の世界軸では迷いに迷い、大幅な遠回りをして到着した記憶がある。


 午後一番に到着する予定が、夕方になったことを思い出す。

 今回はそのようなことはなく、駅でも迷わず、駅からも迷わなかった。

 彼女が教えてくれた住所を頼りに、まっすぐ父親の家に向かうが、途中、気が付く。


(そういえば前回、葉月の父親の家に到着したのはいいけど、結局、父親には会わなかったんだよな)


 到着前、それに道中、彼女は嬉々と父親について語っていたが、いざ、家の前にくると急に顔を曇らせ、そのままその場を立ち去った。


 まさか僕だけ面会するわけにもいかず、彼女に従ったが、このままだと同じ轍を踏むことになる。


 果たしてそれは良いことなのだろうか。それとも説得してでも彼女と父親を会わせるべきなのだろうか。


 逡巡していると記憶がよみがえる。

 見慣れた路地、住宅街に到着する。父親の家までもう少しだ。


 ――僕は迷いに迷ったが、彼女に父親に会うことを勧める。今回は逃げないように諭す。


 僕は彼女が逃げ出さないように彼女の手を握りしめる。


 彼女はまだ小学生、僕たちはまだそういう関係でないが、そんなことは考慮せず、彼女の手を握りしめる。


「北原さん、君は今、ここから逃げだそうか迷っているでしょ」


 彼女はなんで分かったの? そんな表情をした。

 やはりそうか、納得した僕は彼女に言う。


「余計なお世話なのは分かってる。でも、父親に会うべきだ。そこで自分の感情を伝えるべきだ。そうしたほうがいい。ううん、そうしないと一生後悔する」


 僕の説得が効いたのだろうか。

 彼女はこわばっていた手に力を込める。僕の手を握りしめる。

 ふたりはゆっくりと父親の家の前に立つ。

 僕はそこで初めて前回、彼女が逃げ出した理由を察した。

 前回の位置、僕は彼女の父親の家の敷地の外に立っていた。


 だから気が付かなかったのだ。この家には彼女の父親だけでなく、その家族が住んでいることに。


 敷地内に置かれた子供用の三輪車。それに玩具。

 家の中から聞こえてくるのは、大人の男と女、それに小さな子供の声。


 子供がなにかおねだりしているのだろうか、夕飯にはオムライスを食べたい、と言っているように聞こえる。


 男と女は可憐ちゃんはオムライスが好きね、と笑っていた。

 幸せな家族の時間が流れているような気がした。


 表札を見ると、そこには北原以外の名字と三人の名前があった。男の名前が葉月の父親、可憐がその娘、もうひとりの女性名が新しい妻だろう。


 それを見た僕は居たたまれなくなった。

 だが、今、手を握りしめている少女はもっと居たたまれないに違いない。

 その小さな胸をうがたれたような気持ちになっているに違いなかった。


 それを思えば、僕が逡巡したり、悩んだりするのは良くなかった。彼女の代わりにこの家の呼び出しベルを押すのが、僕の仕事のような気がした。


 時間がたてば立つほど、彼女の心はかきむしられるはず。

 ならばこそ今、この場に立っていられる勇気が残されている今、行動を起こすべきだった。


 僕は呼び出しベルをすっと押す。背伸びをしなければ届かない場所に合ったが、ピンポーンと鳴った。


「はーい」


 という声が家の中から聞こえてきた。女性の声だった。

 ドアを開けたのはやはり女性だった。

 彼女は不思議そうな顔で僕たちを見つめる。


 最初は宅配便だと思ったようだが、やってきたのは小学生ふたり、奇異な目で見られても仕方なかったが、彼女は優しげな口調で尋ねてきた。


「あらあら、可愛らしいカップルさんたちね。もうハロウィンは終わったけど、お菓子をご所望?」


 笑顔が絶えない女性だった。この女性が家にいるだけで楽しい日々が過ごせる。そんな気にさせてくれる女性だった。


 実際、この家は幸せと楽しさに包まれている。


 彼女の後ろから、ドタドタドターと、忙しない足音が聞こえると、後ろから小さな女の子がやってきて、母親の足に捕まる。


「おかしかいたずらかー」


 と叫んでいる。愛らしい。たぶん、この前のハロウィンで覚えたのだろう。


 僕は彼女たちを観察していたが、横にいる葉月は心ここにあらずというか、ただ、呆然と彼女たちを見ていた。


 葉月にとってこの可憐という幼女は妹。半分だけ血の繋がった存在であるが、その母親は血も繋がっていなければ、話したこともない存在。


 なにを話せばいいのか、第一声をどうすればいいのか、それさえ分からないようだ。

 彼女はこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいのはず。


 僕の左手からはそれがひしひしと伝わってくる。

 だけど、今、この場で逃げ出したら一生後悔する。未来はなにも変わらない。

 そう思った僕は、彼女の代わりに言った。


「この子は――。僕の大好きなこの子は、真柴一樹さんの娘です。真柴可憐さんのお姉さんです。今は一緒に住んでいませんが、あなたたちの家族です。どうか、一樹さんと一目だけでも会わせてください」


 自然と僕の頭は深々と下がっていた。

 両目からは涙が出ていた。

 僕たちはこの幸せいっぱいの家族にとって望まぬ闖入者だと承知していた。

 この場にいてはいけない存在だと分かっていた。

 それくらい空気の読めない僕でも分かる。 

 ましてや当事者たる葉月が今、どう思っているか。

 それを考えるだけで僕の両目からは自然と涙がこぼれ、頭も下がった。

 僕の頭は上がらない。


 葉月の父親が出てきて、娘と会ってくれるまで、僕の頭が上がることはないだろう。あるいはこのまま土下座をすればことが進むのなら、それも容易にできた。


 土下座するだけで葉月が幸せになるのならば安いものだった。

 そう思い、地に両膝を着けようとしたとき、奥から男性が現れた。

 整った顔立ちの男性。葉月との血縁を感じさせる男性。

 かつてバンドマンとしてこの近隣の女性を熱狂させた面影がある。

 ただ、想像していた人と違った。


 幼きころ、葉月とその母親に暴力を振るっていた、――という可能性を考慮し、そういう目で見ていた僕だが、今、この場にいる彼は暴力とは縁がなさそうな人だった。


 優しい奥さんの旦那、可愛い娘さんの父親、ただただ、家族に慈愛を注ぐ父親、というイメージしか持てなかった。


 そしてそのイメージは間違いなかった。


 玄関にやってきた葉月の父親、一樹は長年離ればなれになっていた娘を一瞬で自分の娘であると見分けると、なんの躊躇もなく彼女の名前を呼んだ。


「葉月!」


 と口にすると、そのまま葉月に掛けより、彼女を抱きしめる。

 葉月は放心状態で父親に抱かれるが、なにも感じていないわけではないようだ。

 数秒後には決壊する。

 その心も、涙腺も。


「――パパ」


 と一言だけ言うと、彼女は泣いた。

 赤子のように泣いた。

 僕は長年、彼女と付き合っているが、彼女が泣いたところをあまり見たことがない。

 そんな彼女が泣いていた。

 人目をはばかることなく、僕の視線も気にすることなく。

 ただただ、泣いていた。

 僕はその光景をただ、見ているしかなかった。

 僕たちは数年ぶりの父と娘の再会を見つめながら、時間が過ぎ去るのを待った。


 もしも時間が有限ではなく、無限にあるのならば、永遠にそれを見つめていてもいいとさえ思った。

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