17
僕が目覚めた場所は東京のアパートだった。
姉とふたり暮らしをしているアパート。そこで目覚めた。
己の身体を鏡で見ると、精悍になっている。おそらく元の時間軸、つまり大学生に戻ったのだろう。
スマートフォンで西暦を確認してみるが、葉月とショッピングモールの中華で食事をした翌日に戻っていることに気がつく。
どうやら過去に戻るときは明確な意思と痛みが必要なようだが、未来に戻るには不要らしい。
まだ二回目なので断言できないが、たぶん、過去を改変し、新たな世界軸が出来上がると僕は未来に戻るようになっているようだ。
なんとなく、法則を掴むことはできたが、それが今後、役に立たないといいが。
今回こそ、北原葉月の死の連鎖を止めたかった。
僕はそれを確実なものにするため、情報を収集する。
まずは彼女が生きていることを確認する。電話をすることにした。
電話を鳴らす。
呼び出し音が鳴り続ける。なかなか電話に出ない。
なにか出られない用があるのだろうか。それとも移動中とか。
それならばそれで構わないのだが、生きている確証がほしかった。
いても立ってもいられない僕はスマホのメッセージを送る。
「葉月、君に会いたい。返事をくれ」
単刀直入過ぎたが、今の僕の心を正直に文字にするとそうなる。
恥じらいやてらいなど不要だと思った。
幸いなことに彼女は五秒ほどで既読マークを付けてくれる。
ほっとした。
それから十数秒でメッセージの返信をくれた。
「どうしたの? 急に」
「急なのは分かっている。でも、いますぐ君に会いたい」
「会ってどうするの?」
「君を抱きしめて、離したくない」
既読マークが一分ほど表示される。なかなか返信がない。
もしかしたらこの世界軸の僕たちはとっくに別れてしまったのだろうか。
もう僕たちは恋人同士ではないのだろうか。
そんな厭な予感が頭をよぎるが、彼女はそれを肯定するような文章を送ってくる。
「なにを言っているのかよく分からないのだけど厭」
僕は絶望のあまり、スマホを落としてしまいそうになる。
彼女になんてメッセージを送ればいいのか、分からなくなる。
何度も過去に戻った末に得たのは彼女との別れなのだろうか。
彼女はまた自ら死を選ぶのだろうか。
そう思うと胸が苦しくなるが、それでも僕は勇気を振り絞って彼女にメッセージを送る。
「一生のお願いだ。君にもう一度会いたい」
「なにそれ、厭なものは厭。でも、お願いを聞いてくれたら考えなくもない」
「なんでも聞く」
「じゃあ、回れ右をして、タンスの中にあるバスタオルを取って」
意味は分からないが僕は彼女の指示に従う。
「それをバスルームに持ってきて」
それにも従う。
僕はロボットのようにバスルームを開けるが、そこには風呂上がりの女性がいた。
姉ではない。
そこにいたのは今、一番会いたい人物だった。
彼女は生まれたままの姿でその場に立っていた。スマホを握りしめている。
彼女は不思議そうな表情で、「ありがとう」
そう言うとバスタオルを受け取る。
僕はあまりの光景に言葉を失う。
それを見かねたのだろうか、彼女のほうから言葉を掛けてきた。
「さっきからすごく変なんだけど? 私の裸くらい見慣れているでしょう」
まさか、と答えるべきなのだろうか、逡巡していると彼女は続ける。
「同棲を始めて丸一年、婚約をして半月、もう何度もそういうこともしているし、今さらそんな顔を赤められたらこっちのほうが恥ずかしくなる」
「……同棲を始めて一年」
思わず反芻する。つまりこの世界軸では葉月と僕は大学に入ってすぐに同棲を始めたのだろうか。
ここは姉と暮らしていたアパートのはずだが。
そう考えていると彼女は、
「でも、君のお姉さんには頭が上がらないよね。弟とその恋人が同棲を始めるって言ったら、敷金と礼金が勿体ないからって、自分が住んでいるアパートを譲ってくれるんだもの。私たちは未成年だったし、私のママには頼れないし、お姉さんがいなかったら一緒に暮らせなかった」
と説明してくれた。
なるほど、この世界軸では姉は別の場所に暮らしているのか。詳しく話を聞くと姉も同棲しているようだ。恋人である佐川さんと暮らしているとのこと。
色々と葉月に尋ねる、彼女は不審な顔から、心配げな顔になった。
「ねえ、やっぱりなんか変。もしかして具合でも悪いの?」
バスタオルを身体に巻いた女性が目の前に迫ってくると、余計、表情が硬直し、赤くなってしまう。
僕はなんとか糊塗しようと距離を保ち、言い訳を考える。
ただ、この状況下ではなにも言い訳は浮かばない。
絶体絶命の窮地になるが、それを救ってくれたのは姉だった。
姉からグループメッセージが届く。
未来の家族、と書かれたグループチャットに姉の発言が更新される。
僕と葉月のスマホはそれを同時に受信する。
葉月は姉に好意を持ち、姉を尊敬しているようで、
「未来のお義姉さんからメッセージだ」
と喜びながらスマホの画面に手を伸ばしていた。
僕もそのメッセージを見るが、姉の要件は単純で短かった。
「今から三人で食事をしませんか?」
というものだった。
葉月は僕に断りもなく、「嬉しいです。ご一緒したいです」と返していた。
僕もそのつもりなのでなんの問題もない。
というかこの状況下を救ってくれる姉が天使のように思えた。
ただ、葉月は相変わらず僕の気持ちを知ってか知らずか、そのまま僕の部屋で着替えを始める。
どっちの下着が可愛い? などと質問をしてくる。
同棲している恋人ならば珍しくない光景であったが、数時間前までは純情な中学生だった僕には少し刺激が強かった。
それでも僕はなんとか下着を選び、着替えを始める。
彼女の裸を少しチラ見してしまうが、そこには痣や傷がたくさんあった。
ただ、小学生のときに見てしまった生々しい傷などはなかった。
それを確認したとき、僕は自分が彼女の未来を変えたことを知った。