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 その後、彼女と学校に向かい、いつものように授業を受ける。

 葉月と僕は同じクラスだったが、彼女は退屈な授業を退屈そうに受けていた。

 授業が終わり、下校時間になると鞄を持って僕のところまでやってくる。


 一緒に帰ろう、とは言わないけど、学校が嫌いな彼女が教室に長居するわけもなく、暗黙の了解のように一緒に帰る。


 僕の家は学校から歩いて一〇分ほど。彼女の家はそこからさらに一〇分掛かる。


 僕と同じルートを使わなければ五分くらい短縮できるだろうに、彼女は律儀に毎回、僕の家の前を通ってくれた。


 その間、一緒に下校するカップルを見かけるが、彼女は詰まらなそうにそれを眺めていた。


 僕は家に帰るまでの間、彼女から父親の話を聞き出そうと、会話を振っていたが、なにも切っ掛けを掴めなかった。


 いきなり彼女に父親のことをどう思っているか尋ねるほど、僕は無神経ではない。


 もしかしてそこに彼女の心の傷があるのならば、扱い方を間違えれば、彼女は高校生になることなく、その人生を終える可能性もあるのだ。


 それだけは避けたかった。


「…………」

「…………」


 沈黙が続くが、居心地の悪い沈黙ではなかった。

 彼女とはこうしてふたりで下校したが、一言も話さないことがある。


 他の女生徒とこのように沈黙が続けば、気まずくなると思うが、彼女の場合は何時間、話さなくても心地いい。


 それは貴重なことなのだと思うが、他の女子と一緒に下校したことがないので、あくまで想像でしかない。


 そんなことを考えていると、家に到着する。

 彼女は一言「じゃあね」と言い立ち去っていった。


 このまま家に帰していいか迷ったが、仮にもしもここで自宅に招いても同じような沈黙が続くだけだろう。


 もう少し時間を置くというか、心の準備が必要なような気がした。

 


 僕は家に帰ると、母親の置き手紙を見る。

「今日は安藤さんのトンカツです」

 と書いてあった。


 そういえば前回、タイムスリップした日も夕飯は安藤さんのトンカツだった。


 もしかしたらタイムスリップと因果関係があるのでは、と疑ってしまうが、安藤さんはどこにでもあるような町の肉屋だ。


 とてもそんな大それた因果律を司る鍵とは思えなかった。

 自嘲気味に笑うと、流し台に溜まっている皿に手を掛ける。

 両親が共働きなので、僕たち姉弟は家事をこなす。

 時間が空いていればこのように食器を洗ったり、洗濯をしたりもする。


 葉月に話すと驚かれる。彼女の家にはお手伝いさんがいて、家事などしたことがないのだそうだ。


 君の家も雇えばいいのに、というマリー・アントワネットのようなことを言っていた時期もあるが、中学になってからはそのような世間知らずなことは言わなくなった。


 世間の常識が分かってきたのだろう。

 過去の彼女を思い出していると、背中から声を掛けられる。


「ああ、誰かと思ったら弟か」


 その声の主は姉だった。

 僕は軽く驚く。姉が存在しているとは思わなかったからだ。

 前回、タイムスリップしたときはすでに上京し、この家にはいなかった。

 その感覚が残っていたのである。


 しかしよくよく考えればここは僕が中学二年生の世界。

 姉とは二歳差だから、姉はまだ高校生のわけで、彼女は高校の制服を身にまとっていた。

 僕たちが進学する予定の高校の制服だ。

 なかなか似合っているが、違和感がある。

 東京で暮らしているときはお洒落な服を着ているためだろうか。

 それとも葉月が将来着る予定の制服を着ているためだろうか。

 どちらかは分からないが、ともかく、違和感があった。


 姉はそれを感じ取ってくれたわけではないだろうが、自分の部屋に戻るとさっさと私服に着替え、洗い物を手伝ってくれた。


 姉はかなり家庭的な人で、進んで家事を手伝ってくれる。


 東京にいるときも姉によく面倒を見てもらったし、きっと良いお嫁さんになることだろう。

 無論、そんなことは口にしないが。


 姉が結婚をするのはもう少し先になるはずだし、佐川さんという恋人ができるのは東京でだ。


 この時点の姉はまだ地方都市の純朴な女子高生で、そのような冗談を交わすほどの余裕はないはず。


 それに姉弟で結婚や恋愛の話をするのは少し気恥ずかしかった。

 なのでその手の話は意図的に避けたかったが、そういうわけにもいかない。

 僕は姉に結婚について相談する。


「姉さん、結婚ってどうしてするのかな?」


 不意にそんな話を振られた姉は、思わず洗っていた箸を落としてしまう。

 割れ物を洗っているときでなくて良かった、と漏らすと、姉は少し困惑気味に返答した。


「藪から棒に。なに?」


「いや、少し気になって」


「好きな子でもできたの?」


「そんなんじゃないけど」


「じゃあ、どんなのなの」


「純粋に興味があるだけ。いや、友達の家がね。母子家庭なんだ。お父さんがいない」


「へー、そうなんだ。でも、最近、そんなに珍しくはないって聞くけど」


「たしかに」


「うちのクラスにも何人かいるし」


「そうだね」


「永遠の愛を誓い合ったのに、なんで別れてしまうんだろう。親は子供のことを考えないのだろうか、つまりあなたが悩んでいるのはそういうことでしょ?」


「端的に言うと」


「それは分からないわね。うちの両親は仲いいし」


 それに私は結婚したことないし、と続ける。


「そうか。姉さんならなにか分かるかな、って思ってた」


「あなたと二歳しか離れてないでしょ。この歳で男女の機微を完全に理解してたら怖いと思う」


「まあ、そうかも」


 よくよく考えればこの時点では姉はまだ一五、六のはず。

 つまり精神的には僕よりも年下だった。

 人生の指標を求めるには不適切な相手かもしれなかった。

 しかし、それでも女性。突然、びくりとするようなことを言う。


「あなたが悩んでいるのは、同じクラスの葉月ちゃんのことでしょ」


 ずばり指摘してくる姉。僕の心が読めるのだろうか。


「その顔は正解みたいね」


 心が読めるかは不明だが、表情は読めるようだ。

 僕は感情が表情に出やすいらしい。


「あなたと葉月ちゃんが仲いいなんて母さんもすでに知ってるよ。というか、わたしが話した」


 姉はやはりおしゃべりというか、女性だ。

 勘が鋭く、なんでも話してしまう。


「これは母さんから聞いたんだけど」


 姉はそう前置きした上で言った。


「あのね、北原葉月ってあの女優の北原栞の娘でしょ?」


「そうだよ。有名らしいね」


 北原栞の名前はよく知っていた。

 この小さな地方都市が生んだ有名女優。

 テレビ越しに何度か見たことはあるが、とても綺麗な人だった。

 僕と同い年の子供がいるだなんて思えないほどに若々しく、美人である。

 葉月をそのまま大人にしたような透明感ある容姿の人だ。


 女優という職業は、彼女のような美人に用意されているのだろう。テレビで見かけるたびにそう思う。


「我が町の有名人だよね。でね、その北原栞なのだけど、その旦那さんとうちの母さんは同級生なんだって」


「…………」


 それは意外というか、初めて聞いた。

 母親とはよく話すが、そのような話を聞いたことがない。


「まあ、あなたと葉月ちゃんが仲いいから、あえて言わなかったんだろうけど」


 と姉は考察を述べる。


 なるほど、と思ったがそれはどうでもいいことだった。僕としては少しでも葉月の家族の情報を得ておきたかった。


「葉月の父親はどんな人だったの?」


「北原栞の父親もこの街出身だけど、学年は違ったみたい。だから在学中は知り合うこともなく、東京で出逢ったみたいね」


「たしかマネージャーをやっていたとか」


「らしい。最初はバンド活動をしていたらしいんだけど、全然芽が出なくて芸能事務所に就職。そこで北原栞と出逢って結婚、って感じみたい」


「バンドをやってたのか」


「やってたみたいね」


 なんかいかにもって感じだ。元バンドマンのプレイボーイが女優を口説き結婚。

 芸能界ではいくらでもありそうな事例だった。

 ただ、その考察には姉は反論を述べる。


「バンドマンが全員、すけこましというわけではないでしょ」


 というのが姉の擁護だった。

 ただ姉は事実だけを話す。


「少なくとも高校時代の彼は、真面目で誠実だったみたいよ。ルックスがいいし、バンドなんてやってるから、県中の女子高生から言い寄られていたみたいだけど、絶対、手を出さなかったって有名みたい」


 なんでも音楽に専念したいから、軌道に乗るまでは女の子と付き合わないって宣言して、実行してたみたいよ。


 と姉は補足する。

 それが本当ならばすごいものだ。


 偏見かもしれないが、音楽活動をするなんて九割方異性にモテたいという理由で始めるようなものなのに、そこから否定するとは人格者と言ってもいいかもしれない。


 会ったことはないが、僕は少しだけ好感を持ってしまった。


(……いや、それは早いか)


 僕は軽く首を横に振る。

 それは世間の評判というか、母親の意見だけだ。


 隠れて多くの女性と付き合っていた可能性もあるし、多くの女性と付き合わないだけで、特定の女性とは付き合っていたかもしれない。


 そして人間、誰かに対しては天使でも、誰かに対しては悪魔ということもありえるのだ。

 葉月やその母親に酷いことをしていた可能性もある。


 ――例えば家庭内暴力とか。


 僕は夏の日を思い出す。

 葉月と公園に出かけた日のことを。

 あれはいつだったろうか。まだ小学校のときかもしれない。

 遠足で出掛けた大きな公園。そこで水浴びをする同級生たち。

 中には水着を持ってきた子もいて、皆、ずぶ濡れになっていた。


 僕と葉月は馬鹿騒ぎに興味はなく、また水遊びも好きではなかったので、遠くから眺めていただけだが、葉月は帰り際、皆が水遊びを止めたあとにぼそりと言った。


「私も水に入りたいな」


 夏なのにロングスカートを着ていた彼女はスカートをまくって、水に入った。

 僕にも入るようにさそったが、そのとき、僕は軽く彼女の太ももを見てしまった。

 厭らしい気持ちなど微塵もなかったが、僕は凝視してしまう。

 彼女の太ももに大きな痣があったからだ。


 僕は思わずどうしたの? と尋ねてしまうが、彼女は「なんでもない」と、はぐらかすだけだった。


 興ざめしたのか、すぐに水浴びを止め、ベンチに戻ったことを覚えている。


 もしかしたら、今にして思えばだけど、あのときの痣は彼女の父親が付けたものではないだろうか? 


 そんな気がした。

 彼女は父親から暴力を受けていたのではないだろうか。

 彼女の父親を否定する日頃の態度からそんな想像に至ってしまうのだ。


 もちろん、これはすべて推察というか、妄想なのだけど。

 なんの証拠もなかった。

 姉の話によれば葉月の父親は良識人らしいし、それに彼女の母親は女優だ。

 娘や自分に日常的に暴力を振るうようならば対抗するだろう。

 黙って見過ごすとは思えない。


 そう結論づけたが、僕の心のモヤモヤは晴れなかった。

 こうなればもはや直接、彼女に聞くしかない。

 そう結論に至った僕は姉との会話を切り上げた。

 すると計ったかのように母親が家に帰ってくる。

 揚げたてのトンカツを入れた紙袋を抱えていた。

 母親は味噌汁を作るので待ってて、とエプロンをする。

 姉と視線が交わるが、葉月の家族の話には触れなかった。


 これ以上、深い情報を知っているとは思えなかったし、母親に余計な心配はさせたくなかったからだ。


 一時間後、早めの夕食を食べる。

 安藤さんのトンカツは相変わらず旨かったが、その日の僕は夕飯を半分残してしまった。

 僕はその日、メンタルが食欲に関連していることを思い出した。

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