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 この世界軸でも彼女は死んだ。

 僕はそれを新聞で確認した。

 有名女優の娘、浴槽で自殺する。

 そう書かれた見出しのゴシップ誌。

 動機は不明。

 裕福で苦労知らずの女子大生がなぜ? という見出しが妙に癪に障った。


 中には彼女が違法な薬物に手を出していたとか、母親に虐待されていたとか、誹謗中傷を書き立てる週刊誌もあった。


 僕はその週刊誌を破り捨てると、スマートフォンを取り出し、未来にメッセージを送る。

 単刀直入に要件だけを入力した。


「もう一度、過去に戻りたい。どうすればいい?」


 メッセージはすぐに帰ってくる。


「そう言ってくると思った。でも、同じ時間軸には戻れないの」


 高校三年生には戻れないということか。


 細かい指定はできないようだ。しかし、過去に戻って彼女を救えるのならばいつでも良かった。


 その旨を伝えると未来は尋ねてくる。


「過去には戻れるけど、また死ぬほど痛い思いをしないと駄目。できる?」


「できる」


 即答する。


「前回は事故現場に居合わせることが可能だったけど、直近で似たようなことは難しいかも。少し待つ?」


「いやだ。今すぐ過去に戻りたい」


「そういうと思った。じゃあ、即死しない程度に痛い思いをして。そして彼女のことを思い出して。そうすればきっと過去に戻れるから」


 未来はそう言い切ると、その後、メッセージを止めた。

 これ以上語ることもないのだろう。


 電車に飛び込むのがお勧めとか、海に飛び込むのがお勧めとか、そんな物騒な会話などしても仕方ない。


 僕は死ぬほど痛い思いをするため、幹線道路に向かうと、手頃なトラックの前に飛び出た。


 青信号で人が飛び出てくるとは思っていないトラックの運転手はハンドルさえ切ることができず、僕を轢き殺した。


 いや、正確には半死半生にさせた。

 大量に流れ出る吐血。

 肋骨が肺を突き破っているのは明白だった。

 真っ赤な鮮血が道路に広がる中、僕は思う。

 どの時代に戻れば彼女を救えるのだろう、と。

 まったく見当は付かなかったが、僕の頭には彼女の顔が浮かんだ。

 中学生時代の彼女。

 まだあどけなさが残る制服姿の少女の姿が浮かんだ。





 季節は六月、梅雨真っ盛り。

 じめじめした季節であるが、新緑が生い茂り、紫陽花の花が綺麗だった。


 それにおニューの傘を使う機会が増えるから、六月は好きである、と北原葉月は公言していた。


 嫌いな季節は? と尋ねれば真っ先に二月を挙げる彼女。

 なぜかと問えば、二月は二八日しかないから君と会える回数が減る、というものだった。

 冗談か本気かは分からないが、僕は思い出す。

 中学二年生のこの時期、この前後から僕たちは付き合い始めた。


 小学校時代から仲の良かった僕たちだけど、男女交際を意識し、彼氏彼女となるのはこのあと、ふたりで修学旅行に行ったあとだった。


 その後、彼女から告白され、僕たちは付き合うことになる。

 僥倖というか、奇跡というか、僕は葉月のような可愛らしい女の子から告白されたのだ。


 今にして思えばなぜ、彼女は僕のことを好きになってくれたのだろう、という感想しかない。


 いや、当時の自分も不思議に思っていたはずだ。

 特にこの頃の僕は、葉月が積極的にモーションを掛けてくるのに戸惑った。


 先ほどのように二月は会える回数が少ないから嫌い、とか、君と一緒にいると幸せ、とか、無言で指に指を絡めてきたり、とか、直接間接問わず、彼女は僕に迫ってくる。


 元々好意を抱いていたし、それに彼女ほどの美人に迫られて断る男などいない。

 僕は困惑しながらも彼女の告白を受け入れたことを覚えている。

 ふたりはしとしと雨が降る中、中学校へ続く道を歩いていた。

 彼女は真っ赤な傘を差していた。

 その傘を見ていると、僕は彼女が次に切り出す言葉が頭に浮かんだ。



「これ、お母さんにお土産でもらったの。パリで買ったんだって」



 彼女とほぼ同時にその言葉を反芻すると、彼女は「え?」という顔をした。


「あれ? 前に言ったっけ?」


「……いや、なんとなくそう思っただけだから気にしないで」


 と言われても気にしない人間などいないが、彼女はそれ以上なにも言わない。

 僕は困惑する彼女を見て、改めてここが過去の世界であると認識した。

 ここはおそらく、僕たちが中学二年生の世界。


 季節は六月だからまだ僕たちは付き合っていない。親しげに会う仲ではあるが、まだ彼氏彼女ではない。


 そんな時間に僕はタイムスリップしたようだ。

 今回も身体は当時のまま。僕は華奢な身体に制服をまとっていた。

 身体ごと戻るのではなく、精神だけ大学生の僕が憑依している。そんな感覚だ。

 どういう仕組みになっているのか気になるが、考察しない。


 僕ごときに解明できるほど単純ではないし、僕の興味はそういった科学的なことではなく、葉月の未来にしかない。


 この世界軸では彼女が毎回自殺してしまう理由を探し出したかった。

 そして彼女が死を選ばなくてもいいようにしたい。

 それだけしか考えてなかった。


 そんなことばかり考えているからだろうか、葉月は少し怯えた声で、

「どうしたの? 今日の君は少し怖い」

 という感想を漏らした。


 葉月という少女は基本怖がりで臆病な娘だった。


 成長するにつれ、戯けたり、冗談をいうようになるが、このときはまだ、怖がりな少女という成分のほうが多かった記憶がある。


 なので僕は優しく諭すように言った。


「なんでもないよ。ところで葉月、昨日、衛星放送でやっていた映画見た?」


「見た」


 という即答を貰える。

 いつの時代も彼女は映画が好きだった。


 僕たちが互いに話しかけるようになった切っ掛けは彼女に対するいじめであったが、仲良くなった切っ掛けは間違いなく映画だった。


 女優の娘である彼女は、幼い頃から映画が大好きだった。

 有名な映画の台詞をそらんじては、僕になんの映画でしょう、と尋ねてくる。

 僕はその都度答えていたことを思い出す。正答率は三割もなかったけど。

 当時の映画知識は彼女のほうが上で、僕は圧倒的に見ている本数が少なかったのだ。


 しかし、それは当時の話で、今の僕には二〇年分の知識がある。それを活用することにした。


 彼女に映画の真似をするようにねだる。

 登校中、雨の中で言われても困るはずであるが、彼女は少しだけ嬉しそうに。


「仕方ないなあ」


 と付き合ってくれた。よほど、映画が好きなのだろう。

 傘をたたみ、僕に渡すと、空を見ながら歩き出す。電柱に絡みついたりする。

 僕はそれがすぐになにか分かったので答える。


「雨に唄えば、だね」


「正解」


 彼女は破顔する。

 雨に唄えば、とはアメリカの古典的ミュージカル映画だ。

 公開は一九五二年。


 ハリウッド映画がサイレントからトーキーに移り変わる時代を描いた傑作ミュージカルで、歴代ベストミュージカルには必ず選出される。


 あいにくと僕はミュージカルが苦手であるが、高校のとき彼女にブルーレイを借りて見たことがある。


 そんなことを思い出していると、彼女は不思議そうに尋ねてくる。


「てゆうか、あの一瞬でよく分かったね。私の演技ってそんなに上手い?」


「雨が降っている中、演じる項目は、と考えたら、雨に唄えばが真っ先に思い浮かぶよ」


「ずるい。というか小賢しい」


 彼女はへそを曲げるが、僕は彼女に傘を返すと、こう言った。


「でも、上手かったよ。これはお世辞抜き」


「これでも女優の娘ですからね」


 と彼女は得意げに答えた。


 彼女はかたくなに僕と母親を会わせないようにしていたが、母親のことは尊敬していたようだ。


 ことあるごとに母親のことを自慢し、賛美していた。

 ハリウッド映画の会社からオファーがきた。断ったけど。

 日本アカデミー賞にノミネートされた。

 母親が出るとドラマの視聴率が上がる。

 など、母親の自慢話を聞かされる。

 彼女は母親に敬意を抱き、憧れているようだ。

 それでも女優を目指さないのはどうしてか、と尋ねる。


「それは私に才能がないから」


「才能がない?」


「ないわよ。だって私には半分しか北原栞の血が流れてないから」


「どんな人間も母親の血は半分のはずだけど」


「そうね。でも、女優になるには才能が必要なの。私のお母さんは最高の女優だけど、お父さんは凡才だから」


「凡才?」


「言い方が悪いかな。お父さんは普通の人なの。母親の元マネージャー。だから演技の才能はないの」


 才能がない人が才能の必要な世界で生きていくのは惨めだから、と続ける。


「だから私は女優にならない。役者を目指さない」


「なるほど……」


 もったいない、とは言わなかった。たしかに役者の世界は才能がすべてだろう。


 彼女の映画の物真似からはあふれ出んばかりの映画愛が伝わってくるが、上手いかと問われれば疑問符がつく。


 それに彼女に女優願望がないのは昔から知っていた。


 今さら女優になるように勧める気にはならない。無駄であるし、それに彼女に芸能界は似合わないような気がした。


 ただ、僕は彼女の口から父親の話が出たことを見逃さなかった。

 彼女は普段、父親の話はしない。

 母親の話はまれにするが、父親の話はよほどのことがない限りしないのだ。


 父子愛情物語が嫌いな彼女。先ほど、彼女が父親の話をしたときも眉をひそめていたのを見逃さなかった。


 もしかしたら彼女の精神が不安定な理由は、ことあるごとに死を選んでしまう理由は、父親が関係しているのではないか。


 そう思った僕は彼女に尋ねる。

 こんな直球の質問をするのは初めてだ。


「父親のことは嫌いなの?」


 彼女は、即答する。迷うことなく、わずかの逡巡もなかった。


「大嫌い」


 それがすべての答えなのかもしれない。

 そのときの僕はそう思った。


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