10
文化祭当日、僕の通っている高校は華やかさに包まれる。
普段はどこにでもあるような県立の進学校なのだけど、この日だけはテーマパークのような賑やかさに包まれる。
十月のこの時期に行われる文化祭は、受験を控えた三年生はゲストとして遇され、準備は免除されるから、ただただ、観客として楽しむことができた。
僕と葉月はこの手の賑やかな催しは苦手であるが、それでも素直に楽しむ心のゆとりくらいはある。
当日、ふたりは正門付近で待ち合わせすると、造花で彩られたアーチをくぐる。
そこをくぐれば夢の国には入れるわけであるが、僕たちは散文的な計画を練り、校内を回った。
朝食を抜いてきたので、飲食店から回る。
飲食店と言っても、学生が営むもの。旨かろうはずもなく、安いだけが取り柄だったが、僕たちはとりあえず誰が作っても旨いものを選択した。
煮込み料理は誰が作っても同じである、と、おでんを選択、その後、ご飯代わりに粉もののお好み焼きを選択した。
お好み焼きはしっかりと豚肉が入っていてなかなか美味しかった。
普通の飲食店とは違い、原価率を計算しなくてもいいから、材料だけは良いものを使えるのだろう、というのが葉月の結論だったけど、たしかに縁日の夜店よりは旨かった。不格好だったけど。
小食にして食にそれほど楽しみを見いださないふたりはそれでお腹いっぱいになると学内の催し物を覗くことにした。
といっても徹底的に非リア充体質のふたり、華やかな催し物は最初から眼中にない。
メイド喫茶とか、女装喫茶とか、執事喫茶とか、お化け屋敷とか、うぇーい系の高校生が企画しそうなものは避ける。
そういったリア充系の催し物にいくくらいならば、まだ地質学部が主催する地元の珍しい鉱石展示を見たほうがましだ、というのが葉月の意見であり、僕も同意するところだった。
しかし、鉱石の展示など五分もあれば見終わる。このままでは間が持たないと思った僕は、映画研究会か演劇部の催しにいかないか誘う。
我が高校の映画研究会はそれなりに歴史があり、ひとり有名な映画監督を輩出している。
なので意識が高いというか、毎年、文化祭に合わせ、短編映画を上映するのが習わしになっていた。
この高校に入るとき、映画好きの彼女を映研に誘ったこともある。
そのときは言下に断られてしまった。私は映画が撮りたいのではなく、映画が見たいだけなの、とのことだった。
彼女は美人であるから、入部すれば即主役に抜擢されるかと思ったが、世の美人すべてが出たがりというわけではなく、彼女は慎ましやかな学生生活を望んでいた。
僕もどちらかといえば映画を撮るのは苦手だ。
共同作業が苦手というか、皆でひとつのことを成し遂げるのが不得手だった。
だが、創作意欲はあり、時折、彼女に映画の構想を話すことはある。彼女はその都度、感心し、共同作業が苦手ならば小説家になればいいのに、と言ってくれた。
これは内緒であるが、一時期、彼女の言葉に触発され、原稿用紙に文字を書いていたこともある。残念ながら僕には文才がなく、とても人様に見せられるようなものは書けなかったが。
その日以来、僕は観客として生きることを誓ったが、観客としてはどちらを選ぶべきだろうか。
伝統ある映画研究会の短編映画、それとも演劇部の舞台。
奇しくもというか、第一体育館と第二体育館と離れた場所で上映するため、両方見ることはできない。
ほぼ同時刻に公開されるのだ。
さてどちらに行くべきだろうか?
ちなみに前回、つまり二年前の僕は演劇部を選択した。
彼女がそれを望んだからだ。彼女は映画にうるさい自分が素人の映画に満足できるわけがない。
ならば畑違いの演劇のほうがましである、という理由で演劇を選んだ。
主体性のない僕はそれを受け入れた。
今回もそのパターンでいいのだけど、行動を変えてみるのも悪くない。
前回見た演劇はお世辞にも褒められたものではなく、主役級の役者でも棒読み、舞台セットは小学校レベルだった。
高校の文化祭に何を期待しているのだ、ということになるが、前回の彼女はさすがに呆れていたような気がする。
その呆れが僕に向けられることはなかったはずだが、気分を一新するために自分の意思を示すのも悪くないだろう。
そう思った僕は映画研究会に行かないか誘った。
彼女は本気? という顔をした。
「私たち映画マニアが素人の映画なんてみたらフラストレーションが溜まるような気がするけど」
「スティーブン・スピルバーグが最初に映画を撮ったとき、なんて言われたか知ってる?」
「知らない」
「僕も知らないけど、酷評されたと思うよ。最初はみんなそうだ。スティーブン・スピルバーグもフランシス・F・コッポラもクリストファー・ノーランも黒澤明も、ひどいものを撮ったはずだよ」
「たしかにそうでしょうけど」
「今日、見る映画は未来の偉大な監督の処女作かもしれない。それに学園祭なんて余興だよ、余興。素直に楽しもうよ」
彼女はじいっと僕の顔を見つめてくる。
なにか付いているのだろうか。尋ねる。
「なにも付いていないけど、なんかいつもの君らしくなくて」
「もしかしたら僕は未来からきた未来人なのかもね。二年ほど精神が成長しているんだ」
「二年って数字が絶妙だね。たしかに大人っぽくはあるけど、二年くらいって感じ」
彼女はそう言い切ると、くすくすと笑う。
「いいよ。じゃあ、たまには彼氏の言うことを聞きますか。それでは、映研の試写会へ案内してくださる?」
「喜んで」
僕は彼女の手を引くことはできなかったけど、そのまま彼女を第二体育館へ連れて行った。
映画研究会の短編映画は、特にストーリーに凝ってはいなかった。
映研の女の子と思われる少女が、映研で起ったDVD紛失事件を解決するというお話だ。
特撮技術もなければ、あっと驚く展開や叙述トリックもない。平坦なミステリーだった。
もっとも素人の学生が凝った脚本を作っても、役者がそれを理解することも難しいだろうし、観客も同じだろう。
観客はごくごく普通の学生とその家族で、たぶん、アガサ・クリスティすら読んだことのない人たちだ。
トリックやオチを凝れば凝るほど、ぽかんとするのは必定であった。
ただ、やはり葉月はご機嫌斜めだ。
映研の短編映画には起承転結どころかオチもない、と憤慨している。
僕が前述の理由を話しても納得いかないようだ。
これは選択を間違えたかな、そう思ったが、映画を見終え、喫茶店に行くと、彼女は映画のことを延々と話し始めた。
「ストーリーに見るべきところはないけど、主演の女の子はなかなか良かった」
少ない予算の中、小道具とかも凝っていたし、と続ける。
「それにカメラワークが良かった。たぶん、二台のカメラを使って編集してるんだと思うけど、主人公が謎の人物に襲われるとき、カメラを一個にして、手持ちに切り替えてるのよね。手ぶれを利用して臨場感を出していた」
その後、紅茶を二杯ずつ飲んだが、なんだかんだいって彼女は映研の短編を気に入ったようだ。
見て良かった、的なことを遠回しに伝えてくれた。
彼女が満足してくれて嬉しかったが、僕は時計が気になった。
彼女が僕に別れを切り出す時間が近づいていたのだ。
このように和やかな時間のあとに別れを切り出されるとは信じられないが、彼女は前回の世界軸でも同じように別れを切り出した。
あのときは厭がる僕を無理矢理、学園祭の締めのフォークダンスに誘ったあとに、別れを切り出してきた。
楽しげに踊り、恋人のように過ごしたあとに彼女は別れたいと言った。
今回もきっと同じになる。
今はこのように幸せな時間を享受しても、次の瞬間、別れを切り出してくるような気がした。
僕はその瞬間をあえて待っていたが、やはり気が気ではない。
今さら彼女が翻意するとも思えなかったけど、少しでも彼女に気に入られようと、僕は彼女に言った。
「これから後夜祭のフォークダンスがあるけど、僕と踊ってくれる?」
彼女は目を丸くしている。
青天の霹靂を見たような顔をしていた。
「意外。君から誘ってくるなんて夢にも思わなかった。ツタヤのときも思ったけど、最近、君って少し男らしくなったよね」
「元々男だからね。それで一緒に踊ってくれる?」
「一年生のときは恥ずかしくてなにもしなかったけど、二年生のときはちょっとだけ踊ったよね。今年は最後だからフルに参加しようとは思っていた」
「それはOKという意味だね」
「もちろん」
と彼女は破顔した。
僕も同じように微笑みながら、喫茶店を出る。
料金は半々だった。僕たちは必ずデートの代金は折半すると決めていたからだ。
幸いと学園祭の料金体系はシンプルでお釣りの計算も楽だったので、スムーズに退店することができた。
喫茶店を出ると、校舎に西日が当たっていた。
いつの間にか太陽が落ち、赤くなりかけていた。
これから校庭の真ん中で焚き火がたかれ、有志によるダンスパーティーが始まるが、それらに参加するのは既存の恋人同士か、この学園祭で絆を深めた男女だ。
このダンスパーティーに参加したものは校内公認のカップルとなる。
気恥ずかしいね、とは葉月の言葉であるが、それは僕も一緒だった。
もっとも、僕のように影の薄い男はこのような場所に立って初めて葉月の彼氏として認識されるのかもしれない。
去年、僕が葉月に強引に誘われるまでは僕は彼女の彼氏と認識されておらず、葉月はたびたび、他の男子生徒の告白を受けていたそうだ。
ダンスパーティー以後、その回数は減ったと言っていた。
やはり美人である彼女は男子から好かれるようである。
そんな言葉を漏らすと、
「それもあるかもしれないけど、彼氏くんがあまり彼氏面しないから、落とせると誤解されているような気もする」
と彼女は言った。
それはたしかにその通りだった。
今後、そのようなことのないよう、今日は最後までダンスを踊り、北原葉月の彼氏であるとアピールしないといけないかもしれない。
このあと、葉月から別れを切り出されるにしても、僕は全校生徒に彼女が恋人であることを宣言したかった。
なぜならば今後も彼女と付き合い、一緒にいたかったからだ。
そのためならば苦手なダンスを衆目にさらし、恋とは無縁の連中からはやし立てられても痛痒も感じなかった。
僕の瞳の中には、ただ楽しそうに踊る葉月が映っていた。
後夜祭が終わり、文化祭の後片付けが始まる。
本格的な撤去は明日行うが、その日処分できるものはその日のうちにする方針のようだ。
在校生は大変である、と感想を述べると、葉月は「それを悠然と見ていられるのは三年生の特権だね」と言った。
その通りであるが、彼女は一年のときも二年のときもろくに文化祭に関わらなかったので、そのような論評が許される立場ではないのだが。
もちろん、言葉にしては言わないが、それでもそんな視線をぶつけると、彼女は僕の手をひっぱった。
驚きはしない。
前回の世界軸の彼女も同じように行動し、僕を校舎裏に呼び出し、別れを告げてきた。
今回も寸分違わず、あのときと同じ行動をするのだろう。
そう思った僕は機先を制した。
正直、僕は彼女から別れの言葉を聞きたくなかった。
もう二度と、彼女からあのときの言葉を聞きたくなかった。
未来は葉月が別れを切り出してきてもそれを拒否し、抱きしめればそれを回避できる。
そう言っていたが、今の僕にそのアドバイスを聞く余裕はなかった。
僕は葉月の手を引く。
校舎の裏にある大きな楡の木の前まで連れて行く。
そこには先約の恋人が二組ほどいた。
僕は彼ら彼女らを押しのける。
「ごめん、順番を守るのがマナーなんだろうけど、これは人の命が掛かっている問題なんだ」
真摯な態度で、毅然と、大きな声で言ったためだろうか。カップルたちは息を飲まれたというか、僕たちに順番を譲ってくれた。
この大きな楡の木は昔から伝説がある。この木の下で告白したカップルは末永く幸せになる、というものだ。
なので後夜祭のあとは行列ができることがある、と聞いたことがあるが、真実だとは思っていなかった。
それは葉月も同じらしく、戸惑っているが、僕はそんな彼女の身体を抱きしめるとこう言った。
「僕は君の口から別れるという言葉を聞きたくない。幸せにするからいつまでも一緒にそばにいてくれ」
僕にしてはとてもロマンチックな言葉であった。
ただ、未来という名前の少女が聞けば、もっと言葉を選べば良いのに、となるだろう。
しかし、未来の評価などどうでも良かった。僕の関心事はその言葉を聞いた葉月が、どういう反応をするかだった。
北原葉月は、僕の拙い告白、それにぶっきらぼうな抱擁に応えてくれた。
涙を流しながらこう言ってくれた。
「――はい、私はずっとあなたと一緒にいます」
と――。
その言葉を聞いた僕は、再び彼女を抱きしめる。
僕はこの世界に自分よりも大切な存在があることを知った。