「また、明日ね」と必ず君に言うからね
「私、今度合コン行くことになって」
久しぶりに来た、彼女からのメッセージに写った文字。
それから間もなく、良い結果の報告と共に、嬉しそうな、喜びに満ちた文面。
それが、俺を、こんなにも、狂わせていく。
それでも、俺は「また、明日ね」と、必ず君に言うから、ね?
●
「よかったね! 上手くいったんだ」
「相手、どんな人なの?」
〇
「少し年上、でも趣味がとっても合うの。
話していても、あんまり年齢差感じさせないっていうか」
「でもね、ちょっとリードしてくれる。
私が不慣れなところとか、間違ったりしたらちゃんと教えてくれる」
●
「そか」
〇
「うん!」
「相談、乗ってくれてありがとう!
おかげで、よく考えて相手を選べたと思う。」
「周りから勧められるままに行かされたけど、
いい出会いができたのもすぎちゃんのおかげだよ」
●
「惚れてくれたっていいんだぜ!」
〇
「またまた! 彼女いるくせに」
「私にだって、ダメだからね! 笑」
●
「冗談 笑」
「俺だって、彼女いるんだから」
〇
「今度、彼女のことも聞かせてね」
●
「何か困ったことあったら、何でも言って」
〇
「ありがとう 笑
でも、すぎちゃんも頼ってくれていいんだからね!
これでも、私は先輩だぞ!」
●
「そうだったね 笑」
〇
「こら! そういえば敬語抜けてる!」
●
「ええー 笑」
〇
「直しておくこと!
それじゃあね!」
●
「うん、おやすみ」
また明日――打とうとして辞める。アプリを落として、俺は布団を深くかぶった。
今日は、胸が締め付けられて、眠れそうにない。
付き合っている彼女からのメッセージ、返信してないけど……いいか。
*
水端美樹――とは、俺の初恋の人で、高校時代の部活の、一つ上の先輩だ。
俺から告白して、一年付き合って、彼女の受験をきっかけに、俺が寂しさに耐えられなくなって別れた。それから、俺は一浪して大学に入り、彼女は先に社会人二年目を送っている。
大学に入学したころを境に、彼女のメアド変更一斉メールでメッセージIDを入手し、それからは季節の変わり目と、彼女の誕生日に、なぜか忘れずメッセージを送った。
彼女の傷口を、ずっと生々しく維持するような行為だろう。
返信もずっとそっけなく、儀礼的なもので、一、二通やり取りが続いてすぐに途切れてしまう。けれど、忘れずに送っている。
その傍ら、付き合っている人がいなかったわけじゃない。彼女と別れてから、告白してくれた子とそのあとすぐに付き合った。それは部活の同級生だったが、馬が合わなくて、半年持たずに別れ、今度はまた別の女子に告白されて、一年ぐらい。卒業を機に、会うこともなくなった。
彼女と別れてすぐに付き合った子と一緒にいるのを、彼女に見られてしまったことも、もちろんある。辛そうな、今にも泣きだしそうな顔が、夕日の逆光で暗かったはずなのに、くっきりと思い出せる。
そのあとに付き合った子とバッタリ会ったときは、なんだか蔑んだように一瞥しただけだったけど。すぐに視線をそらせて、でも速足で。良く似合った夏のさわやかでふわっとして、解けてしまいそうな装いが、制服姿の人をかき分けて去っていくのを、見惚れていた。
そんなことを、覚えている。
*
今付き合っている彼女と、旅行に行くことになっていた。俺は就活生だが、合間を縫って時間を作れば、彼女はそれに合わせてくれるという。
今の彼女はゼミの後輩で、研究課題が同じで親しくなった。ユリという。
ユリは大人しく、サラサラとした髪がいつも綺麗で、何度でも触れたくなった。儚げなのに、芯はしっかりとして、俺を言い負かすぐらいの度胸を見せることもある。
しばらく恋愛に疲れた俺は、ユリの告白を何度かかわしていた。けれど、ユリは何度も何度も俺に想いを伝えてきて、おされてしまった、と言うのが正しい。
「返信ないから心配しました」車で迎えに行くと、キチンと身だしなみを整えたユリが助手席に乗り込んだ。今日は彼女の家に泊まる。
「ごめん、疲れて寝ちゃったんだ」
「もう! 輝明はそういうところがだらしないんだから」
ユリは腕を組んで、ぷりぷり怒っている。俺はそれを左耳から右耳へ流しながら聞いている。
「こんなに言っても、輝明にはちーっとも響いてないんだろうけど!」
「ごめんて」
「今日のご飯おごってくれたら許す」
「いいよ、何でも買ってあげる」
「やった!」ユリは嬉しそうだ。「美味しいもの食べながら、のんびり旅行の計画を練ろう!」
今夜が楽しみ、と言って、しきりにスマホと睨み合いを始めた。車内には、静かにラジオが流れている。
旅行の計画も、ユリに任せている。ユリが好きなところへ行きたい、と言うと、ユリは喜んでスケジュールを組み立て始めた。
真夏だから、どこか涼しいところに行きたい……例えば、北海道、近くなら軽井沢でも……と思うものだが、彼女がしきりに探すのを覗いてみると沖縄のページで、聞こえないようにそっとため息をついた。
「輝明、どんなの食べたいとかある? お肉? お魚?」
「なんでも、ユリが好きなのに合わせる」
「そんなこと言ったら、野菜ばっかりになっちゃうよ!」
「いいねえ。それにちょっと肉厚なのも挟んだりして」
「やっぱりお肉じゃん! いいお店探さなきゃ」
付き合ってからたまにこうして、ユリを迎えに行く。その時に交わされるのは、たいていユリの友達の愚痴だったり、教授のスキャンダルだったりだが、最近はめっきり旅行ばかり。それほど楽しみなのだろう。
「もうすぐ着くよ」大学前の信号が見えてきたところで、ユリにそう伝えた。
「え! 早い。課題見直そうと思ってたのに」
「もう少し早く気付くべきだったね。さて、ここからはちゃんと敬語で話せよ」
「わかってるよ、杉浦先輩」
「いい子だ」
駐車場に着くと、お決まりのキスをして、ユリは先に車を出る。
カーブミラーにその背が消えていくのを確認して、昨日のメッセージを開くと、既読になったまま、後に言葉は繋がっていない。
何度見ても、「それじゃあね」が、冷たく厚い壁のようみたいに見える。
*
◯
「それからどう?」
●
「二年目だし、順調だよ!」
「後輩もできて、しっかりしなきゃ感が増したしね。笑」
◯
「そっか後輩か……」
「じゃなくて、彼氏のこと」
●
「ああ~! 気にしてくれてたんだ」
◯
「当たり前」
●
「そうだなあ、行き帰りに送ってもらったり」
「この間は休みに映画見に行ったよ!」
◯
「そっか。順調なんだね。」
●
「順調……っていうか、そうなのかな?」
「いつも相手に気を遣われて申し訳ない感じ」
〇
「いいじゃん、男なんだから。俺でも奢る」
●
「ええー、そういうの良くない! でも、ありがと!」
「そういえば今度社内旅行で沖縄に行くことになったの」
「それで、自由行動の時に一緒に回ろう、って言ってもらってるんだ」
〇
「じゃあ、仲を深めるいい機会だね?」
「一緒に泊まって、いろいろ深くなっちゃえば」
●
「ばっか! 何言ってんの!」
「男部屋と女部屋に分かれるから、一緒になんか泊まりません!」
○
「変なこと想像したでしょ、やーらしー」
「男部屋と女部屋に分かれるって、みんなで一部屋に泊まるの?」
●
「うっさいわ!」
「変なこと言う方が悪い!」
「そうだよ! 結構大きい旅館なの」
〇
「へえ、そんなところもあるんだ」
●
「まあほら、沖縄って修学旅行生とかも多いし、それ用の宿泊施設もあるんじゃない?」
〇
「じゃあ、学生寮みたいなところなの?」
●
「ううん、ちゃんとした旅館。ヴィラ・フロント……とか言ってたような」
〇
「バッチリ外国語でワロタ」
「海の前なの?」
●
「そう! ビーチも付いてるんだって」
「とっても楽しみ!」
〇
「いいね! 気をつけていってらっしゃい。」
〇
「ユリ、沖縄旅行さ、いい旅館見つけたんだけど……
*
まだ五月だというのに、焦げるように暑い。
ユリに散々島巡りをさせられて、旅館にたどり着いたのち、館内を見ることもなく俺たちは露天風呂へ直行した。ビーチのある見晴らしのいい旅館は、バイト暮らしの大学生には懐に痛い金額だったが、それ相応に広くて、綺麗で、のびのびとくつろげるいい場所だ。
風呂から上がると、島巡りの疲れがどっと体にもたれてきて、帯をしっかり結ぶこともなくラウンジの椅子に腰を掛けた。ユリはまだ全くあがってこないだろう。ユリ、髪も長いしな。
そういえば、あいつはいつもショートだったな。俺が駄々をこねて髪を伸ばしてほしいといって、一時期頑張って肩にかかるぐらいまで伸ばしてくれたっけ。でも、いつも結わいているうえ、結局我慢ならなくてすぐショートに戻したけど。だからあいつは、いつもうなじがよく見えてた。生え際から、肩のライン、その服に隠れない白くてすべすべしたところに口づけたくてうずうずしたもんだ。……俺、うなじフェチなのかな。
椅子は二人が余裕で座れるほど広く、座る部分はクッションが厚めで腰が沈んで、背もたれはそのまま良い角度を維持してくれるものだから、椅子というよりはベッドを彷彿させるようだった。そのまま意識も沈んでいきそうになりながら色んなことを思い出していると、近くの席に男が三人座った。
聞こえてくる会話に耳を澄ませると、会社勤めらしく、日頃の勤務に対するやりとりが交わされている。社会人はだるいなあ……旅行先でも接待しなくちゃならないのか……なんて思っていたら、聞きなれた名前が出てきて目を開いた。
そしたら、目の前に、長い髪の毛で顔が影になったユリがいた。悪そうな顔で「おっ、気が付いた」と言う。
「寝てるから驚かそうと思ったのに」
「ユリが俺を驚かすなんて、千年早い」
「ふふ、それだけよく気が付いてくれるってことかしらん。ね、隣座っていい?」
俺は「いいよ」の代わりに頷くと、ユリは隣の椅子ではなく同じ椅子に押し入ってきた。
「わ、ふっかふかあ」と嬉しそうにいうユリの滑らかな長髪を手櫛でときながら、男たちの声に聞き耳を立てる。
「カネツグ、本当に良かったのか? せっかくなら水端さんと二人っきりの部屋とかにしたかったろうに、幹事に合わせてさあ」
「いいんですよ。せっかくの社員旅行ですし、皆さんとの交流を楽しまなきゃ」
「ったく、お前は人間ができてるよ! 俺なら幹事がなんと言おうと、最終日だけでも二人きりの部屋とらせてもらうね。進展させなきゃ、折角の旅行だぜ?」
「互いの家にも行ってないんだろ? お前奥手なんだと思われるぜ?」
「そうでしょうか。俺は、水端さんも慎重な人だから、ゆっくり理解していけたらいいなと思っているんです。何より、大事にしたい」
「泣かせるなあ! お前まだ二十六だろ? この間まではあそこのカップルみたいな大学生だったろうに、大人びてまあ」
ユリは俺のだらしない浴衣を軽く整えて、抱き着くようにもたれていた。何も言わず、互いに温まった体温を交わし合っている。
声だけだが、カネツグという名前は覚えた。絶対に、忘れない。
そんな時、聞きなれた声が後ろから聞こえた。透き通るような、それでいてよく響く声。
「あ、浅田さん」
「水端さん」
反射的に軽く振り返った。そこには少し髪の伸びた彼女が立っていた。見ないうちに、綺麗になっているような気がする。温まって火照った頬が色っぽくて、浴衣から見える鎖骨にも目を奪われた。
「お、噂をすれば水端さん」
「え、先輩方、私の噂していたんですか?」
「あたりまえじゃん! 今日の社員旅行の話題は新しいカップルのことでもちきりよ」
「やだなあ、あんまり冷やかさないでくださいよ。恥ずかしいです」
「なにをう? せっかく若いのが楽しくしてるのに話題にしないでいられるかよ」
「お前たちもあの大学生くらいの熱々っぷりを見せてくれよな」
その時、俺はいろんな感情が胸にくすぶるのを感じた。俺じゃない誰かの彼女だという美樹。久しぶりに姿が見れてこんなに嬉しいのに、なんで、お前の隣は俺じゃないんだろう。
沈んだ気持ちでユリを見ていると、「どうしたの?」と声をかけられる。背が小さくてすっぽり収まっているユリが見上げると、そのままキスができそうな距離であることがわかる。
俺の中の悪魔が頭をもたげた。
「なんでもないよ。今日は疲れたなって」ため息をつきながら、心なしか大きな声で言う。
「もおー、おじいちゃんみたい」
「おじいちゃんじゃねえよ。でも、年上なことに間違いはないな」
「ふふ。でも楽しかった」
「そうだな」
そして、俺はそのままキスをした。
まだ視線が注がれている感覚がある。角度を変えて口づけすると、ユリは嬉しそうに求める。
ちらと目をやると、あいつもこちらを見ているのがわかった。
どう見ても気付いている。――そりゃそうか、声がして、見てみりゃ高校からほとんど姿かたち変わってないのがいるんだもんなあ。
キスをする合間に何度も見てしまう。気づいて、驚き、またあの表情をしている。
――俺が、あいつと別れた後にできた彼女と手を繋いで帰った時に見せた、悲しみと絶望を湛えた揺れる瞳。わなわなと震える唇。
ああ――なんて快感なんだろう。あいつが俺で傷つく様は、なんでこんなに身を震わせるのだろう。
唇を離すと、ユリが切なそうに声を出す。ユリは可愛い、それは本当。
でも俺の耳は全然違うところに意識が飛んでいて、甘えた声で小さく囁いた声は届かなかった。仕方なく適当に相槌を打つ。
遠くで、俺の名前を微かに呼ぶ声がして、背筋がゾクリとする。
ああそうだよ、美樹。お前の目の前にいるのは、まごうことなき、俺だよ。
「やっだなあ……先輩方は俺にあれをやれっていうんですか?」沈黙を破るように男の声が聞こえる。
「もう俺も若くないし……なんだか照れちゃうな」
「若くないって、俺たちに比べりゃずっと若いよ、若造だよ」
「またまたあ、それに盗み見てるなんて人が悪いですよ。さっさ、食堂行きましょう! 今日はどんな料理が出るのかなあ。ね、水端さんも行きましょ」
「え、は、はい」
バラバラと、遠のく足音。見ると、浴衣の団体が食堂の方へわらわらと向かっている。
その中で見えてしまったのは、髪を横に流したあいつの肩にそっと手を置き、笑顔で何か話しかける男。あいつの表情は見えないけど、きっと笑っているのだろう、声が明るく戻っていく。
ガラガラと何かが崩れた。現れたのは、泣き出しそうなほど傷ついた丸裸の俺。
そうか、俺は美樹に頼ってほしかったんだ。先輩として引っ張っていってくれることに甘えていたけど、甘えられることなんて全然なかった。でも、今目の前にいるあいつはどう? 俺じゃない男に肩を寄せられ、慰められ、笑っている。
俺はできなかった。あいつに与えてもらうことはできても、あげることは。
――いや、できるじゃないか。
現実を見せつけられて思考停止になりかけた俺に、悪魔が囁いた。
お前には、彼女を〈傷つける〉ことができる。その傷は、お前だけのものなのだ――と。
ユリが腕の中で何か言っている。でも、そんなことはどうだっていいぐらい、晴れやかな気持ちだった。
「ごめんごめん、ちょっとうっとりしてた。部屋、戻ろうか」
「もう! 仕方ないんだから」
今日は早く寝ようね、と小動物みたいにユリがいう。
*
「今日から営業二課に配属になりました、杉浦輝明です。よろしくお願いします」
他の新人に続けて挨拶をすると、パチパチパチと拍手される。不思議と、緊張はしていない。
数日間の新人研修ののち、やっとそれぞれの課に配属になる。なんと運のよいことに、俺は浅田兼次の下に就くことになった。
「よろしくな、杉浦くん」そういって、浅田さんは俺に手を差し出した。今時、握手から入るなんて古風な人なんだなと、心の中で笑いながら、俺は笑顔で「よろしくお願いします」と返した。
入社してすぐに、俺は浅田先輩と美樹の話に触れることになった。この穏やかなカップルは社内でも随分有名なようで、交際も無事二年目に突入、穏やかに流れる二人を周りは微笑ましく見守っているらしい。
公認なだけあって、社内で会うと隠すことなく二人で会話するのをよく見かける。廊下でばったり会ったり、休憩室で一緒にお茶を入れていたり、たまにお昼を一緒に過ごしているのも見た。
浅田先輩は優しく人当たりがよく、その穏やかな性格で社内外から親しまれている。俺から見ても本当に「良い人」だ。
二人で営業から戻ってきたとき、美樹に会った。彼女がプレゼンで会議から出てきたときに、出くわした。美樹は俺を見てすぐに気づいた。
「輝明、就職ここだったの?」と、とても驚いていた。就職が決まったとき、会社までは伝えていなかった。驚かせようと思ったから。
「あれ、美樹知り合いだったの?」
「そうなの。高校の時の後輩」
元カレ、とはさすがに言わないか。チクリと胸を刺したが、気にせず「久しぶり」と声をかける。
「もう、言ってくれればよかったのに。水臭い」明らかに不満そうにする美樹。すぼめた唇が、グロスで艶めいて色っぽい。
「いや、美樹の仕事先も知らなかったから」と、俺は平気で嘘をつく。
「あれ? 下の名前で呼び合う仲なんだ」
「え、いやまあ……」と明らかに困る美樹。「もう、先輩って呼んでって言ってもぜんぜん聞かないからこいつ……」
「だって、この方が呼び慣れているので。でも、会社ではちゃんと呼びますよ、水端先輩」
「なんだか妬けるなあ」その素振りも全くない浅田先輩。よっぽど余裕なのだろう。
「そうだ、美樹、こいつ俺の下に入ってきたんだよ。ちょうどいいし、今度三人で飲みに行こうぜ? こりゃ、昔のことが聞けて楽しそうだ」
「それもいいですね、私も久しぶりに杉浦くんと話がしたいかも」
「嬉しいです」杉浦くん、と呼ばれて距離を置かれたと自覚する。だから、少し意地悪をしてやりたくなった。
「是非ご一緒させてください。それに、水端先輩とは久しぶりにさしでも飲みたいです。あんまり聞けない色々も聞きたいですし」
「えっ」と、美樹は明らかに動揺した。縋るように浅田先輩を見やるが、浅田先輩はと言うと「いいんじゃないか」と快諾してくれた。
「それじゃあ今夜とかどうでしょう、俺今日は居残らないつもりなので」
「お、思い立ったらというやつだな。行動力のあるやつは好きだよ。美樹はどう?」
「私も……まあ今日は何事もなく帰れる予定」
「じゃあ決まりですね」俺はニコリと笑って見せる。「久しぶりに懐かしい場所で飲みましょうか、またあとでメッセージ送ります」
美樹は返事をするものの、とても警戒している様子だった。
それじゃあ、と手を振る余裕な浅田先輩について俺も自席に戻る。報告をまとめる傍ら、スマホを取り出してお店の予約をした。
俺と美樹の家に近い、個室のお店を選んだ。
そのお店は広い座敷になっているのだが、テーブルごとに仕切りができるようになっている他に、カラオケのような完全に個室になっているところもあって、俺は後者を予約した。
美樹とは店の前で待ち合わせをした。待っている俺を見つけると、美樹は小走りで駆け寄ってきた。カツカツと鳴る靴の音が、彼女が社会人であることを実感させる。
「ごめんね、待った?」と謝る美樹に、そんなことはないよと優しくエスコートして部屋に入った。
メッセージを送ることはあっても、こうやって会うのは高校生以来というほど久しぶりだった。もちろん、お酒を飲むのも初めて。
美樹はビールに始まり、日本酒、ワイン、焼酎……となんでも飲むことができた。最初はどこか固かった美樹も、お酒の力が相まってか、次第に以前のような気軽さで話してくれた。
仕事や大学の話をしているうちに、美樹は前の彼女の話に触れた。
「ああ、いろいろあって夏が明けたころには別れちゃったんだ」と俺があっけらかんというと、美樹はそれ以上突っ込んで聞こうとはしなかった。
旅館で出くわした後、美樹はそのことについて何も触れなかった。それからも、変わらず季節の変わり目には俺から連絡を取って、誕生日はささやかに「おめでとう」と打った。
「美樹のほうは順調そうだね。社内でもとても有名で驚いた」
「もう恥ずかしいったらないよ……」美樹は照れている。それだけなのに、俺の中でメラメラと悪い気持ちが沸いてきた。
「先輩とはどこまでしたの?」
「は? ……え?」明らかに動揺する美樹。俺は酒をもって立ち上がり、隣に腰を掛ける。
「もうさすがに互いの家には行ったんだよね?」
「いや……うん、まあ」近づいたことで、引き気味になる美樹。何杯もお酒を飲んでいたので、目がうつらうつらとしている。それでも必死に俺を見ようとするのが、可愛くて仕方ない。
「そっか……じゃあ、もうこんなキスもしたよね」
そういって俺は美樹の頭を掴むと、深く深く口づけた。何か言おうと口を開いて、そこから吐息が漏れて、それがまた俺の気持ちをくすぐるから、止められなかった。
もがく腕には全く力が入っていなくて、どんなに押されても片腕で十分に抑えられた。しばらくして離れると、ウルウルした瞳に俺が写っていた。
「何するの!」と彼女は精一杯怒った顔をして見せた。でも、そんな顔も可愛い。
「あーあ、不倫? 浮気? に、なっちゃったねえ」と、酔ったふりをして耳元でささやく。
「ちょっと、酔い過ぎ」と避けようとする美樹の腕は全然力が入ってない。
「美樹、耳弱いの? 知らなかったなあ」俺はわざと、後に残るような話し方をする。「浅田先輩に言う? でもそしたらさあ、美樹が俺とキスしたこともバレちゃうよね」クスクスクス、と聞こえるように笑う。
「言えないよね。二人だけの秘密、にしようか」
美樹はうんとも嫌とも言わなかった。でも、その悔しそうな目がたまらなくて、俺はしばらく美樹を見つめていた。
*
その日から、俺はことあるごとに美樹にスキンシップを図った。廊下で会えば声をかけ、休憩室で二人になればボディタッチをしたりもした。そのたびに、ビクッとする美樹の表情が、いつもたまらなくて病みつきになった。
ちなみに、浅田先輩と交えて三人で飲みにも行った。その時はさすがに先輩のいる傍で何かをすることはできなかったけど、心なしか美樹が引きつり笑いをしているように見えて、心が震えた。
夏が近づいて、皆が薄着になったころ、休憩室でばったりと美樹に会った。久しぶりに二人きりになって、俺が「こんにちは、水端先輩」と声をかけると、美樹はよそよそしく挨拶を返した。
「もうすっかり衣替えですね。女性は半袖になることができてうらやましいなあ」
「そうかな。男性だってクールビズ用のジャケットとか販売されてないっけ?」
「まあ、一応そういうのを着てますけどね、着て暑いことには変わりないです」そういって、俺はジャケットを脱いだ。
まだ冷房が本格的に効いていないだけあって、社内は蒸すような暑さだった。冷蔵庫を開けて、自分の飲み物を取り、コップに注ぐと一気に飲み干した。
ふと目をやると、美樹はコーヒーをアイスにして冷ましていた。わざと俺と目を合わせないようにしているのがわかる。一言二言会話を交わすと、美樹はそのまま休憩室を去ろうとしたので、とっさに俺は腕を掴んで止めた。
「美樹、ちゃんとこっちを見てよ」と俺はわざと冷たく言い放つ。
ビクッと震えた美樹は、ややあってコップを置くと、少しずつ振り返り、訝し気に「何?」と言った。「仕事場ではちゃんと先輩って呼んでって言ったじゃん」
「そうだったね、ごめんね、水端先輩。許して?」
にこりと笑うとそのまま腕を引っ張って抱きしめた。薄着になったので、前よりもずっと近い距離で美樹を感じることができる。
「ちょっと!」と言う美樹に、指を立てて静かに、と伝える。
「いいの? もしこれで人が入ってきたら、俺と先輩が抱き合ってるの、バレちゃうよ?」
「……最ッ低」
きっと凄く悔しい顔をしているんだろうけど、なんだかんだ大人しくする美樹。その固まった腕にそっと触れて、少しずつ肩へと伝い、半袖の中に手を忍ばせていく。肩に触れるか触れないかの時に、美樹は身をよじったけれどもう遅い。そのまま素肌の肩を抱く。指にブラ紐の感覚が当たる。そのままズラしたらどうなるんだろう……っていう好奇心で頭がのぼせそうになる。
「やめて」と美樹は冷たく言い放った。
「それでやめるはずないって、わかってるくせに」
紐に沿ってなぞると、美樹の身体がびくびくと震える。
「後輩が手を出してるっていうのに、大人の余裕ぶってる浅田先輩は、何も助けてくれないね」
「陰でこそこそやってることなんて、気が付くわけないじゃない」
「こそこそやってる、っていう自覚あったんだ」
「一緒にしないで」
「一緒でしょ? じゃなかったら、浅田先輩にチクれよ」
美樹は黙った。黙って、俺の腕を振りほどこうとやっきになってる。
可哀想で、ニヤケが止まらない。俺は美樹が優しいのを知ってる。知っていて、俺はこんなことを言うんだ。
「本当は、俺と一緒にいるの、悪くない、って思ってるんでしょ?」
「違う!」美樹は語気を強くした。
「そうなの? ねえ、でも本音はどう?」美樹にまとわりつくように、話す。「美樹は本当はもっと恋人らしくしたいんじゃないの? 熱いキスをして、痺れるような抱擁をして、溶けあうのを夢に見てない?」
「違う……」
「そんなこと、浅田先輩はしてくれるのかなあ。大人の付き合いと思っているあの先輩が」
「浅田さんはあなたとは違う」
「違うよ? だから、美樹はどっちがいいの? 手を引いてエスコートするあいつ? それとも、会えばいつだってゼロ距離でお前の全てを奪おうとする俺?」
「そんなの……!」と答えようとする美樹の唇を奪う。
別に答えなんかわかってる。そんなの求めてない。だから、聞く必要もない。
ことあるごとにキスをすると、美樹は次第に応えてくれるようになった。本当は嫌々口を押し広げられているのだとしても、交わされるものは恋人のそれと同じ。
ただの恋人では得られない背徳感で味わえる、自傷の切り傷みたいなこの快感が、俺はたまらなくて、中毒みたいに何度も何度もしてしまうのだ。同じように、美樹もどんどん傷ついて、傷だらけになってしまえと思いながら。
「ねえ美樹、考えてみてよ」
蕩けるようなキスをしながら俺は問う。
「いつか浮気がバレて、互いに会社から勘当されたみたいな扱いを受けたい? それとも、早く先輩から手を切って、してしまった行いを正当化したい? どっちの方が、いいと思う? どっちのほうが簡単に楽になれると思う?」
美樹は何も答えない。何も答えられない。
「こうやって今も俺に応えてくれてるよねえ……応えてくれるってことは多少なりとも俺に気持ちが傾いているんでしょう、違う? それは立派な二股だようねえ。清純さがウリみたいな美樹には似つかわしくないよねえ。いいのかなあ? そんな中途半端な状態でさ」
美樹の頬に涙が伝う。
「ほら、もう楽になっちゃいなよ」俺はその涙を拭きとる。
悔しいような、悲しいような、憤りのような、感情がぐるぐる渦巻く美樹の顔。歯をかみしめて、また今にも泣きだしそう。
「大丈夫。俺はいつだって味方だからね? 水端先輩」
そういって、俺はニコリと笑うと、先に休憩室から出ていった。
夏になる前。営業でうだりそうな帰り道、美樹と距離を置くことになったことを、浅田先輩から直接、俺は聞くことになる。
*
社内の雰囲気は悪くない。あんなお似合いだったカップルがどうして距離を置くようになったのか、この手の話題に飢えている連中は引きずり回して真相を解明しようとしてる。もちろん、俺も原因を疑われているけれど、浅田先輩と仲良くしているおかげで、二人の仲を裂くような悪いやつというレッテルは免れた。
もちろん、美樹とは会うたびに相変わらず恋人みたいに触れ合っているけれど、俺らはまだ恋人じゃない。
ちなみに、俺はどちらから距離を置く話を切り出したのかも知らない。美樹かもしれないし、最近怪しかった美樹の言動を不審がった浅田先輩かもしれない。どちらにせよ、いい気味だ。
美樹の俺に対する視線は相変わらず冷たい。でも最近は、その中に縋るような瞳の揺れを感じるようになった。
そうだよ――今の美樹を受け入れてくれるのは、俺しかいないのを早く自覚して。傷ついて引きずり回されて、ボロボロになって、俺だけを頼りにしてくれればいい。俺はいつでも助けてあげる。だから、早くここまで堕ちておいで?
それまで俺は「また、明日ね」と、必ず君に言うから、ね?
狂人が書いてみたかった。反省はしていない。
何より、主人公が自分が狂っていることを分かりながら、それでもいいとしてしまうあたりが推しです。
……なんだ、推しって。こんな人がいたら絶対関わりたくないですね。
ヤンデレは8割ホラーかなと思います。ヤンデレって引いて出てくるのは刃物持ってること多いですしね。
そのホラーな部分が少しでも描けていたら嬉しいです。
何より突っ込みたいのは、浅田先輩もっと頑張れよ!!!ってことです。
こんな彼氏も嫌だよ。美樹ちゃんがこうなってしまった原因も彼にある。
狂人の話でしたが、美樹ちゃんが堕ちた後もちょっと気になってきたりして、気が向けばアフターとか描くかもしれませんが良しなに。
それではまた、どこかでお会いしましょう。またね。




