後編 ★
昇降口で靴に履き替えていると、梨本がまた覗き込んで来た。
「顔赤いな、大丈夫か?」
声のトーンが少し低い。やばい。声まで良い感じに聞こえて来た。
「だ、大丈夫だよ!」
「ほんとか? 保健室に行くか?」
「今日は目が青いからそう見えるだけだって!」
「ええ?……そういうモン……か……?」
「そうそう! だってクリームパンをもらったから元気だし!」
「食いしん坊かよ。しんどかったらすぐ言えよ」
梨本の手が、私の頭をポンポンとする。
大柄女子の私が立ってしまえばポンポンできる人は限られる。父ちゃんや親戚以外には……梨本だけだ。
「梨本こそ、今日は私が騎士なんだから辛かったら言ってね。おんぶくらいできるし!」
「それは勘弁してくれ」
「何で? 酔いつぶれた父ちゃんよりは軽そうだけど?」
「目測で体型確認するな!」
梨本くらいなら背負うのも楽そうとじっと見ていたら、きゃーっと言って梨本は両腕を自分の体に巻き付けた。……ぶふっ!
「きもっ」
「お前ん家のプロと比べるなよ、貧弱な気がするだろ」
いつものやり取りに少しホッとする。並んで歩いても、もう心臓がドクドクしない。
良かった。
駅に着くと梨本がチラチラと見られる。
本人は全然気にならないようで平然としているけど、私がちょっと嬉しい。
「ねぇねぇ、あそこら辺の女子が梨本を見てるよ?」
は?と梨本がそちらを見ると小さくキャアと聞こえた。おおっ、梨本がモテてる!
「……青い目の暁を見てるんじゃねぇの? 俺が見られてる気がしないけどな」
そういえば眼鏡の度が合ってないんだっけ。梨本が彼女らの方を見たから上がった歓声だよ。
「だからカッコイイってば。洋子と舞佳も言ってたじゃん、信じなよ」
「そうか? 暁の顔もろくに見えないし、もう掛けたくないなぁ」
おっとそれはどういう意味? やめてよね!ときめいちゃうでしょ!
「……大丈夫か?」
また挙動不審になった私を梨本が覗き込む。大丈夫じゃないよ! トキメキ乙女みたいになりそうなのを全力で阻止してるところだよ!
声も出せずにこらえていると、梨本がホームのベンチに誘導してくれた。優しくしないで、心臓が飛び出しちゃうよ。なんなのこのイケメンは。
梨本め!
どうにも恥ずかしくなって、ベンチに座ると同時に両手で顔を覆うとホームに電車が入って来た。私たちが乗る電車だ。
ホームに電車の音が響く。小声なら聞こえないくらいに。
「いいなぁ、梨本の彼女になる人は……」
小さく小さく声に出すと、少しだけスッキリした。
梨本は大事な友達。洋子と舞佳と同列だと思ってた。
髪がボサボサでも坊主でも、一緒にいるのは心地良い。だって梨本が梨本なのは変わらないから。
見た目がカッコ良くなったって、今日もいつもの梨本だ。
今頃梨本を特別に好きだと自覚しただけ。
……うん。それ以外はいつも通り。
電車のドアが開いて人が動く気配がする。もう立たなきゃ。これに乗るんだから。普通に普通に。
と、左の手首を掴まれた。
びくりと顔を上げると、目の前に梨本がしゃがんでいた。
「今、何て言った」
何て言った、って、何が聞こえ………………て!さっきの聞こえたの!? 嘘でしょーーっ!?
動揺が過ぎてそのままピキンと固まる私の隣に梨本が座る。手首は掴まれたまま。
ドアの閉まる音がして乗るはずだった電車が発車。人の気配も遠ざかって行く。
ホームにはもう私と梨本しかいない。
「まさかここまで効果があるとは……」
誰もいなくなって静かだからか、梨本の独り言もはっきり聞こえる。コウカ?
「なぁ、暁」
隣に座って正面を向いたままに梨本が喋るのを、ちらりと見る。ちょっと憮然としてるのは何か怒らせたのだろうか?
「は、はい……」
今日の私は挙動不審過ぎるよね!一緒に歩くには怪しいよね!カラコンだしね!
今日のお前はバカっぽいなと言われるんじゃないかと身構える。
「そんなに眼鏡男子が好きか?」
……は?
「え、え~と……? 眼鏡を掛けた梨本はカッコイイと思うけど、眼鏡男子を好きなわけじゃない、よ……?」
こちらを向かない梨本にビクビクしながら正直に答える。
「俺は、青い目よりもいつもの暁の方がいい」
梨本が顔だけこっちを向いた。なぜか視線は向こうの方を見てるけど。「いい」という単語に勝手にドキリと心臓が鳴る。
「……と言ったところで、暁である事には変わらないんだけどさ、」
うわ……梨本も同じ事を考えてた?
「いつもより注目されてるだけで腹が立つ」
ん? 私、怒られてる?
「というわけで」
え?え? ちょっと待って、何がというわけなのかさっぱりなんですけど! 怒られるの?ナンで!?
ッ!? 待って!今!目を合わせないで! 心臓が出ちゃう!タイム!ロープ!
「彼女になってくれたら、しばらく眼鏡男子をしようと思う」
目線を外せなくてパニクっていたら、梨本はとどめを刺しに来た。んんっ!と咳払いをして。
「……暁が、喜ぶなら……少し早起きする」
梨本の顔が、赤い。見たことないくらいに、真っ赤。
「な、しもと、かお、あかい、よ……」
初めて見るものと、思いがけない事を言われて、頭がうまく働かない。
「……そうか……まあ、恥ずかしいからな……」
やばい。心臓が顔に移動してきたみたい。顔がドクドクしてる。
私が喜ぶならって言った? しばらく眼鏡を掛けるって言った?
……か、彼女になるならって、言った……?
恥ずかしい、って、え、冗談じゃないの?
なりたい。梨本の彼女になりたい。……だけど……うぅ……言ってもいいかな……
「わたし、さっき、梨本を……す……好き、だな、って……自覚した、ばっかりだよ……?」
「………………………………………………………………………………………そう、か」
梨本は私の手を掴んでない方の手で口元を押さえて俯いた。ご、ごごごごごめん!こんなの聞いてごめん!!
だって!
「き、急、展開に、ついて、行けない、ん、ですが……」
さっきから心臓が顔から飛び出しそうだよ。
「………………そうか……じゃあ……彼女になってもらうのはしばらくおあずけか」
「ええっ!」
おあずけって、無しになるって事!?
「何でそんなに驚くんだよ。暁がついて行けないって言ったんだろ」
「だって! さっきの今だし、自分で分からなくて、明日、眼鏡無しの梨本に会ってから考えようって……」
めちゃくちゃだ。恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて自分の馬鹿さ加減に涙が出そう。
「じゃあ明日」
掴まれていた手が離された。解放された手首がひやりとする。その一瞬がとても寂しい。
「仕切り直す」
手のひらと指に熱いものが触れた。
それは、梨本の手。私の指の間に梨本の指がある。ぎゅっとされると手がちょっと苦しい。
それが、嬉しい。
「今日は、俺が暁を家まで送る」
「え、でも」
「眼鏡の度が合ってなくたってそれくらいできるし、えーと、そばにいたい」
赤い顔の梨本。沸騰した頭でも何でそうなのかは分かる。
―――嬉しい。
「……へへ」
締まらない顔をしても、梨本は微笑んでくれる。
手を、ぎゅっとした。