中編
「う~……しんどい……」
ぼそりと隣から聞こえたのは二限目終了のチャイムが鳴った時。
そういえば度数が合ってないって言ってたっけ。
「黒板見えないの?」
「ギリギリ見える。でも文字がぼやけて来た」
梨本は眼鏡を取って目頭を揉んでいる。合わないと本当にしんどいんだよねー。
「もう保健室で寝てたら?」
「それもなぁ……あ、垣原に席を代わってもらえるか聞いてくるわ」
あぁ、その手があったか。梨本は眼鏡を戻すと、教卓手前の垣原君のところへ行った。垣原君が頷くと梨本は両手を合わせた。OKか。
もう隣にいないのか……なんかつまらないなぁ。あんなカッコイイ梨本なんて今日だけなのに。
「おやおや、熱心に見つめていますねぇ」
「まあまあ、そっとしておきましょうよ」
洋子と舞佳がニマニマとしてた。
「? うーわ、二人とも悪い顔」
そう言ったら左右からほっぺをつままれた。何で!?
「おー、よく伸びるなぁ」
戻って来た梨本が笑う。うるひゃい!左右同時だと結構痛いんだぞー!
「梨本君はどれくらい見えてるの?」
やっと離されたほっぺを両手でさすっていると舞佳が梨本に質問。ノートを取ってる姿はいつもと同じだったから黒板が見辛いとは思わなかった。
「今? 伸びた暁の顔は見えるよ」
「そんなのばっかり!」
にやりとする梨本に洋子と舞佳も笑う。
「良いもの見たでしょ?」
洋子、何をもって良いものなのか説明せよ。
「暁は眼鏡がないとよく伸びるんだな」
「そんなわけあるかぃ!」
むきー!とやったら、梨本はなぜか眼鏡を外した。
あ。いつもの梨本だ。でもいつもよりはるかに髪型が整っているのが不思議。なんだ眼鏡がなくても似合うじゃん。お姉さんスゴイなぁ。
ぼんやりと見ていると梨本は私を見つめていて、ハッとした。そして梨本の眉間にしわが寄る。なによ?
「あー、これでも暁って分かるわ。青い目ってスゲー」
……は?
「じゃあ、今日は何か困ったら桃子にやってもらいなよ」と洋子。
「何なに? 俺が手伝おうか?」と垣原くんが次の現国セットを持って来た。
「そーな。誰かと間違うのも嫌だし、今日は暁をこき使おう」おい梨本!眼鏡があればそこまで必要ないでしょ!?
「桃子は今日一日騎士様ね!」うふふと舞佳。キシサマって何!?
何だ?何でこうなった?
梨本に冗談でしょと目で訴えたら、
「良きに計らえ」
と鼻で笑って垣原君の席に行ってしまった。
「「「 頑張ってね 」」」
え、垣原君までそう言うの? ……何この団結力?
昼休み。
席に戻って来た梨本が五百円玉を私の机に置く。
「というわけで、コロッケパンとメンチカツサンドとダブルクリームパンを買って来てくれ」
梨本はそう言いながら自分のリュックから弁当箱を取り出す。
「弁当があるじゃん!」
「別腹」
「女子か! くっ、それを言われると買わねばなるまいよ……パシリ騎士行ってきます! 洋子と舞佳は先に食べてて」
今日は仕方ないかと、洋子と舞佳に見送られて購買に向かった。梨本は私より食べるくせに全然太らないなぁ。男子羨ましい!
目当てのパンを全て買って、自販機で見つけたら飲みたくなった紙パックのイチゴ牛乳も買って教室に戻る。まずは垣原君たちといる梨本にパンを届ける。
「暁桃子、戦場より帰還いたしました~」
「うむ、ご苦労」
偉そう。もうちょい労ってよ。昼の購買部なんて戦場だよ!
私が大好きなダブルクリームパンを食ってやろうか!と内心ぶちぶちしながらお釣りとパンを一個ずつ手渡していると、
「ダブルクリームはやるよ。それ好きだろ。ありがとな」
梨本は微笑んだ。
いつもの笑顔だ。口の形が一緒だ。
ただ、髪に隠れたいつもより表情がよく見えるだけ。坊主の時とも同じはず……なのに。
「……あ、ありがたき幸せ~」
やばい。足が震える。心臓がドクドクしてる。
分かってる、梨本がコロッケパンを一番好きなのを私が知っているのと同じ事だということは。
ふわふわと、ちゃんと歩けているか分からない。洋子と舞佳の待つ席に着く時、椅子にどっかりと座ってしまった。お弁当を食べていた二人の箸が止まり、目が丸くなる。
「だ、ダブルクリームパンもらったよ、わけっこしよ」
イチゴ牛乳のストローをビニール袋から出せないでいると、見かねた舞佳がやってくれた。ありがと……
「大丈夫?」
洋子が心配そうに聞いてきた。……え、と、何が……?
「桃子の顔、真っ赤だよ?」
………………まじ?
それからの授業は梨本の背中ばかり見ていた。……気がする。
いつもと違うのは髪型と眼鏡だけじゃん、普通に好きだよ友達だもん、あ、板書しなきゃ、急に意識してる自分がチョー恥ずかしいわ、ぎゃあああ先生待って待っ……あぁぁぁ……
「梨本め……」
半分も板書できなかったノートに突っ伏して小さく八つ当たり。
「俺がなんだよ」
「いいえ!何でもないでございますです!」
慌てて起きたら口にまで勢いがついた。もうやだ!ヤダモーッ!
「ははっ、変なの」
梨本は垣原君と席を代わり、帰り支度をしている。
……うんもう帰ろうすぐ帰ろう! あとはホームルームだけだし、終わったらすぐさま帰ろう! 今日は色々もう無理! 心臓がギュンギュンし過ぎる!
こんなに苦しくなるなんて。
明日、コンタクトに戻った梨本を見てから、この気持ちに答えを出そう。
今日は色々落ち着かない。
と。
目の前に梨本のアップが現れた。
ッッッ!?
「どうした?終わったぞ? 帰ろうぜ騎士サマ」
ふあっ!? ホームルームいつ終わったの!? うそ何も覚えていないんだけど!? てか梨本と一緒に帰るの!?
「よ、よよよ洋子こことととままま舞佳かかかかととと」
「何の呪文だ?」
テンパって言葉にならないでいると隣に洋子が立った。洋子おおおっ!
「私と舞佳は先生に呼ばれたから、桃子は梨本君と先に帰ってね」
……は?
「二人いれば間に合うって先生が言ってたから、騎士様は梨本君についててね!」
ええ~、って舞佳の笑顔の圧が凄い! これは言う通りにしないといけないやつだ……ええい!
「頑張って梨本を送り届けます!」
こうなりゃヤケだ! 一時間くらい耐えろ私!
敬礼っぽく片手をおでこにあてると、洋子と舞佳も同じ格好になる。
「「 健闘を祈る! 」」
「ぶっ。何ごっこだよ」
梨本はもう笑うな! キュンキュンするから!