5話
「あのケーキを渡そうとしたヤツを忘れられない?」
―――これは、回避できない。私にはここを誤魔化せるスキルがない。
八巻君はいい人だ。
失恋したてだったのに、すぐに毎日が楽しくなった。
あんな、いかにも失恋しましたな状況に少しも触れずにいてくれた。
八巻君じゃなきゃ―――泣いていた私を見つけてくれたのが八巻君じゃなかったら、また誰かを好きになんてなっていなかった。
ぐ、と手を握りしめる。
「え、と、八巻君と会えた理由だから、完全には忘れられない……かな」
気持ちを伝えるチャンスだとわかっていてもヘタレてしまった。自分の往生際の悪さに逆に感心する。でも、告白にすごく勇気がいるのを知っている。なんたって前は一年もかかった。
「……んん?どゆこと?」
素で首を傾げる八巻君。
だよね、ごめんね、私もまだ混乱してて。
でも、本当に八巻君が美香先輩と付き合ったら、告白なんてもう絶対にできない。
でも。
告白しても結局フラれるのなら。
きっと、今が最初で最後のチャンスだよ私。
「八巻君に、彼女ができたら……作ろうと思ってたの」
「え、俺に彼女?なんで?」
八巻君のスニーカーのつま先を見つめる。
声が震える。
「わ、私に、とっては……し、失恋の、ケーキだから……それを、食べて、気持ちを切り替えようって、思ってて「好きだ」」
思わず顔を上げると、八巻君が真っ赤になっていた。
「俺は小田望が好きだ。正直彼女になってもらってもどうしたらいいかさっぱり分からないけど、今、俺の目の前にいる、君が好きだ。だから、」
さっき、調理室の窓越しに見た表情に、体が、震える。
「コーヒー味のあのケーキは俺にちょうだい。失恋ケーキじゃないって、告白されたケーキだって俺が上書きする」
ああ―――八巻君。
「そしてできれば俺と付き合ってください!彼女になってください!俺を彼氏にしてください!そして毎日何かしらを食わせてください!誕生日に俺だけのケーキ焼いてくれたらもう思い残すことは―――いや、あるな、めっちゃある」
八巻君の怒涛の言葉に、強張っていた体が楽になった。そのぶん顔は赤いと思う。
八巻が真っ直ぐに見つめてくれる。
「望とやりたいことと、望にしてあげたいことがいっぱいある。まずは『望のお菓子が力になった証明をする』。絶対に県大会に行くから」
そう言うと、八巻君はグーにした右手を出した。
「俺が望の自信をつける。だから、はい」
グータッチ。それは、夏休みの時の部活でよく見た、八巻君たちの間で気合いを入れる時の仕草。
気合い……私の気合いは。
「うん。応援する」
右手をグーにして、八巻君のグーにちょっとだけ触れた。
恥ずかしくてすぐに引っ込めてしまったけれど、八巻君はいつものように笑ってくれた。
「自信なさげな望も可愛いけどね〜」
…………反応に困るよ、八巻君……
✳
本当に県大会出場が決まった。
負けたら終わりのトーナメント戦を危なげなく勝ち進み、決勝戦こそ僅差だったけれど優勝。
なんと決勝点は菅井君が決めたそうだ。
「俺の!アシストが!良かったから!」
「そうだけど自分で言うなよ」
試合終了後、打ち上げをしてから家に帰り着いた途端に寝ちゃったらしい八巻君は、月曜日の今日、菅井君を連れてちょっと涙目で訴えてきた。
観覧人数の制限があったため応援に行かなかった私に、試合の夜に結果を詳しく教えてくれたのは美香先輩。顧問と保護者含めた焼肉打ち上げ中に「勝ったよ!」とものすごい量のメッセージをくれた。読みながら実況のような内容に感心すると同時に怪我なく終わってホッとした。
八巻君はお腹いっぱいで寝落ちして私に連絡できなかったことを何度も謝ってくれた。そんなことより県大会に出ることをめいっぱい誇ってほしい。
受け付けたリクエストケーキは、八巻君がコーヒー味のシフォンケーキで、菅井君がチョコチップ入りのバナナケーキ。
菅井君はこれがお気に入りなんだねと言ったら視線を逸らし「いや、美香先輩のお気に入り」と耳を真っ赤にした。リクエストケーキはお祝いなのでラッピングをする予定でいたけれど、リボンは色違いにしよう。
「菅井君のは赤いリボンにするね」
「あー……ありがと小田ちゃん」
美香先輩の持つ小物は赤系が多い。「赤って燃えるし萌える」と言っていたし、実際美香先輩は赤が似合う。もちろん他の色もしっかり似合う美人さんだ。
そっか……菅井君てそうなんだ……美香先輩はどうなんだろう。女子同士だけど恋バナはほぼしないから、美香先輩は八巻君に告白されたら付き合うだろうと、ついこの間まで勝手に想像してたけど……
菅井君の片思いを応援したい、それはそれとして、私としても美香先輩にお菓子を喜んでもらいたい。
「まあ、小田ちゃんの手作りをプレゼントしようってのが情けないけど、小田ちゃんのお菓子を食べてる時が可愛いんで……」
「おい菅井、小田ちゃんも口説こうとしてんのか」
「うっせこの大馬鹿天然アホヘタレ唐変木」
「トーヘンボク!?はあっ!?今のやつ半分はお前も当てはまるからな!」
「半分?ヘタレだけは認めるよ、アシストくん」
「おまっそれっ!チクショー!俺の決勝点〜っ!」
「じゃあ小田ちゃん、暇な時でいいんでお願いします」
「了解です」
「菅井に笑顔なんて見せなくていいから〜!」
そうして八巻君は菅井君に、えーとなんだっけあの技……あ、ヘッドロックをされて連れて行かれてしまった。歩きにくそうだけど、男子ってあれ好きだよね。
二人の姿が見えなくなってから足が少し震えた。
…………ついに、コーヒー味のシフォンケーキを作る時がきてしまった……
県大会出場は素直にすごいと思うし生徒としても嬉しい。
私の自信をつけると八巻君が言ってくれたことも嬉しい。
『好きだ』『彼女になってください!俺を彼氏にしてください!』
ふとした時に思い出しては一人で悶えているけれど、あの時からの私たちの関係はそれまでと何も変わっていない。メッセージのやり取りが少し増えただけで、校舎内での遭遇率も放課後の差し入れも帰り道も変わらない。
正直少し物足りない。八巻君に『のぞむ』って呼ばれたい。
…………私って、図々しいんだなぁ……
八巻君は告白してくれた。
だから、ケーキを渡す時には私から告白したい。
✳
告白決行日に選んだのは土曜日。
学校の調理室は、壁の傷の補修、コンロは異常無し、窓ガラスも取り換えて、予想していたよりも早く無事に使えるようになった。でもお祝いケーキはラッピングをするので完全に冷まさないといけない。
という理由から家で作ることにした。そしてみんなへの差し入れ分はチョコマーブルのカップケーキ。いつもはラップで包むので、ラッピング用の袋に入れるのが楽しい。
それらを持って、制服を着て、練習が終わる時間を目指して家を出る。右手と右足が同時に出てそうな気がする。お祝い用は箱に入れたけど、カップケーキはそのままだ。うっかり潰してしまわないようにトートバッグにだけは気を配る。
……なんか、緊張して、どう動いているかわからない。
それでもちゃんと学校についた。慣れってすごい。
色んな部活が活動しているのに、自分の心臓の音しか聞こえない。サッカーグラウンドに近づくにつれて歩幅が小さくなっていく。
グラウンドの外には今日も応援の女の子たちがたくさんいた。先輩たちへの声援にまざって八巻君と菅井君の名前も聞こえると、足が竦んでしまった。
私の告白にあの人たちは関係ないとわかっていても、とても同じ場所で終わるのを待っている気にはなれず、ケーキがあるからと一人言い訳をしながら日陰になっている昇降口に移動した。
部活の終了時間まであと10分。一年生は後片付けがあるからさらに10分。
えっと、みんなが来たらカップケーキを渡して、菅井君にバナナケーキを渡して、八巻君にはちょっと隅っこに来てもらって、ケーキを渡しながら、す、好きで……す……って!
うああああっ!恥ずかしい!やっぱり恥ずかしい!




