男
※注:大人主人公です(笑)
R15かもしれない…全然エロくないけど( T∀T)…
(約4500字)
※前タイトル『ーー』から変更しました。
男は、記憶の中の姿と変わらない女に呆れた。
「まさか、ここで会うとはなぁ」
女は、30年前と変わらない笑みを深くして白衣の裾を揺らめかせながらゆっくりと近づくと、男が吸っていた煙草をそっと取り上げた。
「大人になったらやめるのではなかったか?」
男は、女をねめつけながら着崩したスーツの胸ポケットから携帯灰皿を取り出す。
「想定外の事が起こった時にしか吸わねぇんだ」
女は、その携帯灰皿を受け取ると煙草の火を丁寧に消し、そのまま自分の白衣のポケットに入れた。
「あ、おい返せ」
「ふふふ、学校敷地内は禁煙だからな。先生に見つかったら没収だ」
男は、転任初日の母校の屋上で大きな舌打ちをした。
女の牙城である保健室は、校舎の老朽化も手伝ってか記憶よりも壁がくすんで見えた。
(それだけ俺も歳を取ったしな)
養護教諭は何人か代替わりをしたはずだが保健室内の様相は昔のまま。懐かしさがこみ上げにやけそうになる口元を、顎を撫でるふりをして手で隠した。
コポコポと電気ポットから急須へとお湯が注がれる音に、高校生に戻った気分になる。
「昔はヤカンだったのに」
天井にエアコンが設置されるまで夏は扇風機、冬は丸ストーブで、そのストーブの上で口から湯気を出したヤカンが思い出された。
「文明の利器とは素晴らしいな」
昔も養護教諭だった女は、男が高校生の時から母のように姉のように生徒や同僚の教師から慕われていた。当時から30代から40代にも見えた年齢不詳の女は、そこそこの美貌でも言葉使いが独特だったせいか色恋の噂は全くなく、誰といてもせいぜいが友人だった。
「今さら。どの時代と比べてんだよ」
「千年前」
「平安と比べんなって……」
「ふふふ。それはそうと、1000才の節目にお前に会えたのは嬉しいね」
かつて女に焦がれた男は苦虫を噛み潰したような表情になった。隠さないそれに、女は湯飲み茶碗を差し出しながら微笑んだ。
「その表情も変わらない……ふふ、まだ私を覚えていてくれた」
―――皆の記憶に残らないようにしてるのさ―――
愛しの君の生まれ変わりを探しながら生きているのだと、かつての女はぽろりとこぼした。それは当時の男の不毛な恋を諦めさせるため。
だからとすぐには諦められなかった。楽しい思い出ではないが、もう引きずってはいない。男はぬるめのお茶を一口ぐびりと飲んだ。
「まあな。で?あれから愛しの君とやらには会えたのか?」
「……ふふ」
男が茶化して聞くと、少しだけ視線を伏せた女は茶を啜った。
(……どっちだこれは……?)
見た目は変わらないはずの女をまじまじと見ると、昔より小さくなった気がする。目尻のシワも増えたかもしれない。
目の前の女は、かつて男にとって最上の女であった。
(今でも、かもしれないな……相変わらず美人だ)
50歳を目前にした今はあの頃ほどの情熱は湧かないが、まだ燻っているのを自覚した。相手を見つけて幸せになっていると思っていただけに、勝手に憐れにも思う。
(平安時代からずっとか……途方もねぇや)
男は独身である。交際は何度かしたが続かず、見合いも断り断られてとうとう話が来なくなった。この30年、この目の前の女だけを想っていたわけではない。教員の仕事にやりがいを感じ、授業の方法、部活の指導、地域との繋ぎ、生徒からの相談等、趣味、遊び、毎日目まぐるしく過ごすなかで恋愛が後回しになっていっただけ。
だが女は愛しの君を見つけるために教員のふりをしていると言っていた。二年程度で移動する事もできるし、家庭を持っていなければ遠くの地への転任も楽にできる。
その前は、教員になる前は、ただただ歩き続けたと言ってもいた。千年近くも。
保健室に茶を啜る音が響く。
大きな音をたてて飲みきった男は、空になった湯飲みを女に差し出した。
「おかわり。まあ、生まれ変わりが日本人とは限らないのかもな」
女が目を丸くした。
(しまった、せっかく会えたのに焚き付けたな)
今度は世界規模で探し始めるだろうと思われた女は、男には意外な事を言った。
「そうであれば、もう追いかけるのは終わりだな」
今度は男が目を丸くした。
「千年もストーカーしたのだ。潮時だな」
急須にお湯を足し、空の湯飲みにおかわりを注ぐ姿に迷っているそぶりは見えない。
「……世紀のストーカー歴だな。てか、潮時があったのか」
「相変わらず口が悪い。それで生徒指導は大丈夫なのか?」
「うるせぇ、どこに行っても生徒にも保護者にも大人気だよ俺は」
「ああ、エイプリルフールだったな、今日は」
「現代に馴染み過ぎだ、この妖怪狐女」
「ほっほ、私がバラさなければ気付かなかったくせに」
「はああ? 根負けしたのはお前の方だろうが」
「お前ほどしつこく口説いてきた男もいなかったしな、サービスしてやっただけじゃ」
「へえへえそりゃどうも。お前の尻尾を覚えたおかげで他の動物を触っても物足りなくて飼えなくなっちまった」
「ふ!我の毛並みに勝てる動物などこの世に居らぬわ!我が唯一じゃ!」
「はいはいソーデスネー。どうせ仕事は持ち帰りだしな。動物を飼える環境じゃねえや」
「お前もっと我を……ん?お前、子はおらぬのか?」
「相手もいねえのに子供もいねえよ」
「……」
昔のようなやり取りを楽しんでいた男は、女が急に黙ったのを訝しむ。
いくら当時高校生だったとはいえ、自身でもあの時の黒歴史ともいえる情熱には悶えるばかりだが、それでも女には届かなかった。
今燻るものがあるとはいえ、これからは同僚としてやっていければいい。定年退職したら、たまに家に遊びに来て茶でも飲んで行ってくれればいい。その程度の付き合いになればいい。
今さら多くを望んではならない。
「なんだよ、言っておくが俺はストーカーじゃねえぞ。そばにも寄らなかったんだから気配も感じなかったろ」
(なんで言い訳してんだ俺は)
散々拝み倒し卒業式の翌日に念願のデートをし、勢い余って押し倒し、想定外の正体を暴露され、色々とへし折られはしたが女性不信にはならなかった。もしやの獣専かと暫くの間おののいたがその後の性癖は普通と確認。
ただの失恋をしただけの男は、大学進学を機に地元を離れた。
「ふふ、余程にモテないのかと」
「生徒にも保護者にも大人気だっつったろうが」
さきほどの変な間は気のせいとして、男は軽口をたたく。
「よし。じゃあ今度は私が口説くかな」
「は?」
今度は男が黙った。
「彼の君を諦める時が来たらお前の子種で子を成そうと思っていたのだ。彼の君以外に体を許したし、ふとした時に何度も思い出したし、そういう意味でもお前は私にとって特別な男だ」
女はそっと自身の下腹部を撫でた。その仕草に男は我に返る。
「…………ちょっと、いやだいぶ待て。子種ってなんだ?」
「30年前のものだがまだ使えるだろう」
「…………ちょ、いや待て待て、は?」
「うん?あの時に避妊しなかっ「それを確認したいんじゃねえよ!いや確認したいのはそこじゃねえだろ!どうなってんだ狐女!」
「歳を取ってもうるさいのは変わらんな」
「くっコノ……灰皿返せ、一服させろ」
「ふふ、想定外だったか?」
いたずらが成功した幼子のような、または遊女のような笑み。
どこまで本気なのか掴めない。だが携帯灰皿は返されなかった。
男はただただ悔しかった。学年主任も経験したのに女に手玉に取られた感じもだが、心が揺れた事が悔しい。
「……地球がひっくり返ったら起こり得るとは思っていた」
「なんだ、つまらん」
女はまだニヤニヤとしている。
「馬鹿野郎、そういうのは妄想っていうんだよ、想定外よりあり得ねぇ」
あり得ない。しかし顔がゆるむ。男は両手で覆って顔を隠した。
「迷惑ならば、しない。だが、お前が息を引き取った後は許してくれ」
しない、と女は真顔になった。許してくれ、と眉尻が下がった。
遠慮なのか気遣いか。そうしてこの女はまた男の知らないところで生きていくのか。
燻りは一瞬で燃え上がり、男は女を引き寄せた。30年前と変わらない、実は華奢な体を抱きしめる。
「この馬鹿女。迷惑と思うくらいなら俺の妻になってからやれ」
「……妻……いいのか?」
「俺の子供をお前が産むんだろう。妻以外なら大問題だ」
「ふふ……私は妖怪だぞ?」
「30年前から知ってるわ」
「1000才だぞ?」
「だからなんだ。見た目だけはもう俺の方が上だ。お前の年齢設定は40才にまけてやる」
白髪もシワも増えてきた。部活で生徒と走っていたって腹は出てきた。徹夜ができなくなった。衰える事が増えてきた。
老化が着々と進んでいく未来に少しの不安はあるが、それでも。
男の腕の中で静かに泣く女を抱きしめる。
「ふふふ……ならば……ずっと、そばに、いてくれるか……」
小さな声で。震える音で。発された願い。
「……そういう事はもっと早く言え。30年も損したわ」
「すまぬ……再会するまで……会いたかったのだと気付かなかったのだ」
会いたかった。
それがどれだけのパワーワードか、男は柄にもなく涙が出そうになった。
「お前……千年生きてるくせにどんくさいなぁ」
「ど!?」
「ふっ……美人から妖怪と1000才を差し引いて残るのはどんくささかよ!ふは!あはははは!」
男は女を抱きしめたまま笑い出し、女はどんくさいと言われた事を挽回すべくジタバタする。
「どんくさくはなーーい!」
途端に白衣の裾からふさりとした尻尾が飛び出した。正体を知る事になった時も尻尾が最初だったと思い出す。
「ははは! はいはい、養護教諭がどんくさいなんて差し障りがあるからな、内緒にしてやるよ」
「キ~~ッ!……あ」
ジタバタしていた女の動きがピタリと止まる。電池の切れたおもちゃのような変化に男は一瞬焦り、少しだけ体を離した。
「どうした?」
「子ができた」
「…………あ?」
「妊娠した」
「……」
「そうか……この感覚が妊娠というものか……はは、本当にお前との子ができた」
女は再び下腹部を撫で、初めて少女のような笑顔を見せられた男は身体中から力が抜け落ち、一人床に這いつくばった。
「48才でデキ婚だと……生徒たちには避妊だけはちゃんとしろと言ってきた俺が……しかも30年前のヤツで今妊娠だとぉ……妖怪の生態はどうなってんだ……!」
ブツブツとうちひしがれる男に寄り添うように尻尾の生えた女がしゃがむ。
「なんかすまぬ……明日には産むか?」
爆弾がまた落とされ、脳内は真っ白になるばかり。が、そこは学年主任経験者、立ち直りも早かった。起き上がり床にあぐらをかくと女の手を取る。
「体調に問題がないなら十月は妊婦してくれ。その間に俺の妻だとがっつりと周りに自慢する」
目元がほんのり赤くなった女はこくりと頷く。男の理性がぐらりとした。
「結婚指輪はどうする。石はダイヤでいいか?それともゴールドで油揚げの形に作ってもらうか?」
理性を保たせるために茶化すと女は呆れ顔になった。
「揚げは食べるからいいのだ馬鹿め。これから毎日、私のレパートリーに驚け」
得意気に鼻を鳴らす女の耳が赤い。
(……やっぱ勝てる気がしねぇなぁ)
何だかんだと主導権を握れない事をしみじみと思い知った男は苦笑すると、女に口づけた。
お読みいただきありがとうございます(●´ω`●)




