夜 賢者宅 室内
――――――
「………………ん」
暖かい。枕。布団。木の天井。
「……んぁ……?」
目を開けて一番に見えたものは、古くなったであろう丸太で組まれた天井だった。
「…………んー……」
幾度かの瞬き、寝起き特有の働かない頭。
はて、何がどうなってるのか。
「あ、起きた」
その時、横から聞き慣れない声が耳に入ってくる。
感情が乗っていない平坦な声色だけども、高く、素朴な可愛らしい声。
聞こえた方向に頭を向けると、そこには、声の主だろう女の子が枕元で椅子に座り、こちらを見ていた。
「……!」
唐突に思い出す。
森の奥深くで遭難していた事、狼に殺されかけた事、自身の体が変になっていたこと。
勢いに任せて上半身を掛け布団と共に跳ね上げ、腹を見下ろす。
薄青の柔らかな寝間着を着せられており、素肌は見えないものの、痛みは消え傷の感覚も無い。
試しに寝間着をたくしあげてみるものの、綺麗な肌があるだけだ。
……もしかして、夢だった?
「…………」
「あっ」
とりあえず一安心してから、枕元にいた少女に改めて気が付く。
西洋的だか中央アジア的たかよく分からないが、小柄で幼さの残る顔立ち。真顔でジト目をしているが容姿は整っており、将来は美人さんになるだろうか。
あの巨大なヤツではない、普通のシンリンオオカミのような銀と黒が入り交じった感じの独特な髪色。それを左側でお下げにしている。
その頭の上には、犬の耳ような形の物が生えていた。
……イヌミミカチューシャ?
あっ、そのイヌミミ少女がこっちをみながら首を傾げている。
さすがにじろじろ見るのは失礼だった。
「えーと……hello,ah…goodmorning」
とりあえず英語。ここが英語圏かは判らないが。
「ん、大丈夫そうだね」
「えっ、日本語」
とても流暢な日本語。
見た目は日本人離れしているのに、外国人特有の訛りや発音の偏りは一切無い。
「……?」
「あ、いや、えーと……大丈夫です」
不思議なモノを見るような目線に多少慌てたものの、言葉が通じるのは幸いだった。
「それで、ここは……」
辺りを見渡す。
壁は丸太組み、床は木の板。おそらく木組みのログハウス的な所の中だろうとは予想が付く。
壁にはランプが灯されており、室内は柔らかに揺らぐ光で満たされている。とはいえ、ただのランプにしては明るさが強い。レトロな形の白熱電球だろうか。
良く見れば、すり鉢で何かをすりつぶしていたらしいイヌミミ少女は、その無表情な顔を向けながら口を開く。
「賢者のオジサンの家だよ」
「賢者…ですか?」
賢者とはなんぞや。
いや、賢者は知ってる。賢い人の事だ。しかし、ただ唐突にそう言われても逆に困惑するしかない。
あまりにも情報不足なので、とりあえず話を進めるしかない。
「ん。運が良かったね……オジサンが居なかったら、今頃死んでたよ」
「はぁ、なるほど……」
死んでたって……やっぱりあの狼は夢じゃなかったのか。
いやしかし、その賢者とやらはどうやってあの大怪我を治したのだろうか。内臓まで達していたような気がするレベルだったのに。
待てよ?
逆に、傷が完治するくらいの期間昏睡していたとか?
「…………あの時は助かった。ありがと」
ひとしきり混乱していると、唐突にそう切り出すイヌミミ少女。
「あの時?…あっ」
もしかして、あの時狼が狙っていた二人組の倒れていた方なのか。
「……あのクラスの魔物がここら辺に出るのは……想定外だった」
魔物。たしかにありゃ魔の物とでも言いたくなるレベルだった。
あんなものは見たことが無いし、というかあのような生物が存在しているなど物語の中でしか聞いたことがない。
「えーと、自分、どのくらいの間意識を……?」
「……一昼夜……ちょうど1日、かな」
「1日……!?」
1日!?
そんな短時間であの傷が治る訳がない。しかし、現にこうして傷は無い訳だし……狂言?いや、何のために。
「……もしかして、何か予定が……?」
「あぁいえ、そういう訳じゃないですけれども……えー、自分、大分大ケガしてた筈なんですけれども」
「ん……オジサンが治癒魔術で治してたよ」
「なるほど魔術……魔術?」
治癒……魔術?
魔術とはなんぞや。いや、まぁ、確かに1日であれが治るのだったら魔術と呼びたくなるのも分かる。
縫い跡すら無かったのだ。確かにその手法は人知を越えているかもしれない。
いやしかし、魔術……。
「えーと、因みに……その賢者様は」
どちらにせよ、お礼はしないといけないかもしれない。
そう考えていると
「気がついたようじゃな」
入り口から新たな声。
視線を向けるとそこには、立派な白髭を蓄え、黒いローブに身を包んだご老人が立っていた。
「あ、オジサン……これ、摺り終わった」
「おぉ、ありがとう。どれどれ……ふむ、いい塩梅じゃな」
イヌミミ少女のすり鉢を受け取ったそのご老人は、中身を確認して満足そうに頷く。
そして、顔を上げてこちらを見た。
「ワシが、その賢者じゃよ」