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夜 森 深部2

私は誰だ?



何処とも分からぬ深い森の中。川縁に座り込み水面を覗き込みながら自問する。


名前、年齢、住所、仕事、趣味嗜好……

それらの“自分”掘り起こそうとするものの、何もかも出て来やしない。

田園都市線か江ノ島線のどちらだったか、もだ。


「記憶喪失とか……何でいきなり」


田園都市線も江ノ島線も、東京か神奈川にあることは知っている。

しかし、自分にとってそこが関わり深いのかと考えれば、途端に記憶が真っ白くなる。

容姿が違う上に、自分が何者かも分からないとなれば、例え街に出てもどうしようもない気もする。おそらく身元不明者として保護されて……児童養護施設行きだろうか?


銀髪少女とかいう特徴的な外見だし、もしかしたらバラエティーで謎の身元不明少女として特集が組まれたりとか。


「いや……とにかく今は森から抜けることが最優先、か」


終わらない思考を切り上げて、顔を上げる。

どちらにせよ、森の中で野垂れ死にするのはゴメンだ。まだ未来を悲観して命を投げ捨てるつもりは更々無い。

そう当面の決心を決めて立ち上がった、その瞬間。


ド、ドーーーーン………


「!?」


爆発のような、腹に響く衝撃音が耳に突っ込んできた。

鳥避けの爆音器とはレベルが違う、リアルな破壊を伴いそうな音だ。


鉱山の発破?

いや、それにしては近くに鉱山がある様子は無い。

となると、危険物を運搬している車が事故を起こしたとか。


「あ、だとしたら道路があるかも」


事故に巻き込まれた人には悪いが、こちらにとっては僥倖だった。

道路を辿れば確実に人里にたどり着くだろうし、もしかしたら通行車に助けを求めることも可能かもしれない。

爆発した際に有毒ガスが発生している場合、近寄るのはあまりにも危険だが、ここで早期生還の可能性を捨てるのは惜しい。

仕方ないから、なるべく風上を意識して歩こう。

複雑な反響は無かったため、音の方向はよく分かった。これなら迷うこともないだろう。

それまでよりも僅かに早い足取りで歩き出した途端。


ドーーーーン……


「二回目!?」


先程と同じような遠くの轟音が、またもや響き渡る。


「……いや、それだけじゃない」


よく耳を澄ましてみれば、衝撃音は連続している。

上階のわんぱくな子供を大きくしたような、そんな存在が激しく暴れまわるとこういう音がするのだろうか。とにかく何か圧倒的な破壊が行われていそうな音だ。


「もしかして、ここって紛争地域だとか?」


連続する大小様々な衝撃音は、敵対する武装勢力同士が爆発物を投げ合う様を容易に想像させる。

全身整形に飽きたらず、戦闘真っ只中の国の森の中に態々置き去りとか、犯人がいるとするならば一体何がしたいのか。


もし本当に武力衝突が起こっているとすれば、音のする方に向かっていくのは危険を越えて自殺行為である。

しかし、それでも足は止められなかった。

好奇心が勝ったのもそうだが、ふと後ろを見たときの深い森。全てを飲み込むような暗く大きいその森の中に戻っていく事が、非常に躊躇われたからだ。


何でもいいから、とりあえず自分にとって良いものであってほしい。

強烈な破壊音が福音であったと期待し、されどもその真っ只中に飛び出さないよう木の陰から陰へと、するりするりと進んで行く。

そうして、おおよそ音の鳴っていたところに出た結果。


「……やっぱり引き返しとくべきだった」


狼が居た。


ただの狼じゃない、それよりもひたすらに大きい。

鼻先から尾の付け根まで目算で10メートル、路線バス並の身体規模。

毛並みはベンタブラックでも塗りたくっているのかと思うほど黒く、眼は赤外線ランプのように妖しく光っている。


圧が、凄い。


本気の恐怖とはこういうものなのか。

見ているだけでも本能的な危機感が警報を鳴らし、冷や汗が流れ出て、蛇に睨まれた蛙のように立ち竦む。

思考は麻痺し、もはや一歩も動けないのではないのか。

完全に、その黒い狼の雰囲気に呑み込まれていた。



しかし、その黒い狼は、こちらを見てはいない。

かわりに、その視線の先に居たのは……二人組の人間だった。


狼の真正面に座り込み、その眼前に何かの棒を構えている、金髪の少女。

その背後には、金髪の少女とほぼ同じか少し小柄な体格の、ローブだか外套だかを纏った人間……おそらくこちらも少女が倒れている。


倒れている方を後ろに隠すように狼と対峙している金髪の少女。

あぁ、つまりは……守っているのか。


自分の想像が正しいなら、これは絶体絶命のピンチというやつだ。

1メートルもないくらいの棒切れで、巨大な狼を迎撃するのは無理だろう。まともに抵抗することも難しい筈だ。それでも、逃げずに立ち向かうその少女。


正直に言うのなら、狼が向こうに注目してる間にさっさと逃げ出したい。あんなのに喰われるのなんて、まっぴらご免だ。

しかし、その少女達を囮にするかのような選択肢を選ぶことにも抵抗があった。

巨大な狼に真正面から睨まれて、それでも尚退かずに他者を守ろうとする……それは、凄く勇気の要ることだろう。

そんな「いい子」を餌に逃げ延びるなど、とても割り切れそうにない。


気かつけば、自分は足元の石ころを握っていた。

その石をしっかり握り込み、大きくふりかぶる。そして、勢いよく踏み込みながら放り投げた。

ゆるやかな放物線を描いて飛翔したそれは、巨大な狼の頭、それも目元に直撃した。


「……や、やってしまった」


目元への攻撃に、僅かに頭を振って怯む狼。しかし、予想通り大したダメージにはなっていないようで、そのまま平然とこちらに頭を向けてくる。

目が合った。ヤバい。


グルルル……


凄まじい低音で唸っている。もしかしたら怒っているかもしれない。

よくよく見てみれば、あの狼の周囲の木々が薙ぎ倒されている。おそらく、さっきの轟音の正体はこの大破壊だろう。


何を考えていたのかは自分でも分からないが、もう一度足元から石ころを拾い上げ、再び狼に向かって投げつけていた。

そして


「不味い!ヤバい!喰われる!」


森の奥に向かって飛ぶように走り出した。


さっきから現実感の無い出来事が続いているせいか、まるで夢の中にいるようで、自分の行動のタガが外れやすくなっていた気がする。

だから石を投げてしまった。危険な事と判っていて。

とはいえ、やってしまったことは仕方がない。おそらく、狼の注意を引き付けることはできただろう。


あの巨体では木々の間を通り抜けることにも苦労する筈。なるべく木々の密度が高い方に逃げ込んで距離を稼ぎ、川を越えることで嗅覚による追跡を絶つ。

上手く行くかは分からないけれども、最悪あの少女達が逃げる時間くらいは稼げる筈。

そう考えて、ふと振り返る。


グルルォォッ!


そこには、強烈な咆哮と共に大きく飛んでくる狼。

そのままほぼ真上に到達して、予想される着地点は恐らくここ、自分の立っている所。


「またそんな狐みたいなことする!」


大型の動物は動きが遅いのが相場ではないか。一体どういう物質で身体が構成されていればあんな動きができるのか。

そんな嘆きを他所に、その狼は重力による加速を伴い落下してくる。


「まずい……っ!」


後先構わずに地面を蹴り、思い切り横に飛ぶ。

次の瞬間、背後で激しい衝撃と轟音。それによって飛散した石礫と土塊を背中に受けながら、不様に地面を転がる。


「いっ……た…!」


圧倒的な質量から繰り出される打撃力は、まともに受ければケガではすまない。たったの一撃で砂まみれの奇妙な血肉のオブジェと化すことになるだろう。


転がっている暇はない!


急いで立ち上がり走り出した瞬間に、狼の前足による一撃によって自分の足元が抉り飛び、その軌道上にあった木々が薙ぎ倒される。

間一髪だったと安堵する間もなく、つづけて狼が後ろ足で地面を蹴り、必死に稼いだはずの十数メートルを一気に飛んで来た。

大口を開けた狼の頭が眼前に迫る。


「のわっ!?」


その時、後ろを見ながら走っていた事が祟り、足がほつれて思い切り転倒してしまった。

しかし、勿怪の幸い。地面に倒れた自分の上スレスレを、狼の頭が飛びさって行った。太い後ろ足が、風を巻き起こしながら両隣を通過する。


ドゴォォーーン!


背後で凄まじい破壊音。

振り返ると、その狼が木の密度が高い所に突っ込んだのが見えた。まるで雪山に頭を貫徹させた狐の様。後ろ足が宙を掻いている。


「今のうちに…!」


立ち上がり、川へ向かって走る。

詳しくは判らないけども、どうも先ほどから疲れを感じにくくなっている気がする。ならば、逃げるだけ逃げ続けてやろう。

偶然もあったとはいえ、二回もあの狼の攻撃を回避しているのだ。よく注意していればまだいける筈……!


しかし、そう上手くはいかないのが世の常だ。


後方から頭上を飛び越え、目の前に落着する太く大きな何か。


「!?」


木だ。

木の幹が目の前に落ちてきた。

大きな咬み跡から考えるに、あの狼が放り投げたもの。

それは丁度良く横に投げられて他の木々にぶつかり落ち、さながら通行止めのような幅数メートルの障害となる。


越えるか避けるか、戸惑い一瞬立ち止まる。しかし、あの狼相手には、その一瞬が命取りだった。


乗り越える時間はない!


そう判断して右に向いて走り出した瞬間、目の前を大きな爪を剥き出しにした手が塞いだ。

次に来たのは、凄まじい衝撃。


「?!」


視界が振れ、一瞬暗転する。

狼の手の質量と速度からもたらされる、莫大な運動エネルギーの奔流。それは、腹部に直撃していた。

息が詰まり、少しばかりの浮遊感を覚える。しかし、それも長くは続かず、硬い地面に何度も打ち付けられ転がることとなる。


「はっ、あっ…!」


仰向けの状態でようやく停止する身体。幾度か咳き込み、詰まった呼吸を取り戻すかのように、空気を求めて喘ぐ。

極めて苦しい。

しかし、ここで寝ていても危険なままだ。


強張る身体を無理やり動かし、起き上がろうとする。

視界が揺れて定まらないものの、視線は自然と、変化した自身の体を向く。

白く華奢な肢体、薄い胸。その向こう。


「あ…………」


横一直線に走っている赤い線。


「っ゛……!?」


その線を起点とし、腹部が赤く染まっていく。

唐突に襲い掛かってくる激痛。視界が赤く明滅する。


い、痛い!?痛い!!


今まで感じたことのないその痛みに、もはや自分はどうすることもできなかった。


「い……っ……た………ゲホッ!」


両腕で傷を抑えるものの、それで痛みが収まる訳でも、血が止まる訳でもない。硬直した体は、その痛みにのたうち回ることすら許してくれない。


グルルル…


そんな中、目の前に着地した大きな狼の姿を目にして、ある一点において急に思考がクリアとなる。


あぁ、死ぬんだ。


こんな訳も判らない中で、唐突に死ぬこととなりそうな自分。

もはやどうしようもない。

もう一度爪を振るわれるとしても、牙で噛み砕かれるとしても、動けない自分には何もできない。

仮にこの狼が何もしなかったとしても、この傷では長くは持たないだろう。



意味が分からない。理不尽すぎる。

いや、変な気を起こして狼を挑発したからか。



仕留めた事を確信したように、ゆっくりと歩み寄ってくるその狼。

畜生。石でも何でも良い、死ぬ前に一矢報いてやりたい。



―――――――――

【ステータス/パラメーター表記最適化…】

―――――――――



唐突に、頭の中でその文字列が流れる。



―――――――――

【総与エネルギー量: 24.104 MJ】

―――――――――



何だ、何なんだ。

思考の混乱を他所に、目の前に何かがあると確信した。



―――――――――

【├直接破壊力: 5.510 TNT換算㎏】

【└最大出力: 12.022 MW】

―――――――――



不思議と理解できている。

全く見たことはないが、とても身近。

レプトン。負電荷。スピン角運動量1/2、フェルミオン。


目の前の狼が、驚いたように飛び退く。



―――――――――

【300m, 1013.25hPa, 15℃,】

【大気エアロゾル粒子を含まない標準的な乾燥大気中での数値】

―――――――――



構わず、私は「それ」を()()()



カメラのフラッシュのように、周囲が一瞬光で埋め尽くされる。

間近で大太鼓を思い切り叩いたような、全身の細胞一つ一つを同時に打ち付けられたかと錯覚するような衝撃と音。

空気を切り裂き、挽き潰しながら伸びる一本の光。


その光が狼の頭に到達し、その分厚い皮と骨に穿孔する。

圧倒的なエネルギーの奔流は、そのまま膨大な量の熱エネルギーへと転化する。

局所的に発生した莫大な熱量は、瞬時にその周囲を電離させ、高温プラズマ火球を形成。

凄まじい明るさの熱線、強烈な熱膨張による衝撃波。

それは―――極々小規模ではあるが―――核爆発に似た現象を引き起こした。







頭を失った狼が倒れる。

それを確認した瞬時、自分の視界も暗転した。

深く暗いところに墜ちていく感覚。


「……一体何かと来てみれば……これはのぅ…」


徐々に遠くなっていく音の中に、知らない声を捉えた所で、自分の意識は途切れた。








あぁ、ひどく生臭い。



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