ハーレム・テンプレート
冷静に考えてみると、ラノベ的な『ハーレム展開』というのは、言うほど非常識なことでは無いのかもしれない。
蓼食う虫も好き好き、とは言え、一人の女を惚れさせるような魅力が、別人に全く無効というのは、あまり無い。カッコいい人は誰から見てもカッコいいのが普通だ。そして、常にモテまくってる怪しいフェロモン男でもない限り、女が男に惚れる瞬間は、そう言うカッコいいところを見せられた時だと、私は考える。
だから、今まで見向きもされなかった男が、ある一定期間だけやたらモテる、所謂「モテ期」というものを、最初からフィクションと断じるのもいかがなものか。
*
「ちょ、ちょっと聞いてくれ美和子。部活の後輩と、同級生の委員長と、生徒会の先輩からいっぺんに告白された!」
「落ち着いて、さとし君。ラノベの読み過ぎよ」
「正直俺もそれを疑った。だがお前の反応からして白昼夢でもなさそうだ」
ノックも無しに高二女子の部屋へ闖入してきた狼藉者に対して、私は宿題から目を上げずに対応した。机のコップに映った姿が制服だから、学校帰りそのままだろう。頬がすっかり紅潮しているのは師走の寒風に煽られたら、だけでも無いらしい。
「或いは罠、か?」
「最近、人の恨みを買った覚えは?」
「無い。八方美人が俺の信条だぞ」
「そういう風見鶏なとこが嫌いな人も多いからねぇ。主に私とか」
「なっ! 美和子お前、まさか俺の学校の女子に工作をっ!」
「してない。出来るかそんなこと。あんたの学校行ったの、こないだの文化祭で二回目よ」
つい二週間前のことだ。他校の学祭に参加したのは初めてだった。聡史からお客様扱いされるのは、どこか不思議な感じがした。
「そういえば、文化祭で一肌脱いだって言ってたじゃない。それがらみじゃないの?」
「脱いだったって、そりゃあ人が足りないからあっちこっちヘルプのお願いはしたけど、そこまで陰湿に嵌められる覚えはねえ」
「罠から離れなさいよ。惚れられる要素は?」
言われて、初めてその可能性を考えたかのように、八条聡史は黙考する。
「模擬店の裏方に掛かり切りだったんだから、女の子に受けるような事はしてねえよ。よそのクラスへの挨拶って名目で当番を時短したから、委員長はまず無いと思う。生徒会も、先生に猫被ってゴリ押ししちまったし。後輩の親父さんに無理やり手伝い頼んじまったのも、彼女本人にしてみれば面白くは……あ、あれ? 恨まれる要素満載じゃね?」
「ふむん」
「え、ちょ、マジで? マジで罠なのこれ!?」
あたふたと騒ぐ幼馴染を横目に、私は一旦ノートを閉じた。しばらくは勉強にならなさそうだ。
実は、この一件に関して、私もいくらかは事情を知っていた。およそ半月前の文化祭で、聡史は八面六臂の活躍をしたのである。
舞台はクラスの模擬店だった。出し物を決めるまで帰れない、イライラの募る放課後のHR。男子の誰かが適当に言った「メイド喫茶!」という案は、女子の「キモい」の合唱で回避された。しかし、他に案が出ることも無く、結局件の委員長は「喫茶店」を採用せざるを得なくなった。
だが、そんなやる気の無いクラスに、飲食店の出店はハードルが高過ぎた。言い出しっぺの男の子は最初だけ無駄に張り切った後、見事な投げっぱなしジャーマンで逃亡した。開催二日前に生徒会が検分した際には、出店不能との判を出された。
そこからリカバリをかけたのが、聡史だったのだ。
前述の通り、八条聡史は、自他共に認める八方美人である。とにかく顔が広い。先生受けもいい。交友関係は浅く広くが基本であり、信用は自分を相手に合せることで築く。要するにパシりである。絶対の信頼を得ることは少ないが、皆から便利な人間であるとは思われている。そうしてあっちこっちに小さな恩を沢山売っている。必要があらば媚び諂うことだって辞さない男だ。人によっては、必要が無くてもやっている様に見えることもあり、私ですらそう感じることもある。そして、実際、そうやって誰からも好かれるのが好きなのだと、彼自身認めている。
そんな人物だから、確かに嫌っている人間は少ない。無論、ごく少数、そういう手合が駄目な人間からは蛇蝎の如く嫌われていたりもするが、あくまで大勢に影響ない範囲である。だが、それが男性的な魅力に繋がるかと言うと、普段の高校生活では難しい。
しかし、こんな時に限っては彼の人脈が光った。作業に足りない頭数は三学年問わずあらゆるところから掻き集め、生徒会は覚えめでたい教師の虎の威を借りて容赦なく攻めを落とし、事態を泥沼化させていた衛生管理責任者まで、部活の後輩の親御さんを拝み倒して連れてきてしまったのだ。
その結果、出し物は滞りなく行われた。十分な人手が集まったから、誰かが無理をするということも無く、ある者は適度に頑張り、ある者は適度にサボり、悲劇が生まれない代わりに、ヒーローも生まれなかった。
おかげで、終わってみれば、事前に騒いだ割には大したこと無かったな、と言うのが一般参加者の感想であった。聡史にしても、当日はゆっくりと「お世話になった人への挨拶回り」を決め込んでいたから、彼を「サボり組」の方に思う人も多かった。本人からして、そう認めていた。
但し、騒動の渦中にいたものには、聡史の風見鶏の本当のところが見えて来たのだろう。
「まあ、罠にせよ罠じゃないにせよ、今後の身の振り方次第でさとし君の残りの学園生活が決まるわけね。バラ色か、茨かは知らないけれど」
「いやいやいや、この流れどう見ても茨じゃえか。どうしよう美和えもん!」
「……きみはじつにばかだな。ひとまず座ったら?」
「お……おう」
言われてようやく、部屋の入口を離れた聡史は、花柄のシーツに遠慮もなく腰を下ろす。私も勉強用のメガネを外すと、椅子を回して彼の方に向き直った。
「じゃあ、順番に行きましょうか。まず、さとし君はその娘達のことをどう思ってるの?」
「正直、人を罠にかけるような子らには思えない」
「あーもう、そのネタいいから」
「よくないよ! 一番大事なとこだよ!」
「何慌てているのよ。罠だったら、大人しくピエロになっておいて、後で被害者ぶれば済む話でしょう。こんなの、さとし君の常套手段じゃない」
「え……あれ?」
「つまり、どっちにしてもさとし君に必要なのは、三つの告白が本物だったと仮定して、どうやって三者ともに顔の立つ対応をとるか。違う?」
「そ、そうだよな。俺としたことが、何で気付かなかったんだろう」
つまり、無意識にテンパってしまうほどの相手、ということか。
「じゃあ、次の問題ね。本命役にはどの娘を選ぶ?」
「いや、次って。最初の設問にも答えられてないというか、そんな段階で選ぶも何もだな……」
「断りづらい娘がいるんでしょう」
「いや、まあ、無碍に断りづらいという意味では全員というか、そもそも告られたことが初めてなのにどうしたらいいか分からないといいますか」
これは重症だ。私は眠気覚まし用のどくだみ茶で喉をうるおし、努めてゆっくりと声を出す。
「その三人の中で、今まで気になってた娘は居るの?」
「正直言って、三人とも今まで意識したことは無かったんだ」
ほう。
「まあでも、今回無理を通すにあたって、それなりに話す機会はあったよ。
部活の後輩はさ、学校ではハキハキ明るいんだけど、家では親父さんと絶賛冷戦中だったりするんだよ。まあ、愚痴を聞く限りパパは娘可愛さに暴走中。娘も娘で昔は家族大好きっ子だったんだけど、なまじ仲良過ぎただけに反抗期を抉らせちゃってさ。ちょっとした切っ掛けさえ有れば元通りなんだけど、いい人同士逆にそれが出来ない状態でなぁ。馬鹿というか何と言うか、でもほんとに理不尽なほどいい娘で、腹黒い俺には眩しいというかなんというか」
……ほほう。
「生徒会の先輩は、これがまたあったま固くってさー。会長の方針は厳し過ぎるとか、専横が過ぎるとか思ってるくせに、会計の自分が言うことじゃないとか言ってずっと腹に貯めてんだよ。おまけに、生徒会自体は一丸じゃなきゃいけないとか言って、いざ動くとなると、その指示を率先して徹底すんの。お前は何時の藩士じゃっつー感じだよ。今回の生徒会攻略の一番の壁だった。まあ、人間関係が軽薄な俺の対極にいるような奴だな。よくそんなことやってられるなあと、ついつい気になって目がいっちゃうんだけど」
…………。
「委員長は、表面上は俺とよく似たタイプ。社交性があるというか、顔が広くて、誰とでも話せる奴だな。でも、その先が問題でさあ。人脈なんて頼ってナンボ、寧ろこっちから頭を下げてこそ太くなるもんだってのに、なぜかそこで生真面目に責任とか考え始めるんだよ。お返し出来ないのにお願いなんか出来ないとか愚痴愚痴さあ。そこは逆だってのに。こっちが先にお願い事してるから、向こうも気軽に頼ってくれるようになるんじゃないか。何でそこが分かんないのとか思うと、もどかしくてもどかしくて目が離せないんだよ。同族嫌悪、とは違うんだけども、ついつい手と口を出さずには……
……って、あの、美和子さん?」
「もうさ、三股してラノベ主人公らしく刺されればいいよ」
「ちょ、人が恥を忍んで正直に相談してんのにそりゃないよ! つか、最近のラノベ主人公って刺されるの!?」
何だか、こめかみの部分が痛くなってきた気がしたので、私は一旦机に身体を戻した。ベッドの上で手足をバタつかせる幼馴染を尻目に、コップのどくだみ茶を一気飲みする。
……苦い。
「で、返事のタイミングについてだけど。私に相談に来たってことは、取り敢えず保留は出来ているのよね?」
「あ……ああ。まあ、向こうも突然で悪いって言ってくれてさ」
「まあ、そう言えばそうね。全員が全員、功を焦るタイプとも思えないけど」
「功って、あのな……。まあ、何だか、今の時期が重要みたいだぞ。最後に告白してきた後輩が、『遅れを取るわけには』とか言ってたし。そういう占い的なジンクスでも有るんじゃないか?」
……なるほど、お互い戦況もよく理解済みか。それでも勝負に打って出る辺り、覚悟も生半可なものではないだろう。
彼女たちには、明確な動機がある。加えて、それぞれが聡史に対する明確な切り口を持っている。条件は互角、となれば先手を取ろうとするのは道理と言えた。同じイベントでフラグ立てした彼女たちには、時間という要素が等しく足りていない。
その要素だけは無条件に勝てるのが、幼馴染キャラの特権だ。
「……いかん、ラノベの読み過ぎなのは私かも知れない」
「えと、あのー、美和子さん? 先程から貴女には珍しく、意味不明なお言葉が多いのですが……」
ただ、彼女らが聡史の八方美人の理由を、この短期間でどこまで理解したのかについてかは、はっきり言って疑問だ。後輩/会計は、父親との和解/会長からの自立といった、個人的事情におけるインパクトが大き過ぎる。委員長についても、自分が責任の真っただ中にいた分、助けてくれたことに気が入って、どう助けたか、については気にする余裕が無いのではないか。
そうでなくても、彼の信念を理解するのは、常人には難しい。
好きな人に、一人二人に、いい顔をするのは誰にでも出来る。だが、十人、百人、会う人万人となれば話は違う。
ただ単に、気に入らない奴もいるから大変、という次元では無いのだ。ちょっとした親切であっても、ただ愛想良く振る舞うだけであっても、その対象が200人、300人となれば、する方の側はちょっとしたこととは言えなくなる。誰に対しても「小さな親切」を送り続ける人生の労苦は生半可な物では無い。そんな生き方を続けるには、大きな覚悟が必要だ。
聡史にはそれがある。人間、一人では誰も助けられないという覚悟。例えどんなに信頼できる仲間でも、その日、その時、必要な場所にいなければ、何の役にも立たないという悔恨に裏打ちされた覚悟だ。
私と聡史の、深い脛の傷の上に根付いたそれを、学祭イベント如きでポっと出の新キャラに理解されてたまるもんですか──
「美和子、美和子ったら。……おい、大丈夫か、みーちゃ」
「へぁっ? ごめん、さっ……とし君」
いけない、私としたことが完全に気を飛ばしていた。変な声出ちゃった。
「ええと、何を話していたんだっけ?」
「や、だから俺の三面告白についてだな、どう対処すべきかという情けない相談の最中で……大丈夫?」
「平気よ、悪いわね。ちょっと、根詰めて勉強してたから眠くって」
視線を逸らして机の上のコップを煽る。と、どくだみ茶のティーバッグがペトリと顔に降ってきた。そう言えば、さっき飲み干したんだった。
素知らぬ顔で鼻下にティッシュをあてがいながら、私は深呼吸して気を落ち着ける。
しかしまあ、後輩/先輩/同級生、それぞれ部活/生徒会/委員長か。よくもこれだけ綺麗に揃ったものだ。具体的な話を聞いて少し現実味が出て来たものの、やはり作り物めいた感触が拭えない。もちろん、聡史の話を疑っているというのではない。その渦中に自分が入っていくという実感が持てないのだ。
要するに、自分は少し気圧されているのだろう。押し返すには、ちょっとした開き直りが必要だ。なるほど、件の後輩ちゃんの言葉は、こんな心境から飛び出したのか。
「まあ、大体事情は分かりました。確かに、いきなりこんな漫画みたいな状況に放り込まれたら、混乱するのも無理無いわ」
「おお……さすが美和子。分かってくれると思ってたよ! ……して方策は?」
「あまり真面目にならないことよ。ふざけた状況なんだもの、真摯に対応する方が無理が出るわ。物語の主人公にでもなったつもりで、役に入って楽しめばいいじゃない」
「えー……。いや、うん。美和子の言いたいことは分かるよ? けど、当事者的には、目の間に現実の人間関係が有るわけで。しかも告白だぜ? いくらピエロになるっつっても、そう簡単に吹っ切れないというか……」
「ゲームと割り切るには、まだインパクト不足ってわけね」
出来るだけ、何気ない風を装って、私は椅子から立ち上がった。案の定、彼は膝に載せたこぶしを見つめ、下向きにウンウン唸ったままだ。
「じゃあ、さらにお約束っぽくしてみましょうか。生徒会に部活っ娘にクラス委員。ここへ焦った幼馴染も参戦してくるってシナリオはどう思う?」
芝居がかった台詞と芝居がかった動作で、私は彼の隣に腰を下ろした。そうしなければ、とてもじゃないが、声を震わせずに言い切ることなど出来なかっただろう。
二人分の重みでベッドが沈み、自然と肩が触れ合った。回転の早い彼の頭が、その台詞を咀嚼する寸前、私は上目遣いで宣戦布告する。
「好きです、さっちゃん。私と付き合って下さい」
今や混乱の極地にある幼馴染の顔は、思った通りに愉快で、やっぱりちょっとかわいそうだった。ごめんなさい、さとし君。遅れをとった三面作戦となれば、さすがの私も手段を選んではいられない。だが乱戦にして地力の勝負となれば、年季の違いを見せてくれる。そんなわけだから、さっちゃんはせめて、このテンプレ染みたハーレム状態を楽しんで。
なんてことを思いながら、私はそっと、彼の腕に身体の前を押し付けた。