第四話:まことの歴史
真っ暗だった。その上、何も聞こえない。
また死んでしまったのだろうか。上手くやれたと思ったんだけどなあ。まさか初心者魔術師が一番始めに習う、初級に設定した発火呪文に失敗するとは。
この場合どうなるんだろう。再びゼロから始まるのかな。なんて事を考えているうちに、感覚が光と音を取り戻して行く。尾てい骨のあたりに力を入れると、尾の感触を確かに抱く。頭に手を伸ばせば、二本の角が生えている。わたしはまだラクリマルムのままだった。
状況を少しずつ把握する。焼けた紙から漂う、焦げた臭い。パチパチと木が燃え、爆ぜる音。そして、わたしの目の前を黒い布が覆っていた。これは……アウトマーティアの服だ。
わたしは何が起こったのか理解した。発火呪文は失敗し、部屋中を爆発的な炎で焼き尽した。そして、アウトマーティアは身を挺してわたしを庇ったのだ。
「アウトマーティア! 大丈夫!?」わたしは咄嗟に声をかける。
「お気遣い頂き有り難う存じます。身体の事なら心配ご無用。これが私の役目ですので」
アウトマーティアは先ほどまでと変わらないトーンでわたしに返事をした。
彼女は左手でわたしを抱きかかえながら、右手をかつて燭台があった場所に突きだしていた。開いた右の手の平からは穏やかな白い光が流れ、それがわたしたちをシャボン玉の様に包んでいる。ただ、突き出した手は幾つかの指が欠け、そこからバチバチと青い火花が迸っている。真っ白だった上着は煤け、右袖は肩口の部分からボロ切れの様に崩れていた。
「し、心配ご無用って……手が……」
「私の身体よりも、もっと大切な事が御座います。ラクリマルム様ご自身の事です。魔力の質も、魔術の威力も確かに私の知るラクリマルム様のもの。ですが……」
アウトマーティアは燻る部屋から視線をわたしに移し、真っ直ぐこちらの目を見据えて言った。
「……あなたは私の知るラクリマルム様ではありません。一体何があったのですか?」
彼女の声色は不安と心配がない交ぜになった、始めて聞く響きだった。
「アウトマーティア、わたしは、その……」
彼女はわたしの言葉を遮って言った。
「ひとまず私はこの部屋を片付けねばなりません。恐れ入りますが大広間でお待ち下さい」
わたしは頷き、執務室を後にする。
……何も分からない、どうしよう。どうすればアウトマーティアを納得させられる? 仮に納得させたから何だというんだろう。アウトマーティアがわたしの事をどう思っているのかも分からない。わたしのキャラクターなのに!
世の中に星の数ほど存在する異世界転生の主人公たちは、良くもまあ簡単に状況を切り抜けられるものだと感心するね。わたしなんて自分の作った物語の中に転生したけど、もう無茶苦茶に話がこじれ始めてる!
いつの間にか速度を上げていた足が、何かを蹴飛ばす。……アレテーオスが壊した扉の破片だ。思えばくだらない考え事に時間を費やしていた。広間の中央に戻って、まだ低いままで固定されていた本棚に腰掛ける。
なんて説明すれば良いのか。わたしは異世界人で、意識だけがラクリマルムに乗り移ったとでも? そんな話、出来るものか。アウトマーティアはラクリマルムを心から慕っているキャラクターだ。意識を乗っ取った『わたし』を許すはずが無い。だが、これ以上わたしが元のラクリマルムだと主張するのには無理がある。彼女はもはや、わたしが違う存在だと気づいている。
「お待たせ致しました」厳かな声が背後から響いた。
振り向くとアウトマーティアがそこにいた。考えに熱中するあまり意識を周囲と切り離していたらしい。彼女の姿は先ほどとあまり変わっていなかったが、右手を背にまわしていることから、先ほど負った怪我はそのままなのだろう。
「アウトマーティア、怪我は……」
剣呑な雰囲気に言葉が続かなかった。そんなわたしの言葉を汲み取って彼女が言葉を返す。
「問題はありません。もはや私は人の身では無いのです。ラクリマルム様が死に瀕した私を拾い、魂をこの造られた身体に移し替えなさったのです。よもや、それすらもお忘れになった訳では無いでしょう? それとも……」
アウトマーティアはわたしの眼を険しい表情で見つめて言葉を続けた。
「『あなたには知る由も無かった』という事でしょうか」
アレテーオスが龍の姿で吼えている時とは違った恐怖を感じていた。
違う。間違ってる。わたしは、アウトマーティアに、そんな眼で、そんな表情で、ラクリマルムの事を見る様には――
「ち、ちがうの。アウトマーティア、そういう訳じゃ」
「ではどういった訳でしょうか。理由を説明頂けますね?」
矢継ぎ早の質問に、わたしの口は勝手に言葉を発した。
「あの、えっと。わたしは。その、物語が…………」
わたしが咄嗟に出した単語をアウトマーティアが不可解な面持ちで繰り返す。
「……物語?」
その単語を耳にしたわたしは、創作に悩む中でアイデアが降って湧いた時のように、頭の中で線と線が繋がり、パチパチと光が弾けるのを感じた。
「『まことの歴史』……そうだ、アウトマーティア。まことの歴史だよ」
わたしは誰に言うでも無く呟いていたが、その言葉を聞いた彼女は目を丸くしてわたしを問いただす。
「よもや『まことの歴史』を垣間見た、と!?」
『まことの歴史』
それは、わたしがこの物語の為に作り上げた創世神話の道具だ。
『創造神アペイロン』が世界を創った時、同時に生み出された全智の歴史書。世界が始まってからの事象、そしてこれから起こる全ての事象が書かれた書物。
――ラクリマルムが人類隷属計画の為に欲する究極の神器だ。
もしも『まことの歴史』から消された事柄があれば、それは無かった事となり、
もしも『まことの歴史』に付け加えられた事柄があれば、それは有った事になる。
――『まことの歴史』に書かれた事は、決して避けられぬ運命に他ならないのだ。
創造神の力そのものと言える、まことの歴史を巡って神々の間で戦争が起きた。結果、世界に『穢れ』が生み出される事になる。
穢れによって地上は堕落し、争いの絶えない不毛な土地と化す。神々は手を取り合い穢れを取り去ろうと試みたが、穢れを完全に消す事は叶わなかった。
そして、自らの行いを恥じた神々は世界から去って行った。……二度と同じ過ちが起きぬよう、まことの歴史に呪いをかけて。
『まことの歴史に触れる者に穢れあれ』 ――それが神々がかけた呪い。
穢れは魂を重くする。穢れが積み重なった魂は地上からこぼれ、冥府に引きずり込まれる。冥府に堕ちた魂は『忘却の河』で穢れも、因果性すらも洗い流されて、重さの無い純粋な存在になり、また別の生命へと転生する。
だが神龍であるラクリマルムとアレテーオスは決して死ぬ事の無い、不滅の魂を持つ神位精霊だ。魂が穢れ、忘却の河に流されようとも、失うのは記憶ぐらいなもので、大した時間も置かずに現世へと戻って来るのだ。
――今、わたしの中で現状と設定が明確に結びついた。わたしがラクリマルムのままである事を証明しつつも、元々設定していたラクリマルムとわたしの差異を説明し、アウトマーティアを失望させずに済むシナリオ。
わたしは意を決して口を開く。
「……アウトマーティア。わたしはまことの歴史を見たの。勿論、対抗魔法は使っていたけど、それでも神々の呪いは抑えきれなかった。それでわたしの魂は冥府に堕ち、忘却の川に流されてしまったの」
「成る程…… ですが、私やアレテーオス様の名前を知っていたのは、どのような理由でしょうか」
アウトマーティアはわたしの心を探るように目を細めて言った。
流石に一筋縄ではいかないね……
でもわたしの設定は完璧だ。その辺は抜かり無い。
「二百年の研究は無駄じゃなかったって事だよ。穢れを消し切る事は出来なかったけど、影響を小さくする事は出来たの。忘却の川に魂が流されきる前に、わたしは現世に戻ってこれた。 ……だからアウトマーティア。貴女の事もちゃんと知ってるよ。アウトマーティアがどうやってわたしと出会ったのかも、それまでどうやって生きてきたのかも」
わたしの言葉にアウトマーティアは一瞬、複雑な面持ちを見せたが、直ぐに顔を引き締めた。
もう一押しかな。次に何を聞かれるかは大体予想が付く。
「しかし、どうやって……」
「――どうやって、まことの歴史を見た事を証明するか。……それならわたしの見た未来を教えるよ。これからこの神殿に訪問者が来るよ。アルウスの魔術師ウルラウスとヒュマスの剣士レグルスの二人。彼らは病に冒された皇帝の治療法を探してるの」
わたしはアウトマーティアの言葉を遮って答えを返す。小説のプロットは頭の中に入っているから、これから起きることを予言するぐらい、それほど難しい事じゃない。
アウトマーティアは何かを考えている様で、目を閉じて俯いていた。わたしたちの間にしばしの沈黙が流れる。
……ふと、顔を上げた彼女の表情は何処となく柔らかくなっていた。わたしを詰問していた時とは違い、落ち着いた声色で言う。
「……理解は致しました。ですが、まだ十分ではありません。私が今の話を信じるのは、その二人組とやらが姿を現してからです。具体的に彼らが現れるのはいつ頃なのでしょうか」
取りあえず、命拾いはしたようだ。一息ついてから考える。ウルラウスとレグルスが来るまでどれぐらい時間が掛かるんだろうか。それまでギスギスした感じが続くのも嫌だしね。プロットを頭の中に浮かべながら、わたしは質問に答える。
「時系列的に、わたしとアレテーオスの会談からそれほど……」と、途中まで言いかけた所で肌にビリビリと嫌な感覚が走った。アウトマーティアを見ると彼女も何かを感じたらしく、どこか遠くを見るような目線で、わたしの周囲をぐるぐると歩いてまわり始めた。
暫くして、わたしの背後で立ち止まり、
「……神殿の結界に何者かが干渉しているようです。しばしお待ちを」
と言って、アウトマーティアは目を瞑り左人差し指を眉間に当てながら「オクルス・レモータ」と、呪文を詠唱した。
『遠見』は離れた場所を見る高度な呪文だ。何が高度かと言うと、まず距離に応じて消費する魔力が上昇する事。そして正確に見る場所の座標を理解していなければならない。小説中では迷宮で部屋の中に罠が仕掛けられてないか確認したり、森の中で物音の発生源を確認する程度の使い方をさせるぐらいだ。
恐らく今のアウトマーティアは結構遠くを見ている。神殿の周囲に侵入者がいるなら悠長に遠見呪文で探すよりは、戦闘態勢を取った方が遙かに良いからだ。わたしのせいで右手を怪我してるしね。
では遠くを見ているアウトマーティアに莫大な魔力があるかと言うと、そうではない。彼女が遠見呪文を普通に使っているのは、ラクリマルムと一緒に造った結界の中にいるからだ。結界にも色々タイプがあるが、設置者と設置者に認証された人間は結界内部にいる限り、結界に費やした魔力と同じ量の魔力を自由に扱える。もちろん結界は超万能な最強フィールドという訳でも無く、設置にはそれ相応の魔力と時間が必要だ。
「うッ……!」設定を思い起こすわたしの頭に突然衝撃が走った。そしてなんだが右のツノがムズムズする。
「……アウトマーティア。わたしのツノ掴んでない? 掴んでるでしょ?」
背筋がぞわぞわするので止めて欲しいのだが。そんな願望を込めた質問にアウトマーティアは呪文の詠唱で答えた。
「コムウィーシオー」
視界が突然震え、高速で回転する。回転は次第に収まるが視界はぶれにぶれ、ピントがぼやけた世界の中、アウトマーティアの姿は無く、わたしはただ一人で座っていた。
【Historia】-ae
1)調査、研究
2)歴史、史書
3)物語、話