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第三話:邪神の従者

 わたしの背後から声を浴びせた耳の長い女性は、肌の露出を抑えに抑えた服装であり、その出で立ちは神々に仕える敬虔な神官を思わせた。くるぶしまで覆う白い上着は袖口が広く、どことなく平安貴族が着るような狩衣(かりぎぬ)に似ている。使われている柔らかな布地は金属の様な光沢があり、オイルランプの揺らめく光に合わせて薄らと輝いていた。

 ただ彼女の風貌はその神聖な雰囲気とは変わって冷徹そのものだ。彼女は瞬き一つすらせず、ガラス玉の様な眼から凍てつく視線をわたしに向けて放っていた。


「えっと、貴女は……アウトマーティア?」わたしは恐る恐る心当たりのあるキャラクターの名を口にする。彼女は器用にも、少しも表情を変えずに口だけを動かして答えた。

「何を今更、分かり切った事を……先ほどの奇行といい、冥府で水浴びでもなさったので?」


 辛辣ゥ! わたしだってあんな姿、人に見せたくなかったよ!

まぁ、こんな五里霧中の状態で敵に出会う事無く、むしろ味方と言える存在に出会えた事に感謝すべきだろう。彼女の名前は『アウトマーティア』。二百五十年ほども生きる長命なアルウス族の女性だ。



 アルウス族は容姿端麗であり、長身で華奢。水平に長い耳と薄い色の肌を持つ。様々な事を記憶するのに長けていて、そのため複雑な呪文や魔法陣の扱いなど、深い知識を要求する事柄に熟達している事が多い。反対に膨大な知識の中から最適解を探すのに手間取ることで、瞬間的な反応を苦手としているので運動神経に鈍い側面もある。まあ身も蓋もない言い方をすればエルフみたいな種族だ。


 そんなアルウス族のアウトマーティアはラクリマルム唯一の従者にして信奉者であり、ラクリマルムによる隷属計画の趣旨を理解しながらも、ラクリマルムを献身的にサポートする副官的存在である。

 なのに何故わたしにこれほど冷淡なのか理解出来ない。ちょっとエキサイトしただけなのに……取りあえず彼女の方に身体を向け、ボスらしく言い訳――もとい説明をしよう。

「ゴホン。アウトマーティアよ。わらわはその……そう! 実験をしていただけなのだ!」

「実験ですか?」彼女の視線が一層鋭くなった。


 何で疑うのさ……そりゃ嘘だけど。

けどもう、後には引けない。嘘も主張し続ければ本当になるのだ。


「そ、そうだ。色々な詠唱の仕方をな……」

「魔力を込めずに発動するような魔術など、寡聞(かぶん)にして存じ上げませんが」


 えっ、魔力こもってなかったの? ちゃんとわたしが小説で描写したとおりにやってたと思うけど……こう、あれかな。本気度が足りなかったのかな。いや、そんな事考えてる場合じゃない。何とかこの場を切り抜けなければ。


「あー、いや、それはだな……う、うむ。魔力をちと使い過ぎてな!」

 ううっ、苦しい言い訳だ。アウトマーティアの視線がますます険しくなる。


「それでな、アウトマーティア。人体変化呪文を使いたいのだが、何ぞ良い案は無いか?」

 ――沈黙が流れる。

そしてここに来て、突然彼女の顔に戸惑いの表情が浮かび視線が沈む。何か不味い事でも言ってしまったのだろうか。俯く彼女に恐る恐る声を掛ける。


「ア、アウトマーティア?」

 わたしが声を掛けると彼女は直ぐに顔をこちらに向けて、返事をした。

「…………失礼致しました。解決策を考えておりました。この場合でしたら、呪文巻子(かんす)が役に立つでしょう。しばしお待ちを」


 アウトマーティアは言葉を終えるや否や、ちょうど何かを差し出すように、手の平を胸の前に突き出して、呪文を唱えた。

アクキオー(来たれ)ロトゥルス(変化の)・ムーターティオ・ウェステ(呪文巻子)ィス」


 壁際に置かれた書棚の幾つかが震えだし、数枚の巻かれた紙が矢のように彼女の手元に飛んでくる。彼女が使ったのは、物を手元に呼び寄せる呪文『招来(アクキオー)』だ。

 アウトマーティアは呪文書に付けられたタグを手早く確認し、目的の人体変化呪文を見つけると、巻物を広げて絆創膏の様にわたしの前脚にぺちりと貼り付けて、呪文を唱えた。


「ムーターティオ・ウェスティス」

 アウトマーティアの詠唱と同時に、背筋をなでられた時のようなゾクゾクする感覚が身体を駆け巡った。

 何だか変な感じだ。脚から血液が巻物に向かって、凄まじい早さで流れ出している様な。けれど、痛みは無い。気持ち良い様な、悪い様な何とも言えない感覚。


 そんな奇妙な感覚に気を取られている間に、わたしの身体を幾つもの光の帯が取り巻いている事に気がついた。アレテーオスの時と同じだった。微妙に違うのは、光の帯が巻物に書かれた魔法陣から出ている所ぐらいだ。

 だんだん帯の数は増えていき、殆どミイラ男の様な状態になった頃、光はわたしが目を開けていられない程に輝きを増す。背筋を震わせるザワつきが強くなり、不快な感覚を押さえようと自然に全身の筋肉に力が入る。


 暫くして、不愉快な感覚と、まぶた越しにでもハッキリと分かる強烈な光が収まったのに気づいた。目を恐る恐る開けると、アウトマーティアが険しい顔でわたしを見下ろしていた。


「……お召し物を持って参ります」と言って、アウトマーティアは使わなかった巻物を手にしながら、大広間を出て行った。


 わたしは自分の身体に目をやる。

……幼女だ! そしてハダカだ! なんでだよ! アレテーオスは服着てたのに!

ひとまず落ち着いて、目を凝らし、磨かれた床を鏡代わりにして自分の容姿を確認する。


 見かけの年齢は人体変化したアレテーオスと同じぐらい。しっとりとした黒髪からは二本の角が生え、眼は赤く爛々(らんらん)と輝き、何処かふてぶてしい顔つきだ。尾てい骨のあたりからは腕よりも太い、龍のしっぽが生えていて、わたしの意志で自由に動かせた。一糸纏わぬ身体には傷一つなく、肌はぷにぷに。ふうむ。夜更かしとファミレス飯で荒れ地と化した、元の世界のわたしとは大違いだな!


 まじまじと人になった自分の姿を眺めていると、綺麗にたたまれた黒い衣服と革のサンダルを持ってアウトマーティアが部屋へ戻って来た。

「お待たせ致しました。どうぞこちらをお召しください」

「うむ」と、わたしは偉そうに返事をして手を差し出す。


 ――沈黙。何か変な事言ったかなと思っていると、

「……お手伝い致しますので、どうかそのまま」と、アウトマーティアが気まずそうに声を発した。


 オッケー、そういう感じね! わたしは人形に徹する事にした。


 アウトマーティアは手際良く、わたしに下着代わりの布を巻き、チュニックをかぶせ、上着を掛ける。服の着付けが終わり、その出来映えを確かめた後、彼女は手を二度打ち鳴らした。すると、床のタイルが浮き上がり、下から私の背丈の何倍もある本棚がせり上がって来た。

 瞬く間に広間は本棚で埋め尽くされ、さながら書庫の様になったが、わたしとアウトマーティアが居る場所の本棚だけは、ちょうどわたしの腰元の高さで止まっていた。


 アウトマーティアに促され、椅子代わりに本棚へと腰掛ける。サンダルは幾つもの革紐を結んで固定する複雑なものだったが、彼女は慣れた手つきで素早く、両足分の結びをあっという間に終えた。


「お疲れでしょう。執務室に簡単な食事をご用意しております」

 言われて気が付いたが頭にもやが掛かった感じがあり、風邪を引いた時の様な倦怠感が身体全体を包んでいる。お腹の具合は何ともなかったが、それが逆に奇妙な感じだ。別にお腹が減っている訳でも無いが、満たされている訳でも無い。ただ折角用意してくれたものを無駄にする訳にもいかないので、彼女について行く事にする。



 アウトマーティア先導の元、アレテーオスが破壊した扉と真逆の方の扉へと進む。扉を開けた先はローマ式の邸宅、いわゆる『ドムス』と同じような構造になっていた。


 廊下を少し進んだ先はアトリウムで、黒大理石に施された象嵌(ぞうがん)細工が、緑とも青とも見分けが付かぬ色で結晶質に煌めいている。

 アトリウムの中央には四角い天窓があり、そこから差し込む陽の光が丁度真下に床を窪ませる形で作られた長方形の水槽『雨水盤(インプルウィウム)』を照らす。雨水盤には白い雲が流れる爽やかな青空が映り、水面に浮かべられた花々が鮮やかに彩りを添えていた。


 応接間を過ぎると、奥には蛇腹に開閉出来る木製のパネルで閉ざされた部屋がある。ここが目的の『執務室(タブリヌム)』だろう。アウトマーティアが扉をたたみ、わたしを部屋の中へと促す。


 執務室に入ると背丈以上に大きな厳めしい机がわたしを迎えた。机は金銀で美しく装飾され、羊を象った脚は形良く僅かにもガタつきはない。机の後ろに置かれた椅子は玉座を思わせる仰々しいもので、今のわたしではよじ登らなければならないぐらいの高さがあった。部屋の隅に置かれた丈のある銀の燭台(しょくだい)にはロウソクが灯り、書字板や冊子本が乱雑に納められた本棚が壁一面に設置されていた。


 アウトマーティアが音一つ立てずに椅子を(うやうや)しく引く。どうすれば良いんだわたしは。ここで椅子によじ登ろうものなら、それはそれで可愛いけど、ラクリマルムらしい行動では無い。仕方が無いのでアウトマーティアに目で訴えかける。すると、彼女は慣れた手つきでわたしを抱えて椅子に座らせた。 ……これはラクリマルム的にアリなのだろうか。


 余計な事は頭の中から捨てて、食事に集中しよう。わたしは机の上に用意された食事に目を向けた。机の上には切り子硝子の盃と、幾何学様式の酒壺(アンフォリスコス)、火の灯っていない燭台があった。


 アウトマーティアが厳かに酒壺を傾け、青色の液体が盃に注がれる。液体からは桃の香りが漂い、盃が満たされる頃には、部屋中が甘酸っぱい空気でいっぱいになっていた。今ので給仕は終わったようで、彼女は静かに酒壺を置き、わたしの斜め後ろに控えた。


 ……これが食事なの?

わたしが疑問をもった目でアウトマーティアを見つめると、彼女もまた不思議そうにこちらを見つめて来た。見つめ合ったまま、一瞬静寂が流れる。暫くしてアウトマーティアが物思わしげに口を開いた。


「こちらはネクタールです。広間の術式を使わずに変化呪文をお使いになりましたので、かなり魔力を消耗したかと存じますが無用な配慮でしたでしょうか」

「い、いや。うむ、ご苦労。頂くとしよう」


 やっぱりこれが食事みたいだ。そして合点がいった。さっきから感じる妙な倦怠感は、急に魔力を使い過ぎると起きる『魔術酔い』だったのだ。元々の小説でも、大規模魔法を唱えた主人公が魔術酔いで倒れるシーンを書いた気がする。


 変化魔法自体はそれほど大規模な魔術では無いけど、姿形が大きく変わる場合には、それに見合った魔力が必要になる。ラクリマルムの様に巨大な龍から女児に変化するには、かなりの魔力が必要だ。

 それを補うのが『魔法陣』であり、規模の大きさに応じて魔力を肩代わりしてくれる。正確に言えば、魔法陣を使わない魔術が応用編で、その場合は自分の身体の中に魔法陣を魔力のインクで書くイメージだ。始めから床なりに書いておけば、その分魔力というインクを節約出来るという訳になる。


 取りあえず、目の前にある飲み物を飲む事にする。今感じている気だるさが魔術酔いの症状なら、強力な魔力回復薬であるネクタールを飲めば何とかなるはずだ。


 盃に注がれたネクタールはラメ入りのマニキュアの様にキラキラと輝きを放っている。 ……とてもじゃないけど飲み物には見えない。だがそろそろアウトマーティアの視線が痛いので、意を決して口にする事にした。


 ……匂いは完全に桃ジュースだな。

 少し口に含んでみると、口触りは見た目と違いサラサラしていて思ったよりは普通。問題は味の方だ。強い甘みがあるけれど、ノンカロリー飲料みたいに妙な感じで舌に残る。薄い酸味もあるが、何より口がギシギシする渋みが気になる。不味くは無いけど別に美味しくもない、微妙な味だ。


 大して美味しくも無い上に別に喉が渇いている訳では無かったので、わたしは多少無理して飲み干した。すると直ぐに身体からは気だるさが失せ、頭がスッキリしてきた。

 わたしが身体の調子を確かめる為に手をニギニギしていると、マーティアは酒壺と杯を脇にどけ、灯の消えた燭台を机の中央に持ってきて「小手調べなら、こちらをどうぞ」

と言った。


 ふうむ。何だかアウトマーティアの視線に疑惑の感情がこもっているのを感じる。人の感情を察するのは、わたしが孤独な学生生活の中で身につけたスキルだ。間違いない。

 消えた燭台を持ってきたのは多分、ろうそくを魔術で灯して見ろという事なんだろう。あれだけ肉体変化呪文の失敗を見られているのだ。中身が入れ替わっていると感づきはしないにしろ、何か異変があったのは間違いないと踏んでいるのだろう。簡単な魔術を使えるかどうかでわたしを試すつもりなのだ。


 だが今のわたしなら行ける気がする。ネクタールを飲んで気力十分だし、さっき呪文巻子で肉体変化をした時に分かった。始めに肉体変化しようとして、わたしが何となく集中したのと、意識して魔力を操作する感覚は全く違うのだ。身体の中に別の心臓があって、そこから魔力という血液を任意の場所に移動させる感じだろうか。


 ともかく、今は疑念を晴らす事に専念しよう。わたしはろうそくに手の平を向け、魔力の操作に意識を集中させる。手の平から伸びた糸がろうそくの芯と繋がる様に。


 想像の糸が手からろうそくへと、しっかり結びついたのを目に焼き付け、わたしは『発火(イグニオー)』を口にする。……今度は失敗しない様に、呪文の文字一つ一つを読み上げる『完全詠唱』を使おうではないか。


「ヨッド・ザイン・ヌン――」

「ラクリマルム様ッ! なりません!」


 アウトマーティアが詠唱を遮ってわたしに手を伸ばす。

瞬間、部屋は凄まじい光と炎に包まれた。

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