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第二十三話:デ・レ・コクイナリア

おお、アピキウス! 君はその胃に六千万セステルティウスを費やした。

それでも、まだ一千万セステルティウスは残っていたのに。

飢えと渇きにもだえ苦しむと思い込んで絶望した君は、

末期の酒にと毒薬を盃で(あお)ってしまった。

ああ、アピキウスよ! まこと素晴らしい飲みっぷりだったな!

             ――マルティアリス 『エピグラマトン』3-22

 古代ローマの人々が食事に掛ける情熱は並々ならぬものだった。彼らは美食の神髄を探し求めて、数え切れない程の財貨を珍しい食材やスパイスに費やしていた。その様子を紀元一世紀の賢人、大プリニウスは『博物誌』の中でこう記している。

『カリグラ帝の治世、執政官アシニウス・ケレルはヒメジ一尾を八千セステルティウスで買ってみろ、と浪費家たちに挑んだ。この賭けの結末は知る由もないが――これを聞いて思うのは、日ごろ贅沢について不平を述べておきながら、料理人ひとりの値段が馬一頭より高いことを問題視する人々のことだ。今ではひとりの値段が馬三頭分であるにも関わらず、料理人三人分の代価をたかが魚一匹に費やすというのだから』(博物誌 9-31)


 ――けれども情熱の結晶である古代ローマ料理が現代人の口に合うかと言われれば、そうではない。なにしろ味付けが濃すぎるのだ。

 古代ローマ人は『素材の味』を好まなかった。稀代の食道楽アピキウスの言い回しを借りるとすれば、山羊の肉が『山羊っぽい匂いを発する』のであれば、料理人は何とかしなければならない。食材とは料理人の芸術的技巧を発揮する真っ白なキャンバスである。仔羊を調理して仔羊の味がするならば、何処にも技巧があるとは見做されないのだ。


 今まさにわたしの眼前へ広がる種々雑多な調味料は、そうした文化の発露だろう。地中海世界を元にした創作だ。食文化も当然ながら準じているわけである。



「――これは橄欖(オリーブ)油、こっちがリクァーメンで、この小瓶は魚醤(ガルム)。あと蜂蜜と(ポスカ)とセリノンの種と……」

「よくもまあ、そんなに調味料を持ち歩いておるな。それなりの荷物になろうものを……」

「料理番は交代制だからさ、一日おきにウルの料理を食べるハメになるからね……」

レグルスは力なく笑いながら調味料を並べ続ける。そんなに不味い飯が続いていれば適当なご飯でも美味しく感じるだろうから、がっちりローマ風の味付けにしなくても大丈夫かな。あくまで目的はわたしのご飯なので、寄せるのはそれなりにしておこう。


 さて、調理法を考える前に味見だ。まずは温かさの残るテンタクラの端っこを短剣で削いで口に入れる。

 ふーむ……風味はタコそのものだな。けどちょっとばかし泥臭い……川とか沼に住む魚の感じがする。あとアホみたいに硬い。ゴムの切れ端食べてるみたいだ……ゴムの切れ端食べた事ないけど。

 続いてミラッカだが、柑橘類らしい爽やかな香りだ。だが果肉はとても酸っぱいうえに、皮と果肉の間のフワフワしたヤツ――アスベストだかアボガドロだか名前は忘れたが――は相当苦いし、切る時に巻き込んだ皮の油はかなり辛い。葉はこれまた苦辛く食べられそうにもないが、何となくトムヤムクン的な匂いがするのでハーブとして使えるかもしれない。

 最後にステラペタルム。水分を豊富に含んでいてサクサクした食感だが、味は気の抜けた酸味だけで不味くはないが美味くもない。根性無しのエセリンゴ風野菜といった所。


 ……とりあえず試食して大体の方向は定まった。環境も材料も恵まれているとは言い難いが、それは言っても仕方がない。兎にも角にもレッツ魔物クッキングだ。


「よし、ウルラウス。テンタクラを適当な棒で良く叩いた後、人差し指感覚で切り込みを入れよ。刃は断ち切るほど深く入れてはならぬぞ」

「分かりました……ですが何の意味があるので?」

「隠し包丁と呼ばれておる技法だ。味を染みやすくするのと、スジを断ち切って柔らかくする目的でやる。今回は後者だな」

「成程……」

「マーティアは乾酪(チーズ)とミラッカの皮、ニンニクを細かく切り刻むのだ。それからレグルスはセリノン(セロリ)コエンドロ(コリアンダー)クミヌム(クミン)の種をすり鉢で良く挽け」

「えっ、僕も参加するの?」

「働かざる者食うべからず。美味い飯が食いたいのだろう?」

「……じゃあマルムは何するのさ」

「わらわは仕上げに加えてもう一品作る。そなたも黙って働けい」


 マーティアの手前、指示出しだけにしておこうかと思ったが、主食は恐らく鉄板の如く堅い『軍隊堅パンパニス・ミーリターリス』だろう。そうなるとスープが必要になってくる。適当に色々ぶっ込んでシチューを作ろう。


 平鍋でミラッカの葉とレグルスが挽いたスパイス全種をオリーブオイルで香りが立つまで炒める。続いてざく切りのステラペタルムをたっぷり、スライスしたミラッカの実を数枚入れ、梨の塩漬けを基にした塩調味料のリクァーメンと酢で味を調える。ある程度火が通ったら、頭を取った煮干しと水を入れて沸騰させる。最後にぶつ切りのテンタクラと魚醤を一回し投入、火を鎮めて沸かさぬように弱火で煮る。


「まあ、鍋はこんなものかの。そちらの首尾は?」

「万事整っております」

マーティアは出来上がった材料を見せて言う。丸の食材は見事に調理を今かと待ちわびる材料へと変化を遂げていた。準備は万端のようだ。続いて焼き物に取りかかろう――と、その前に……

「ウルラウス、包み焼きを作ろうと思うのだが、適した葉を採って来てくれまいか? 丈夫である程度の大きさがあるものが良い」

「分かりました。すぐにお持ち出来るかと」

ウルラウスは松明片手に辺りを探しに行った。わたしもグリルの準備を始めよう。


  まずはたっぷりのチーズにリクァーメンを少し、それにニンニクを合わせ、蜂蜜を隠し味程度に加える。これらを良く混ぜてペーストとし、それをテンタクラの上に広げる。最後にクミンと塩を合わせ振りかける。これにて準備は終了。


「お待たせしました。こんなもので良いでしょうか」

タイミング良くウルラウスが大きな円形の葉を数枚ばかり携えて戻って来た。

「ふむ、これで大丈夫であろう。手間を掛けたな、ウルラウス。仕上げに移るとしよう」


 葉は良く水洗いし、テンタクラのペースト乗せを包んで紐で縛り、焚火の灰の中へ(うず)める。あとは良く火が通るまで待つだけだ。



「結局マルム様の手を煩わせる事になるとは……」

マーティアがスープの鍋をかき混ぜながら申し訳なさそうに言った。

「気にするな、わらわの好きでやっておる。それより出来上がるまで時間が掛かる。今の内にウゥルカーニアへ行く理由でも話しておこうと思うのだが」

「そういえば理由がまだでしたね。人に用があるとかで。一体何者ですか?」

「……白銀大燈台が再び灯った。その主に用がある」

「よもや! それはまことですか、マルム様!」

マーティアがにわかに立ち上がった。


 宗教国家ニウァリス神聖法国、その中心に位置する白銀大燈台は、この世界で主流の宗教『九神正教』の総本山であり、ニウァリスの重臣が集まる政治の中心部でもある。

 燈台は宗教的象徴そのものであり、最上部に設置された神代の魔術具『救いの灯火』はその核たる聖遺物である。灯火は昏き世界を照らし、悪しきものから人々を護る神々の加護――だが二百年の間その灯は消えていた……灯火の炎を生み、そして守る『姫巫女』がいなかったからだ。


 燈台に選ばれるはずの巫女は、先代姫巫女が失踪を遂げてより誰一人として指名されることはなく、どんなに優秀な魔術師とて燈台を灯す事は出来なかった。

 燈台の灯が消えて困ったのはニウァリスの為政者たる法王とその重臣たちだ。救いの灯が消える事は、神々の加護が消える事と同じ。宗教的権威に頼って政治を行っていた彼らは、権力の危機を前に強硬手段を取る事にしたのだ。


「燈台の連中は救いの光を外から()び出した者の力によって灯したのだ」

「一体誰が……私も帝都冒険者組合の指名により調査に赴きましたが、さすがに神代の遺物。私の見立てでは常人に……いえ、この世界の誰であろうと原因の究明すらままならぬものであると」

ウルラウスが焚火を見つめながら呟いた。

「新しき姫巫女は召喚されたのだ。この世界の外……異世界からな」

「異世界ですと……!」



 平凡な日常を送る女子高校生 火乃守(ひのもり) ホムラ。彼女はとある日の放課後、炎と揺らめく不思議な小鳥に誘われ異世界へと足を踏み入れる。転移した先はニウァリスの聖堂であり、司祭に言われるがまま灯火の器に触れた彼女は、灯火を復活させる事に成功する。こうして新たな姫巫女として認められたホムラは、現代の知識を活かしてニウァリスを発展させたり、邪神に取り憑かれた帝国の皇子となんやかんや事を構えるたりするのである。

 つまるところニウァリスの新姫巫女『火乃守 ホムラ』は、わたしの小説『転生したら救国の巫女でした』の本来の主人公――そして彼女こそが神代霊薬の穢れを祓う事の出来る『鍵』なのである。


「異世界より来たる姫巫女ホムラの力無くして、皇帝を救うこと(あた)わず。何としてでも帝国の手中に収めねばなるまいよ」

「けどマルム。その姫巫女様はニウァリスに属してるんじゃないの? 何というか、引き抜くと政治的に色々マズそうなんだけど……」

「問題はない。色々と考えておるでな――と、そろそろ頃合いであろう。夕餉としようではないか」



 灰の中から取り出した包み焼きを開けば、チーズとニンニクの香りが辺りを漂った。融けたチーズは未だぷつぷつと小気味良い音を奏で、何とも食欲をそそる。焼き物は上々。

 取り分けられたスープはスパイスの得も言われぬ複雑な香りと、立ち上る酸っぱい湯気と共に口に唾液を溢れさせた。こちらも良い仕上がりだ。


「テンタクラのチーズ焼きアテーナイオス風、テンタクラとミラッカ鍋の完成だ」

「これは……! 帝都の宿屋(タベルナ)にも引けを取らない出来映えですね! 時にアテーナイオス風とは?」

「ぬ……まあ、作家の名だ。ヤツの著作に出てきた調理法を真似したでな。本来は鯛を使うようだが……」

 ナウクリティスのアテーナイオスは著作『食卓の賢人たち(ディプノソフィスタイ)』で知られる二世紀頃のギリシア語散文作家だ。彼が記した文献は当時の風俗や文芸など多岐に渡る話題が取り上げられる貴重な資料で、中でも食材とその食べ方に関する記述は当時の料理を知るうえで重要だ。現世のわたしも大変お世話になった。


「成程。恥ずかしながら存じ上げませんでした」

「こんな場所でちゃんとした料理が食べられるんだから何だっていいよ。もう食べていいよね、マルム?」

「うむ、熱いからな。気を付けて食べよ」


 わたしも冷める前にさっさと食べよう。チーズ焼きを短剣で小さく切り分け、銀のフォークで口に運ぶ。

 テンタクラの食感は柔らかく簡単にかみ切れた。けれど歯ごたえが全く無いという訳じゃなく、噛む度にぷつりぷつりと跳ねる噛み心地は顎にも楽しい。口の中には塩気の強いチーズとニンニクの力強い香りが渾然一体となって、食べれば食べるほど活力が沸いてくる気さえした。やや油分が強すぎるきらいがあるが、スパイスとして使ったクミンのキックで上手く纏まっている。


 続いてスープだが、かなり独特で正直好みが分かれる所だろう。三種のスパイスとシトラス、そこに酢も合わさり複雑な香りだ。いざ口に含めばピリリと辛く、酸味も相まって行軍に疲れた身体に染み込む感じがする。味わえば煮干しと魚醤の深い旨味があり、ともなうクセは柑橘の爽やかな香りが消し去ってくれる。何より最も素晴らしい点は、堅くてボソボソした堅パンも、スープに浸せば労せず食べられる点にある。だが……


「もう少し上手くやれたかの……いささか調味料が強すぎる」

ジャパニーズ的な観点から言わせて貰えば、タコはワサビと醤油があれば十分だ。塩茹でだけでも美味しく食べられる。何だかんだで古代地中海に寄せすぎてしまったらしい。哀れタコの風味は完全に抹殺されてしまっている。


 失敗したな、と料理をつんつんするわたしを見かねてか、レグルスが声を掛けてくる。

「いやいやマルム、すっごく美味しいよ! 宮殿の晩餐に出てきてもおかしくないぐらいだよ!」

「ええ、マルム様の料理がこれほどまでとは思いもしませんでした。これだけの腕前があって魔術も扱えるのですから、一流の冒険者たちが知れば放っておきませんよ」

「このような雑事にも通じておられるとは、このマーティア、恐れ入るばかりです」

「そうか、美味いかえ……それは、良かった。良かったとも……」


 レグルスを皮切りに皆が次々と賛辞の声を上げ――そのたびにわたしの複雑な気持ちは膨れていく。彼らわたしとは違う感覚なんだ、ここはわたしの生きてきた世界じゃないんだ、と。


 旅の仲間たちの声はただただ遠くて、透明で……(むな)しかった。   

 今話中の『煮干し』とはカタクチイワシの干物で、ヨーロッパではアンチョビーとして知られる物です。これに類するカタクチイワシを使った干物は、世界各地に見られるようです。


 また調味料『リクァーメン』についての補足を活動報告に載せておきます。


【マルクス・ウァレリウス・マルティアリス】

 一世紀頃のラテン語詩人。痛烈で容赦ないウィットに富んだ風刺詩で知られ、帝政ローマの日常をありありと書き出したエピグラムの巨匠。


【ガイウス・プリニウス・セクンドゥス】

 一世紀頃の学者、政治家、軍人。甥のC.プリニウス・カエキリウス・セクンドゥスと区別の為、もっぱら大プリニウスと呼ばれる。

 多岐にわたるジャンルの学問知識をまとめた著書『博物誌』で知られる。

七九年にウェスウィウス火山が噴火した際に、火山現象の調査と友人の救出の為にナポリ湾南東の町スタビアエへ向かい、その地で火山ガスによる窒息のため死亡した。


【マルクス・ガウィウス・アピキウス】

 一世紀頃のローマにて大変な食通として知られる料理人。世界最古の料理本『アピシウス』にその名を残すが、近年の研究により同人の著作ではない事が明らかになっている。

 凄まじい浪費家だったらしく、現代の貨幣価値に換算して三百億円以上を食事に費やした挙げ句、その段になって所持金を計算したところ残り五十億円”程度”だった事に絶望し、貧困に陥るのを恐れるあまり服毒自殺した。

 当時の知識人は贅沢が国を衰退させると信じていて、哲学者の小セネカや著述家プルタルコスなど他多数からボッコボコに叩かれており、彼を擁護するような文献は殆ど存在しない。

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