第二十二話:冒険者の食事
叢がる樹々の 木下闇
砂漠の岩には 水音無く
道も知れずや 雪野原
山河が寝床の 根無し草
着の身着のまま 気楽な旅路
野営の灯りを 包む香は
楯にも負けぬ 堅パンに
つるぎは乾魚 我が夕餉
焚火を囲む 朋友と
炎に見ゆる 郷の風
――詠み人知らず
遠征中の冒険者が口にする食事は、とてもではないが御馳走と呼べるようなシロモノではない。彼らの食事は携行性と保存性を何よりも重視するがゆえに、食味が重要視される事はほとんど無いからだ。
もちろん食料兵站につきまとう諸々の課題は、現代の軍隊とて頭を悩ます問題ではある。しかし昨今の戦闘糧食は技術と概念の発展により、飛躍的な進歩を遂げている。
現代兵士の食事にはストレスコントロールを含めた兵員の健康管理という観点から、その役割は栄養補給のみならず戦時の娯楽として、発熱剤を利用した暖かい食事にチョコや飴などの菓子類、果ては酒類やタバコといった嗜好品までもがパッケージされているのだ。
……けれどもそれは、わたしのいるこの世界では夢のまた夢の話。この世界では兵士をコントロールするために質素な食事、あるいは目にもおぞましい血と臓物と胆汁で作った食事とは言えぬ代物を常食とする国すら存在するのだ。彼らには戦場にてようやく美味しい食事が振る舞われる。そうする事で嬉々として戦地に赴く兵士を育て上げる訳だ。
そういった事を考えれば冒険者の食事はまだマシな方だろう。彼らが野営中に取る食事は大抵の場合、鉄板と蔑まれる程に堅く焼きしめられたパンに干し魚、ニンニクとタマネギ、それにチーズとドライフルーツがあれば上々だ。
問題があるとすれば、少人数がゆえに不測の事態に陥るリスクが高いということ。多くて十人前後の冒険者たちには、トラブルに見舞われた際にマンパワー任せの力業は望めない事が多い。最良の選択肢が”嵐が過ぎ去るのをただ待つのみ”という状況も少なくないのだ。ゆえに熟練の冒険者は常日頃から食糧の節約を心掛ける――狩りの獲物を口にすることによって。
「で、ウルラウス……ソイツをそのまま焚火に突っ込むのか?」
「ご明察です。マルム様」
テンタクラをなでながら、焚火に薪を追加するウルラウスは微笑みを浮かべながら返した。
「――うぬっ……いや、なんでもない……それで、焼いた後は?」
「…………晩餐の完成ですが?」
「このたわけぇッ! そんなモノ喰えるワケなかろうッ!」
別に魔物を食べるのがイヤな訳じゃない……ホントはちょっとイヤだけど……けどそれ以前に、材料を焚火に突っ込むだけってのは料理じゃないだろッ! そりゃそういう料理もあるだろうけど、下ごしらえとか! 色々あるじゃん!?
不意にレグルスが震えるわたしの肩を叩いて言った。
「諦めなよマルム。ウルは何食べても美味しいって言っちゃう人だから……」
「まあ味覚が鈍感なのは否定しませんけれども、それも大事な才能の一つだと私は考えてます。選り好みの激しさのせいで、飢え死ぬよりはよっぽどマシでしょう?」
……そりゃそうだけど、火炙りの刑じゃないんだからさ……テンタクラが哀れで仕方ない。それにやっとまともなご飯を口に出来る機会だ。ここはわたしが腕を振るって、テンタクラをちゃんとした料理に変身させてあげるべきだろう。ここにいる人間で料理出来そうなのわたしだけだし……
「ウルラウス、そなたはもうテンタクラに触るでない……わらわが料理する。そなたは他の食材でも探して参れ」
「何もマルム様が手を汚さなくとも……」
マーティアが止めに入ってくる……余計な事を。言いたい事は分かるがわたしはマトモなご飯が食べたいだけなのだ。
「そなたに料理の経験はあるまいマーティア。食材探しに参加したらどうだ?」
「ですが……」
「ならば私がマルム様の指示に従って調理しましょう! 料理の経験はありませんが、魔物の解剖はそれなりにこなしておりますので。マーティア様とレグルスで採集に向かう。我ながら妙案です!」
「黙れ! 誰が異邦人の指示になど従うものか!」
「おやおや。育ちの良いマーティア様には生き物の解体など無縁と思っておりましたが、心得があるのでしょうか?」
「これ、つまらぬ争いは止めよと申すに…………マーティア、こたびはウルラウスの言う通りであろう。まともな食事は我が望み。そなたは食材探しを頼まれてはくれぬかの?」
「…………マルム様がそう仰るのであれば。足を引っ張ってくれるなよッ、皇子!」
マーティアは渋々といった様子で、レグルスを連れて辺りの散策を始めた。
「……ハァ、困ったものよ。そなたもマーティアを煽るのを止めてくれぬか」
「そんなつもりは全く無いのですが、どうも相性が良くないようで」
「よう言うわえ……しかし、なにゆえマーティアの育ちが良いと分かった?」
「芳草を呑む人間を見た事がないなんて、世間知らずが過ぎるというものですよ。街へ繰り出せば芳草行商の呼び声を聞かない日はありませんからね」
「しかし、それだけでは……」
「――それだけではなく、彼女は私の事を異邦人と呼びました。同じアルウス族をそう呼ぶのは、私の知る限りニウァリス神聖法国の連中だけですよ。恐らく喫煙する私を同族と見做さなかったのでしょう。ニウァリス人は他国人とその文化を極度に嫌いますからね。そういった事情を考慮した上で私の予測ですが、マーティア様はかつてニウァリスの中枢『白銀大燈台』の上層……」
「もうよい。それまでだ、ウルラウス」
とんだやぶ蛇だった。小さなワードからこんなにも正解に近づいてくるとは。これ以上話を続ければ何処までたどり着くか解ったものじゃない。わたし自身へ話が転ぶ前に話を終わらせるが吉だ。
「わらわが始めた話とはいえ、これ以上の詮索は無用ぞ。そなたにも知られたくない秘密の一つや二つはあろう」
「ふむ…………私とした事が、無思慮にも程がありました。この話は忘れて目の前の事に集中しましょう」
「うむ」
ひとまずはテンタクラを観察だ。見た目がタコだからといって、そのままタコの調理法が流用できる訳もない。何しろコイツは現実と違って陸に棲んでいるし。
足一本の長さはわたしの杖と同じぐらい。広げれば足の端から端の長さは三メートルと少しって所だろうか。体表は普通のタコと違って”ぬめり”が無い。まあこのサイズを塩揉みする訳にもいかないので好都合だ。だがぬめりの代わりか丈夫な皮が体全体を覆っている。この皮は不思議な事に足の先端に向かってなでると滑らかだが、逆向きだとザラつく感触だ。何となくいつまでもさわさわしたくなる。
「ふうむ面白い。まるでサメ肌だな。そなたが終始なで回すのも分かる」
「でしょう? 恐らくは地上に適応した結果かと。ぬめりによる身体の保護は水分を必要としますから、丈夫な皮膚を持つように変化したと思われます。そうすると吸盤の働きに支障が出ますから――ほら、海のものと比べて吸盤が小さいでしょう?」
「あ、ああ……」
「方向性のある皮は足による締め付けを補助するものなのでしょう。締め付ける際はなめらかに足を滑らせ、逆方向には引っかかりがある事で簡単に拘束が外れないようになっているのです。いやあ、実に興味深い!」
「分かった。もう講釈はその辺で良い。解体に移ろうではないか。な?」
魔物談義は置いておいてさっさと下処理をしなきゃならん。時間もそれなりに経っているので内臓に近い部位は怖い。よって足だけ切り落とし、そこを食べる事にする。
「よし。まずは胴体と足を切り離し、頭の部分は捨てよ。腹を下しても困るでな。あと足の先端も使わぬので、これも切り捨ててよい。しかる後に皮を引く。堅くて食べられそうにもないしの」
「分かりました」
ウルラウスは短剣を使って器用にテンタクラを解体する。大した時間も掛からず、わたしの目の前に八本の白い”サク”が出来上がった。
「ここからどうしましょうか」
「そうさな、軽く湯通ししてから縦半分に割った後、さらに二等分しよう。湯は沸いておるな?」
「ええ。湯にくぐらせる程度で良いんですね?」
「うむ。タコは火を入れすぎると堅くなるゆえな」
沸き立つ鍋に切り身が投入され、程なく引き上げられる。湯で引き締まったテンタクラの身は、湯気と共に得も言われぬ香りを立てた。こうなってれば立派な食べ物じゃないか。俄然やる気が湧いてきたぞ。
テンタクラが食材として生まれ変わると時を同じくして、レグルスとマーティアが食材探しから戻って来た。
「帰ったか。首尾はどうだ?」
「あんまり。若いミラッカとステラペタルムぐらいだね」
レグルスは両手に抱えた植物を置いて言った。
ミラッカは爽やかな香りのする小粒なしわしわの柑橘類だ。熟すとオレンジに色づき、程よい酸味と甘みが美味の果物だ。若い状態では緑に赤いまだら模様の何とも毒々しい見た目で、苦くて酸っぱい上に辛い。これは油胞に唐辛子の辛み成分カプサイシンを含むためで、その芳香と相まって魔物避けに使われる。ウルラウスが野営地をこの場所にしたのも、辺りにこの木が群生しているからだろう。
ステラペタルムはロゼット状に葉が重なるベンケイソウ科の多肉植物。薄ら青白く光る葉を放射状に持ち、その姿から『星朧華』とも呼ばれる。地面からダイレクトに花が咲いたが如き奇怪な見た目だが食用可能である。光る葉は魔力を含む為であり、錬金素材としても用いられる。夜の暗い森でも容易に探せる食材だ。
まあ急に言ってこれだけ集まれば上々と言った所だろう。
「ふうむ、及第点だな。今宵の晩餐はひとまず何とかなろう」
「……無礼千万は承知の上で伺いますが……マルム様は調理の経験がおありなのでしょうか?」
「まあ見ておれマーティア。神龍が知識に限界は無いということ、教えてやろうではないか」
あんまり豊富とはいえない食材だが、初の異世界飯だ。存分に腕を振るってやろうじゃないの!