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第二十話:旅の始まり

 レグルスとの対決から数日後の朝。霧が海のように辺りをひたし、曇った神殿の外壁をひとたび拭えば指はすっかり濡れて、手首まで水滴が滴った。


 あの後、わたしはウルラウスの旅路に同行する事が許された。初めからアニケトスの名前出しておけば、話はすんなりいったのかもしれない。そう思うと無駄な事に時間を消費したもんだ。


「マルム様、この霧が晴れ次第出発しようかと思います」岩に腰掛けたウルラウスが木で出来たパイプを(くゆ)らせながら言った。

「貴方が煙に身を包む奇妙な行いを慎みさえすれば霧も晴れるでしょうに。異邦人(バルバロイ)は全く度し難い。焚くための香を口から吸うとは!」

ちょうど旅の荷物を抱えて神殿から出て来たマーティアが、ウルラウスに厳しい言葉を投げかける。

芳草(ガレナス)は小型の魔物避けとして重宝するのですよ。もちろん愉しみとしての面を否定する訳でもありませんがね」

小さく言ったウルラウスはマーティアの方を見ようともせず、これ見よがしに煙を吹いて見せる。そんな彼をマーティアは害虫を見るような目で睨んでいた。


 ――もはやこの二人の関係崩壊具合はアラル海ぐらい救いようがないな。そもそもの話、わたしの小説でも味方になりようのない関係なので、それも仕方がないのかもしれない。だがらといって取り持つ努力を怠る理由にはならないけどね。

「これこれ、喧嘩をするでない。それよりもマーティア、随分と荷物が多いが……もしやそなたも同行するつもりなのか?」

「当然でしょう。マルム様の方こそ、良くも自らを謀った連中を信用出来るものです。私の目が黒い内には、二度と同じような事などさせるものですか。それに私もあの男には用がありますので」

「わらわが最も信をおくのは()()()だ。努々忘れるな、アニケトスと面倒事を起こしてはならぬぞ」

「……業腹ですが、それがご意向とあらば致し方ありません。それで思い出しましたが『疫病神の涙』を使うにあたり、憑代(よりしろ)が必要かと思われましたので、適当なものを宝物庫から見繕って参りました。ご確認を」

マーティアは荷物を下ろし、その中から古びた木箱を取り出し言った。


 そういえばそうだった。霊薬を使って皇帝の病を治療するのは良いが、問題はその霊薬が生み出す穢れにある。方法はまあ考えがあるとして、必要なのは穢れを容れる器だ。神代霊薬の効力に見合った物が必要なので、それなりの魔道具である必要がある。


 わたしはマーティアが恭しく差し出した木箱を開ける。そこに有ったのは一本の短剣だった。鞘は無く、幅広の両刃が鈍い銀の輝きを放つ。柄は金に煌めき、柄頭のあたりにはルビーの象嵌。鳥を象ったと思しき柄……この柄は…………

「マ、マーティア。これは……一体これをどこで……」

「宝物庫から持ち出したとお伝えしたと思いましたが……別の物に変えた方が宜しいでしょうか。それ程価値が高そうでもなく、霊薬の穢れを受け止める力がある適当な物をとお持ちしたのですが」

「いや、いい。それで良い。そなたが選んだのだから間違いはなかろう……」

「ご不満があるのでしたら……」

「それで良いと申しておる!!!」

 全員がわたしの事を見て固まった。まだ音樹真琴だった頃の嫌な思い出が浮かび、嫌な汗が全身からにじみ出る。ああ、大声を出すつもりは無かったのに。


 けど、あの短剣は確かに……確かに見覚えがある。あの帰り道、確かにわたしの胸に突き刺さっていたトキの短剣だ。意を決して今一度短剣を見る。

 真鍮と思しき柄はトキの頭を模しており、眼にはルビーが嵌め込まれている。頭部からは長いくちばしが鍔まで伸びて、護拳の役割を果たしていた。刀身には象形文字が刻まれており、わたしが見る限りでは古代エジプトのヒエログリフに思える。


 硬直するマーティアの手を撫ぜ、声を掛ける。

「マーティア……声を荒らげてすまなんだ。どうか忘れてくれ。 ……ところでこの刀身の文字だが、何と書いてあるのだ?」

マーティアはわたしに少し微笑んでから、断りを告げて箱を自分に向ける。ひとしきり観察が終わったであろう頃、彼女は困惑した表情を浮かべながら言った。

「……これは文字なのですか? 私にはとてもそのように見えないのですが」

成る程。知らなきゃヒエログリフは文字に見えないもんな。文字数が少なければ尚更だ。

「ウルラウス、そなたはどうだ。読めるか?」

パイプをふかしながら箱を受け取るウルラウスを、マーティアは文字通り煙たそうに顔をしかめた。

「ふうむ、これは……かつて古代フレトゥムのベスティアス族が使っていた聖刻文字に似ていますね…………ただしこれを文字とするならですが。この文様に類した文字あるいは派生したと思われる文字を私は知りません」ウルラウスは箱をマーティアに戻して言った。

「……そうか、わかった。その短剣は時が来るまでしまっておいてくれ。わらわの目に触れぬ所へ」


 ……やっぱりおかしい。少なくとも小説中における知識人の二人が、あの文字に引っかかる所すらないのだ。もしわたしの見立て通り刀身に刻まれた文字がヒエログリフなのだとしたら、あの短剣はこの世界において異物なのだ。この世界に紛れ込んだ不純物、わたしと同じ異分子だ。


 もしかすればイレギュラーはわたしだけではないかもしれない。あの時わたしを刺した女、あるいはそうじゃなかったとしても。わたしだけの世界のはずだった。けれどたった今、そうじゃない事が分かった。

 同じ世界からの来訪者、そんな存在と相対した時に果たして平常心を保っていられるだろうか。頭をよぎるのは不穏な考えばかりで、冒険に浮かれる心はもうかけらも残っていない。そんなわたしの気持ちとは裏腹に山を覆う霧は晴れ、否が応にも出発の時が訪れていた。


「そろそろ出発するとしましょう」

ウルラウスが立ち上がって言った。これほど足が重いと思ったのは、高校デビューに失敗した翌日の登校日以来だった。






 不思議なもので、いざ出発してみると一歩一歩進むたび沈んだ心が少しずつ軽くなっていく様な気がした。湿り気を帯びた冷たい山の空気も、吸い込んで吐き出せば自分の嫌な気分も一緒に外へ出て行く。自然と足取りは軽くなっていた。

 目標を持って歩くという行為にこれほど救われるとは思いもしなかった。なにしろ長い道のりの中で『現世だなんだの』と妙な事に頭が行くと、直ぐに小石や枝につまづく事になる。無理矢理にでも行く先の光景に注意を払う必要があり、余計な事を考えている余裕は無いのだ。少なくとも、目的地に着くまでの間は。


 木漏れ日の落ちる森の道を歩き続けてしばらくした頃、少し開けた場所に出た。辺りは草原が広がり、心地よい風が吹き抜ける。そこでウルラウスが地面に杖を突き立て足を止めた。

「どうしたウルラウス。もう休憩か?」

休むにはまだ早いんじゃないかな、と思いつつも聞く。

「いえ、そうではなく。当初の予定を変更してウゥルカーニアへ向かうのであれば、ここで道を変えねばなりません。詳しい話を聞いておりませんでしたので、ここいらで伺いたく」

「ああ、その話か」隣でマーティアが黙って従えば良いものを、と呟くが手で制した。


 ウルラウスたちの予定だと、このまま山を下りてリーネアムナ川の近くまで向かった後、河畔の街インテラムナから船で川を下って帝都テスタキオ地区まで行くルートを想定していたらしい。確かにこの道のりならば、それほど時間を掛けずに皇帝のいる帝都へ向かうことが出来る。だがそれでは困った事になるのだ。わたしも、ウルラウスたちも。


「神代霊薬を扱うに当たって『鍵』の話をしたと思うが、それはウゥルカーニアにあるのだ。そして鍵は今を逃せば二度と手に入らぬ」

「ウゥルカーニアといえば、魔術具や武器防具などの生産で有名な工業都市。名の知れた魔具師に依頼でもするのですか? オリウァヌスの店などは父共々懇意にしておりますが」

「まあ当たらずとも遠からず、だな。とはいえ仕事を依頼する訳ではない。人に用があるでな」

「ふむ、ひとまずは理解しました。ここからウゥルカーニアですと四日か五日といった所でしょう。あまり時間も無いようですから、もう少し突っ込んだ話は野営の時にでも聞くとして、道を急ぎましょう」



 再び歩き始めてしばらく、草原を抜けて森の山道に差し掛かった時、レグルスが誰に言うでもなく呟く。

「ウゥルカーニアか。しばらくぶりだなあ」

レグルスの日常過去話については、あんまり考えた事なかったな……隣にいるのが創作のキャラクターではなく、命ある人間なんだと改めて実感する。


 黙って歩くのも何なので、話を膨らませてみる事にしよう。 

「そなたにとって親しみある街なのか?」

「いいや、あんまり行った事はないんだけどさ、今の剣を買った街だから思い出はあるよ。魔術具と刀剣を一緒に作ってくれる場所ってのが中々無くてさ」

レグルスが腰に帯びた二対の剣を握りながら続ける。

「まあ道中はどうってことない魔物ばっかりだったけど、マルムに会えて良かったよ。思い切り剣を振れたし」

「莫迦者、わらわを魔物扱いするでない」

「え? いや、そういうつもりじゃ……ごめんごめん。お詫びにホラ、ちょっとあげるよ。僕のおやつ」ベルトに結んだ袋から茶色のしなびた革の様な物を取り出して言った。

「これは?」

「イナゴ豆だよ。知らないの?」

「聞いた事はあるがな……見るのは初めてだ」


 レグルスから手渡された物体は、成程よく見てみれば豆の(さや)だ。

 イナゴ豆は現実の地中海に産する植物で、主として鞘の部分を食用とする。種子は石のように堅いので家畜の飼料として用いられる。

 糖度が高く古くから甘味料としても親しまれ、新約聖書によれば洗礼者ヨハネも食べていたとか何とか。近代では代用チョコや代用コーヒーの原料としても用いられる、知る人ぞ知る食べ物だ。まあわたしは食べた事ないけども。


 恐る恐る口に入れてみると、食感は湿気ったフランスパン。味は何というか……出来損ないの焦げたチョコレートだ。癖のある酸味が鼻につくが、無加工らしいのに結構な甘みがある。とはいえとびきり美味しいモノという訳ではない。ただ転生してから何も食べていない今は、甘くて食べられるというだけで評価に値する。



 山道はおもむろに険しさを増し獣道同然となった道なき道を、わたしとレグルスは二人して豆を囓り歩く。咀嚼した豆が胃に収まったちょうどそのころ、突然先頭を歩いていたウルラウスの足が止まった。

「なんだ、ウルラウス。また質問か?」

わたしの問いかけにウルラウスは前を向いたまま答えた。

「魔物が行く手を阻んでいます。排除する以外、方法は無さそうです。武器を構えてください」

唐突な戦闘の報せに、わたしの胸は波打った。杖を握りしめるわたしにレグルスは剣を抜きながら軽口を叩く。

「またどうってこない魔物のお出ましかな。『どうってことない』なんてことはないところ見せてよね、マルム!」


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