第十八話:ジュタージュ
「……ごめん。良く聞こえなかったよ、マルム。今何て?」
レグルスは背を向けたまま言ったが、その足は止まっていた。
「とぼけた所で無駄よ。そなたは『振り込み』でわらわの防護を突破したのだろう? 釣り竿の如く剣を振り、慣性と練気で刀身をしならせ『正面から背後を突く』剣技の事よ」
「何だマルム、知ってたの? もしかしてそれも視たとか?」
彼は肩をすくめ、おどけた表情で言った。
先の戦いでレグルスはわたしの肩口から細剣をしならせて背中を突く、フェンシングの技術『振り込み』を使ったのだ。
ジュタージュはフルーレ競技のような軽くてしなやかな剣で行うものであって、戦闘用のレイピアでこれを実践するのは難しい。ところがこと『この世界』においてはそうではない。
レグルスが使う剣は現実世界には存在しない特殊な金属を使って造られており、魔力とは性質の異なる『練気』と呼ばれるエネルギーを使う事で自在に硬度と重量を増やす事が出来る。
通常、練気は剣撃の威力を強めたり、魔術の様な特殊な剣技を放つ際に使われるが、レグルスは剣に籠める練気を絶えず変化させる事で変幻自在の攻撃を操っている。
この練気コントロールこそが細剣術のキモであり、それを見極める事でこそ攻撃のタイミングを掴めるのだが、悲しいかなわたしには到底不可能な事なのだ。
魔術の龍神たるラクリマルムは膨大な魔力と強力な魔術を扱える代わりに、一切の練気を扱う事も出来なければ、感じ取ることも出来ない。因みに体術の龍神アレテーオスは反対に魔術を扱う事は出来ないが、小指一本で岩を簡単に割れるぐらいの練気が扱える。
まあ、それはそれとして。本題はそこではないので、はぐらかして話を先に進めよう。
「……さてな。とかく、わらわの防護を飛び越す程の練気を籠め曲げても折れぬとは、全く大した差料よ。もっとも使い手の技量有っての事だがな」
「煽てたって手加減したりはしないよ?」
「褒め言葉は素直に受け取れ、たわけ」
レグルスは一言も発さずにはにかみ、顔の前に剣を掲げて礼を示した。そのあと剣を納めてその場を立ち去ろうとする彼に、わたしはベルトに提げている小瓶を投げ渡す。レグルスは事もなげに瓶を受取り、蓋を開けて中身の匂いを確かめた。
「……これって、霊薬?」
レグルスが顔をしかめながら言った。
「『万能霊薬』だ。飲めばその程度の傷など瞬く間に癒える。試合中のここぞという時に使おうと思っておったのだが気が変わったわ。くれてやる」
試合に勝つためには万能霊薬なんて渡さない方が良いのは分かっている。
実際の所、黙ってウルラウスに治療させた方が、後の展開が楽になる。彼は本職の治療術士ではないし、それ程治療に時間が当てられる訳でもない。レグルスは万全とは言い難い状態で次戦に臨む事になる。
でもわたしはフェアな状態で戦って勝ちたい。完璧な状態のレグルスを完璧に打ち負かす。今の自分が何処までやれるのかを知りたい。
勿論、次の戦いで負ければプランがおじゃんになる。本当ならそれは絶対に避けるべき……けど、それってラクリマルムらしくないじゃないか。戦いでやられたのなら、戦いでやり返さきゃ。
だから、次の試合はイーブンな状態で戦おうと思う。幸いわたしは先の試合で大したダメージを受けていない。レグルスが万能霊薬を飲めば、対等な状態になったと言えるだろう。
「レグルス、待ちなさい!」
霊薬を呷ろうとしたレグルスをウルラウスが制止する。
「その様な訳の分からないものを飲まずとも、私の治療術で手当てします。さあ、こちらに……」
険しい顔つきで手を差し出すウルラウスに、レグルスは一度大きくかぶりを振ってから霊薬を一息に飲み干してわたしに言った。
「ごめんねウルが変な事言って。こういうのってやっぱり真剣勝負した同士じゃないと分からないのかな。とにかく、ありがとうマルム。思ってたより優しいんだね」
「たわけ、一言余計だ…………さて、傷が癒え次第始めるぞ。次こそは目にもの見せてくれる」
わたしとレグルスは再び向かい合い、開始の号令を待っている。今も身体を流れる魔力のざわめきはあるが、一戦目と違って血気逸る感覚はもうなかった。
その代わり、今わたしはレグルスに対して奇妙な感情を抱いている。信頼感とでも言えば良いのだろうか。恐らくはレグルスもそうだろう。わたし達は今確かに言葉に出来ない連帯感で繋がっているのだ。
「――構え、始め!」
ウルラウスの号令で戦いが始まった。
レグルスが戦端を開き、細剣の連撃を繰り出してくる。わたしはそれを魔杖術で捌く。無言のまま打ち合いが続き、そのリズムは少しずつ速度を増してゆく。このまま続ければ、大振りになりがちな魔杖術での防御は間に合わなくなるだろう…………なら、そろそろ隠し球を披露する時だな!
「デアルモー・スケプトルム・シーデレウム・ノクテム!」
防護呪文の輝きを湛えた杖が音も無く黒煙と変化し、杖を握っていた右手に装備した籠手へと浸透するかの如く吸い込まれる。呪文に注いだ魔力はそのまま籠手の魔石へ吸収され、右手が防護呪文の光に包まれた。
レグルスは突如消え失せた杖に驚いたのか、攻撃の手がわずかに止まった。チャンスだ。
まずは防護呪文の掛かった右手で細剣を弾く!
「! ……その籠手、魔防――」
「防御専門という訳では無いわ! ウェント・サギットゥラ!」
左手で風矢を放ち修練石を狙う――が、護剣で防がれた…………再度防護を掛けた右手でレグルスの胴を突く!
「ぐうッ…………!」
碧い火花と共にレグルスの身が宙に浮き、大きく後退する。
「ウェントゥス・プロケローサス!」
更に両手で突風の呪文を唱え、レグルスを吹き飛ばし距離を離す。わたしはレグルスが体勢を立て直すその間に、呪文を唱えて杖を再装備し龍鱗障壁を張った。序盤は上々。
このまま大魔術の仕込みに入るか? いや、手の込んだ方法はもっと時間の猶予が必要だし、何より魔術の維持に尋常ならざる集中が必要なので突破された時の対処が難しい。ハリケーン・ミキサーの一件でそれは理解した。ならば…………物量作戦だな。
杖を目の前に突き立て両手をかざし、魔力を伸ばして杖に繋げる。転生したての時、ロウソクに火を着けた――正確には爆発させた――のと同じ要領だ。
何かを感じ取ったのか駆けるレグルスが目に入るが、無視して魔力操作に集中して呪文を詠唱する。
「ウォラント・ムルタ・ラピス・エト・ウォルーターティオー」
ハリケーン・ミキサーで使った瓦礫がわたしの胸の高さまで浮かび上がり、小惑星ベルトの如く高速で公転を始める。これにはダメージを期待していない訳じゃないが、主たる目的は足止めだ。続けて右手と左手で別々の魔術を使う。
「ムルタ・ウェント・サギットゥラ・エト・イグニス・グロメローサス・カプターレ!」
左手から手数重視の風矢、右手からは威力重視の火球を放つ。
光仄めく風矢が、群れとなってレグルスを襲う。と言っても、放った風矢の半数以上は見当違いの方向へ飛んだり、公転する瓦礫に当たったりで消えてしまう。それでも半分はレグルスまでたどり着くものの、彼が振るう護剣にかき消されて効力を発揮する事はない。だが、本番はここからだ。
燃え盛る火球が音を立てながら、風矢と瓦礫を掻き分け飛んで行く。流石にマズいと判断したのか、レグルスはかなりの魔力を籠めて防護の呪文でいなした。だが火球に集中するあまり、その他への意識はおろそかになり、幾つかの風矢を被弾する。避けようにも回転する瓦礫が邪魔で足取りもおぼつかない。
くふふ、上手く戦術がハマった時の喜びは格別だ。やはり素早い相手は飽和攻撃に限る。
「舞踏も得意とはな、大したものだ! だがそれもいつまで続くか見物だな、レグルスッ!」
一瞬、睨まれたがレグルスの返事は無かった。そんなに怒らなくても良いじゃないか。
まあ、いいや。それより後の事を考えよう。レグルスも遅かれ早かれ打開策を思いつくはずだ。一番考えられるのは――――!
突如レグルスが天高く飛び上がった。……風魔法でジャンプしたな。だが――
「それはもっとも下策ぞ! ランケア・テルス・パランクス!」
後ろに飛び退いて土槍の呪文を唱える。わたしの周りに魔力で強化された槍の密林が出来上がった。空中では身動きも取れまい。勝った! 第三部完!
右手を振りかぶるレグルス――――細剣を投げる気か! そいつはやばい、練気はラクリマルムにこうかばつぐんだ! 防護でいなそうにも土槍が邪魔で身動きが取れん!
「ウェニーレ・ムルタ・ラピス・エト・ラピス・パリエース!」
右手で石を呼び寄せ、左手でその場しのぎの石壁を頭上に生成――直後に石壁を貫いて白刃が覗く。それは背伸びして手を出せば、指先で触れられそうな程の距離で止まった。
レグルスが土槍の範囲外に着地した――石壁を足場にしたのか。というかそれよりもマズい事がある。
地面に突き刺した杖を回収し忘れた! 今、左手の魔術を解除すると頭上から降る瓦礫に押しつぶされる。石壁を動かす時間は無い――ならばままよ!
右手にありったけの魔力を籠めて呪文を詠唱!
「マグナ・イグニス・グロメローサス!!!」
火球は目の前の土槍を飲み込みながら瞬く間に膨れ上がり、さながら小さな太陽へと成長する。凄まじい熱がわたし肌を焼き、髪を焦がす。直ぐさま射出!
炎の尾をはためかせながら、火球は真っ直ぐ飛んで行く。当たってくれ……
直後、レグルスは獲物を狙う豹の如く地に伏せ回避した。彼はそのまま火球を一瞥もせずに地面を蹴る。ダメだったか――――全てを諦めたその瞬間、爆音と閃光が放たれ身体が吹き飛ばされた。