第十四話:訪ねる者に安心を、去り行く者に安全を
永い静寂が大広間を包んでいた。
神殿に居る誰もが石像の様に固まって、僅かばかりも動くことはない。静けさのあまりに耳を澄ませば、外の風にそよぐ木々のざわめきでさえ聞こえてきそうだった。
なんでや! 格好良く決まっただろうに! わたしの名乗りはそんなに駄目だったのか? 何だか分からないけどすっごい恥ずかしい。
……どうしようかな。登場シーンからやり直すというのもアリかもしれない。優秀なる我が従者に意見を求めてみよう。
わたしがチラリとマーティアに目をやると、彼女は頷き杖を強く床に打ち付けて言った。
「この痴れ者共がッ! 神代語もロクに話せぬ貴様らに合わせ、恐れ多くもラクリマルム様がわざわざ共通語でお話になるというに! 今一度、速やかに名を申せ!」
違うよマーティア、そういうのじゃないから! わたし別に怒ってる訳じゃないから!
わたしは目線をマーティアからウルラウスに移す。わたしと目が合った彼はビクリと跳ねた後に、慌てて声を発した。
「し、神龍ラクリマルム様に於かれてはご機嫌うるわしく……あっ。い、いえ。此度は御尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じます。我々は元老院ならびにアウラ市民の国より参りました。こちらにおわしますは同国オーネスタス帝の皇子レグルス・コルレオニウス・アウラ親王にて。隣に控えます私はウルラウス・リッテラートゥス・アリストソフィウス・クレメントロスと申します」
やっぱり怖がってるじゃないか! 大丈夫だよ、ウルラウス。わたしはご機嫌うるわしいよ!
何とか状況を穏便に持って行きたい。わたしは和気あいあいとまではいかないが、ガチガチの空気のまま話したくはないのだ。
「ウルラウスよ、その様に怯えずとも良い。実の所そなたらが神殿を訪れるのは知っておったのだ。 ……まことの歴史を垣間見たのでな。ゆえにそなたらの目的も理解しておる」
「よもや! まことの歴史を見たと仰いましたか!?」
「このたわけが! ラクリマルム様を疑うかッ!」
マーティアが怒声を上げた。頼むから事態をややこしくしないでくれ……
「い、いえ、滅相もございません! あまりに、その、我々に取り現実離れした言葉と申しますか、何と言えば良いのやら……」
「構わぬ。そも信じる方が無理からぬ話よ。とまれ、病んだ皇帝を癒やす方法だったな。……マーティア、神代霊薬『疫病神の涙』をここへ」
「畏まりました、直ちに」
マーティアはわたしに一礼した後、居住区に向かった。
マーティアが広間から出て行ったのを見届けてから、ウルラウスが口を開いた。
「ラクリマルム様、僭越ながらお伺いしたく存じます」
「申してみよ」
「はっ。『疫病神の涙』とは、いかなる物なのでしょうか?」
「ふむ。効能としては今ある現実態の秩序を崩し、一つ前の可能態に巻き戻す力を持つ霊薬だな。平たく言えば『飲んだ者の時間を巻き戻す』薬だ」
突然、縮こまっていたレグルスが声を上げる。
「ならその霊薬を使えば父上の病は治るって事!?」
「殿下、言葉にはお気を付け下さい! 我らは今、神龍の前にいるのですよ!」
「わらわは別に気にしてはおらぬ。マーティアの耳に入らぬ所であれば好きな様に話して構わぬわ。それより、相応の対価を用意出来るのか? わらわとしても、無償で恩寵を与える訳にはいかぬでな」
「ははっ。ラクリマルム様が望む事であれば何なりと。我らは元より、元老院ならびにアウラ市民の全てが望み通りに働きましょう」
やったぜ。何でもする発言頂きました! もちろん建前だとは重々理解しているが、言質は取ったのだ。利用させて貰う事にしよう。
「……ふうむ、望み通りに、か。そうさな、ひとまずはそなたらの旅に同行させて貰う事にしようかの」
「はっ? あ。いえ、失礼致しました。私は一向に構いませんが……」
「そうか、では決まりだな!」
正直マーティアが過保護過ぎて、このままだと一生神殿に閉じこめられる事になる気がするのだ。そりゃあ危険は減るだろうけど、わたしは引きこもるつもりはない。
何しろ、折角自分が創作した世界に転生したのだ。わたしはこの足で、目で、肌で世界を感じてみたい。自分の創作が現実のものになるなんて、作者冥利に尽きる。これを体験しない手はないと思う。
わたしがわたしの考えた世界に想像を巡らせていると、マーティアが盆を手に持って広間へと戻って来る。
盆は赤く染まった絹の布で覆われ、その中心に箱に収められた透明の小瓶が鎮座していた。小瓶に入れられた液体は半透明だが光沢を持ち、玉虫色に光を反射している。それはまるで水銀の幽霊が閉じ込められている様だった。
「ラクリマルム様。ヒポイェティスの涙をお持ち致しました」
「うむ、ご苦労。こちらも概ね話は終わったぞ。わらわはウルラウスらの旅路に同行する事になった」
「何を仰っているのですか!? 外に出るなど絶対になりません!」
マーティアが声を荒らげた。君はあれか、塔の魔女か何かか?
「なぜだ、マーティア。わらわは旅をしてみたいのだ!」
「今の状態では危険が多過ぎるのです。ラクリマルム様が神殿にこもり遊ばされてから早幾年。二百年前と今の違いについて良くお考え下さいませ!」
「むむむ」
「何が『むむむ』ですか! 宜しいですか、ラクリマルム様。この神殿にいれば安全なのです。結界が維持されている限り、私は魔術を幾らでも使う事が出来ます。結界の中ならば冒険者二人如き、瞬く間に屠ってみせましょう。ですが、結界の外となると話は別なのです」
ぐぬぬ。これじゃ説教されているみたいだ。いや、説教されているんだけれども。
要するにわたしがラクリマルムだった時に比べて、『わたし』が乗り移った今の状態では外を歩かせるに危険だとマーティアは考えているらしい。
考えれば、今現状で使える最大限の攻撃は破壊力抜群の戦術級呪文『星喚び』だ。けれども、危険に陥る度に隕石を降らせている様では神殿の外に出るなど、確かにとてもではないが出来た事ではない。
どうしたものかな、と考えているとウルラウスが会話に割って入って来る。
「ラクリマルム様、マーティア様。私に一つ案がございます」
「人間風情がッ……」
「申してみよウルラウス、わらわが許す」
「はッ。マーティア様がラクリマルム様の事を案じているのは重々理解致しますが、そこはもちろん我らが身命を賭してラクリマルム様をお守り致します。それでも尚、不安があると仰るのであれば……失礼して、そちらは修練石でしょうか。お借りしても?」
ウルラウスは広間の隅に山積みになった修練石を指さし言った。わたしは返事の代わりに石を魔力で投げ渡す。ウルラウスもまた、魔力でこれを受け止めて言葉を続ける。
「この修練石を使って手合わせは如何でしょうか? ラクリマルム様に私とレグルス殿下を加えた三人と、マーティア様で闘うのです。我々が勝てば、少なくともマーティア様が想定する危険はそれ程気にするものではないかと存じます。何しろ先程の口ぶりですと、我々の実力を相当下に見ておられる様ですから」
ウルラウスは修練石を手の平の上空で高速回転させながら不敵な笑みを浮かべた。
「まあ、マーティア様の手に掛かれば我々など数の内には入らないかと存じます。そうなるとラクリマルム様と一対一で戦うのと変わりないのでは? それとも……マーティア様とて、やはり人数差が気になりますか?」
出たよ『ルーデレ・ラピダータム』! そんな大人気スポーツに設定した覚えはないぞ!
それにしても結構ウルラウスも結構やる気だな。まあ、あれだけ罵倒されたうえに雑魚扱いされれば、ちょっとはイラっとも来るかもしれない。何しろウルラウスは冒険者の中では、十指に入る凄腕なのだ。
にわかに何かが空を切り裂き、ウルラウスが保持していた修練石を撃ち抜く。石は凄まじいスピードで広間の外へと弾き出され、そのまま神殿前に設置された修復陣に命中し四散した。
振り向けば、杖を構えたマーティアが鬼気迫る表情でウルラウスをにらんでいる。彼女は杖をウルラウスに向けたまま、地の底から響く様な声で言った。
「ゴミ虫共めが、余り私を舐めるなよ……」