第十二話:言うは易く、行うは難し
『防護』の呪文がぶつかり合い、甲高い音と共に碧い火花が散った。腕に鈍い痺れが広がり、杖を取り落としそうなる。わたしは何とか手に力を入れて堪え、次の一撃に備えた。
現在、わたしはマーティアと『魔杖術』の組み手中である。
やる事は単純で、杖に防護呪文を無言詠唱して攻撃を弾くだけなのだが、これが中々に難しい。というのも、防護呪文に使う魔力の量は多すぎても少なすぎても駄目であり、その塩梅は弾く攻撃の威力に合わせなくてはならない。少なすぎれば手元から杖を弾き飛ばされる事になるし、多すぎると魔力がその分無駄になってしまうのだ。
魔杖同士の打ち合いならば相手の攻撃威力を大幅に超えた魔力を籠めて、杖を弾き飛ばしてしまえば良いのだが、今回は訓練なのでそうもいかない。あくまでマーティアの攻撃に合わせた威力で防護呪文の魔力を調整しなければならない。
しばらく組み手を続け、ぼちぼち防護呪文に慣れてきた頃。マーティアが次の訓練に移る事を提案した。
「もうそろそろ杖の扱いには慣れてきた頃でしょう。次は攻撃魔術を防御する訓練に移行したく存じますが、その前に一つ質問がございます。『魔杖術における攻撃の防御』と『防護呪文を使った防御』。どちらも同じ防護呪文を使いますが、二つの違いは覚えておいででしょうか」
「うむ。単純に防護呪文を使う場合、相手の攻撃を上回る魔力量で『攻撃を打ち消す』事になる。対して魔杖術の防御は、より少ない魔力で『攻撃を受け流す』事だな」
わたしは設定を思い出しながら要約して答える。
防護呪文そのものは実にシンプルである。例えば攻撃の威力が10とした場合、これを防御し打ち消すには同じく10の効力で防護呪文を使えば良い。
ただこれは理想論であり、現実には攻撃の威力を正確に計測するのは難しい。よって大抵の場合は安全を取って15ぐらいの防護を展開する事になる。呪文は総じて展開した際に魔力を消費するので、先のケースでは余りの5に使った魔力は無駄になる訳である。
要するに防護呪文というものは使い捨ての盾の様なものなのだ。こう言ってしまうと使い勝手が悪そうに聞こえるが、盾という物には攻撃を受け止める以外にも、受け流すという使い方もある。
つまり敵の攻撃に対して、それより小さな効力の防護呪文で側面を叩くのだ。そうして攻撃の軌道を逸らし受け流す。これこそが魔杖術の本質であり意義なのだ。
わたしの回答に満足したのか、マーティアは頷きながら言った。
「その通りにございます。ですが『言うは易く行うは難し』と申します。早速、実践に移る事に致しましょう。火球を使いますので、安全の為に障壁呪文をお唱え下さい」
わたしは『魔術の盾』を詠唱し、マーティアから距離を取って杖を構える。直ぐにそこそこのサイズがある火球が幾つも飛んでくる。タイミングを合わせ、杖で火球を打ち逸らす。
この際に大切なのは、杖の『芯から外す』事だ。ホームランを打つ感覚で攻撃の中心を捉えてしまうと、ダイレクトに防護呪文で受けるハメになる。そうなると小さな効力で作った防護呪文は攻撃を受け止めきれずに、あっけなく打ち破られてしまう。
あくまでも掠らせるのだ。それが無理なら横っ腹を叩いても良い。攻撃を真正面から受けさえしなければ、概ね魔杖術による攻撃の受け流しは成功と言えるだろう。
まあ設定としては何やかんや色々あるが、ひとまずは考える事よりも身体に感覚を覚えさせる方が大事だ。集中する事にしよう。
最初の十回ぐらいは芯に当ててしまったり、魔力量のバランスで失敗したりもした。けど、感覚を掴めば逸らす事はそんなに難しい事じゃないね。問題は纏まって幾つか飛んできた時だな。
そんな事を考えていると、丁度三つの火球が僅かにタイミングをずらしながら纏まって飛んでくる。ううむ、実に嫌らしい攻撃だ。
一発目は左に払う。二発目を垂直に切り上げてから……
「ふぐうっ!」
最後に位置していた火球が先にわたしのお腹に命中した。障壁は掛けてあるが所詮簡易な『魔術の盾』だ。衝撃までは消せなかったようで、良いパンチが入った様な痛みだ。
「マルム様。攻撃が纏まって来た際には、杖を払う方向と順番も大切なのです。魔杖術による防御は相手との読み合いになります。今回、何故攻撃を受けたか理解しておられますか?」
「うぬ、うう。……最後の火球は先に放った二発より、ごく僅かに速度を上げて撃ったのであろう。着弾地点で丁度追い抜く様に計算して撃つとは大したものではないか」
「恐れ入ります。実践において敵が漫然と同じ位置に立っている事はまずございませんので、ちょっとした遊びにございます」
その遊びで結構なダメージを受けたけどな。まあそんな事を口に出したら、何らかの仕置きがあるのは必至なので黙っているが。
わたしがお腹をさすりながら恨みを籠めた目でマーティアを見つめていると、彼女は思い出した様に話を変えた。
「……マルム様。今度は私に向かって火球を撃ってみて頂けますか?」
「ふむ? 分かった」
何の意図があるのか知らないが丁度良い。さっきの仕返しをしてやろう。別に威力を高めて撃とうって訳じゃない。わたしもちょっと遊んでみるだけだ。
わたしは十二個の火球を円形に配置し、それぞれを僅かに違うタイミングと速度で、なおかつ投射角度を全て変えて放つ。大きく山なりに飛ぶものもあれば、ほぼ直線軌道で飛んで行くのもある。呪文を放ったわたしですら、どれが何時マーティアに届くか分からない。
バラバラに飛翔する火球を見たマーティアは魔力で杖を自転させつつ、さらに身体の周囲を廻る様に公転させた。
器用なもんだなあ。と眺めていると、回転する杖に当たった火球が、火の粉を振りまきながらわたしの数歩先の地面に飛んでくる。攻撃を受け流すのではなく、跳ね返しているのだ。
結局、マーティアは十二個全ての火球を打ち返した。しかも跳ね返った火球は見事に全部が同じ場所に着弾した。
「おお、凄い。大したものだな、マーティア!」
わたしは自然と拍手していた。マーティアはわたしの拍手に恭しく礼をして言った。
「この様に丁度杖に攻撃が当たる時に防護呪文を発動致しますと、少ない魔力であっても正面から打ち返す事が出来ます。相手の牽制攻撃を利用して、防御しつつも攻撃に転じる事が出来るという訳です」
ふうむ、要はジャストガードだな。小説中でそういった描写がなかった訳ではないが、ギミックまでは特に考えてなかったので実に興味深い。自分がやれと言われて出来る自信はないけれども。
「今はそういう方法もある、という認識があれば宜しいかと存じます。ひとまずは基礎は習得したかと存じますので訓練はそろそろ切り上げ、例の二人を迎える準備を致しましょう」
「うむ」
……いよいよウルラウスとレグルス、この二人と顔を合わせる時が来た。
アレテーオスとアウトマーティアは、ラクリマルムと顔見知りだった。でも彼らは違う。現実に存在するウルラウスとレグルスはどんな感じなのか。今のわたしに初対面の人間がどんな反応を示すか。どういう方向に話が転がってゆくのか。
不安と期待がない交ぜになった複雑な感情と、止めどない思考の奔流がわたしを満たしてゆく。風邪を引いた時の様なフワフワとしたおぼつかない足取りで、わたしはマーティアの後を付いて行った。
日本語における『言うは易く、行うは難し』という格言の起源は、前漢に桓寛が書物としてまとめた『塩鉄論』からですが、ラテン語においても同様の言い回しは幾つか見受けられます。
Id dictu quam re facilius est.
「それは行うより、言うことにかけてより容易である」
――ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』
Quamquam sunt facta verbis difficiliora.
「けれども、実行は言葉よりも難しいのである」
――クィントゥス・トゥッリウス・キケロ『選挙に関する小ハンドブック』
ティトゥス・リウィウスについて説明は不要の事かと存じますが、クィントゥス・キケロという名には聞き覚えの無い方もいるかと思います。
キケロという家名でピンと来た方は恐らく正解です。そう、彼はかの有名なマルクス・キケロの弟にあたります。
『選挙に関する小ハンドブック』は兄のマルクス・キケロが執政官に立候補するにあたり、手紙で選挙活動のアドバイスしていたものを書籍としてまとめたものになります。
クィントゥス・キケロはBC66年に按察官、BC62年には法務官を務め、その後アシア属州総督に就任します。
BC58年には政治上の対立からローマを追放されましたが、その間ガイウス・ユリウス・カエサルの元、属将としてガリア戦争を戦い抜きました。
カエサルの暗殺後、オクタウィアヌス――後の皇帝アウグストゥス――による第二回三頭政治が始まると、兄のマルクス・キケロと対立していたマルクス・アントニウスによって兄と共に法外措置に公示され、マルクス・ブルトゥスを頼ってマケドニアに向かうものの、BC43年12月7日にアントニウスの放った刺客によって兄共々暗殺されてしまいました。