第十一話:転ばぬ先の杖
逆巻く風が徐々に強さを増し、淡い魔力の光を巻き込んで大きな渦へと変化する。光の渦は魔法陣が刻まれた環状列石を包み、円陣を作る六つの門形組石へと吸い込まれて行く。
わたしはさっき神殿の外へと連れられ、試合の場であった草地に作られた巨大な環状列石の中心にいる。そこで両手を天に向け、光の大渦へと魔力を注いでいた。
何故こんな事をしているかと言うと、先の闘いでわたしが使った隕石魔法を防ぐのに、マーティアは結界から大量の魔力を引き出した。そのため魔力が薄まった結界を修復する作業に追われている訳だ。
だがこれは、かなり暇なうえに時間を要する作業だ。とはいえ結界修復のための魔力を切らす訳にはいかないので、わたしの隣で杖を掲げるマーティアに他愛もない雑談を振る。
「それにしてもマーティア。このような石陣、いつの間に作ったのだ。これ程の物を一晩で用意出来るものなのか?」
マーティアは一瞥もくれずに答えた。
「実の所申し上げますとマルム様は丸一日眠っておられました。マルム様の預言によれば、本日は例の二人が神殿へと足を踏み入れる日になります。しかしながら神殿前が草も生えぬ荒れ地と化しておりましたゆえ、丁度良い機会かと地均しを兼ねた結界修復陣の構築に一日費やした次第でございます」
マジか。それ結構ヤバいんじゃないか? さんざマーティアに試合でボコボコにされたが、あれでも命の取り合いでは無いのだ。このまま本気で敵対する可能性がある二人と会うのがどれだけマズい事か、今のわたしには理解出来る。
「マーティア。その、大丈夫なのか。この状態で彼らと会って。何というか、危なくないか?」
「ですから修練を提案したのです。私が見る限りマルム様は未だ魔術師の基本的な戦闘法を身につけていないかと存じますので。もっとも、私が負けた試合の時の様に戦術級呪文を的確に放てば、たかだか二人程度の冒険者など赤子の手を捻る様に屠れるかと存じますが」
「む…… ではどうする?」
「最も単純な方法は二人を始末する事かと。もちろんマルム様はそれをお望みでないとの事ですので、ひとまずは結界の修復を手早く終わらせて、付け焼き刃でも良いので基本を身につける事かと存じます」
「分かった。少し出力を上げてみよう」
わたしは放出する魔力を強める。渦巻く光が速度を上げ、みるみる門形組石に吸い込まれて行く。しばらくして門は全ての光を吸収し、六つの光るポータルが出来上がった。
マーティアが掲げた杖を下ろして言った。
「マルム様、準備が完了致しました。『防護結界』の呪文は覚えておいでですか?」
「案ずるな、任せておけ。レフェクティオー・スパエラ・デーフェンシオニス!」
詠唱の終了と同時に門から光の線が魔石に向かって走り、強烈な閃光を放った後にサーチライトの如く天へと昇って行く。うっすら光るドームに直撃した光線は火花を散らしながら、結晶が生長するかの様に全体を覆ってゆく。しばらくして光線が途切れ、魔石から光が失われた時、マーティアが術式の終了を告げた。
「お疲れ様でした、マルム様。宜しければこのまま修練に移りたく存じます」
「うむ、丁度良い舞台もある事だしな。して何から始めるつもりだ?」
マーティアはしばし考える素振りを見せた後、口を開いた。
「私が考えますに、魔力操作と魔術を用いた闘いについては十分かと存じます。必要なのは魔杖を使った戦闘法かと」
「……ふうむ魔杖か。マーティアを疑うつもりは無いのだが、必要なのか?」
小説だとラクリマルムは人間状態で闘う事が無いので憶測になるが、わたしは人間状態のラクリマルムに杖は必要無いと思っている。
丸一日を無駄にした訳だし、そろそろ例の二人がいつ神殿に来てもおかしくない頃だ。これ以上時間を浪費したくは無い。
「マルム様。何故我々魔術師が杖を扱うかは覚えておいででしょうか」
「もちろんだとも」
『何故魔術師が杖を装備するのか』 ――それは極めて実利的な理由だ。
『魔術杖』は三つのパーツで構成されている。それぞれ呪文を増幅する『触媒』、持ち手から触媒まで魔力を伝達する『芯材』、芯材を保護し触媒を保持する『外殻』だ。
『触媒』は大抵の場合、魔力を蓄積する性質を持つ『魔石』に特殊な呪符を施した物で作られている。これが無ければ有効なダメージを与える魔術を使うのに、莫大な魔力が必要になってしまう。
逆に言えば触媒さえあれば十分な魔術を使える訳だが、人間が生み出す魔力には少なからず穢れが含まれている。この穢れが触媒の許容量を超えてしまうと、『魔力暴走』を起こし呪文が逆流する事になる。
こうなると増幅された呪文が跳ね返り、運が良ければ杖ごと腕が吹き飛ぶぐらいで済むが、大抵の場合は死を迎える事になる。
そういった事故を防ぐのが『芯材』の役割だ。芯材には魔力を伝達する導線の効果以外に、暴走した触媒から逆流する呪文を、自ら焼き切れる事でせき止める『ヒューズ』としての機能が備わっているのだ。
そういう訳でわたしはマーティアの出した問題に回答する。
「実用的な呪文を行使するのに必要だからであろう。その為には増幅装置である『触媒』が必要になる。だが触媒のみだと『穢れ』による『魔力暴走』の危険があるからな。逆流した呪文を遮断する『芯材』が必要な訳だ。事実、魔杖は大した発明だ。杖なんぞ無かった時代、魔力暴走で命を落とした魔術師は計り知れぬからの」
「杖が必要無いと仰る理由は?」
「わらわが『精霊』だからだ。人間と違って魔力に穢れが混じらぬゆえ、魔力暴走を心配する必要が無い。わらわの籠手に付いている触媒で十分だと思っての。むしろ杖を使えば、芯材によって出力する魔力に制限を掛かるではないか」
『精霊』とは、上は『神々』、下は『幽霊』までを含む霊的な存在の総称だ。肉体を持つ人間と違って穢れが無く、その性質は現象や概念に近い。
正直な所、転生したわたしが乗り移ったラクリマルムが、どういう分類になるかは不明だが、試合の際に一人で戦術級呪文を撃っても魔力暴走を起こしていないので、多分精霊扱いなんだろうと思う。本来、戦術級呪文は魔力暴走を起こさない為に、大人数の部隊で唱えるものだし。
わたしの回答を聞いたマーティアは、にわかに杖で地面を打つ。結界修復陣の床を構成していたサイコロ状の石が五つ空へと射出された。
マーティアは石を見やる事も無く、杖へ魔力を籠めながら言う。
「……マルム様が仰る事は確かに間違ってはおりません。ですが、完全に正解とも言い切れません。杖を生み出した人間は、それを使った新しい闘い方を生み出したのです。それがマルム様がまだラクリマルム様であった頃、わざわざ専用の魔術杖を造りだした理由です」
彼女が言葉を終えるや否や、五つの石が重力に引かれ落下してくる。マーティアはあわや直撃というタイミングで素早く杖を右へ左へ操り、魔術の碧い火花を散らしながら全てを打ち据える。石は全て弾き飛ばされ、修復陣外側の草地へと深くめり込んだ。
残心を終えたマーティアが凜々しい顔つきで言った。
「これが魔術杖を使った近接護身法。 ――その名も『魔杖術』にございます」