表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/8

ニイ

スマホで読みやすいように編集しました。

 翌日の午後四時、僕と真理さんは花菜さんの学校の正門前にいた。

 この場所で花菜さんと待ち合わせを約束したからだ。

 僕と真理さんはこの学校の制服を着ている。誰にも怪しまれずに学校に潜入するためだ。

 

 放課後の時間帯なので、部活に入っていない生徒たちが、ぞろぞろと校門から出ていく。中等部と高等部の生徒が一緒の校門から出ていくので、帰宅部の生徒と言ってもその人数は多い。仲の良い子同士が、ワイワイキャピキャピ談笑しながら僕たちの目の前を通り過ぎていく。

 通り過ぎていくのは女の子だけだ。

 

 白雪学園という学校のネーミングを聞いた時に、なぜ思いつかなかったのだろう。

 

 僕は自分の発想力のなさを嘆いた。

 

 真理さんに、学校に潜入するために白雪学園の制服を着ていくからねと、制服の入っているらしい紙袋を渡された時、僕は真理さんがどうやって白雪学園の制服を手に入れたんだろうという疑問しかもっていなかった。

 

 学校に潜入するのは、僕と真理さんだけだと告げられた時、田畑君が一緒じゃないと分かってホッとした。イケメンの田畑君と一緒に並んだら、僕の方が確実に見劣りするからだ。

 本橋花菜さんが、田畑君に一目惚れするかもしれないというリスクを回避できる。そう思って安心した。


 …甘かった。田畑君が一緒に潜入できない理由があったのだ。


  僕が、そのことに気付かされたのは、喫茶店ナボコフの更衣室(本当は従業員用なんだけど、ピーチさんのご厚意で使わせてもらえるのだ)で、真理さんから手渡された紙袋から白雪学園の制服を取り出した時だった。


「げげっ! 」


 思わず僕は叫んでいた。

 僕の手にあった物は、白いラインが三本入った空色のセーラー服だった。何かの間違いだろうと思って、「ボクは後から着替えるからね」と優雅にホットココアを飲んでいた真理さんに確かめに行った。


「間違ってないわよ。だって白雪学園は女子校だもの。あ、シュン君。これ渡すの忘れてたわ」


 そう言って真理さんが僕に渡したのは、以前の事件の時に、僕が女の子に変装した時に付けた赤いチョーカー風のボイスチェンジャーだった。これを首に付けると、僕の声が女の子の声に変化する。つまり僕が白雪学園の女子生徒に変装することは、真理さんの計画では既に決まっていたのだ。これで、真理さんの謀略によって僕が女の子に変装するのは三度目だ。

 以前にも思ったことだが、僕がその道に目覚めてしまったらどうするんだ! 

 

 僕はブツブツ文句を言いながら、白雪学園の制服に着替えた。着替えた後、姿見に映る自分を見て、うん、可愛いかもしれないと思ってしまう自分が情けない。

 

 今の僕のヘアスタイルはショートボブみたいになっているので、カツラやウィックをつけなくても女の子に見えてしまう。三日前に僕が髪を切りに行こうかなと田畑君と話をしていたときに、真理さんが、「もう少し伸びてからの方が経済的よ」とか言って、僕が理髪店に行くことを止めさせたことを思い出した。

 あの言葉も、すべてはこのためへの布石だったのだ。やはり真理さんは用意周到だ。って感心していても好転はしない。

 仕方が無いから僕はあきらめることにした。…はぁ。

 赤いチョーカー風のボイスチェンジャーを首につけ、声までも女の子に変装した僕は店の中に戻った。


「シュン君も大変ね」


 カウンターにいるピーチさんの横を通り過ぎるとき、ピーチさんが小声で僕に言った。この店で初めてピーチさんに会った時も、僕は女の子の姿それもよりによってゴスロリに変装していた。だから、その時はピーチさんは本当に僕のことを女の子と思っていたらしいが、今では真理さんに女の子の格好をさせられる哀れな仔羊ということを理解してくれている。


「さすがね。どんな服でもよく似合うわ」


 現れた僕を見て真理さんが褒めてくれたが、ちぃーっとも嬉しくない。それにこんな格好で本橋花菜さんに会わなければならないと思うと気が重い。と言うか、もし僕の正体がバレたときに、花菜さんがどんな反応をするのかを考えると怖い。絶対に花菜さんにバレないようにしなければ。

 と、そんな悲壮な決意を秘めて小さなガッツポーズをしている僕の横を、真理さんが着替えるためにすれ違って行った。すれ違いさまに、「あんまり力むと失敗するわよ」と一言を残して。



 で、今の現状に至るわけだ。

 帰宅部だと思われるあらかたの生徒が校門から出ていった後、校舎の正面玄関から女子生徒がこちらに向かってくるのが見えた。遠目でも、その人が本橋花菜さんだということに気付いた。とたんに僕の頭の中で、フラメンコダンサーがカスタネットを激しく鳴らしながら踊り始めた。ドキドキ感が半端ない。あの花菜さんが近付いてくる。頭の中で踊っていたフラメンコダンサーが、タンと踵を踏みならし片手を上げてフィニッシュポーズを決めたとき、僕の目の前に花菜さんが立っていた。


「あの…、トリプルスターズの人ですか? 」


 僕に向って花菜さんが話しかけてきた。初めて聞いた花菜さんの声は、清んだソプラノの声だ。そう言えば、花菜さんのお父さんの声が、聞いてて心地よいテノール歌手の様な声だったことを思い出した。


「ったく。何ボーッとしてるのよ」


 真理さんが僕の脇腹を肘で小突いた。


「あ、は、はい。ト、トリプルスターズです」


 僕は、しどろもどろになりながらも答えた。


「トリプルって言っても、お二人なんですね?  」


 花菜さんが小首を傾げる。


 ――可愛い。


 ボーッと見とれていると、また真理さんに小突かれた。


「あ、は、はい。もう一人いるんですが、今日は僕と真理さんだけで来ました」


 花菜さんがキョトンとした表情になった。


 何でだ? あっ、しまった! 思わず僕って言ってしまった。


「気にしないでね。ボクもこの子も自分のことをボクって言っているボクっ子だから。白雪学園の人には、こんな一人称の使い方、変に感じるでしょう? 貴女たちには馴染みがないわよね? 」


 真理さんが微笑みながら言うと、花菜さんが「あ、いいえ。聞いたことはあります」とちょっとうろたえたように答えた。

 本当は聞いたことがないのかもしれない。無理に話を合わせてくれたのだろうと思う。…優しい子だ。


「ただ、この学園にいる間は、ボクはボクって言う一人称を使わず私の方を使うわ。ジュン子もそうしてね」


 真理さんが僕の方を見て微笑む。微笑んでいるようだが、目が笑ってない。こわっ! さっきの失敗を怒っている。慌てて僕は、コクンコクンと首を二度振った。


「ところで、まだ人形は残っているのよね? 」

「はい。最後の一体がまだあります」

「じゃあ、その人形がある美術室に案内してくれる? 」

「あの、その前にお伝えしておかなければいけないことがあるんです。実は私がトリプルスターズさんに依頼したことは、他の誰もが知らないんです」

「そんなこと依頼のメールを受け取った時から気付いていたわよ。だからこんな風に、あなたの学校の生徒に変装してきたんじゃない」


 真理さんの返答に、花菜さんが驚いたように目を見開いた。


「そうなんですか。さすがですね。では、案内します」


 花菜さんが先頭に立って歩き出す。僕と真理さんが後に続く。


 白雪学園の校舎の中は掃除が行き届いているのか、とても清潔感に溢れていた。少し若竹色がかった廊下の白い壁もシミ一つ無い。さすがにお嬢様学校だ。白雪学園がお嬢様学校だということは、さっき真理さんから聞いた。

 そのお嬢様学校に男の僕が潜入しているのかと思うと、ちょっとドキドキする。

 

 人形が突然消えていくという問題の美術室は、二階の廊下の突き当たりにあった。美術室の中には活動中の部員がいるのか、美術室に近付くにつれ、話し声が聞こえてきた。


「今日も活動しているの? 」


 前を歩いている花菜さんに、真理さんが尋ねた。


「ええ、今日は金曜日ですから高等部の先輩方も一緒に。それに今日は、前の人形が消えてからちょうど一ヶ月目の日なので、最後の人形が消えてしまうんじゃないかと思って。だから、みんなで見張ろうということになったんです」

「それは、ちょっとまずいわね。私が推理したとおりだったら、人形が消えたトリックがみんなに知られてしまうかもしれない。そうなると、真っ先に疑われてしまう人が出てくることになる」


 真理さんがロダンの『考える人』みたいに、グーの形にした左手を自分のあごに当てて呟いた。 


「ま、いいか。どうせいつかは分かってしまうことなんだし」


 真理さんはニコッと笑顔を見せると美術室に入って行った。僕も後に続く。

 美術室に入ると、中にいた女生徒たちが一斉に僕たちの方を見た。みんな敏感になっているようだ。


「こんにちわ。オカルト研究会の者です。人形消失の謎を取材させてもらいに来ました」


 真理さんが明るい大きな声で言った。真理さんが言ったことは、もちろん嘘だ。分かり切ったことだけど。


「あら、そんな話は聞いていないけど」


 教室の中程にいた眼鏡をかけたツインテールの女生徒がすぐに指摘した。雰囲気から察するに、この人が高等部の部長の村木香里さんだろう。


「美術室の人形消失の謎はもう全校で有名になっています。我がオカルト研究会では、それを取材したいと思っていました。それで今回、学園長の許可もいただいて取材させていただくことになりました。よろしくお願いします」


 真理さんが、はきはきと嘘を並べ立てるとお辞儀をした。僕も慌てて頭を下げた。


 それにしても真理さんは見事だ。元気良く淀みなく喋ると、嘘も本当のことのように聞こえてしまう。僕も一瞬そのような気がしてしまったぞ。それに、さりげなく『学園長の許可』という言葉を挟んでいる。学園長が許可したことを断ることは出来ないし、その確認をわざわざ

取ることもしないだろうと踏んでいる。計算され尽くした返答だ。さすがだ。


「あれが、問題の人形ですね。残った一体の」


 真理さんが人形が入った飾り棚を指し示した。僕もそちらを見た。


 美術室の後方に、八個の独立したボックス型の飾り棚みたいなのがあった。棚の正面の扉には透明なアクリル板が張ってあり、中が見えるようになっていた。その内の七個の棚は空で、右から数えて二番目の棚の中にだけ人形があった。飾り棚の内側は、黒と白の市松模様にペイントされていた。

 市松模様にしたのは、この飾り棚を制作したという美術教師の福山先生の好みなのだろうか? 

 

 真理さんが村木さんの方に向き直った。


「失礼ですが、一つ疑問に思う点があるので質問して良いですか? 」

「ええ、何かしら? 」

「今まで人形が消えた時には、あの飾り棚の中で消失しているんですよね? 」

「ええ、そうよ」

「それじゃあ、今回も、もし人形が消えるならあの棚の中でということになりますよね」

「そうなるわね。あなた何が言いたいの? 」


 村木さんが訝しげに言った。


「人形を棚の中に入れておくより、誰かがしっかりと抱いておく方が消えてなくならないと思うんですけど」


 僕も真理さんが言うとおりだと思う。まさか人形を抱いている人ごと消えてしまうというようなオカルト現象は、起きないと思うから。しかし、「あなたが言うことはもっともだと思うわ。でも、それをやりたくても出来ないのよ。棚には鍵がかかっているから開けられないの。鍵は福山先生が持っているから」と村木さんが返した。


「じゃあ、福山先生に言って鍵を貸してもらったらどうですか? 」

「それが出来ないの。福山先生は昨日から出張中で東京にいないから。それに鍵は福山先生がいつも持ち歩いているのよ」

「ふーん。やっぱり、そうなんだ」


 真理さんが呟くように言った。


「やっぱりって、どういう意味? 」


 村木さんの口調が厳しい。真理さんに対して敵対心をもっているのだろうか? だとすると勝敗は既に決まっているようなものなんだけど…。


「いえ、別に深い意味はありません。用心深いんだなって」

「福山先生は責任感が強いのよ。だから、棚の鍵の管理は先生がしているのね。もし、今日人形が消失しても、棚の管理責任者として責任をとられるつもりでいるのよ」

「責任て、どう責任をとるおつもりなんでしょう? 」

「福山先生から具体的にお聞きした訳じゃないから、それは分からないわ。もしかすると辞められるつもりでいらっしゃるんじゃないかと思って、それが心配なのよ」


 村木さんの表情が曇った。本当に心配しているようだ。


「なぜ、辞める必要があるんですか? 人形が無くなったくらいで辞める必要なんてないと思うんですけど」

「寄贈された物も含めて、全ての人形はアンティークドールと呼ばれている物だったの」

「ああ、あの古くて高い人形ですね」


 真理さんが肯く。


「そう、十体の人形の総額は一〇〇万円を越すらしいわね」

「それがなくなってしまったから責任をとるというわけですね。でも学校を辞める必要はないと思うんですけど。どう考えても、これは現象的には超常現象だし、映像にも人形の消失の瞬間が映っていた訳だし」

「私もそう思うんだけど…」

「先輩は、なぜ福山先生が辞めるかもしれないと思ったんですか? 」

「先生が、深刻な顔で白い封筒を眺めていらっしゃるのを見たことがあるの。二ヶ月ほど前だったかしら。もしかするとその封筒は辞職願いじゃないかと思って」

「それは心配ですね。私は芸術教科は音楽をとっているので福山先生に教えていただいたことはないんですが、優しい先生だと聞いています」


 真理さんが言ったことは、花菜さんからの情報だ。真理さんは、この事件に関わりのある人たちの情報を既に花菜さんから仕入れている。


「そう優しい先生なの。私たち美術部員は絶対に福山先生を辞めさせないわ。ねえ、みなさん」


 村木さんが美術部員たちの顔を見回す。本橋さんを含め、そこにいた全員がしっかりと肯いた。


 その時、「バイバイ」と言う女の子の声が入り口の方から聞こえた。次いでカタンと音がした。みんなが音のした方を向いた。人形の飾り棚がある方向だ。


「きゃあー」と何人かの娘が悲鳴をあげた。


「に、人形が消えている」


 誰かが叫んだ。

 見ると、さっきまで確かにあったはずの人形が消えていた。飾り棚の扉も開いていないのに人形だけが忽然と姿を消していた。


 ダンダンダンタタタ、ダンダンダンタタタ、ピュルルー、ピュルルーという音がした。突然そんな音がしたので、部屋にいたみんながビクッと身体を震わせた。僕と真理さんは驚かない。その音はミッション・インポッシブルのテーマ曲で、真理さんのスマホの着信音だ。これが「きっと来る~。きっと来る~」というような貞子さんのテーマ曲だったら、僕もドキッとするかもしれないけど。


「はい、ボクだよ」


 真理さんが応答する。電話の相手に分かるようにか、真理さんがボクという一人称を使った。


「うん。そう。それでどうなったの…。うん、分かった。じゃあ、引き続きお願いね」

「誰から? 」


 僕が尋ねると、「ター君」とだけ短く答えて、真理さんはたった今人形が消失した飾り棚に近付いていった。

 真理さんが飾り棚をのぞき込んだ。


「やっぱりね」


 真理さんはそう呟くと僕の方に向き直った。


「ジュン子、あなたも見てごらん」


 ちなみに、ジュン子とは僕が女装した時に、真理さんが僕を呼ぶ時の偽名だ。恥ずかしいけど、もう慣れた。本来は慣れるとヤバイけど…。「はい」とだけ短く返事してそちらに向かう。

 飾り棚を僕ものぞき込んだ。


 ん? 違和感を感じた。何かがおかしい。


「分かる? 」


 真理さんが訊いてきた時、僕もそれに気が付いた。飾り棚内部のパースがおかしい。黒白に塗られた市松模様の正方形が、見る角度によって微妙に歪んでいた。


「トロンプルイユ? 」


 僕がフランス語の言い方で確認すると、真理さんは大きく肯いた。


「そう、トリックアートよ。この棚の内部には、トリックアートが施されているわ」


 もう一度、飾り棚の内部をしげしげと見る。箱の内部に市松模様が施されている理由が何となく分かった。線と線との境目を見えにくくするためだ。


「ジュン子、箱の鍵を作ってちょうだい」


 真理さんが僕に命令した。


 ちょっと前までの僕なら、ディンプル錠の鍵を開けることは不可能だった。でも今は開けることが可能だ。

 僕がダイヤル式金庫を開ける時は、ダイヤルに手を添えて集中していると、なぜかダイヤルを回す回数と合わせる番号が頭に浮かんでくる。自分でも、なぜそんなことが出来るのか分からないが、とにかく出来る。過去に二回だけ、ダイヤル式の金庫の鍵を開けたことがある。いとも簡単に。

 でも、そんな能力は聖技能とは言えないと思っている。むしろダークサイドに近い能力なので自慢したくない。

 ただ、真理さんに「今後必要だからディンプル錠も開けられるようになっておいてね」と軽いウィンク付きで言われて、しぶしぶディンプル錠にチャレンジしてみたところ、ディンプル錠も同じだった。つまり、鍵穴に手を添えて意識を集中すると、鍵の形状が頭に浮かぶのだ。だから、後は鍵の丸く凹んだ部分がある鍵状の物を作ればいい。


 僕はスカートのポケットからプラスチックで出来た棒とホッチキスを取り出した。

 棒の方は、アイスキャンディの棒と似ている。ていうか、形状はほぼ同じで、材質が木とプラスチックの違いだけだ。ホッチキスの方は、一見ホッチキスに見える(見えるのは当たり前だ。ホッチキスをベースに真理さんが改造した物だから)が、それで先ほどのプラスチックの棒をパチンと押すと、押された部分にすり鉢状の凹みが出来る。

 相変わらず、真理さんは発明の天才だ。すごい! 

 僕はプラスチックの棒の両面に、合計八個のすり鉢状の凹みを作ると、それを真理さんに渡した。


「ありがと」


 僕から即席のディンプル錠の鍵を受け取った真理さんが、たった今人形が消えた飾り棚の鍵穴にそれを差し込んだ。

 真理さんが即席の鍵を回すとカチリと音がした。うまく開錠できたみたいだ。


「鍵が開いたの? 」


 村木さんが驚いたように目を見開いた。


「ええ、私たちオカルト研究会では鍵開けの技術も必要ですから」


 オカルト研究会になぜ鍵開けの技術が必要なんだ! と、普通ならつっこみを入れたくなるだろうが、真理さんが言うと、「そうなのかあ」と思えてしまうような妙な説得力がある。村木さんも納得したみたいだ。そのことに関しては、何も言わなかった。


「でも、人形が消えてしまったのに、今更鍵を開けても仕方ないでしょ」


 村木さんの声には、なぜか苛立ちが感じられた。


「いえ、まだ人形は消えてないわ」


 真理さんが淡々とした声で言う。


「どういうこと? 」


 真理さんは村木さんの質問には答えずに、僕に向き直った。


「ジュン子、人形を取り出して」


 僕は飾り棚の扉を開けた。中をのぞき込む。

 思った通りだった。棚の中にトロンプルイユ(トリックアート)が仕掛けられていた。どういう仕組みでそうなるのか、僕には分からなかったが、棚内部の天井の前半分が降りて、それが蓋のようになって棚の奥半分が隠れてしまうようになっている。そして、その降りて蓋みたいになった板にも、一点透視図法を使ってだんだん小さくなる黒と白の市松模様が描かれていて、箱の奥まで何もないように見せかけていた。

 つまり、その蓋になっている所の後ろに人形はある。…はずだ。

 

 僕はスカートのポケットから細密用マイナスドライバーを取り出した。市松模様が蓋と底面の境目を分かり難くしていたが、蓋の下部にわずかにある隙間を見つけて細密用マイナスドライバーを差し込み、蓋になっている板を持ち上げた。

 板を持ち上げてしまうと、やはりそこには人形があった。

 手を伸ばして人形を掴むと、箱の奥から人形を取り出した。


 その人形を手にした時、その人形が、ちょっと異質な感じがした。何故だろう? 

 

 僕が人形を飾り棚から取り出すと、人形を見た美術部員たちが歓声を上げた。消えてしまったと気落ちしていたから、人形が消えずにあったことが嬉しかったに違いない。

 でも、村木さんだけは、ことの重大さに気付いたようだ。村木さんの表情は暗かった。


「まさか、福山先生が…」


 村木さんが小さく呟いた。


 そう、こんな風に人形が隠れてしまうトリックを飾り棚に仕込むことができるのは、この飾り棚を作った福山先生以外には考えられない。これは僕にでも分かることだ。

 仮にもそれをやったのが福山先生ではないとすると、この飾り棚の鍵を開けることができて、施錠された美術室にも出入りが出来る人物に限られてしまう。でも、美術室の出入り口の鍵はともかく、飾り棚のディンプル錠を開けるとなると特殊な技能が必要だろう。僕みたいな。


「村木先輩、他の部員を帰してもらえます」


 気落ちしている様子の村木さんに向かって真理さんが言った。



 

 沢山いた美術部員が帰ってしまうと、広い美術室は静かになった。

 美術室に残っているのは、村木さんと僕と真理さんだけだった。本橋さんは残りたいと言っていたが、真理さんが彼女の耳元で何か囁くと納得したのか帰っていった。僕としては本橋さんがいなくなるのは残念だったが、真理さんに何か考えがあってのことだろうと諦めた。僕が男の子だとバレてしまうリスクのことを考えると、その方が良いのかもしれない。


 そうだ、ポジティブに考えよう。きっと本橋さんとは再会できると思うし。


「村木先輩、先輩は人形が箱の中に消えずにあったというこの結果を見て、どう思われましたか? 」


 真理さんが訊いた。


「おそらく、あなたが思っている通りよ。私にそれを言わせる気? 」

「ええ、確認しておきたいことがあって。村木先輩にとっては辛いことかもしれませんが、先輩の口からそれを言っていただきたいんです」


 村木さんが一瞬、キッと真理さんを睨みつけたように見えた。しかし、すぐに元の気落ちした感じの表情に戻った。


「分かったわ。でも、その前に私の質問に答えてくれる? 」

「はい」

 

 真理さんが肯く。

「あなたたち、白雪の生徒じゃないでしょう? 」

 

 ギクッ。バレてる。何で分かったんだ? もしかして村木さんも能力者? 


「どうしてそう思われたんですか? 」

 

 変装がばれたのに、真理さんは淡々としている。


「私が知る限り、この学園にオカルト研究会なんて無いもの。それとも最近新しく出来たとでも言うつもり? 」

「さすがですね。確かに私たちはこの学園の生徒じゃありません」

「では、何故そんなあなた達がここにいるのかしら? 」

「私たちはネットオークションを利用した盗品の密売事件を捜査している者です」

「捜査? 失礼だけど、あなたたち、とても警察の人には見えないわ」


 見えないのは当たり前だ。真理さんも僕も高校一年生なのだから。


「いえ、信じてもらえないかもしれませんが、私たちは警察の関係者です」


 真理さんが堂々と宣言した。嘘ではない。少なくとも真理さんは正義の味方の花谷鶴吉さんのいとこだから警察の関係者には違いない。ただ、それは警察の仕事をしているとか、警察の捜査に協力しているとかいうことではない。その点では嘘だ。

 この場合の嘘は、ついて良い嘘なんだろうか、それともついてはいけない嘘なんだろうか? 

 いずれにしても村木さんは訝しがりながらも、真理さんが宣言したことを一応は信じてくれたみたいだった。それ以上、僕たちに関する質問をしてこなかった。


「信じてもらえたようですね」


 村木さんが、渋々といった感じて肯いた。


「では、さっきの質問に答えていただきますか? 」

「私が、どう思ったかでしょ? 」


 そう言って村木さんがふうと深いため息をついた。そして項垂れながら話し出した。


「私は現実主義者だから、箱の中から突然人形が消失してしまうなんて考えられなかった。どこかにトリックが隠されていると思っていたの」

「つまりは、あの箱に仕掛けがしてあるんじゃないかと疑っていたと」


 真理さんが飾り箱を指さしながら問う。


「ええ…、でも福山先生がそんなことをするはずがないとも思っていた。いえ、思いたかった」

「でも、実際にはあの箱には仕掛けがあったわけですよね」

「そうね、それは紛れもない事実だわ。あの飾り棚を制作して設置したのも福山先生…。ねえ、さっきあなたはネットオークションのことを言っていたわよね。もしかして、福山先生が人形をネットで売りさばいていたの? 」


 村木さんが真理さんを見上げた。


「その質問に答える前に、村木さん、春口圭子さんを御存じですよね? 」


 僕も初めて聞く名前だ。当然、僕は春口圭子さんなる人物のことは知らない。

 シャーロック系の能力者の真理さんのことだ。事件の下調べは万全に行っていて、その人がこの事件に何らかの関係があるのだろう。


「ええ、もちろん知っているわ。家の都合とかで転校したけど、元美術部だった子よ。その春口圭子さんがどうしたの? 」

「最初に人形が無くなった時、ネット上のオークションにアンティークのフランス人形が出品されました。その出品されたフランス人形を二〇万円という価格で落札したのが、福山先生です。フランス人形の出品者は倉橋加奈子という名前で出品していましたが、それは偽名で、本当の名前は春口圭子でした」

「えっ、どういうこと? 」


 村木さんが驚いた表情になった。僕もちょっと驚いた。話の展開が見えてこない。頭の中で、?マークが滑走を始めた。


「出品者のIDを元に色々調べた結果、春口圭子という名前が分かりました。そしてこれが彼女が出品していた人形です」


 真理さんがタブレットを取り出し村木さんに見せた。僕には角度の加減でタブレットの画像は見えなかったが、そこには人形の写真があるに違いなかった。


「これは、最初に消えてしまった人形だわ…」


 村木さんが呟いた。


「いえ、消えてしまったのではなく、盗まれたのです。春口圭子の手によって」

「じゃあ、春口さんが人形を盗んで、ネットオークションで売っていたの? でもそれじゃ、福山先生の関わり方が分からない。なぜ、福山先生が、その人形を買ったのか。あんな仕掛けがある飾り棚をわざわざ作ったのか」

「村木さんはここにあった人形たちがアンティークドールだということを御存じでしたね? 」

「ええ、幼い時から人形に興味があったから、あの人形たちを初めて見た時、アンティークドールだと気付いたわ。それも高額の値が付きそうな人形たちだとね」

「そのことを誰かに話しませんでしたか? 」


 村木さんがしばらく考えた後、ハッとしたように自分の口元を両手で覆った。


「春口さんに話したわ。彼女が、もしかしてこの人形って値段が高いんですかって訊いてきたから、予想される金額を一体一体教えてあげた」

「もしかして、最初に消えてしまった人形が、村木さんが一番高く見積もった値段のものじゃないですか? 」

「ええ、そうよ。彼女に言ったの。この中で一番高い人形は約二〇万円のこの人形だろうって」

「ここからは私の推測なんですけど」


 真理さんがそう前置きした。シャーロック系の能力者の真理さんが推測したことは、ほぼ事実であるに違いないことを僕は知っている。真理さんの推測は、あらゆるデータ(ハッキングで得たデータを含む)を元に構築されたものだ。たまにはちょっと飛躍しすぎかなと思う場合もあるが、それでも当たっている。僕には思いもよらない思考回路で判断するからだろう。

 僕も真理さんが、どんな推測をしたのか興味をもった。もしかしたら、真理さんを見ている僕の鼻の穴は興奮で膨らんでいたかもしれない。


「春口圭子は何らかの理由でお金に困っていたのでしょう。そんな時、アンティーク人形が寄贈された。何かでアンティーク人形の価値を知っていた春口圭子は、目の前にある人形たちが本当に価値があるのか確かめた」

「じゃあ、私が彼女に人形の価値を教えなかったら、彼女は盗むようなことをしなかったと…」


 僕には、村木さんの声が悔やんでいるように聞こえた。


「いえ、村木さんのせいではありません。春口圭子はあなたから訊かなくても、他の方法で人形の価値を調べたでしょう。とにかく、人形が価値あるものだと確信した春口圭子は、一番価値があるとされた人形を盗み出し、それをネットオークションに出品した。その出品された人形の画像を福山先生が見つけたんです」

「偶然に? 」

「いえ、偶然ではありません。福山先生は、人形を盗み出した者はこの学園の内部の人間だと思ったのでしょう。白雪学園から一キロ離れたところにアンティーク人形も扱っている古物商があります。でも、そこに人形を持っていくと盗んだ者にとって大きなリスクが生まれます」

「身元を確認されたり、顔を覚えられるかもしれないことね」


 村木さんが言った。


「そうです。さすがですね」


 真理さんが村木さんに向かってニコッと笑った。


「そのリスクに気付いた後は、売りに行く店、つまり人形を買ってくれるような店がどんなに距離的に離れていても、盗品を直接売りさばくことが怖くなってしまいます。できるだけ、リスクは負いたくない。そう考えた犯人はネットという仮想市場での取引をしてくるに違いないと福山先生は考えたのでしょう。ネット上では自分を偽ることが出来ますからね。そしてネット上に上がった人形の画像を見つけた」

「その時に、福山先生は春口さんが犯人だと気付いていたの? 」

「それはないと思います。少なくともこの時点では」

「では、なぜ、福山先生は二〇万円も払って人形を落札したの? 」

「人形を盗んだ犯人を明らかにするためです。人形はまだ九体残っています。ネットでの取引が出来たことで、味をしめた犯人がまた人形を盗むかもしれないと考えたのです」

「それで、福山先生は盗んだ犯人を見つけたの? 」

「ええ、見つけたんです。そうですよね、福山先生」


 そう言って、真理さんが監視カメラの方に振り返った。なぜ、真理さんがそういう行動をとったのかは、数秒後に分かった。


「ええ、そうよ」


 驚いたことに美術室の入り口近くから、女の人の声が聞こえた。入り口近くにはダヴィンチのモナリザの複製画が飾ってあった。どうやら、その複製画にスピーカーが仕込まれているらしかった。


「真相を話していただくために、ここに来ていただけませんか。先生は学園の近くにいらっしゃいますよね」


 真理さんが監視カメラに向かって話しかける。機械に疎い僕にも何となく分かった。この監視カメラは録画するだけでなく、遠隔からも見たり音を聞いたりできるようになっているんだ。

 それにしても、村木さんは、福山先生は出張中で東京にいないと言っていたのに、近くにいるとはどういうことなんだろう? 


「なぜ、私が近くにいると思うの? 」


 モナリザから福山先生の声が聞こえた。


「私の助手が探し出しました」


 田畑君のことだ。そうか、田畑君の異能力(ニオイでその人が考えていることが分かる)を使って福山先生を捜し出したんだ。ということは、真理さんは福山先生の出張が嘘だということを見抜いていたんだ。


「先生は今、学園の近くの喫茶店にいますよね。先生の席の近くに髪の長い長身の男性が座っていると思います。それが私の助手です。彼と一緒にここに来て下さい」

「もし私が嫌だと言ったら? 」

「そんなことは先生は言わないと思います。先生には真実を話す義務があります」


 ややあって、「わかったわ」と返事があった。


「では、お待ちしています」


 そう言って、真理さんが監視ビデオの電源を切った。


「なぜ、福山先生が出張していないと分かったの? 」


 村木さんが真理さんに尋ねた。村木さんの疑問は僕も思ったことだった。


「簡単なことです。この学園の教職員の動向はパソコンで記録されています。それを調べたら、福山先生は昨日は確かに名古屋に出張ですが、本日は有給休暇の申請をされています。つまり、二日間の出張というふうに一部の人間に思わせたかった」

「一部の人間て、もしかして私たちのこと? 」

「そうです。あなた方、美術部員にです」

「それは何故なの? 」

「それは、福山先生ご自身に訊かれるのが一番良いでしょう」


 真理さんが、そう言いながら最後に残った人形を村木さんに手渡した。




 それから一五分後、美術室のドアが開いた。

 そこには紺のライトポンチに同じ紺色のフレアスカートを着た三〇代半ばくらいに見える女の人が立っていた。この人が福山先生なのだろうか? 黒髪のミディアムヘアで顔立ちも綺麗な先生だ。優しそうな印象を受けるが、その表情には笑みはない。


「お待たせしたわね」


 福山先生が美術室の中に入ってきた。

 次いで、彼女の背後から、見知った人物が現れた。田畑君だ。何故か田畑君は、以前の事件の時に扮した模写小路実篤の格好をしていた。長い髪はポニーテールのように後ろでまとめ、イミテーションの口ひげを付け、紺の作務衣を着ている。一見すると怪しい芸術家の人だ。

 田畑君は、僕と真理さんの姿をみとめると、軽く右手を挙げた。


「よけいな心配をさせてしまったわね。ごめんなさい、村木さん」


 福山先生が頭を下げた。


「心配だなんて…。でも、先生、どうして…」


 村木さんの声が若干震えていた。

 福山先生は、村木さんの問いかけには答えず、僕と真理さんの方を見た。


「あなた達が人形消失の謎を解いた人たちね」


 福山先生の言い方には険がなかった。謎を解いた僕たち(真理さん中心)に対しての憎しみの感情は無いようだ。


「ええ」


 真理さんが短く肯いた。


「どうして私が作った飾り棚の仕掛けが分かったの? 」

「村木さんと同じように、」


 真理さんが村木さんの方をチラッと見てから続ける。「私も現実主義者ですから。人形が突然消えるなんてこと、ありえません。となれば答えは一つ。飾り棚に仕掛けがあるに違いないはずですから」


「こんな事になるなら、九体目を消した時、同時に最後の人形も消しておけば良かったわね」


 福山先生が、静かにため息をついた。


「それは、先生にはできなかったと思います。先生の仕組んだことは、全て春口圭子さんのため。それまでやってきたルーティーンを崩すことは、先生にはできなかった」


 真理さんが言った意味が僕には分からなかった。それにしても今の真理さんは、物静かな丁寧な言葉遣いだ。福山先生が人形を盗んだ犯人だと分かっているのに、ドSの片鱗も見せていない。何故なんだろう?


「どうして、そう思うの? 」


 福山先生が真理さんを真っ直ぐ見つめた。


「今まで消え去った人形たちの履歴を調べました。一ヶ月毎に一体ずつネットオークションに出品されていました。そして、ほとんどの人形が一〇万円前後の高額で落札されていました。もし二体同時に出品したら、落札価格が低くなるかもしれない。先生はそれは避けたかった。だから、毎月一体ずつ出品していた。そうですよね? 」

「ええ、そうよ」

「ちょっと待って。それはおかしいわ。私ももしかすると消えた人形は誰かが盗み出していて、その盗んだ人形をネットオークションで売っているかもしれない。そう思って、人形が消えた日から、あらゆるネットオークションサイトを見ていたわ。でも、一度も消えた人形が出品されたことは無かったわ」


 村木さんが真理さんにくってかかった。


「村木さんがネットオークションサイトを見たのはいつですか? 」


 村木さんに向かって真理さんが静かに問う。


「だから、人形が消えた日の翌日からよ。一〇日間以上は監視したわ」

「それでは見つけられなかったのも当然です」

「どういうこと? 」

「ネットオークションには、人形が消える日の前の一週間だけ出品されていたからです。つまり、消えることになっている人形が、前もってオークションにかけられていたんです。そうですよね、福山先生」


 真理さんが福山先生に向き直った。


「ええ、その通りよ。でも、よくそのことが分かったわね」

「この事件を調べることになって、ネットオークションサイトの過去の出品物と出品者を検索しました」

「履歴が残っていたの? 」

「ええ」

「そう…、履歴が残っているなんて知らなかったわ。私のミスね」


 福山先生がため息混じりに呟いたが、それは違うと思う。おそらく真理さんお得意のハッキングでネットオークションサイトの過去データを盗み見したのだ。

 田畑君がニオイで読みとった僕の考えに同調したのか、力強く肯いた。


「つまり、福山先生は次に盗み出す人形をネットオークションに出品し、あらかじめ売り手を確保してから盗み出した。そうすると、すぐに人形を売ることができるから、人形を自分の手元に置いておかなければならないというリスクが減る。そうですよね? 」


 福山先生が肯いた。


「何もかもお見通しという訳ね」


 福山先生が深いため息を着いてから続けた。


「でも、これで私も人形の呪縛から逃れられるわ」

「どういう事ですか? 」


 真理さんが不思議そうに首を傾げた。


「人形をネットで売り始めてから、あの人形たちが夢枕に立つことがあったの。人形が喋ることはなかったけど何かを訴えているようだった。もしかしたら私の手によって離ればなれになったことを恨んでいたのかもしれないわ」


 福山先生が怖いことをさらりと言った。


 もしかして福山先生は嘘をついている? 


 すると福山先生の後ろにいた田畑君が、僕の思ったことを分かったのか、静かに首を横に振った。田畑君はその人の発するニオイでその人の考えていることが分かるから、福山先生の思ったことも分かったのだろう。


 どうやら福山先生が言ったことは本当のことらしい。…こわっ。


「それは多分、先生の罪の意識がそうさせたのでしょうね。いくら春口圭子さんのために行っていたことだとしても」

「あなたたちは一体何者なの? どうやら全てのことを知っているようだけど」

「ただの探偵です。私たちが若いから信じてもらえないかもしれませんが」

「信じるわ。私が学園の近くにいることも知っていたしね」

「ありがとうございます。でも、全てを知っていると思われるのは間違いです。分からないこともありました。春口圭子さんという人物がこの学園にいたことは分かっていましたが、本当に先生と春口さんがつながっていたかどうかは、確認が必要でした」

「で、確認は取れたの? 」

「ええ」


 真理さんが肯いた。


「先生がこうしてここに来て下さったことが全てを物語っています。先生は真実を話すためにここに来た。ですよね」

「ええ、そのつもりよ」


 静かに肯き、そして福山先生が話し始めた。


「私がネットで売りに出された人形を見つけたのは、あなたがさっき言ったとおりのことを私も考えたから。あの人形は、最低落札価格が十八万円に設定してあったから、アンティーク人形の知識がある人間だと思ったわ。私はそれを二十万で落札し、犯人の出方を待った。そして、美術室に忍び込んだ彼女を見つけた」

「それが春口圭子さんだったのですね」

「ええ、彼女が二体目の人形を手にして美術室から出てきたところを目撃したの。彼女は泣いて詫びてきたわ。許して下さい。でも、見逃して下さいと。そして私がそんなことをした理由を尋ねると、彼女は、お金が必要なんですと泣きながら言ったの」

「春口さん、お金に困っていたんですか? 」


 村木さんが訊いた。

 福山先生は村木さんの方を見て悲しげな表情で肯いた。


「彼女が母子家庭だったことは村木さんも知っていたでしょ。彼女のお父様は、彼女が中等部の時に病気で他界されたから」


 村木さんが肯く。


「彼女の話では、春口さんのお母様が病気になって入院されたの。病名までは怖くて尋ねられなかったけど、長期入院が必要なとても重い病気らしいの」


 村木さんがハッとしたように顔を上げた。


「もしかして、先生はネットで売った人形の代金を春口さんに? 」


 福山先生が悲しそうな表情のまま微笑んだ。


「彼女を学園に引き留めることができなかったことへの私なりのつぐないよ。あの後、彼女は退学届けを出したの。私は学年主任の先生から聞いてそのことを知っていたわ。でも、その時、彼女が学校を辞めるのは仕方ないと思ってしまった。私の心のどこかに、罪を犯した彼女を許せない思いがあったのかもしれない。彼女が学園を辞めなくても済む方法はいくらでもあったはずよ。私はその方法を見つけることをしなかった。教師失格ね」


 自嘲気味にそう言った福山先生は肩を落とした。


「いえ、私はそうは思いません。先生は、最後の一体の人形が無くなったら、その責任をとるという理由で学園を辞めるおつもりでいたでしょう? 」


 真理さんが言った。


「なぜ、そう思うの? 」


 顔を上げた福山先生が問う。


「先生が出張期間を偽って二日間としたのは辞めるための布石。自分が辞めることによって、生徒たちを悲しませないように」


 そして、真理さんが村木さんをチラッと見て言った。


「村木さんだけには、その意味を教えてあげてもらえませんか」


 福山先生が静かに肯いた。そして言った。


「私の考えまで分かっているなんて、もしかしてあなた能力者? 」

「ええ、私はシャーロック系の能力者です。聖技能学園の」


 わわ、真理さん、言っちゃったよ。良いのかな、一般の人に自分の能力をあかしても。確か、生徒会規約の第一八条に『本校生徒は、むやみに自分の能力をあかしてはいけない』という文言があったと思うけど。まあ、僕の場合は、僕の能力の系の名称が、何かに集中した時だけ超人的な能力が発動するということで、付けられた能力の名前が、『火事場の馬鹿力系』というカッコ悪いものなので、人には教えたくないけど。


「私が、美術部員に二日間の出張だと偽ったのは、人形が無くなった責任を美術部員のせいにするため。九体目の人形が無くなって一ヶ月経つから人形を見張りましょうと相談しているのを偶然知ったの」

「そうか…。先生は人形を見張っていた私たちに責任を押しつけるような演技をして、私たちから自分が嫌われるように仕向けようとした。そうですよね、先生」


 村木さんの目が潤んでいた。


「ええ、その通りよ。人形を守れなかったあなた達をさんざん罵って、その結果嫌われて、嫌な女が学園を去ってくれたと思わせたかった」


 福山先生の目にも涙があった。


「先生、どうか辞めないでください」


 村木さんが泣いていた。


「それは無理よ。この件が終わったら、学園を去ることは以前から決めていたから。春口さんのためとはいえ、人形を盗み出したのは私だから。事件にはなっていないけど、私がしたことは犯罪よ。警察に自首するわ」


 えっ? 警察に自首? 黙っていれば分からないのに。

 僕はそう思ったが、真理さんは大きく肯いて言った。


「それがいいわね。罪は罪だから。そんな決心をした先生に朗報を一つ教えるわ。春口圭子さんの母親は二度目の手術も無事済んで、経過も順調よ。他への転移の心配もない。一週間後には退院できるそうよ。うちの学園のブラックジャック系の人にカルテを診て貰ったから間違いないわ」

「良かった…」


 福山先生の悲しそうな表情に笑みが戻った。




「真理さんが一昨日、ブラックジャック系の三年生の人と話をしていたのは、カルテを診てもらってたの? 」


 村木さんと福山先生に別れを告げ、美術室を後にした僕たち三人は校門に向かって歩いていた。真理さんが先頭で、僕と田畑君は真理さんの従者のように真理さんの後ろについていた。

 その真理さんに背後から質問したのだ


「そうよ。もう勘づいていると思うけど、カルテは春口圭子の母親が入院している病院のコンピュータにハッキングして手に入れたわ」


 真理さんが悪びれもせずに言う。ハッキングもだが、個人情報を違法に手に入れるのはどうかと思うんだけど。


「いいのよ。犯罪に利用している訳じゃないし」


 僕が思ったことを見透かしたように、真理さんが振り返りもせずに言った。


「ところで、田畑君をなぜ福山先生と一緒に美術室に呼んだの? 田畑君を呼ぶ必要はなかったように思うんだけど」

「この期に及んで福山先生が嘘をつくとは考えられなかったけど、一応念のためね。彼女が嘘をついたらター君の能力で分かるから」

「そうかあ、なるほどね」

「それにね、村木さんのことも気になったから。どうだったター君? 村木さんの反応は」

 どういうことだろう? 真理さん、村木さんのことについて気になることがあったのかな?

「村木さんは初めから、福山先生が犯人じゃないかと疑っとったし、あの飾り棚の仕掛けも薄々気付いとったようだよ。それに、彼女は能力検定試験受験可能リスト者にも選ばれとったみたいだ。真理さんが、自分は能力者だとあかした時に彼女がそれば思った。でも結局受験せんかったみたいやけど」


 田畑君が、村木さんのニオイで読みとった、彼女の思ったことを真理さんに伝えた。


「やっぱりね。美術部員のことをネットを使って調べた時に、二人の名前がネット上でヒットしたの。一人は本橋花菜。彼女は前のブルーダイヤモンド事件の関連で警察のデータに名前があったわ。もう一人が村木香里。彼女の名前は、以外にも聖技能学園のデータの中に見つけることができた。ター君が言ったように、彼女は能力検定試験受験可能リスト者に選ばれていた」

「その能力検定試験受験可能リスト者って何なの? 」


 僕の質問にピタリと真理さんが立ち止まった。ゆっくりと僕の方に真理さんが振り向いた。真理さんの目が半眼になっていた。


 ひぇー、ドSモードになっている。


「信じられない! なぜ聖技能学園の生徒が、能力検定試験受験可能リスト者のことも知らないの。まさか、シュン君、あなた可能リスト者じゃなかったの? 」

「うん…」


 可能リスト者の意味が分からない僕がおそるおそる肯くと、真理さんが目を大きく見開いた。


「ますます信じられない! 可能リスト者に入ってなかった人が能力検定試験に受かっていたなんて。そう言えば、前にシュン君は華菜さんから受験を勧められたと言ってたわね。受験手続きはどうしたの? 」

「受験手続きは花谷さんがやってくれたみたいで、受験を勧められたのと同じ時に受験票が送られてきたんだ」


 僕が答えると、真理さんがますます目をパッチリと開いた。


「うそぉ、こんな身近に特例受験者がいたなんて。シュン君、ボク、ちょっとあなたを見直したわ」


 能力検定試験受験可能リスト者や特例受験者が、どんなものなのかは分からなかったけど、真理さんに褒められたみたいで少し嬉しかった。


 それよりもっと嬉しいことが僕を待っていた。

 校門の所に花菜さんがいた。大きなケーキの箱を持って。




 僕は今、至福の時を感じている。なぜなら本橋花菜さんのシュークリームを食べているからだ。

 白雪学園の美術室で真理さんが花菜さんに囁いて指示したのは、事件を解決した報酬、つまりシュークリームを持ってくることだった。つまり、それを理由に花菜さんをあの場から去らせたのだが、それによって花菜さんは人形消失事件の真相を知らないで済んだ。

 そして花菜さんが持ってきてくれたシュークリームを、僕たちは喫茶店ナボコフで食べている。五個あったうちの二つのシュークリームは、真理さんがこの店のオーナーであるピーチさんにあげた。もし、シュークリームが市販の物ではなくて花菜さんの手作りだったら、僕はあげるのに反対したかもしれないけど。

 とにかく、僕と花菜さんには不思議な縁があるに違いない。それを信じて再会の時を期待しよう。もしかすると、その時には花菜さんの手作りのシュークリーム、いや手作りの料理を食べさせてもらえるかもしれない。お互いに見つめ合って、花菜さんが「美味しい? 」と首を傾げて……


「でもさ、福山先生が逮捕されて、人形消失事件のことがニュースになったら、本橋さんも知ろうもん」


 田畑君が言った。僕が妄想モードになりかけていた時、田畑君と真理さんは今回の事件のことを話し合っていたらしい。


「それはないと思うわ。おそらく事件にならないもの」

「だって、福山先生は警察に自首すると言うとったし」

「犯罪事実が分かっていない段階での自首だし、犯罪としても罪が軽い窃盗だし、動機も情状されるべきものだし、すぐに検察に回されて起訴猶予処分になるはずよ」


 そう言ってから、真理さんが優雅にホットココアの入ったデミタスカップを口に運んだ。


「起訴猶予処分って? 」


 僕が訊くと、真理さんが半眼にした目で僕を睨んだ。


「ちょっと、シュン君。あんた聖技能学園の生徒なら、それくらい知っていてよね」


 真理さんの口調が怖かった。


「は、はい」


 僕は大きく肯いた。


「ったく。いいわ、今回は特別だからね。教えてあげる」


 そう言ってホットココアを一口飲んだ後、真理さんが続けた。


「起訴猶予処分は、検察が訴追、つまり裁判所に裁判を求める手続きをしないことよ。不起訴処分とほぼ同じ意味ね」

「じゃあ、福山先生は無罪っていうことになるの? 」

「そうね。ただ、また何か犯罪を犯してしまったら、この件もさかのぼって起訴されてしまうかもしれないけど。まあ、あの先生ならそんなことはないだろうし、問題ないわ」

「そうか、良かった」


 僕は息をふうと吐いた。福山先生のことで悲しむ花菜さんの姿を見ないで済む。


「でも、一つだけ問題が残っているのね」


 真理さんが意味深に付け加えた。それって何なのだろう。気になったが、真理さんは続きを話そうとしない。それどころか、ホットココアを飲み続けている。


「問題って何ね? 」


 真理さんの沈黙に耐えられなかったのか、田畑君が訊いてくれた。


 サンキュー、田畑君!

 

 真理さんがカップを置いた。


「問題が残っているって言ったのは訂正する。問題が残っているかもしれないと言った方が正しいから。それでもし、問題が解決してなかったら、あなた達に協力してもらうわ」

「だから、その問題って? 」


 今度は、意を決して僕が訊いた。もし真理さんの気分を害したら大変だと思いながら。

 でも、その問題の方が気になっていた。


「最後の人形、つまり今日消失するはずだった人形のネットでのオークションは昨日まであってたの。ボクはその人形を誰も落札しないようにと、オークションに参加して値を付けていたのね。事件が解決する予定なのに、もしオークションで買っちゃう人がいたら困るでしょ。でも、最後までボクと張り合う人がいて、最終的にはとんでもない値段がついたわ」

「とんでもなか値段って? 」

「百二十一万円よ。ボクは一万単位で値を上げたけど、その人は十万単位で値を上げてきた。どうしてあの人形に対してそんなに執着するのか分からなかったけど、ちょっと異常な感じだったわ。ボクが操作してオークションを強制終了したから、落札されずに済んだけどね」

「あの人形、もしかしたらめちゃくちゃ高額な人形なのかな? 」


 僕は人形を手に持った時の感触を思い出していた。でも、あの人形が高額だったのかどうかは分からなかった。


「ボクはあの人形が百万円を超える値段がつくとは思えない。だから気になって、ボクと張り合っていた人のことを探ってみたの。そうしたら、そのID番号を所有していたのは中学生の男の子だった」

「ふーん、その子人形集めるのが趣味なのかな? 」


 僕が呟くと、真理さんが大きく「はあ~」とため息をついて僕を見た。


「シュン君、わざと言ったわよね? 」

「え、何が? 」

「ったく。考えてごらんなさい。例え人形好きな男の子の中学生がいたとしても、百二十万円の大金を払ってまで人形を手に入れようとする? 」

「あっ、そうだね」

「ったく。だからね、その子のIDを誰かが不正に入手して利用していたと考えるのが妥当なのよ。誰が何のためにそんなことをしたのか。ただのイタズラなら良いんだけど、もし、あの人形が曰く付きの人形だったとしたら、何か起こるかもしれない」

「曰く付きって…、あの人形に呪いがかかっとるとか? 」


 田畑君が呟く。


 呪いの人形……。ひえぇぇー。怖い、怖すぎる。


「バカね。そんなんじゃない。誰が好きこのんで呪いの人形を高いお金を払ってまで買おうとするのよ。曰く付きと言ったのは別の何かよ。それが分かればいいんだけど、残念ながらボクにも分からない。とにかく、何か起こったら、あなた達にも協力してもらうからね」

 僕と田畑君はコクンと肯いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ