3
授業をぼんやりと受けて、それなりにクラスメイトと話して、もう放課後。バイバイと友達と教室で別れて、私は一人下駄箱に向かっていた。
廊下は放課後ということで騒がしかった。部活に向かう人、帰宅部の人、ただ友達と駄弁る人。みんな明るい顔をしているように見えた。悩みなんて無くて、今を楽しんでいる。
羨ましい。
その言葉が頭に浮かんで、急いで振り払った。羨ましくなんてない。だって私も今を楽しんでいる。
旧校舎という一部の先生しか知らない場所で、友達にも教えないでピアノを弾いて歌って、優越感を感じている。朝礼ギリギリに教室に滑り込んで、ドキドキ感を楽しんでいる。それに友達もいるから普通に学校生活は充実しているのだ。
一体どこが羨ましく感じたのやら。
真っ直ぐ前を見て歩く。周りなんて気にしていないように。
「あ、ひなちゃん」
職員室の近くを歩いていると、声をかけられた。その子はクラスメイトで、まあまあ仲が良い子だった。普通に話すけど、個人的なことはあんまり知らないし、あだ名や呼び捨てでお互いを呼び合うほど仲が良いわけでもない。そんな距離感の子だ。
「ひなちゃん、帰り?」
「ううん、まだ帰らないよ。そっちはまた先生のところ?」
「うん!」
この子は私たちのクラスの担任が好きだ。もちろん恋愛感情ではなく、懐いているが一番近い。担任はこの子に限らず、他の生徒からも人気だ。生徒のことを本当に考えてくれる人だと、皆から慕われている。そんな担任の周りは毎日生徒でいっぱいだ。彼女もその一人。
でも、私はそんな彼女たちがわからなかった。
「うーん、担任のどこがいいの?良い先生だとは思うけど」
「先生、面白いじゃん!話しかけやすいし、優しいし」
にこにこと笑って言う彼女からは担任への好意しか感じられなくて、何だか居心地が悪かった。
「あはは、確かにそうだね。それじゃあ、また明日」
「うん、ばいばい」
話を適当に切り上げてその場を去る。担任を呼ぶ誰かの声とそれに応える声が聞こえて、私は少し歩く速さを上げた。
担任は色んな人から好かれている。でも、私はあまり好きではなかった。確かに担任は生徒を大事にしているし、授業はいつも面白い。厳しい時もあるけれど、私たち生徒を思ってのことで優しい、本当に素晴らしい人である。
でも私は好きになれない。前までは普通に好きだった。けど今は嫌いだ。
どんどん歩く速さが速くなって、気がつくと私は走っていた。
冬の暗い夕方。私は旧校舎の前に立っていた。息がすっかり上がっていて、白い息が目の前に広がる。私は息が落ち着くまで、その場で深呼吸した。
体がすごく重く感じる。きっと全速力で走ったからだろう。だから何でもない。別に何も、他の理由なんて無い。普通のことだ。大丈夫、大丈夫。何にもおかしくない。
旧校舎に入れば、ぼんやりとした音のピアノが待っている。
「そうだよ。大丈夫だよ」
ほとんど吐息の、すぐ空気に消えてなくなりそうな言葉を自分にかけて、私は旧校舎の鍵を開けた。
とても寒い場所だけど、私にとってはどこよりも安心できるところなのだ。
私が旧校舎に入り浸るようになったのは、二学期が始まって暫く経った頃だった。何てことないことに傷ついて、疲れた顔をしていた時、旧校舎の存在を知った。それから朝と放課後は旧校舎にいるようになった。
原因は本当に些細なことだった。
私を傷つけようなんて、そんなことは何も考えてなかった。だって皆に慕われている『先生』だから。でも、だからこそ、より私の心に突き刺さってしまったのだと思う。
私は『先生』なんて嫌いだ。先生という人たちは距離感がわからない人が多い。先生と生徒は近いようでとても遠い。思っているよりもずっと、ずっと深い溝がある。
でも、私に旧校舎を教えてくれたのも『先生』だから、少し複雑だ。
その先生のことを好きだと、尊敬していると思えるのはきっと良いことのはずなのに。
そんな自分が嫌になってしまう。




