東雲家の次女
「相変わらず暇そうだね」
頭上から声が降ってきたので顔に乗せていた本を退かし、脇に立つ男を眩しさに目を細めながら見上げた。
立っていたのはこの東の国で水の域を治める我が家の長兄、東雲辰貴。
本来なら私が居るためにこの土の域にはあまり人が来ないというのに、この一の兄は護衛も連れずにやってくる。
「……突然どうかしましたか、一の兄」
「例のものを取りに来たんだよ」
せめて事前に連絡が欲しいのだけれど、一の兄はお構い無し。まあ連絡を取ると二の兄が妨害でもしてくるんだろう。
二の兄の侵略を警戒する一の兄は私の元に二の兄の領域である炎の域の情報を求めに来る。
二の兄は負う咎が重すぎるのか、鞘が未熟過ぎるのか、それとも二の兄の性なのか、いささか欲望が強すぎるところがある。
私が炎の域の資料を探していると、私の鞘である結月が茶菓子と共に持ってきてくれた。
「長椅子で眠るなと言っているだろう」などとお小言を言う結月に肩を竦めてみせて、資料を受け取る。大した追加情報などなかったと思うのだが、良いのだろうか。
まあ、私にはあまり関係がないか。と誤字脱字の確認だけをして一の兄に資料を渡した。
西の国などがどのような治め方をしているかは不勉強な私ではわからないが、この東の国の統治の仕方は変わっていると思う。
環と呼ばれるこの世界は大きく分けて子、南、西、そして東の四つの国で成り立っている。
この中で東の国は更に水、炎、樹、雷、土の五つの領域に分かれ、東雲家の五傑と呼ばれるものたちがそれぞれを治めている。
かつて東の国が荒れに荒れていた頃、五つの加護を持つ英雄がそれを治めたという。それが東雲家の初代、蒼天。
ただ彼はその圧倒的な力を恐れられ、罪人とされた。かといって初代以外に国を治められる者も居らず、東の国は罪人の治める国となった。
初代が亡くなった後、初代の最後の力によってその巨大な加護は五つに分けられ、罪を負わされた上で五つの領域を治めることになった。
その加護と罪を背負う紋章を持つ者が東雲の血族の中で生まれる。それが東雲家の五傑。
水の域を治める者、名は辰貴、加護は龍、罪は表裏
炎の域を治める者、名は紫鳳、加護は鳳凰、罪は貪欲
樹の域を治める者、名は鹿埜、加護は鹿、罪は虚弱
雷の域を治める者、名は夕麒、加護は麒麟、罪は猛進
土の域を治める者、名は狼嘉、加護は狼、罪は威圧
生まれたときに五傑として目覚める者も居れば、後天的に目覚める者も居る。目覚めれば本家に移され、名は縛られ、領主として時間を取られ、常に警戒される毎日。
私以外は真面目に学園に通っているらしい。一の兄は先代から既に領主を引き継いでいるからかなり忙しいはずなのに、流石としか言えない。
茶を啜る一の兄を横目にもう一眠りしようと横たわろうとすると結月に邪魔された。
結月は私の鞘。鞘というのは五傑の暴走を防ぐために据えられた婚約者のこと。
五傑が目覚めた時に鞘にも紋章が浮かぶ。ただ、鞘は紋章が無くなるとすぐに新しい鞘が目覚める。そのために一の兄のところでは鞘に関しての問題があったらしい。既に片はついたようだけれど。
一の兄と姉上の鞘の立場は人気だ。対称的に私の鞘は生贄のような扱いだ。まあ、当然だろう。
私の罪は威圧。人は私を恐れて近づきもしない。領域という広い範囲で見たとしても、住んでいるのは私と結月だけという徹底ぶりだ。
私は幼い頃から慣れたものだったけれど、結月からしてみたらとんでもなく迷惑なことだったろう。
それがわかっていても、私は自ら結月を手放せない。
「今日は別の用事もあるんだ」
資料を確かめていた一の兄が結月に目を向けた。
結月が姿勢を正す。
「土の主に学園に来てもらいたい」
「本気で言っているのか?」
「嗚呼、土の主以外に頼れる者が居ないんだ」
私が理由を尋ねる前に結月が声を固くして前に出た。
一の兄もまた声を固くして頷く。更に食って掛かろうとした結月を制し、一の兄に理由を問う。
一の兄、曰く、学園に他国のスパイが居るかもしれないと。
各域の重鎮候補たちがとある少女にご執心らしい。
その少女が他国のスパイだったとしたら、代替りをしたと同時に乗っ取られる可能性がある。
大罪である魅了を負う者であれば、大罪に巻き込まれない者が対処する必要がある。
だから、狼の加護を持つ私が必要であると。
「我らは国内で争っている場合ではないようだ。僕がこの国を統一する」
「私の領域もですか?」
「武力で治めるだけが方法ではないだろう?」
「―…結月、制服は何処にしまったかな」
結月は微かに眉をしかめたが、深く息を吐いて立ち上がった。納得いかないながらも従ってはくれるらしい。
去り際に結月に睨まれた一の兄は軽く肩を竦めて苦笑いを浮かべる。
結月が完全にこの部屋から出たのを機に私の加護を放つ。一の兄もまた加護を放つが此処は私の領域。罪も合わさり、私が圧倒的に優勢を保つ。
「取引の内容を決めようか、一の兄」
話すことさえもできない一の兄は小さく頷く。
このままでは内容も決められないので加護を緩める。一の兄は深く息を吐き出すと、再び苦笑いを浮かべた。
まあ、二度目にもなれば驚きは少ないだろう。
私の加護を付属した契約書を取り出して要求を書き、一の兄に手渡す。
一の兄はその要求に目を通し、目を見開いた。
「正気か!?」
「嫌ならやりません」
「いや、別に嫌というわけでは」
何か言いたげに口の開閉を繰り返した一の兄だが、私がぼんやりとその姿を眺めていれば、やがて諦めたように契約書に一の兄の加護を加えた。
あくまでも対等な契約をするために同等の力で作らなければならない。私は細かい作業が苦手だから、一の兄が私の付属した加護に合わせて力を加えてくれる。
契約書が光の粒になって私と一の兄の紋章に吸い込まれて、契約は完了。
「じゃあ頼んだよ、土の主」
「あまり期待しないでくださいね」
結月にごちそうさまと伝えておいて欲しいと言う一の兄を見送り、再び長椅子に身を横たえた。
学園とか憂鬱だな。誰からも遠縁にされていた入学式。あの日以来、学園には行っていない。
領主であることから特に何も言われないが、結月は学園に通いたかったのだろうか。
ぱさりと顔に服をかけられて、目を開ける。呆れた顔の結月が私を見下ろしていた。
「長椅子で眠るな」
「うん。ありがとう」
「加護を使ったな。契約したか」
「うん。内容を知りたい?」
「いや、話す必要があればでいい」
「じゃあ、内緒」
私が笑えば、結月が肩を竦めて私の頭を撫でる。
結月の褒める時に撫でてくれるこの手が好き。
間違えたときに叱ってくれる厳しさが好き。
他の誰もが私にしてくれないことをしてくれる結月が好き。
唯一、ずっと傍に居てくれた結月が好き。
だから、こんな形で縛り付けることになっているのが苦しくて怖くて仕方がない。
本当は学園に通いたいのかもしれない。
友達と遊びたいのかもしれない。
一の兄の領域にある絶景を見に行ってみたいのかもしれない。
二の兄の領域で行われる武道会に出たいのかもしれない。
姉上の領域で買い物をしたりしたいのかもしれない。
弟君の領域にある進歩的な機器を使ってみたいのかもしれない。
全部、私が居るためにこの森しかない領域に縛られてできないこと。
結月は私に勿体のないほど優秀な人材だ。
私の鞘でなければ、今頃、一の兄のもとで右腕でもやっていたのだろう。
だから、きっと結月は私から離れることのできるこの機会を逃すはずがない。
魅了は毒だ。毒を受けた鞘は加護に影響を出しかねないために鞘の荷を下ろされる。
一の兄は結月を欲しているから、その少女を大罪人に仕立てあげて紋章を消すことなど容易いだろう。
「結界を張ってくる」
逃げ道は作った。あとは結月が選ぶだけ。
**
机を一列に並べてその上に横になってみるものの、固くてとてもじゃないが眠れない。
私用に特別に用意された教室に一人。やることもないし、家の柔らかな長椅子が恋しい。
帰りたい。
学園に来て初日に例の少女には会った。一の兄を見慣れた私からしてみれば、随分とわかりやすい表と裏のある人間だと思う。
あれは絶対に姉上の方が可愛い。その重鎮候補たちとやらは何が良かったのだろうか。
魅了を持っているかはもう少し様子を見たかったのだけれど、結月があれは絶対に魅了を持っていないと言い切り、私に無闇にあの少女に会わないよう言ってきた。
結月が彼女の何に気付いて、彼女の何を知っているのかは全くわからないけれど、こういうときに結月が間違ったことはない。
大人しく寮と学園を行ったり来たりするだけの日々を送っている。
私とは違って真面目に授業に出ている結月は忙しそうだ。一の兄への報告も同じ教室ということもあって結月がやってくれているらしい。
茶菓子を置いていった一の兄が教えてくれた。
教室に置いてあった本をあらかた読んでしまえば本当に退屈でたまらないし、物足りなくて仕方ない。
そんなこと誰にも言えなければ、いつかは日常になるかもしれないのだから慣れておかなければいけないのだけど。
お腹が空いたからパンを求めて視線を巡らせるものの、見当たらない。そういえば昨日で買い置きしておいた分が無くなったのだった。
仕方なく体を起こして教室から出た。やはりというべきか人の姿はない。
自分の足音しか響かない廊下を歩いていて、ふと気付く。……パンを売っていた自販機は何処だったろう。そもそも財布がない。
結局、戻らなきゃか。動くの面倒だしパンは諦めて寝よう。
机の上に横たわるのは痛いから床に横になってみた。でも変わらず痛い。
明日は布団を持ってこよう。床の冷たい感触を楽しんでいると、突然扉が開いた。結月に怒られると思い、急いで体を起こせば例の女子生徒が立っていた。
私も驚いたが、彼女もまた目を見開いて私を見ていた。が、彼女は不躾にもずかずかと中に入り込んでくる。
「狼嘉さんですよね?」
「そう、ですけど」
「今日は結月のことで話があってきました」
結月……名を呼ぶほど仲良くなったのか。いや、それにしても無礼じゃないか。
いきなり押し掛けてきたかと思えば、名乗りもしないで用件を言ってくる。知り合いというわけでもない。
本当にこんなやつのどこが良かったの?
「もう、彼を解放してあげて欲しいんです!結月が言っていました。自分には自由がないと。紋章に一生縛られて生きていくのだと、凄く悲しそうな顔で私に教えてくれたんです!」
「、結月が君に言ったの?」
「っ、貴女がそうやって威圧的に言うから誰も刃向かえないんです!武力で人に無理矢理言うことを聞かせるなんて最低です!!」
別に威圧的に言ったつもりはないのだけれど、やはり一人では罪が抑えきれないのだろう。
……でも、そっか。やっぱり、結月は解放して欲しいと思っていたのか。
「聞きましたよ、主は鞘を解約にすることができるんですよね?ご自身の罪くらい自分で背負って、ひっ」
私にとって驚きの情報が出てきた時、例の少女の首に見覚えのある刀が当てられた。
今にも少女を殺しそうな勢いで睨み付ける結月と、食えない笑みを浮かべる一の兄が私と少女の間に割って入る。
「―…誰が、悲しそうな顔で自由がないなどと言っただと」
底冷えするような結月の声が教室に響く。なんだろう。珍しく凄く怒ってる。
結月の怒りに満ちた目が私に向いた。
「俺はこの女にそんなことを言った覚えはない。狼嘉、俺を信じるだろ?」
「―…うん」
結月が言うならそうなのだろう。私が頷けば、結月は少女の首もとから刀を退いた。
結月が私に近付いてきて頭を撫でる。ああ、やっぱり好きだな。こんなに都合よく現れて、自惚れてしまいそうだ。
立ち直った例の少女が私を睨み付けてきた。ぼんやりとそれを眺めていると視界が結月の背で遮られる。
一の兄の加護が教室に広がる。一の兄の加護は本来、人を感覚的に脅すようなものではないから、慣れた私たちからしてみればくすぐったい程度。けれど慣れない少女からしてみれば、重かったのだろう。少女が座り込む音が聞こえた。
「鞘に関する情報は極秘なものなのだけれど、君は何処からそれを知ったのかな?」
「ぁ、そ、それは」
「スパイ、というわけでも無さそうだしね。詳しく話を聞かせてもらおうか」
ああ、この姿は本当に立派に領主をしている。
一の兄は私にまた力を借りるなどと言いながら少女を引き摺って行った。少女は私に何か言っていたようだけれど、結月が私の耳を塞いでしまったからよくわからなかった。
久しぶりに触れられる距離に居る結月。ペタペタと触ればちゃんと感覚がある。
「結月だ」
「ああ。もう帰れるよ」
「うん……ねえ、結月は解約できるって知ってたの?」
結月は小さく笑った。
「狼嘉の面倒を見れるのは俺だけだろ?」
……そっか、知ってたんだ。知ってて一緒に居てくれたんだ。
私が笑えば結月が頭を撫でてくれた。
「ご飯食べたい」
「帰ったらすぐに用意してやる」
温かい白米がいいな。冷たいパンは寂しいもの。
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