チェリー
この上なく彼は優しい。かと言ってベタベタし過ぎず、サラッとしていて爽やかな彼。この間も買い物に付き合ってあげたら、彼ったら私を店の外で待たせておいて実は私の大好物のケーキをこっそり買ってきてくれた。私のお誕生日をしっかり覚えておいてくれた。
物心付いた頃からずっと一緒だった。年上の彼はとてもしっかりしていて頼もしい。彼の一番好きなところは、優しくて頼れるところ。彼は優柔不断な私の悩みを解決してくれる。私の全てを支えてくれる。彼が好きなタイプは可愛らしい子。そんな彼の好みの壷に私がきっとはまっているんだろう。男の子って華奢な女の子に惹かれるらしいけど、私もか細く、背の低い小さなカワイイ系の女の子。目はくりっとして丸く、髪は彼の好みでロングにしている。この髪は私の一番のチャームポイントであり、彼は私の髪の毛に触れながらこう言ってくれる。
「シルクの様でサラサラして素敵だね。」
彼と同棲して2年以上。1LDKの部屋は2人で住むには決して広くは無いけれど、綺麗好きな彼がこまめに掃除してくれる。リビングには大きなベッドが置いてあり、赤と黒を基調にした部屋には緑の植物を所々に配し、東側の大きな窓に面した机には、そんなセンスの良い彼がいつもいる。彼はSOHOをやっている。つまりスモールオフィスホームオフィスの略で、一日中パソコンを前にしてなにやらキーボードを叩いている。
ご飯は毎日彼が作る。彼の手作りの朝ご飯は愛情が篭っていて温かい。彼がご飯を作る間、私はじっと彼を見詰めている。彼の手はてきぱきと器用でよく動く。朝ごはんが終わると決まって散歩に出掛ける。彼に寄り添い歩くのが大好きだ。歩道を歩く時も、横断歩道で信号を待っている間も、公園で植栽に沿って歩いている時も。このまま永遠に彼と歩いていたいといつも思う。
私は公園で犬に遭うのが苦手で、特に大きい犬がとっても苦手だ。昔、大きい犬に追いかけられたのがトラウマになってしまった。彼は犬が近くに来ると私をかばって体の影に隠してくれる。この前なんかあんまりしつこい犬がいたので私を抱き上げて犬から遠ざけ、助けてくれた。
私の名前は千絵里。彼は私のことをチェリーという愛称で呼んでくれる。チェリーボーイならぬチェリーガールだ。彼は意外と奥手な性格で、私に決して手を出さない。彼に何の不満も無いけれど、たった一つ不満を上げればそのことだろうか。一つ屋根の下で生活し、ベッドさえも共にしているのに何故なのだろうか。私も純情派ではあるけれど、さすがに年に何度かは自然と彼を欲して止まない時もある。そんな感情に耐えられずに、彼に物足りなさを感じる時がある。彼には人には言えない秘密が何かきっとある。それでも毎晩彼はベッドで私を両手で包んで眠らせてくれる。そんな私も普段は彼の匂いに包まれているだけで安心して眠ることが出来る。彼の秘密って何なのだろう。彼が私を抱かない理由って?結婚するまで操を守るって今時どれだけ純情な人なの?二人の将来のことを考えると不安な気持ちに襲われてしまう。
そんなある日、いつも出掛けない時間に彼と出掛けることになった。車でドライブした。小1時間走ったところで、とある家に着いた。そこで出てきたのは盛りの付いた牡犬だ。小型の、ヨークシャーテリアという種類のコートドッグだった。彼とその牡犬の飼い主は、私とその牡犬を出会わせ同じ部屋に押し込めた。犬が嫌いな私は当然逃げ回った。30分経ったのか1時間経ったのか私には分からなかった。でも、私は大変なことに気付いてしまった。私の目の前にいる犬という生き物は、まさに私自信であり私は人間ではなかったということを。彼が秘密を持っていたのではなく私が勘違いしていたのだった。私の目の前にいる犬という生き物は、私と同じ匂い、私と同じ声、同じコート、同じ姿で動き回っている。さすがの鈍い私でも気付いてしまった。私は人間ではなかった。
私は4頭の子犬を産んだ。今日も彼は彼の大好きな私のシルクの様なコートを優しくとかしてくれる。私は相変わらず幸せだ。彼の傍で暮らせさえすれば、それで満足だ。