この男はなんだ…
霞が落合の前に座り、甘粕が供述書を取る小さなデスクの前に座った。
「実は、5課の刑事さんの奥様が美雨さんなんで、今回のこの事件、ヨハネの教育機関としてはあるまじき教師の体質が招いている様なので、小学校とはいえ、同じ学園ですし、お話を伺って来たんです。」
「そうですか…。和泉さんも結構嫌な目に遭ったんですよ。
心臓病なのは仕方ないのに、同級生には迷惑がって、虐めようとする奴らも居て…。
だからって、先生がそれは間違ってると諭してくれるわけでもないので、小学校も中高同様、腐ってましたね。
でも、和泉さんは、あんな見た目なのに、結構気が強くて、言い負かしたり、泣き寝入りは絶対しなくて…。
「先生は頼りにならない。大人なんてアテにしちゃいけない。自分でどうにかするしかない。』って言って、僕の事も庇ってくれる唯一の人でした。」
和泉というのは、美雨が加納家に引き取られる前の旧姓である。
龍介の母であるしずかの父と、美雨の父は、兄弟という事だ。
「そうなんですか…。」
それは霞も少々意外な気もしたが、でも、よくよく考えてみると、美雨は夏目を立てつつも、言いたい事ははっきり言うし、見た目通りの優しげで儚げなままの性格では無い。
「あなたの事も伺いました。」
「ああ、性同一性障害の事ですね。オカマって凄いいじめられましたよ。」
「でも、診察を受けて、認められれば、手術出来るでしょう?なさらなかったのは、何故ですか。」
落合は急に黙り込み、頭を抑えた。
「どうかなさいました?」
「うーん…。ちょっと…。頭痛いんです…。」
しばらくそうしていたかと思うと、落合は顔を上げ、上目遣いに、霞を睨み付けた。
その目は、今までの殊勝な態度を一貫して貫いていた落合の目とは丸で違っていた。
「あんたに関係ねえだろ!」
それは別人の様だった。
立ち上がり、霞を上から威圧する様に見下ろして、怒鳴りつけている。
甘粕が霞に襲いかかったりしない様、急いで落合の隣に立つと、落合は突然座り、また黙り込んで頭を抱え、暫くすると、何事も無かった様な顔で、霞を見た。
「今のは?覚えていらっしゃいます?」
「は?なんの事でしょうか?僕は頭が痛くなって、寝てたんじゃないですか?」
「いいえ。私を威嚇するように、人が変わった様子で、怒鳴っていらっしゃいましたが。」
落合は困った様子になり、申し訳なさそうに身を縮めた。
「ああ、すみません…。まただ…。寝てただけと思っても、なんか乱暴な事言ったりしちゃってるみたいで…。それもあって、変な奴って虐められたんですよね…。すみません…。」
「ーでは、事件の事をもう少し詳しく教えて下さい。日曜の朝、学校にでかけられたのは、忘れ物を取りにというお話でしたが。」
「はい。そうです。」
「何を?」
「あ、手帳です。別になくても携帯でいいんですが、紙にも書かないと落ち着かなくて、月曜日からの業務を書いておこうと思ったら、忘れていた事に気付きまして…。」
「手帳を…。それで理科室の方が騒がしかったから行かれて?」
「はい。死体をセンセーショナルに置けば、ヨハネを失墜させるチャンスだと思ったので、清水さんを引き受けました。」
甘粕と霞は目を合わせた。
『死体をセンセーショナルに置けば…。』と言いながら、『清水さん』と呼んでいる。
矢張り、生きていたと気付いていたのではないのか。
「その時、清水さんの意識は?」
「無かったですよ。ダラーんと力がなくなっっていて、死んでいると思いました。」
「確認は?」
「え?」
「心臓に耳を当てるなどの確認はなさいましたか。」
「いや、してません。」
「何故です。」
「だって、先生方が死んだって言ってたんで…。」
「では質問を変えます。清水さんを連れて、あなたは自宅に戻られた?」
「はい。」
「その後の行動を出来るだけ詳しく仰って下さい。」
「ええっと…。学校に行ったのは、朝の8時位で、戻って来たのが、9時位だったと思います。それからネットでちょっと調べ物をして、ホームセンターに行きました。」
「帰って来たのは?」
「10時半くらいだったかな。11時にはなっていなかったと思います。」
「その後は?」
「作業をしていました。マーク描いたり。」
「その間、そして、午後三時くらいまでの間、清水さんに変わった様子は?」
「え?なんですか、それ。」
「死亡推定時刻は、午後3時から11時までの間なんです。つまり、あなたが一緒にいた間、清水さんは生きていたという事になります。
その間、生きていた事に全く気がつかれなかったんでしょうか。」
落合はまた頭を抱えて、痛いと繰り返し、さっきの別人になったが、今度は霞を怒鳴りつける前に、甘粕が横に立った事で、また大人しくなった。
甘粕と霞は休憩をとるという形で取調室を出、隣の観察室に入った。
「霞さん。多重人格障害なの?あいつ。」
「どう思う?甘粕さん。」
「俺も本物見た事ねえから分かんねえけど、なんかあそこまで都合良く別人格が出て来るってのも、ちょっと腑に落ちねえな。人格が本当に入れ替わってんなら、俺が横に立った位でやめるかな。」
落合は背も低く、とても貧相な身体付きで、筋肉質で180近くある甘粕に抑え込まれたり、殴られたら、ひとたまりもないのは確かだが、仮に落合本体を守る為の人格だとしたら、そんな事で怯んだり、引っ込んだりはしないだろう。
落合本体が、そういう見かけで恐れを抱いて、萎縮してしまうから、必要な人格の筈だ。
「私もそう思ったのよね…。最近は多重人格障害の本や映画が沢山あるわ。それで勉強すれば、ああいった演技は出来るのかも…。」
「課長と夏目が手分けして先生達の事情聴取して、正確にはどれ位血を抜いたのか割り出してる。それ待つ間、なんで落合が手術しなかったのか、調べてみよう。」
「そうね。そうしましょう。」
原田に調べて貰ったところ、妙な事に、落合の精神科への通院履歴は、高校生になるまでなかった。
通院していたのは、高校2年から大学2年までの4年間で、その後、整形外科を受診した形跡も無い。
病院へ行ったのはそれぐらいで、あとは調べても風邪などの軽微な物でしか受診した形跡は無く、怪我などで、通院した形跡も無い。
「霞さん。多重人格障害は、主に親からの虐待で起こるとされてるよな…。暴力じゃねえのか、虐待はされてねえのか…。」
「そうね。一概にはいえないけど、そういうケースが多いわ。まあ、性的虐待だとしたら、病院には行かないでしょうけど…。
虐めで発症という線も考えられるけど、何故親は病院に通院させなかったのかしら。小学校から性同一性障害だって話だったはずなのに…。」
「親の話も聞いてみる必要がありそうだけど、もしかして、性同一性障害も嘘だったりする?」
「ーあるかもしれないわ…。」
「課長と夏目に、先生達の聴取は内さん達に任せて貰って、親の方、行って貰うか。」
「そうしましょう。じゃあ、葉月さんは、親の方へ行って。」
葉月さん…。
初めて名前で呼ばれた甘粕。
霞もドン引くほどに赤い顔でにやけてしまっている。
「い…、いいかしら…?」
「うん。」
甘粕はスキップするかの様に足取り軽く、太宰達の方へ行ってしまった。
霞は、落合のパソコンとスマホを調べている原田に頼み事をし、夏目を待ち、2人で出た。
甘粕と出た太宰は、甘粕を情けなさそうに見ている。
名前を呼ばれた位で、まだにやけているからだ。
「甘粕よ…。大丈夫か、お主…。」
「そっ、捜査に支障は来しません!」
「そら、お前ならそうかもしれんけどさあ…。まあ、いいや。親は離婚。子供は落合1人だけだっけ?」
「はい。取り敢えず、母親の自宅が判明しましたので、そちらに向かってます。」
「うん。」
太宰達が到着すると、母親は憔悴仕切った顔で、出てきた。
「この度は…、本当に申し訳ございません!」
しかも、玄関のタタキに降りて、土下座までするので、太宰達の方が慌ててしまった。
「そんな事する必要無いんですよ。お母さん、やめて下さい。」
なんとか太宰の声掛けと立ち上がらせる様、手を貸した事で、母親は漸く立ち上がった。
「息子さんの事について、お話しを伺わせて下さい。」
「はい…。お役に立つ事でしたら、なんでも…。そして、あの子はもう刑務所から出さないで下さい!お願いします!」
これは、多重人格障害を起こす様な虐待をしていた母親では無いのではないか…。
甘粕はそう思った。
そして、刑務所から出すなと母親に懇願される息子…。
矢張り、落合には何かある。




