刑事のカン
甘粕は車を急発進させながら早口に説明し始めた。
「夏目の親父さんと美雨ちゃんは、自宅から少し離れたスーパーに買い物に行き、夏目の親父さんが、美雨ちゃんの身体を気遣って、荷物を持って、駐車場の車に戻り、スーパーの前まで車を持って行った所、美雨ちゃんが居らず、即座に、『あまりに可愛いので、誘拐されたのでは!?』と思ったそうで…。」
その思考回路が既に面白い気がするが、それだけ美雨を可愛がっているという事にしておく。
「それで付近に素早く目を走らせた所、美雨ちゃんが男と立っているのを発見。
男が注射器の様な物を出し、美雨ちゃんの首筋に突き立てようとしたのが見えたので、速攻で男を撥ね、倒れた所に足蹴りを顔面に食らわせ、トランクにあったバッテリーケーブルでガチガチに拘束したと、所轄からの報告です。」
「夏目だ…。そのまんま、夏目だ…。」
「ですよね…。」
「で、美雨ちゃんは、何故、そんな男と…?」
「そこまで詳しく聞く前に、夏目が飛び出して行ってしまったので、分かりません。
あと分かったのは、夏目に電話して来たのは、親父さんだろうなという事くらいでしょうか。
所轄刑事が説明する後ろで、夏目の声かと思う様な、ドスの効いたダミ声が響き渡っていたので。」
確かに、前に会った時も、急いでいたので、口には出さなかったが、声はそっくりだなとは思った。
あんな特徴的な声は、世の中にそう居ない。
甘粕の読みは正しいだろう。
甘粕の大急ぎの凄まじい運転に揺られ、現場のスーパーに到着すると、丁度夏目が美雨の様子を見ていて離れ、大股でずんずんと容疑者が乗るパトカーに向かっているのが見えた。
太宰は恥も外聞も無く叫ぶ。
「そいつ止めてええええ!5人がかりでねえええ!」
叫びながら甘粕と駆け寄り、全力で夏目を止める。
男7人がかりで、漸く夏目の歩が止まる。
「離して下さい。」
「駄目!お前、アイツ殺しちまうでしょお!?」
「当たり前じゃないですか。」
ー当たり前なのかよおおお~!!!
心の中で、太宰の顔はムンクの叫びになっている。
甘粕も怒鳴った。
「警察がそれやっちまってどうすんだあ!お前が取調室で脅すだけで十分だろ!」
夏目は、渋々という感じがありありと分かる様子で力を抜き、太宰達は疲れ切って離れた。
夏目は背は高いが、プロレスラーや相撲取りの様な体型という訳ではない。
痩せているという感じでは無いが、確かにスーツの上からでも、筋肉質だというのは分かる。
そしてその筋肉は、かなり機能的で、凄まじくパワフルというのは、今よく分かった。
7人の警察官に全力で押さえつけられてもよろけもせず、歩を止めた態勢で微動だにしないのだから、相当な物だ。
多分、夏目が本気を出したら、太宰達は跳ね飛ばされていただろう。
「夏目、取り敢えず、美雨ちゃんに事情聴取させてくれ。それからにしよう。」
凄まじい仏頂面の夏目を引き摺る様にして、美雨の下へ。
美雨は一応救急隊員が診ていた様だが、発作を起こしたりもしなかった様で、夏目の父の車の助手席にちょこんと座っていた。
「大丈夫かい?美雨ちゃん。」
「あ、課長さんまで…。皆さんも申し訳ありません。」
「いいのよ。大変だったね。それで、何故、あの男と?」
「私がスーパーの入り口の中でおじ様を待っていたら、近くに薬局は無いかと聞いて来たんです。
それで、確か、このスーパーの先の角を曲がった所にあったなと思って、説明したんですが、全然分からないみたいなんです。
私と同じ、酷い方向音痴なのかなと思ったら、他人事には思えなくて、スーパーを出れば分かるはずなので、スーパーの敷地の外まで案内しようと、歩き始めたら、あの車の手前で、突然、おじ様の車にはねられたので、お陰様で、私は何も被害に遭っていないんです。」
『あの車』と美雨が指さした車には、警察官がたかって、調べている。
一緒に来た、所轄の刑事が言った。
「アレ、奴の車です。今調べてますが、注射器と、薬品がごっそり出てきました。」
「美雨ちゃんに打とうとした薬と、見つかった薬品の成分は分かった?」
太宰が聞くと、所轄刑事は手帳を見ながら答えた。
「車内から見つかったのは、キシロカインとラベルに書いてありました。
救命士の話ですと、手術などに使われる麻酔薬だとか。
美雨さんに打とうとした薬品に関しては、今鑑識に回していますが、車内にキシロカインの空き瓶が1本転がっていたので、恐らく同じ成分かと。」
「そっか、ありがと。」
あの容疑者は、美雨を自分の車の手前で眠らせ、介抱しているようにか、カップルを装うのか知らないが、抱えてそのまま車に乗せ、拉致しようとしたものと思われる。
スーパーは夕方の買い物時間で、結構混雑している。
しかし、誰もが急ぎ、忙しなく動いており、意外と目立たずに出来るかもしれない。
「ったく。なんで1人にしたんだよ。」
夏目が父親を睨み付けた。
「それは悪かったよ。俺も後悔してるよ。」
美雨が慌てて間に入る。
「ものの1、2分位の話よ?それに、私がいけないのよ。なんだか怪しい人だなと思いながら歩き始めちゃったんだから。知らないって言えば良かったの。」
夏目は美雨の手首に指を当て、太宰を見た。
「親父と帰してもいいですか。少し脈がドクドクいっちゃって、息が上がってるんで…。」
「ああ、いいよ。そうしてあげて。美雨ちゃん、無理しないでね。また聞きたい事が出たら、こっちから行くから。」
「私大丈夫です。」
「駄目駄目。夏目に殺されちゃう。身元も分かってるし、本と大丈夫だから。じゃ、夏目さん、宜しくお願いします。」
夏目の父と挨拶を交わし、漸く、容疑者の所へ行った。
手錠を嵌められ、パトカーの後部座席に座っているその男は、異様だった。
見かけではない。
見た目はありふれた感じだ。
不潔でも無く、どちらかといえば、清潔感はあるし、女の子を拉致しなければならないほど、もてない感じもしない。
寧ろ、どちらかと言うと、結構魅力的なタイプである。
美形とか、イケメンとかいうのではないが、何か惹きつけられる魅力の様な物がある。
異様なのはそこでは無い。
男は薄っすらと笑みを浮かべ、楽しげに捜査官達の様子を眺めているのだ。
現行犯逮捕されている立場の男の、通常の様子とはかけ離れている。
太宰はその男に声をかけ、目を見た瞬間に思った。
長年刑事をやって来たカンと言ってもいい。
ーこいつには余罪がある…。
そう確信した。
「氏名、年齢、生年月日、職業を言いなさい。」
「さっき言いましたよ?」
「悪いが、管轄はこっちに移った。」
甘粕が一瞬驚いた様子で太宰を見た。
太宰は例え身内が関わっていようとも、勝手に所轄の仕事を奪ったりしない。
何か考えがあると、咄嗟に感じ取り、何も言わずに付け足した。
「警視庁刑事部5課だ。」
「へえ…。ただの誘拐未遂なのに、犯罪心理捜査課がお出ましですか?」
完全に面白がっている。
そして、甘粕も霞も夏目も、その目を見て、太宰の意図が分かった。
男はとてつも無く邪悪な目をしていた。
端的に言えば、人を殺して楽しんでいる目だ。
夏目の迫力にすら、全く動じていない。
甘粕と霞は、男の一挙手一投足、全てを見逃すまいと集中した。
「友田誠一。36歳。1976年11月7日生まれ。職業は友愛会病院のERの看護師でーす。」
「なんで注射器とキシロカインなんか持って歩いてる。」
太宰が眼光鋭く問うが、全く動揺する事無く、ニヤニヤとして答える。
「救命救急に携わってる身として、事故現場なんかに遭遇した時の為に、持って歩いてるだけですよ。」
太宰は答えず、所轄の刑事を振り返る。
「他に救命措置に使う様な物はあったか?」
「いや。無いっすよ。」
所轄刑事も、友田の反応に腹が立っているらしく、憮然として答えた。
「キシロカインと注射器だけで、どんな救命措置が出来るんだかな。
さっきみたいに女の子を眠らせて、連れ去る目的で持って歩いてるんじゃないのか。」
「嫌だな、刑事さん。あれは出来心ですよ。あんまり可愛いんでつい。」
夏目の殺気が増す。
太宰達の方が息が詰まりそうだし、所轄刑事に至っては、目を伏せてしまっているが、友田は矢張り動じない。
そればかりか、夏目を揶揄うような目で見た。
「刑事さん、あの子のお兄さんでしょ?似てないねー。おっかない顔しちゃってえ。」
夏目は友田の胸ぐらを掴んだ。
「おい。舐めた口利いてんじゃねえよ。
あいつは妹じゃねえ。婚約者だ。因みに同い年だ。
ロリコンはあいつを高校生と勘違いして、誘拐しようとしたてめえの方だろうが。」
夏目の言葉に、友田の顔色が変わった。
若干青ざめ、声が震え、にやけた顔が引きつっている。
「い、嫌だなあ…。そんなマジになんないでよ…。」
だが、直ぐに友田は落ち着きを取り戻した。
そして無表情に、ブツブツと同じ言葉を繰り返した。
「そうなのか…。兄妹じゃなかったのか…。高校生でもない…。とんだ失敗だな…。取り戻さないと…。」
何度もそう言っている。
夏目に脅されたのが怖くて動揺したのでは無く、勘違いをしていた事を知った動揺の様に見えた。
彼に取っての問題点は、鬼より怖い夏目よりも、勘違いだった様だが、それにしても、妙な事を言っている。
夏目と美雨が兄妹と勘違いしていたという事は、この件以前に、2人を知っていたという事になる。
詰まり、夏目と美雨はリサーチされていたと考えないと、辻褄が合わない。
太宰は友田から離れ、所轄刑事に言った。
「申し訳ない。あいつ、これ以外でも、変態事件の余罪があると思う。こっちに回して貰う手続きをしてもいいかな。」
「え…。そういうの、本庁の人が勝手に決めるんじゃないんすか。」
「俺は出来たらそういう事はしたくないんだ。ごめん。捕まえてくれたの、君らなのに。」
「いいんすよ、そんな。俺ら、はっきり言って、何にもしてません。あの夏目さんて方が拘束しといて下さったし…。大丈夫っす。」
「ごめんな。じゃあ、甘粕。」
「はい。」
「俺は、所轄に挨拶して、夏目と先に戻ってる。甘粕は霞ちゃんと一緒に、こいつのヤサ洗ってくれ。」
「はい。」
御茶ノ水の外れある、友田の自宅アパートへ行った2人は、太宰のカンが正しかった事を改めて認識した。
友田のアパートの部屋は、よく整理され、男1人暮らしとは思えぬ程綺麗に片付いていたが、入って間もなく、甘粕と霞は、部屋の壁の一角に釘付けになった。
その壁は、一面美雨の写真で埋め尽くされていた。
どこかから隠し撮りしたのは明らかだった。
夏目のマンションから出て来る所。
大学に行っている写真もあるが、美雨の通っている大学院は、高校と敷地が同じで、その高校には制服が無いので、外見の幼さから、高校生と勘違いしたと思われる。
友人とランチを食べている姿もある。
帰り道にデパートでウィンドウショッピングをしている所まで。
そして帰宅している所。
休みの日に、夏目の車で出掛ける所。
夏目の実家での写真もある。
ここでは池の金魚に餌をやっている所や、夏目の父と車で買い物から戻って来る姿など。
浴衣で線香花火をしている姿もあり、これはお気に入りなのか、一際大きくプリントされている。
プライバシーは皆無の様な感じだ。
相当な期間に渡り、この監視活動はしていた様で、夏服の時から、今の冬の季節まである。
「甘粕さん、これ見て。病院の待合室じゃないかしら?」
「どこの病院だ…。友田は友愛会病院て言ってたな…。美雨ちゃんの病院も、友愛会なのかな…。」
「あ、そうみたい。ちらっと写ってる、この職員の人の名札。友愛会病院のマークが入っているわ。」
「なるほど…。自分の職場で見初めたなら、簡単に住所は手に入るな…。ちょっと押入れ探ってみる。」
「じゃあ、私はデスク周りを。」
甘粕は押入れを開け、絶句した。
「どうしたの?甘粕さ…。」
覗いた霞も絶句している。
押入れは、押入れの体をなしていない。
美雨の様な、長い黒髪の可愛い女の子達、16人の大きな写真が整然と貼られ、その前には、ジッパー式のビニール袋に入れられた、女の子の私物であろう、下着や定期入れ、財布や携帯電話などが整理して箱にいれられ、分別されていた。
「これは戦利品ね…。という事はこの子達は…。」
殺されているはずだ。
仮に、これだけの人数を生かして置いたとしたら、誰かは被害届けを出し、犯行が明るみになるはずだ。
甘粕は念の為、原田に電話をかけた。
「原田。これから送る、写真、名前、学校名が分かってる少女達を調べて欲しい。」
「原田じゃないでしょ、ダーリン?」
「ハ…ハニー…。頼まれてくれないか…。」
「良くってよ。名前と学校だけでいいわ。今読みあげて。」
「了解。」
甘粕が読み上げると、待つ事無く、結果を教えてくれた。
「全員、失踪届けが出てるわ。8年前から、きっかり6カ月置きね。」
矢張り死んでいる可能性が高い。
甘粕は礼を言って切り、室内を見回した。
デスク周りやベット周りは、霞が調べている。
甘粕はキッチンへ行ってみた。
やたら大きな冷蔵庫が目を引いた。
1人暮らしには大きすぎるし、このサイズは、4人家族の家でも、そうお目にかからない、外国製の様な観音開きの大型冷蔵庫だ。
甘粕は嫌な予感がしながら冷蔵庫を開けた。