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後編

 兄弟と箱を乗せた絨毯は、雲に沈んだ。じわじわと下降し、やがて絨毯の下にあるものが雲の代わりに──広がる地上の景色に、兄弟は大興奮だ。


「すごい! 雲の下はこうなってるんだ!」

「あの『お家』って箱の中に、人がたくさん住んでいるんだね!」

「あ、あれ、すごい速さで動いているやつ、あれが『自動車』だね! かっこいー!」

「人もたくさんいるね! すごいね!」


 全てが初めて見るものだったから、兄弟はただただ思った事を口々に言い合った。手を取り合って大喜びだ。絨毯は徐々に下降して行き、車や人や建物がどんどん大きく見える様になる。兄弟のテンションは上がり続けた。


「じゅうたんどこで買えるの?」

「デパートとかスーパーとかホームセンターとかに売ってるんだって。屋上があるお店があるみたいだから、そこに降りよう」

「うん」


 絨毯の操縦は、それに触れて命じれば良いだけだ。兄は掌を絨毯に押し当てて操縦をする。下を見て、降りられそうな屋上を探しながら。


 ただ屋上に降りれば良いと言う訳では無い。そこから建物に入れなければ意味が無い。都合の良い屋上が無ければ、空き地にでも降りて、歩いて行けば良いと思った。


 すると、屋上に小規模ながら遊戯スペースを展開している大型スーパーを見つける事が出来たので、兄はそこに降りる様に絨毯を操縦した。


「お兄ちゃん、たくさん遊べそうなものがあるよ!」

「本当だ! 後で遊ぼう!」


 絨毯は屋上の隅に静かに降りる。兄弟はいそいそと靴を履き、お金を入れたポーチをたすき掛けにして、手を繋いで絨毯からそっと降りた。


 初めて訪れた地上。兄弟のテンションは上がりに上がっている。だが兄はあまり騒いではいけないと思い、拳を握り締めて耐え、弟もそれに倣った。が、周りを見ると、遊戯スペースで遊んでいる兄弟と同い年ぐらいの子供たちが大騒ぎしている。それを見て、少しぐらいなら大丈夫なのかなと思う。


 弟を見ると頬を紅潮させてそわそわしている。遊びたくて仕方が無いのだろう。その気持ちは兄にも良く解る。だがまずはここに来た目的を果たしてしまいたかった。


「遊ぶのは後だよ。まずはじゅうたんを買いに行こう」

「うん」


 兄が言うと、弟は残念そうな表情をしながらも素直に頷いた。


 兄弟はまず建物に入る。この中から絨毯売場を探さなくてはならない。建物の構造などまるで判らないので、人に聞く事にした。


「あの、じゅうたんはどこに売っていますか?」


 緊張してドキドキしながら優しそうなおばさんに聞くと、おばさんは兄弟を案内板に連れて行ってくれて、それを見せながら説明してくれた。兄弟はエスカレータを使って教えてもらったフロアに向かう。初めて使うエスカレータは乗るタイミングが難しかった。そこで案内板を見て、絨毯売場を捜し当てた。


「うわぁ、たくさんあるね!」

「そうだね!」


 そこには色もサイズも様々な絨毯が沢山陳列されていた。兄弟はまた嬉しくなって、つい掛け出してしまった。


 兄弟は絨毯にこんなに種類がある事を知らなかった。赤や黄色、緑に青にとカラフルながらもシンプルなものから、様々な色を使って織られた華やかなものなど、本当に目移りしてしまう。


「どれがいいかな!」

「青いのとかどうかな、お兄ちゃん」

「思い切って色がたくさんあるのもいいかも!」


 兄弟は売場を端から端まで練り歩き、熟考に熟考を重ねて、黄緑色の絨毯に決めた。いつぞやかタブレットで草原というものを見た時、その広さと景色の綺麗さに感動したからだ。その絨毯を目にした時に、その事を思い出した。広さは再現出来ないが、せめて雰囲気だけでもと思った。サイズはちゃんと計って来ている。サイズ表を調べてみたら、江戸間の6畳サイズらしい。兄弟は筒状に丸められた商品を抱えてレジに向かった。


「お買いものって初めてで、ドキドキするね、お兄ちゃん。ちゃんと買えるかな」

「大丈夫。ちゃんとお金も持ってるんだから」

「うん」


 兄弟は店員に言われた金額を支払う。お金を扱う事も初めてで、これも緊張した。ポーチの中で1万円札を1枚2枚と数え8枚を取り出す。店員さんはそれを受け取ると慣れた手つきで数え、釣り銭を渡してくれた。受け取ったお札は箱が出してくれたものとは違う種類で、小銭も初めて見るもので、兄弟はまたわくわくした。それを大切にポーチに入れると、兄弟は精算が終わったばかりの絨毯をよいしょ、と抱えた。


「僕たち大丈夫? 持てる?」


 レジの店員さんが優しく声を掛けてくれた。兄弟は明るく笑って応える。


「大丈夫です!」


「配達も出来るよ?」

「本当に大丈夫です。屋上に持って行くだけだから」

「屋上? じゃあそこまで力持ちのお兄さんに運ばせてくれないかなぁ」


 兄弟は目を見合わせる。どうしよう? どうしようか?


 兄弟には解らなかったが、スーパーとは言え子どもだけでそこそこ高価なものを買いに来た事を、おかしいと思われていたのだ。ポーチの中の100万円は見られてはいないだろうが、8万円をポンと出す子どもは真っ当では無い。自宅が裕福であればそういう事もあるかも知れないが、常識としては外れていた。店員は兄弟がせめてデパートを出るまで様子を見ようとしたのだ。


「……じゃあ、屋上までお願いします!」


 兄が恐る恐る言った。店員は兄弟を安心させる様ににこやかに頷く。店員が近くの男性店員に声を掛けると、男性店員は兄弟がふたり掛かりでも重かった絨毯をひとりで持ち上げた。さすがに軽々とは行かなかったが。


 兄弟はまた手を繋いで、女性店員と男性店員とともに屋上に向かう。今度はエレベータを使った。また兄弟の初めてだ。わくわくと拳を握り締める。


 屋上に着いてからは、兄弟の案内だ。絨毯を停めてある場所に小走りで向かう。と言っても店員ふたりが歩いても追い付ける速さだが。


「あの、ここにじゅうたんを置いてください」


 兄が言い、停めてある絨毯の隣を指さした。男性店員は微かに首を傾げるが、言う通りに置いてくれた。


 早速兄弟は新しい絨毯を広げようとした。が、紐でしっかりと筒状に留められていて、兄弟の素手では解けそうに無かった。


「箱にこのひもを切るやつを出してもらおう」

「はさみとかかな?」


 兄弟がそんな話をしていると、男性店員が腰のバッグから鋏を出してくれた。


「この紐を切ったらいいのかな?」

「ありがとうございます!」

「ありがとうございます!」


 紐が切られると、絨毯はゆっくりと巻きが緩やかになり、ぐいと押すとその場に綺麗に敷かれた。


「やったー!」

「やったー!」


 兄弟は嬉しくなり、早速靴を脱いで新しい絨毯の上で走り回った。


「じゃあさっそく浮いてみよう!」


 兄が掌を絨毯に押し当て、操縦しようと──したのだが、うんともすんとも反応が無かった。浮くどころかピクリとも動かなかったのだ。


「あれ?」


 兄は首を傾げて、もう1度試みる。だがやはり絨毯に変化は無かった。壊れているのかな? 兄弟は顔を見合わせて首を傾げた。


「あの、お姉さんお兄さん、このじゅうたん飛ばないんですが、もしかしたら壊れているんですか?」


 すると、今度は店員ふたりが顔を見合わせて、首を傾げた。


「え? 飛ぶって、え?」


 女性店員の声は明らかに困惑している。隣の男性店員も驚いた様に目をしばたかせるばかりだ。


「だって、じゅうたんって飛ぶでしょう?」

「と、飛ばないよ!?」

「え!?」


 今度は兄弟が大いに驚く番だった。え!? じゅうたんって飛ばないの!? 本当に?


 兄弟は呆然とその場に立ち尽くした。そんな、せっかく新しいじゅうたんを買ったのに、飛ばないなんて!


 そもそも、兄弟にとって絨毯は飛んで当然のものだった。なのでさっき売場で見た絨毯も全て飛ぶものだという認識だった。それが兄弟の当たり前だったのだ。


 だと言うのに!


 まさかそれがそうでは無かったなんて!


 絨毯は飛ばない。それが世間の当たり前だったのだ。兄弟は絨毯というものを知っていて、その知識が全てだったので、タブレットで買い方は調べても、そのものの詳細を調べようとは思わなかったのだ。もし調べたとしても、飛ぶ飛ばないは書かれていなかったと思うが。


「ど、どうしよう」


 弟の泣きそうな呟きで、兄は我に返った。兄だって泣きそうだったが、自分まで泣いている場合では無い。兄は拙い思考回路をフル回転させた。考えろ、考えろ──


「──そうだ!」


 思い付いた! 兄はぱあっと表情を輝かせた。


「じゅうたんの上に、新しいじゅうたんを敷いたらいいんだ!」

「大丈夫なの? じゅうたん動かすの、触らなきゃダメなんでしょ?」

「その時ははしっこをめくったらいいよ。とりあえず敷いてみよ?」

「うん!」


 兄弟はまた靴を履いて新しい絨毯から降り、両端を両手で掴んで、よいしょ、と持ち上げる。そして古い絨毯の上に敷いた。下敷きになってしまった箱も上に置き直す。そしていそいそと靴を脱いで、2重になった絨毯に乗り込んだ。まずは新しい絨毯の上から掌を押し当てる。飛んで。そう念じた。すると絨毯はふわりと浮かび上がった。


「やった!」

「やった!」


 喜ぶ兄弟を、店員ふたりは呆然と見つめている。兄弟はまた靴を履いて、ふたりの元に駆け寄った。


「お姉さんお兄さん、ありがとうございました!」

「ありがとうございました!」


 きちんとお礼を言う。ふたりには本当にお世話になった。重い絨毯をここまで運んでくれて、本来なら絨毯は飛ばないものだと教えてくれた。ショックではあったが、それは兄弟の新しい常識になった。


「も、もう大丈夫かな? 本当にここでいいの?」

「はい、大丈夫です!」


 店員ふたりは戸惑いながら、でも兄弟がはっきりとそう言うので、その場を辞する事にした。兄弟は去るふたりに精一杯手を振った。


「じゃあ帰ろう!」

「うん!」


 兄弟はまた靴を脱いで、絨毯に乗る。掌を押し当てて命じる。帰ろう。


 そうして絨毯は上昇した。高く、高く──


 遊戯スペースで遊ぼうと思っていた事など、すっかりと忘れていた。






「あの子どもたち、何だったんだろな、絨毯が飛ぶとか飛ばないとか」

「さぁ……何だったのかしらね」


 店員ふたりは首を傾げながら、持ち場へと戻る。ふたりには兄弟の行動が奇怪に映っていた。買ったばかりの絨毯を屋上に広げ、飛ぶ飛ばないと口走り、次には絨毯を何も無いところに移動させ、泣きそうになったり大喜びしたり──


 念のため、後でもう一度行ってみよう。女性店員は思った。


 そして次の休憩時間に向かってみたら、そこには勿論兄弟の姿どころか絨毯の影も形も無く、女性店員はまた首を傾げる羽目になった。が、きっと保護者なり大人が迎えに来たのだと、自身を無理矢理納得させた。






 ふわふわと雲の上、やはり知らない事わからない事が多い兄弟は、新しい絨毯の上で、またいつもの様に生活をする。必要なものがあれば箱にお願いし、知りたい事があればタブレットを使った。


 しかし地上の楽しさを知ってしまった兄弟は、また行こう、行こうと言い合っていた。絨毯の上だけが兄弟の全てだった。だが少し、ほんの少し世界が広がった。


 兄弟は狭い絨毯という世界の上で、広い世界に思いを馳せた。

ありがとうございました!

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