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前編

 絨毯とは空を飛ぶものである。


 それが兄弟の常識だった。物心ついた頃から雲の上をふわふわと漂う絨毯の上で生活していたからだ。どうしてなのかは判らない。教えてくれる人がいなかったからだ。


 だから人間は空を飛ぶ絨毯の上で生活するものだと思っていた。これまで誰にも会わなかったのは、人間の数が少ないからだと思っていたし、人間以外、正確には兄弟互い以外の生き物を見た事が無かったから、世界には人間しか存在しないのだと思っていた。


 時折、頭上に大きな鉄の塊が飛んでいた。だが兄弟はそれが何なのか知らなかったので、見る度に「あれはなんなんだろうね」と首を傾げていた。


 兄弟が生活に必要なものは、全て『箱』が出してくれた。幼い兄弟のどちらかが入れるぐらいのサイズの箱で、絵本などでよく見る宝箱の様な形をしていた。


 箱に「○○がほしい」と言ってから蓋を開けると、中にその○○が入っているのだった。と言っても兄弟は知識が乏しかったので、初めのうちは生きる為の必要最小限+αを出すぐらいしか出来なかったが。


 例えばお腹が空いた時、かつて兄弟は箱にこう願っていた。


「おなかが、すいたので、おなかが、いっぱいになるものを、ください」


 そうして蓋を開けると、中にはほかほかと湯気の立つ暖かなご飯が入っていた。それはオムライスだったりカレーライスだったり、ハンバーグだったり。そしてそれぞれに料理名と材料が説明されたメモが入っていた。文字だけは最初から読む事が出来ていた。


「この、きいろいおめめみたいなの、タマゴっていうんだね!」

「この、しろいほくほくしたの、じゃがいもっていうのかー」

「このみどりいろの……ピーマン……ぼくにがて……」

「ぼくも……」


 兄弟はそうやって食べるものの事を知って行った。


 そんな事を幾日か繰り返して、兄弟はお腹をいっぱいにしてくれるものにはいろいろな種類があるのだと知った。今では「たこブツをください」と言える様になった。


 ある日、兄弟は箱にこうお願いした。


「いろいろなことを、知ることができるものを、ください」


 好奇心の表れだった。知らない事が多かった。それは判っていたのに、何を知らないのかも知らなかった。兄弟を取り巻くものはあまりにも少なすぎた。絨毯の下に広がっている白いものが雲だという事も知らなかったし、空を飛ぶ鉄の塊の事だって知らなかった。必要な事は少なかったが、身の回りの事ぐらいは知りたいと思ったのだ。成長というものだった。


 その時に箱が出してくれたものは、タブレット端末だった。それには取扱説明書が添付されていて、兄弟はタブレットの使い方を夢中になって習得した。今では手際よく知りたい事を検索する事が出来た。


 タブレットで1番最初に検索したのは飛行機だった。だが飛行機という名称など知らなかったから、検索ワードは「そらをとぶ てつのかたまり」だったが。よくそれで検索出来たものだ。検索サイト凄い。


 兄弟はそうしてのんびりと生活していた。絨毯で空を漂い、知りたい事だけを知って。


 だがやはり知識と常識は乏しいままに。




 やがてピーマンが苦手では無くなり、自分たちの生活が『やや』特殊だと言う事を知った頃、絨毯が大分くたびれている事に兄弟は気付いた。


 絨毯の色は青み掛かった薄めのベージュだ。最初は汚れやほつれなど無く綺麗だった筈だが、この上で暮らして数年が経った今、よくよく見てみると、所々に幼い頃に食べ零してしまったりジュースを零してしまったりした染みや、お絵書き中に勢い余って画用紙からはみ出してしまったクレヨンの跡などが残っていて、薄っらと汚れていた。絨毯の色味が色味なので、目立つという事もある。汚してしまった時に掃除はするのだが、どうしても落ちない汚れはあるのだ。


「どうしよう、お兄ちゃん」

「箱に頼んだら、もっとすごくきれいにできる道具とか出してくれるかも知れないよ」

「そうだね!」


 兄弟は箱に頼んでみた。そうしたら箱は兄弟が初めて見るケースに入れられた液体洗剤を出してくれた。


「きれいになるかなっ!」

「なるかなっ!」


 兄弟はうきうきとその液体洗剤を使ってみた。食べ零してしまった中で一番大きな染みに、取扱説明の通りに掛けてみる。すると最初は透明の液体だったそれがしゅわしゅわと白い泡に変化した。


「すごいね!」

「すごいね!」


 説明書には5分待ってから拭き取れとあった。兄弟は雑巾を手にわくわくしながら待った。何度も何度も時計を見ながら。それはとても長い時間に感じた。


「5分たったよ!」

「ふいてみよう!」


 兄弟は歳に似合わず慣れた手つきで泡を拭き取って行った。やがて全ての泡が消えた訳だが──


「……完全にきれいにはならなかったね」

「ならなかったね」


 その液体洗剤を使う前よりは染みは薄くなっていた。だが完全に消えはしなかった。汚してしまってから月日が経っていたからだろう。兄弟は残念そうに項垂れた。


 同じ箇所に何度か液体洗剤を使えば、もしかしたら綺麗になったかも知れない。だが兄弟にその知恵は無かった。


「ねぇ、じゅうたんを交換とかできないかな」


 ふと兄が口にした言葉に、弟は首を傾げた。


「交換?」

「うん。箱にお願いして、新しいじゅうたんを出してもらおう」

「そうだね! そうしようお兄ちゃん!」


 兄弟は液体洗剤と雑巾をその場に放り出したまま、箱に駆け寄った。そして声を揃えて願った。


「新しい、じゅうたんを、ください」


 蓋を開ける。そうしたらそこには兄弟が望んだものが出現して──いる筈だった。箱の中は空っぽだったのだ。


「あれ?」

「入ってないね。お願いのしかたがダメだったのかな」

「もういちどお願いしてみよう!」


 蓋を閉じて、兄弟は再度願った。


「新しい、じゅうたんを、ください!」


 半ば叫ぶ様に。頼み方が悪いのかも知れないと思っても、何が駄目だったのか兄弟には判らない。ただ声を大きくしてみる事しか出来なかった。


 そしてまた蓋を開ける。しかしやはり中は空だった。


「どうしてかな……」

「わからない。今まで箱が出してくれなかったもの、なかったから」

「そうだよね」


 確かに兄弟は知識などに乏しいが、豊富であったとしても、その原因は判らないだろう。今まで願ったものを何でも提供してくれた箱。それが初めて兄弟に背いたのだ。


 兄弟はただただ首を捻るしか無かった。しかしそうしても何も進展しない。


 その時、箱の横に置きっぱなしにしていたタブレットが目に付いた。そして兄は思い付いた。新しい絨毯を手に入れる方法を。


「買いに行けばいいんだ!」

「買う?」

「うん! あのね、お買いものができるんだよ! 雲の下で!」

「あ! そうだったね! お兄ちゃん、前タブレットに書いてあったって言ってたね!」


 妙案だ! 兄弟は喜んだ。


「どうやったら買えるのかな」

「お買いものをするには、お金っていうのがいるんだ」

「お金? ぼく持ってないよ」

「箱にお願いしたら、出してくれるかも」

「でもさっきじゅうたん出なかったから……もしかしたら壊れちゃったのかも知れないよ」

「とにかくお願いしてみようよ」


 兄弟は箱に願った。


「じゅうたんを買う、お金をください」


 そうして箱を開けると、そこには兄弟がタブレットでしか見た事が無かったお金が出現していた。


「やった!」

「やった!」


 紙の帯に巻かれたお札が一束。数えてみると100万円あった。それは大人にとっても大金なのだが、これまでお金を使った事が無い兄弟にはその価値がピンと来ない。それよりも箱が壊れておらずちゃんと願ったものを出してくれた事、そして新しい絨毯が買える事に兄弟は興奮していた。


「さっそく買いに行こう!」

「行こう!」

続きは少々お待ちくださいませ!

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