支度
岩の下には、頻繁に二柱の使いが顔を出すようになっていた。
一柱はオオアシノトコヨミの使いである狼。
もう一柱は、近隣の一画を治める神の使いで、年を経た狸である。
永く生き、変化の業を極めたその狸は、なんなら主である土地神よりも余程力が強い。
にも拘らず使いをしているのは、狸がその土地神を酷く気に入っているからだ。
心酔している、といってもいいだろう。
毎度やってくるたび、自分の主の素晴らしさを語っていくぐらいなのだから、余程の事である。
その日、狸は岩に地脈、気脈への干渉の仕方を教えにやって来ていた。
水脈をいじるのは得意な岩だったが、それらについてはまったくの素人だ。
あれこれと説明をする狸の話を、岩はぼんやりと聞いていた。
長い時間が必要かと思われた技術の教練であったが、ふたを開けてみれば予想外の方向へと転がる。
神となったことで「ものへの興味」を持った岩は、土地を治める技術に興味関心を持ったからだ。
教えられることを、岩は恐ろしい勢いで覚えていく。
もっとも、だからといってすぐに上手く土地の管理が出来るようになるわけではない。
元来百数十年かかる習得が、数十年に短縮された程度のことである。
「如何ですか、御岩様。御分かりに成りましたでしょうか」
「分かった」
岩の言葉に、狸は満足そうに頷く。
二柱のやり取りを見ていた娘が、不満そうに顔を顰めた。
「おっちゃま、ずーっとおんなじかおしてるから、わかってるのかわかってねぇーのか、わかんねぇーです」
「そうか」
「もっとひょーじょーをみせたほうが、いいです」
「気を付けよう」
岩と娘のそんなやり取りを、狸は目を丸くしてみている。
狸が驚くのも、無理からぬ事だろう。
岩のような神は、元来あまり人間に興味を示さない場合が多い。
にも拘らず、岩の興味の大半は、巫女である娘や里へと向けられていた。
もっともそれは、無理からぬ事だろう。
岩が土地神となるきっかけを作ったのは、この娘なのだ。
娘がきっかけで他に強く興味を持つようになったのであれば、なるほど娘やその周辺を特に気にかけてもおかしくない。
そんなことに思い至り、狸はしげしげと娘を見つめた。
狸の視線に気が付き、娘は不思議そうに首を傾げる。
「実は巫女殿は、大物なのかもしれませんね」
「おら、まだちっちぇーです」
「大物というのは、大きなもの、という意味では有りませんよ。すごい人物、といういみです」
きょとんとした顔をする娘を見て、狸は苦笑を漏らす。
そもそも、強い神聖である岩や、大妖怪の類である狸をめのまえにしてものほほんとしている娘なのだ。
今更何を言ったところで、どう変わるものでも無いだろう。
「そういえば、巫女殿は奉納の舞などの練習はされぬのですか?」
「ほーのーのまい?」
奉納の舞は、神に捧げるものであり、巫女の勤めの一つである。
だが、巫女としての修行などとは無縁である娘には、そういったものに関する知識など無かった。
村自体もまだ出来たばかりであり、祭りなどの行事がしっかりと定められていない、という事情もある。
娘と岩から話を聞き、そういった事情を察した狸は、難しい顔を作った。
祭りというのは、信仰を集める重要なものである。
それだけではなく、人々の憂さを晴らす、大切な行事でもあるのだ。
「奉納の舞どころか、祭りもきちんと定義されていないというのは……。これはいけませんね」
「いけねぇーですか」
「ええ、いけません。祭りとはとても大切なものです。そうですね。巫女殿に分かりやすくいうとするならば」
狸は難しい顔を作ると、しばし考え込む。
そして、ぽんと手を叩いて再び口を開いた。
「御岩様にお礼のお供え物をするついでに、自分達もおいしいものを食べる。そして、御岩様にお礼の踊りなどを披露するついでに、自分達も楽しく遊ぶ。そういったものなのですから」
狸に言われて、娘はその様子を想像して見た。
この里で生まれ育った娘は、実はまともに祭りというものを経験した事が無い。
楽しい事だとは知っていても、いったいどんな事をするかまでは詳しく知らなかったのだ。
さて、お祭りとはどういったものか。
特別に御礼をするわけだから、ふだんのお供えよりも良いものを用意するのだろう。
となれば当然、巫女である娘の口にもそれが入る。
一体どんなご馳走なのだろうか。
もしかしたら、炊き立てのご飯に、塩の利いたお結びが食べられるかもしれない。
いやいや、味噌を塗って焼いた、焼きおむすびだろうか。
よもや、焼き魚までつくのでは。
踊りというのは、なんだろう。
みんなでやいのやいのと騒ぐのだろうか。
狸の口ぶりでは、自分も踊るのだろう。
なんとも楽しそうではないか。
「おら、おまつり、やってみてぇーです!」
娘はきらきらと目を輝かせ、岩にそう告げた。
その様子を見た岩は、一つ頷いてみせる。
「ならば、準備をしてみるか。狸殿。お手伝い願う」
「はい、勿論ですとも」
狸は微笑み、胸を叩いてみせる。
「ですが巫女殿、お祭りは神事です。いろいろとやらなければ成らぬ事や、覚えねばならぬこともありますよ? 初めてのお祭りであれば、手順なども考えねばなりません」
「てじゅんを、かんがえるですか」
「はい。神様へ御礼をする手順です。勿論、御岩様の望まれる事を叶える形で、ということになりますが」
「別に望む事は無い。里の衆の好きにすればいい」
岩とすれば、祭り自体には興味がなかった。
祭りをすることで皆が楽しめるなら、それでいいのだ。
自分に礼をする必要も、して欲しいとも特に思っていない。
常日頃からお供えをもらっている、それだけで満足なのだ。
だが、祭りとなればそうも行かない。
好きにしろといわれるのが、一番困るという事もある。
「いえ、ですが御岩様。それはそれで、里の衆が難儀するかと。巫女殿はまだ幼いですから、すべてを考えるのもご苦労でしょう」
「なら、おたぬきさまが、かんがえてくれればいーです!」
さも名案だ、とでもいうような娘の言葉に、狸は苦笑する。
まさかよその土地神の使いが、大切な神事を決めるわけにも行かない。
第一、若い里だとはいえ、岩の足元にある里はかなり大きなものなのだ。
そんな大きなことを、決めてよいはずが無い。
だが、そんな狸の考えを知ってか知らずか、岩はなるほどというように頷いた。
「では狸殿。お任せする」
「うわぁーい! たのしみです!」
「えぇ……!?」
さも当然のように押し付けられた狸は、大層困惑したという。
御岩神社の例大祭は、現在でも周囲で一番の大祭として残っている。
実は近所の土地神の使いと、その相談を受けた土地神が必死になって考えたものであると知るものは、極々限られた一部のものだけなのであった。