果樹
娘はよく、神社にお供え物を持ってきていた。
多くが果物などの、食べ物である。
二つ持ってきて、一つは岩に供え、一つは自身が食べるのだ。
社の縁側で美味そうに食べ物を口にする娘を、岩はぼんやりと眺めていた。
その日のお供え物は、桃であった。
山の中に生えているという木からとってきたと言うそれは、よく熟れていて甘い香りを漂わせている。
「うめぇーです! このきせつは、あまいものたくさんです!」
「草木には良い季節のようだ」
「おっちゃまも、うれしーですか」
「何時の季節も変わらん。ただ、多少気温が違うと感じる程度だ」
岩は岩であり、あまり季節に影響される事はなかった。
ただ、気温の変化によってあっためられたり、冷たくなったりはする。
その影響でヒビが入ったりすることはあったが、その程度だ。
いつか砕けてなくなるのも、岩の定めである。
「そーなんですか。おそなえものも、きせつによっていろいろあるから、おらはたのしーとおもうです」
言われて見れば、確かに季節によって供え物は変化している。
寒い時期、暑い時期。
それぞれに変化していた。
ただの岩の神聖であった頃は気にも留めなかった変化だろう。
だが、いまの岩には、それは面白いと移るようになっていた。
岩にとって供え物とは、力を与えてくれるものである。
それだけでなく、心をやわらかく解してくれるものにも、いつの間にかなっていたのだ。
「成る程。確かに楽しい」
「そーです! おっちゃまについたこけが、へったりふえたりするだけじゃねぇーです! しゅんかしゅーとーは、たのしいです!」
娘は得意げな顔を作ると、胸を張って見せた。
だが、手から桃の汁が垂れそうになっているのを見つけると、慌ててそれをすすり上げる。
少しでも甘いものを口に入れようと、躍起になっているようだった。
「苔か。確かに増えたり減ったりしているようだ。邪魔では有るが。草木は全般邪魔だが」
岩にとって、草木は特に興味の無いものであった。
あればあったでいいが、無ければ無いで良い。
なにしろ岩は岩であるから、食い物の心配をする必要が無いのである。
草木なんぞ、岩にとっては特に価値の有るものではないのだ。
ただ、ここ近年は、里にとってこれらが有益である事が分かってきていた。
今ならば岩の力で邪魔な草木を掃う事も出来るのだが、それでは里のものが不便をすることになる。
ならば残しておかなければ成らないだろうと、岩は思うようになっていた。
「くえるくさもおおいから、おらはくさはすきです。あー!」
「何事だ」
「もも、ぜんぶくっちまったです」
見れば娘の掌の上には、大粒の種が一つ乗っている。
中々に大きな桃だったのだが、もう食べてしまったらしい。
「もも、とりにいくのえれぇーたいへんです。もっとちかくにはえてるといいですけど」
娘は難しそうな顔を作ると、腕を組んで唸り始めた。
どうも、何か方法が無いか考えているらしい。
岩はその横で、ぼうっと周囲の木々を眺めて待つ事にする。
社の周囲の大きな草木は取り払われており、その中ほどに岩と社が並んでいた。
ずいぶんとすっきりしたものだ、などと考えていると、娘が突然大きな声を上げる。
「そうだ! いーことかんがえたです!」
娘は縁側から飛び降りて走り出すと、岩と社から少し離れた所に穴を掘り始めた。
岩はそれにゆっくりと近づいていくと、上から掘られた穴を覗き込んだ。
「何をするのか」
「もものたねをうえて、ここにきをそだてるです! そうすれば、まいとしももがくえるです!」
確かにそれならばとるのは簡単になるだろう。
岩は娘の考えに、成る程と頷いた。
自分の社近くで果樹を育てるなど、言語道断だという神もいるだろう。
だが、岩は神になって日が浅い。
元々がそういったことに頓着しない性質でもあったので、咎めるどころか、良い考えだと思ったのだ。
どころか。
「美味く育つようにしてやろう」
「うわぁ! やったです!」
そんな約束をしてしまう始末であった。
娘は掘った穴に土を被せると、担いでいた水筒を取り出す。
半分ほどの水をかけてやると、満足気に頷いた。
「こうやってせわをしてやると、はやくそだつです!」
「そう言うものか」
「まいにち、みずをやるのです!」
それを聞いた岩は、僅かに難しい顔をした。
収穫の忙しい時期などは、娘はここに来ないこともある。
となれば、岩が代わって水をやることになるだろう。
それは別段構わぬし、どうせ暇であるから良い。
だが、一番近い水場は里になってしまう。
特別なものにしか見えない岩が水を汲みに行けば、面倒な騒ぎになる。
それはいかにも里の者達が不憫だ。
「ここに水でも湧かせば良いか」
楽しげに地面を見つめる娘の後ろで、岩はそう呟いた。
岩は自分の社の横に、窪みを拵えた。
その辺りに転がっている岩をそこに敷き詰めると、水脈を弄り水を沸かせる。
岩戸や社の周囲には、小さな泉が出来た。
月日が流れて後、お参りの際手を清める手水場として使われるようになったそれは、娘の果樹を育てるために作られたものだったのだ。
泉を見た娘は、目を丸くした。
一夜にして出来上がったのだから、無理も無いだろう。
一頻り驚いた後、娘は飛び上がって喜んだ。
「これで、みずもってこなくてもすむです!」
水場を確保できた事で、娘は桃以外にもいくつかの果物を植えることにした。
それを咎めることの無い岩は、むしろ感心してその様子を見守る。
「違う時期に成る物を植えれば、長く果実が食える訳か」
「そーです! おら、あたまいーです!」
胸を張る娘の得意げな顔を見て、岩は心がやわらかくなるのを感じた。
御岩神社の境内には、今もいくつもの果樹が植わっている。
本来同じ場所に生える性質で無いはずの果樹が並ぶ姿は、学者の頭を悩ませていた。
神主や氏子は、それを見て笑いながら言う。
「御岩様は果物がお好きだから、特別に育てていらっしゃるのだ」