土地神
岩がある辺り一帯は、神話で語られるような旧い神が治める土地であった。
オオアシノトコヨミと呼ばれるその神は、千を越える歳月を神として過ごしているという。
元々は生き物ではあるのだが、その神聖が故に凄まじき姿となっている。
その姿は、百足であった。
オオアシとは多足であり、足を多く持っていることを意味している。
トコヨミとは常世身と書き、現世のものとは思えぬ身体である事を示していた。
姿は百足、といったがそれは見た目、形という意味に過ぎない。
オオアシノトコヨミは、姿形こそ確かに百足であった。
だが、その大きさは、山一つをぐるりと取り巻くほどであったのだ。
周囲で一番大きな山の上に、何重にもとぐろを巻いて鎮座している。
誰にも見えぬように己の姿を隠してはいるものの、ひとたびその姿を現せば、周囲の妖怪変化や雑魚神は震え上がり、一目散に逃げ出すといわれていた。
いや、事実そうなるだろう。
山脈一つと平野。
国でいえば三つ分ほどの広さを守護するその大神は、しかし。
その見た目に反し、実に穏やかで慈悲深い神であった。
他の土地では暮らせぬ神や妖怪を、自分の土地に住まわせたり。
自分の力だけでは見切れぬ土地を、他の雑魚神に任せ、より暮らし易くしたり。
多くの信仰を集めても、けして奢らず、静かに。
生きる物の秩序と安寧を司るその神は、人や生き物だけならず、多くの神聖からも尊敬を集めるものであったのだ。
岩の下にオオアシノトコヨミからの使いが現れたのは、社が建ってしばらくのことであった。
社の縁側に座りぼうっとしている岩に、一匹の狼が話しかける。
「この辺りに居られると言う、御岩殿とお見受けする。私はオオアシノトコヨミ様の遣いで参った、アカゲと申すもの」
岩はゆっくりと被りを振ると、狼を改めてじっくりと見据えた。
見事な赤毛のその狼は、成る程普通の獣とは違った気配を持っている。
「確かに、私はそう呼ばれている物だが。オオアシノトコヨミ様のお遣いが、私のような妖怪変化にどのようなご用向きか」
「いや、私も詳しくは聞いておらぬ。直接、お聞きになるが宜しい」
そういうと、アカゲと名乗った狼は人の姿へと変じた。
山伏のような姿になると、懐から一枚の銅鏡を取り出す。
鈍く輝くその表面には、なにやらムカデの頭のようなものが写っていた。
そのムカデこそ、オオアシノトコヨミである。
オオアシノトコヨミはゆっくりと首をめぐらせると、岩を見据えた。
「おお、おお。御岩殿。おひさしゅう」
「オオアシノトコヨミ殿。お元気そうで何より」
「なに、いまさら死ぬ身でもありませんのでな。元気なのか否か、分かりかねますわいな。もっとも、それは御身も同じことかの」
「御身からすれば、小石も同然ですゆえに」
「ほっほっほ! この身よりも長けのある物は、ついぞ見ておりませなんだ。それこそ、土地や山でもない限り」
オオアシノトコヨミは声を挙げて笑うが、岩はにこりともしない。
もとより、岩とはそういうモノなので、オオアシノトコヨミも気にとめる様子は無い。
「さて、御岩殿。実は、折り入って相談があってな」
「聞こう」
「この辺り一帯は、この身が守護しておるのはご存知と思うがの。何分広すぎるが故に、隅から隅まできちんきちんと見てやることが出来ぬのですわいな」
「御身はよく土地を治めておられる」
「そういうてもらえると、ありがたいのだがの。されど人が暮らすには、もうちぃと手をくわえてやる必要があるのですわいな。そこでの。お前さん、その辺りの土地神をやってくれまいかの」
土地神とは、土地を守り、平定する神の事だ。
岩の知り合いにも、いくらかそういった類のものが居る。
元々人間であったり、狐狸の類であったり。
あるいは、土地そのものであったり。
オオアシノトコヨミは、岩にそれにならないか、というのだ。
岩はそれに、特に考える素振りもなく応える。
「この身で良ければ、そう致そう」
「おう、おう! それはありがたい! 丁度、その辺りには人も住み始めたでの。御身は既に祭られておるようだし、丁度良い頃合ですわいな」
この後、岩とオオアシノトコヨミはいくらか話をした。
土地の治め方などの話である。
細かなやり方については、近くに居るほかの土地神を頼る事となった。
朱塗りの鞘や、鹿、猪など、この辺りには変わってはいるが、上手く土地を治めている神が多いのだという。
訪ねれば快く方法を教えてくれるだろう、とのことだ。
話が終わり、銅鏡を抱えたアカゲは一礼をして帰っていった。
何かが有れば、アカゲが世話をしてくれるという。
遣いのいない岩の世話を、しばらく焼いてくれるのだとか。
再びぼんやりと、会話の内容を反芻する岩の元に、いつもの娘がやって来た。
「おっちゃま、ぼーっとしてるです」
「私は何時もこういう顔だが」
「いつもよりも、ぼーっとしてるです。なんか、あったんですか」
「土地神になる事になった」
その言葉に、娘はふしぎそうに首をかしげる。
「おっちゃま、もともとかみさまです」
「そうだろうか」
「そーです。おみずのばしょ、おしえてくれたりしてるです。むらのみんな、すげーよろこんでるです」
「そう言った物は、神の仕事とは少し違うらしい」
「なら、どーゆーのが、かみさまのしごとなんです」
「分からん。他の神に少しずつ教わるのだそうだ」
「おっちゃまも、たいへんです。がんばるです」
「そうだな」
娘にそういわれると、不思議とそうしたい。
そうせねばならない、といった感情が、岩の中に芽生えた。
今まで感じた事のなかったものである。
だが、岩はそれをうけていれてやることにした。
すると、不思議とすっとそれを受け入れる事ができ、心が柔らかくなるのを感じた。
「そーだ! きょうは、かきをもってきたです」
そういうと、娘は背負っていた風呂敷を下ろした。
中には、立派な柿が二つ入っている。
娘はその一つを、岩の前に供えた。
近くに生えていた木の葉を一枚ちぎり、その上に柿を乗せる。
二礼二拍手一礼をすると、再び縁側へと戻った。
そして、残った一個の柿に齧り付く。
「あまい! このかきは、いーかきです。このあいだ、しぶがきかじって、えれぇーめにあったです」
娘はその渋柿が、いかに渋かったか。
取るのにどれぐらい苦労したか。
そんな話を、一人で話し始めた。
岩は寡黙で、娘の話を聴いてばかりだ。
だが、娘はそれに構わず、どんどんと話を続ける。
そんな娘の話を聴くのが、岩はけっして嫌いではなかった。
楽しげに話す娘に、岩は時折相槌を打つ。
少し寒い風が吹いた。
岩は娘の話をとめると、社の中に入るようにと促す。
生き物ならざる岩にしてみれば、なんということも無い冬がやってくる。
だが、里のものにとっては辛い季節だ。
岩は娘に手をひかれ、社の中へと入っていった。