頼
深い、深い山の中。
ただでさえ危険なその場所は、夜ともなればさらに輪をかけて恐ろしい場所になる。
狼や熊といった獣。
それだけでなく、この世ならざるものや、妖怪変化。
化生物の怪の類が徘徊するそこは、人知の及ばぬ世界である。
そのような場所に足を踏み入れるには、相応の準備が必要だった。
何より必要なのは、知識と経験の豊富な、先達であるだろう。
例えば、歳経た狼の神使などは、最適といって良い。
事情を聴かされたオオアシノトコヨミの神使である狼は、頼みを快諾してくれた。
「その程度でしたら、構いませんぞ。お手伝いいたそう」
「うぁーい! あかげさま、ありがとーです!」
「なぁに、お安い御用だ。しかし、そうなるともう一人二人いたほうが良いかもしれんな」
「もー、ひとりふたり?」
「そう。山の中というのは危険だからな。一人より二人の方が、村人も安心するだろう。しかし、そうなるとその武芸者の身元がはっきりせんと恐れられるか」
多くの農民にとって、武芸者というのは恐ろしい存在だ。
突然現れた身元確かでないものならば、猶のこと。
そこに、ヤマネが妙案アリと前へ出た。
「それでしたら、タヌキ様にもお願いする、というのはいかがでございましょうや!」
「タヌキ? ああ、赤鞘様のところ」
「タヌキ様に、お知り合いの武芸者として紹介していただくのです!」
「なるほど。タヌキ殿は巫女として何度か村に来ているからな。その伝手、ということにするわけか」
「その通りでございます! それに、タヌキ様であれば、武芸者様もご紹介いただけます! まさに一石二鳥でございますとも!」
「武芸者? はて、そんなものがいたかな?」
「キツネ様でございます! 変化の術が達者なキツネ様ならば、武芸者になることなどお茶の子さいさい!」
なるほど、件のキツネは変化術にも長けている。
姿を変えることなど容易いことだろう。
だが、問題もある。
「あのキツネ殿がそう簡単に手伝ってくれるかな。私がいうのもなんだが、相当にひねくれものだぞ」
「キツネ様にお願いしても、きっと嫌だとおっしゃれられるでしょう! あの方のご気性はよく存じてございます!」
ヤマネは、キツネとタヌキから妖術を伝授されている。
彼の二匹はヤマネにとって師匠のような存在だ。
気性や性質については、良く心得ている。
「直接お頼みすれば、断られましょう! されど、赤鞘様にお願いすればいかがでしょうか!」
「その手があるか。将を射んとする者はまず馬を射よ、といったところかな」
キツネに直接頼めば、断られるだろう。
だが、土地神を介せば、そうもいくまい。
「キツネ様はああ見えて、赤鞘様の仰ることだけはお聞きになられますからな!」
「いや、実に良い策だ。ヤマネはなかなかの軍師よな」
狼は心底感心していた。
少し前まで、狼を前にしただけで怯えていたのが、随分な成長だ。
力が増したことで、自信が付いたのか。
それとも、狼を前にしても怯まぬ胆力を身に着けたのか。
あるいは、その両方であるかもしれない。
なんにしても、御岩神社の神使であるヤマネが逞しくなるのは、好ましいことである。
「よし。では、赤鞘様のところにこれから連れて行こう。ヤマネの足では時間がかかろうからな」
「へ? いえ、術を使いお願いすればよろしいのでは?」
「それでも良いだろうが、やはり直接会った方が話が早い。御岩殿、いかがでしょうか」
「そう思う。アカゲ殿、よろしく頼む」
予想だにしない事態に、ヤマネは慌てた。
直接頼みに行くのは良いが、もしタヌキやキツネに見つかれば、面倒なことになる。
姑息な手段を使っただのと詰られ、ヤマネは恐ろしい目に合うことになるだろう。
「お、お待ちくださいアカゲ様! このヤマネ、まだ御岩様の神使というわけではございません! 巫女様の手下、ただの妖怪変化でございますれば、赤鞘様の御前に立つなど恐れ多い!」
「そういっておるが、いかがしますか御岩殿」
「以前から使いとしていると思ったが。ならば、今より使いということでよい」
「そんな適当な! 御使いというのはもっとこう、格式のあるものでございまして!」
「では、いくか。なぁに、一刻もかからず行き来できるとも」
「きねず、いってらっしゃーい」
「そんな巫女様、ご無体な!」
ヤマネは赤毛に咥えられ、赤鞘という名の土地神の元へと向かった。
巫女の手下である妖怪変化ではなく、御使いとなったヤマネが、初めて任された大任である。
当のヤマネが好むと好まざるとにかかわらず、後々まで語られることになる出来事であった。
ヤマネの心配とは異なり、赤鞘の社にタヌキとキツネは居なかった。
ちょうど別の場所へ赴いており、留守をしているという。
「いやぁ、せっかく来ていただいたのにお茶もお出しできませんで! 湯呑ってどこにあったんでしたっけねぇ? こういうのいっつもタヌキさんに任せてたもんで、あっはっはっは!」
接してみれば驚くほど腰の低い土地神ではあるが、ヤマネは侮る気持ちにはならない。
赤鞘という神は、岩に土地神としての手ほどきをしていた。
言ってみれば、仕える神の師にあたる。
侮ろうなどという気に成るはずもない。
「赤鞘様、実はお願いの儀がございまして!」
「ああ、はいはい。なんでしょう?」
ヤマネはおおよそのことを説明し、赤鞘に助力を願った。
事情を聴いた赤鞘は、胸を叩いて請け負う。
「そういうことでしたら、あの二人に頼んでみますよ。たぶん、手伝ってくれると思いますよ」
「有難うございます! 御岩様と巫女様も、喜ぶ事と思います!」
ヤマネは、ホッと胸を撫でおろした。
この分ならば、タヌキやキツネが戻ってくるまでには、岩の社に戻ることができる。
姑息な手段をとったと、責められることもあるまい。
後々何か言われるかもしれないが、それはそれ。
道の普請場所を検分する忙しさで、うやむやになるはず。
そんなヤマネの算段は、もろくも崩れさることになる。
「そういえばヤマネさん、人の姿に変じられないんです?」
「はっ! その類の妖術は、身に着けておりませんもので!」
「あー、そうなんですかぁー。できるようになるといろいろ便利なんでしょうけどねぇー」
「御岩様のお役に立てることも多くなるかと存じますが、なかなか術を身に着けるというのは難しくございまして!」
「あ、そうだ。タヌキさんとあの性悪は、そういうの得意なんですよね、たしか。せっかくこちらにいらしたんですから、練習していかれてはいかがです?」
「へ? あ、いえ! と、申しますと?」
「普請場所の検分には、まだ日もあるでしょうからね。それまでにヤマネさんも人に化けられるようになれば、いろいろ便利じゃありませんか」
「はっ! いや、しかしその」
無論、申し出は断りたい。
しかしながら、赤鞘の申し出を断ってよいものなのか。
短い葛藤の末、ヤマネは何とか答えをひねり出した。
「ご厚意、有り難くお受けいたします!」
「では、決まりということで! 御岩さんには、私の方から伝えておきますね! ああ、そうだ。お客さん用のお布団干しておかないといけませんねぇー」
余計な策など弄さないほうが良い。
永く子孫に語り継がれる言葉を、ヤマネはこの時に噛み締めたのである。
現代 某高校 某教室
「ねぇ、ミヨって山根先輩と幼馴染なんでしょ?」
「え? そうだけど」
「はぁ、いいなぁ。スポーツもできるし、成績もいいし。何より顔がいいし」
「いや、顔はどうにでもなるから」
「どうにでもならないよ、生まれ持ってのモノじゃん」
「生まれ持っての顔だったら、まぁ、可愛い系?」
「どういう目してるのこの娘は。どう見てもかっこいい系じゃん。王子様っていうか、王様っていうか?」
「どっちかっていうと手りゅう弾みたいなところはあると思うけど」
「何それ。意外とワイルドな一面もあるってこと?」
「野性的ではあるかな」
「いやぁー! それはそれであり!」
「もう何でもいいんじゃん」
「先輩、どこかの部活に入らないのかなぁ。すぐに試合とか出られそうなのに」
「忙しいから無理なんじゃない?」
「めんどくさいからって帰宅部のミヨとは違うってことね」
「私も案外忙しいんだよ?」
「なんで」
「え? なんだろう。妖怪退治とか?」




