板
山中に切り開かれた村では、何かと不便なことが多かった。
まず、ほかの人里に行くのに山道を歩かなければならない。
荷車などが通れる道も少ないので、重たい荷物などでも担いで歩く必要がある。
平らな土地も少ないので、田んぼを広くとることもできない。
ほかにも、住みにくい理由はいくつもあった。
それでも村ができたのは、よい点もいくつかあったからだ。
大きな理由の一つが、水だ。
この辺り一帯は水源が豊富にある。
農家にとって、水は不可欠だ。
場所によっては、それを巡っていさかいが起こることも珍しくない。
水をふんだんに使え、それを争う相手がいない土地というのは、それだけで十二分に価値がある。
それでも、道が少なく、悪路ばかりというのは、不便なことであった。
人が行きかうだけの道であればそれでも良いのだろうが、村と町をつなぐものとしては、心許ない。
年貢を納めるにしても、苗などを買い付けるにしても。
物を運ぶのに不便な道しかないというのは、痛手である。
岩の膝元にある村は、今も少しずつ人が増え、田畑を切り開いていた。
村が栄えるにつれ、道をそのままにして置くというのは、いささか障りが出てくる。
新しく、道を普請すべきだろう。
村の主だった者達はそう考え、話し合いを続けてきていた。
どこに、どの程度の道を、どのように作るのか。
話し合いは難航し、なかなか進まなかった。
無理からぬことだろう。
村人達の中には、道の普請に詳しいものなどいなかったのだ。
道の整備の方法はわかっても、どのあたりに作ればいいのかなどはわからない。
どうしたものかと悩む村人達の中で、一人がふとあることを言い出した。
御岩様に相談してみてはどうか、というのだ。
幸いにして、村には巫女である少女がいる。
お伺いを立てるのは、難しいことではない。
良い返事が貰えなかったとしても、ただただ顔を突き合わせて唸っているよりは有益だろう。
村人達は、さほど深く考えず、軽い気持ちで、娘に話を持ち掛けた。
「せきにんじゅーだいです! おらのかたに、むらのめーあんがかかってるです!」
話を受けた当の娘は、ことを非常に大きな問題であると捉えていた。
道が出来れば、物や人の往来が増えるだろう。
となれば、入ってくる食べ物の種類も増える。
砂糖が定期的に入ってくるようになれば、甘い菓子が口に入る機会も多くなるはずだ。
ならば、全力を持って事に当たらなければならないのは、当然のことといえる。
未だ年若い娘であるが、人生訓の様なものを持っていた。
生きるということは、旨いものを食べること。
そのための労は、一切惜しんではならない。
娘は自分にできる精一杯の方法で、道の普請に協力することに決めた。
「しかし、巫女様。そうはいっても、御岩様に道にするのによさそうな場所を聞くだけで事は済むのではありませんか?」
岩は、土地一帯を知り尽くしている。
道を普請するのによい場所を聞けば、教えてくれるだろう。
ならば、娘が何かする必要など、ないのではないか。
ヤマネのそんな疑問に、娘は首を横に振る。
「おっちゃまは、たしかにとちのなかのこと、いっぺぇーしってるです。でも、ひとのことを、よくしらねぇーです」
「人の事、ですか」
「そーです。ひとが、どんなところならあるけるか。おっちゃまはよくしらねぇーです。だから、まかせたらきっと、とんちんかんなところをおしえられるです!」
娘が言うのを聞いていた岩は、大きくうなずいた。
なるほど、岩は土地の中のことであるならば、どこに何があるかしっかりとわかっている。
だが、人間ことをよくわかっているかといわれると、今一つ自信がなかった。
正直なところ、少し前までは、人とサルの違いもよく分からなかった始末だ。
最近は娘を見守っているためか、随分人のことがわかってきてはいる。
それでも、十分とは言いづらいだろう。
「確かに、私の知識だけでは、実際に道に適した場所かわからないかもしれん」
「ほらー! だから、おらがじっさいにあるいて、いいばしょをみつけるです!」
「流石、巫女様! その御知恵と行動力、感服いたしました! して、どのように見つけるのです?」
「ふっふっふ。おらがおもいついた、とっておきのほうほうを、おしえてやるです!」
娘の考えた方法というのは、単純明快であった。
岩がおおよそのあたりを付けて、娘が実際に歩き確かめる。
当たり前といえば当たり前の方法だ。
ではあるのだが、ここに居るものの中で、それを思いついたのは娘だけであった。
なので、ヤマネも、岩も、大いに感心する。
「では、まず私が道を普請するのに良さそうな場所を選ぶわけだな」
「そーです! おっちゃまのしごとです!」
「私は、人間が歩きやすい場所というのが、そもそもよくわからないのだが」
「おらにしつもんしてみるといーです!」
岩が質問し、娘がそれに答える。
そうすることで、よい道というのがどういったものなのか、明確にしようというのだ。
早速、岩と娘はそれを試してみることにする。
「そうだ、巫女様、御岩様! 人間の歩きやすい道の特徴を板に書き記しておけば、後で思い出しやすいやもしれませんぞ!」
「やまね、さえてるです!」
「では、板を用意するか」
娘が文字を習うため、筆や墨は社に用意してある。
板は、岩が用意した。
落ちていた石を薄く切ったものだ。
ヤマネが筆を構えたところで、岩は質問を始めた。
「まず、おおよそどのような道が歩きやすいのか」
「たんぼんところにあるみてぇーな、たいらなみちです!」
「町まで行く道は、山の中を通る。平らなところは難しい」
「なら、なるべくたいらなところがいーです! それと、なるべくまっすぐなほーがいーです!」
「上り下りが多いのと、曲がり角が多いのでは、どちらが良いのか」
「んー! なるだけたいらがいーですけど、とおまわりすると、たいへんです!」
「どちらもある程度づつ妥協すべきということか。川の中を通るのは、平気か」
「みずがあると、あるきにきぃーです!」
「そうか。人間は足を取られると歩きにくいのだったな。ということは、なるだけ地面がしっかりしたところが良いのか」
岩と娘の問答を、ヤマネが書き記していく。
質問の内容を聞くうち、ヤマネはいかに岩が人と猿を混同しているのかが、よくわかった。
どのぐらいの崖ならば登れるのか、横に飛べる距離はどの程度か、等々。
「あの、御岩様。人と猿は、似て非なるものでございますぞ」
思わずそう告げたヤマネに、岩はいささか驚いた様子を見せた。
それから、じっと娘を見据える。
首をかしげる娘を観察し、岩も首を傾げた。
「以前から似たようなものだろうと思っていた。が、最近特にそう思えてきた」
「何故でしょう?」
「おみよが、猿に似ておるからではあるまいか」
それはあまりのいいようではないか。
驚いたヤマネが声も出せずにいると、娘が手を叩いた。
「そーいえば、よくさるみてぇーに、とびはねてるっていわれるです!」
「やはり、猿に似ていると思うものなのか」
猿に似ているというのは、女子にはあまり喜ばれない。
むしろ、怒らせてしまう物言いなのではないか。
そう思ったヤマネだったが、娘も岩も、気にするそぶりもない。
おかしいのは自分であろうか。
疑問を持ったヤマネは、とりあえずこのことを石の板に書き記しておくことにした。
あとで狸か狼に、聞いてみようと思ったのだ。
ヤマネがそれを書き留めた後も、問答は続いた。
「おおよそ、わかった。探してみよう」
岩がそういったことで、ヤマネはようやくほっと溜息をついた。
小さな体で筆を動かすのは、重労働なのだ。
「じゃー、おらもそれまでに、じゅんびしておくです!」
娘が実際に歩くので、準備は不可欠だ。
当然、ヤマネも付いていくことになるだろう。
なかなかの大事である。
「巫女様、動きやすい衣装を用意せねばなりませんなっ!」
「そんなことより、めしがじゅーよーです!」
娘はまったくの真顔でいう。
これは、自分がしっかりせねばならないのではないか。
ヤマネがしっかりと人の世のことを学ぼうと考えるようになったのは、このころからであった。
宝物庫という名の物置を掃除していた若いヤマネは、奇妙なものを見つけた。
石材の板に達筆な文字が書かれたものなのだが、余りに達筆すぎて読むことができない。
むやみに捨てるわけにもいかず、当代の神使のところへ持ち込んだ。
それを見た当代のヤマネは、目を丸くして驚いた。
「いや、有るという話は聞いていたが、まさか見つかるとは!」
「あの、ジィ様。これは、何と書いてあるので?」
「なんだお前は、ピコピコは使えるのに字も読めんのか」
「あれはスマホってんだよジィ様。それより、なんて書いてあるのさ」
「これはな、そうさ、かみ砕いて言えば、女子を猿と呼ぶというのはいかがなものか、と書いてあるのだ」
「なに、どういうことソレ」
困惑する若いヤマネの後ろから、「片付け終わったー?」と声がする。
この社の主であり、宝物庫を物置代わりに使っている神が、顔を出した。
ふと、ヤマネ達が抱えている板を見た岩は、「げっ」と嫌そうに眉をしかめる。
「うっわ、それ、出てこないようにしまい込んでたと思ったのに。どこから引っ張り出してきたの」
「掃除をしておりましたら、出てきました。これ、なんなんです?」
若いヤマネの問いに、岩は考えるようにあごに手を当てた。
「うーん。あえて言うなら、若気の至り、かな?」
ますますわからないという顔をする若いヤマネを見て、岩は声をあげて笑った。
そして、それが書かれたときの話を、語って聞かせたのである。
・現代 御岩神社宝物庫 年末大掃除での一幕




