歌
祝詞とは、神に崇敬を示すためのものであった。
神によってとらえ方は異なるものの、おおよそ好ましいものとされる。
なので、社を守る神職のものにとっては、必須ともいえるものであった。
岩の社を守るのは、娘ただ一人。
教育係を仰せつかっている狸は、当然のように娘に祝詞を覚えさせようとしていた。
しかし、肝心の娘は、どうにも乗り気ではない様子である。
「のりと、なにいってるか、わかんねぇーです」
「いわゆる古語ですからね。確かに、内容は少しわかりにくいかもしれません」
「みょーなふしがついてるのも、わかりにきーです!」
独特の音程や節が付いているのは、祝詞の特徴でもある。
普段使わない言葉を、さらに独特な方法で読み上げるわけだから、分かりにくいのも無理はない。
「頑張って覚えれば、御岩様がお喜びになりますよ」
「えー? おっちゃま、ほんとですか?」
「何を言っているかわからんから、別に喜びはしない」
狸はぎょっと目を見開いた。
娘は、ほら見ろというように狸を睨む。
近くで転がっていたヤマネが、なるほどと手を打った。
「いやいや狸殿。考えてみましたら、わかる話ではございますぞ!」
「わかる? どういうことです?」
「御岩様は極々最近になって土地神の仕事をお引き受け成されたのです! それまで、特に人の営みなどに強い興味をお持ちでなかったのでしょう! ほかの神様、妖怪変化の類と密にお関りなられることもありませなんだ!」
岩はずっと以前から岩としてここに居たが、積極的に人にかかわるようになったのは最近のことである。
それまでも様子を眺めてはいたが、それは本当に眺めていただけのこと。
ぼんやりと見ていただけであり、細かなことなど殆ど気に掛けていなかった。
「ということは、御岩様が言葉というものを気になさるようになられたのも、極々最近のこと! それも、話し相手はもっぱらおみよ様! となれば、言葉も当然おみよ様が基準となりましょう!」
「なるほど。一理あるかもしれません。しかし、おみよ殿と同じように話しているようにはお見受けできませんが」
「お話になられる言葉は違うのでしょうが、御聴き取りになりやすい言葉は、やはりおみよ様のものなのでしょう!」
しゃべりやすい言葉と、聞き取りやすい言葉は違う。
岩と娘は使う言葉こそ少々違うが、分かり合っていることは間違いないだろう。
「御岩様にとってみれば、祝詞に使われる言葉より、おみよ様の言葉の方がよほど馴染みも思い入れも深いのかと思われます!」
「馴染み、ですか。実際のところは、どうなのでしょう」
「良く分からん」
意識したことがない、というのが正直なところなのだろう。
娘は憮然とした顔を見せる。
「おっちゃまがわからねぇーなら、のりとやるいみねぇーです!」
それも、一理ある。
岩が良く分からないというものならば、やらなくてもよいのでは、というのもわからなくはない。
答えに窮する狸を他所に、ヤマネが首を横に振った。
「おみよ様、実は祝詞というのは、神様だけのものではないのです! それを聞いている人間達にとっても、意味のあるものなのでございますぞ!」
「にんげんたちにとって、ですか?」
「祝詞は、その神様がいかに素晴らしいかを称えたり、お祭りを始める前にその言われや目的を奏上するものです! それを聞けば、氏子達も神様のことや祭りのことについて理解が深まるわけです!」
確かにそういった側面もある。
狸も言われて、そういえばそういった解釈もあるのだと思い出していた。
自分が仕える神のことばかりに気を取られがちな狸は、氏子のことを忘れがちになる癖があるのだ。
「でも、それならへんなふしつかなくてもいーです!」
「考え方はいろいろあるものでしょうが、あの節や言い回しがあるから、特別なもののように感じられるのではないでしょうか! 特別なことをしているのだと思いながら聞けば、有難味の様なものも出てきましょう!」
「ありがたみ、ですか」
「それは、様々な良い効果を持っているはずでございます! 子供が、御岩様のことを知るきっかけに! 祭りへの期待を高めるために! そのほかにも、まさに色々でございます!」
以前に行われた祭りの時、娘は祝詞を聞いていた。
内容を聞き取るのは難しかったが、確かに高揚した気分になったのは間違いない。
娘が岩を知る以前の話も、有った様な気がする。
聞いていて特別な気分になったのも、やはり間違いなかった。
「なるほど。にんげんのため、ですか。ふけぇーです」
「そういうものなのか」
どうやら娘は、得心が行ったらしい。
岩も同様に、感心した様子だ。
両者ともに満足させたヤマネを、狸は驚いたように見る。
「随分勉強なさったのですね」
「有難うございます! 何しろキツネ殿に追い掛け回されて、妖力が付きましたからな! そのおかげで、知恵も多少なり回るようになりました!」
狸にヤマネの表情を読む能力はなかったが、疲れた笑顔を浮かべているように見えた。
妖怪変化というのは、妖力が増せば頭も回るようになることもあると聞く。
考えてみれば、狸も力を付けるに従って、随分ものを考える力が付いた様な気がしていた。
同じことがヤマネに起こったとしても、不思議ではない。
「ってことは、やっぱりのりと、おぼえないといけねぇーですか」
「それが良いでしょうね」
「でも、おっちゃまよろこばねぇーのは、だめだとおもうです。おっちゃまがきいて、たのしーのも、あったほうがいーです」
「御岩様が聞いて楽しいもの。ですか」
通常の祝詞で喜んでいただけず、それどころが意味がよく分からないとまで言われているのだ。
ならば、岩を喜ばせるべつのものを用意するというのは、考え方としては間違っていない。
「でしたら、聞くことに限らず、見る、というのでもいいかもしれませんね。舞などもそうですし」
「おどるのはもーやったから、べつのがいーとおもうです! おっちゃま、なにがいーですか!」
岩は返事に窮した。
そういった類のことは、考えたことがなかったからだ。
なんでもよい、というような答えでは娘が喜ばないことは、なんとなく察することができる。
何か答えなければならない。
だが、なにも思いつかない。
そこで、娘が以前に歌をうたっていたことを思い出した。
「以前ここで歌っていたあれは、聞いていて面白かった」
「あれ? おら、うたなんてうたってたですか?」
「握り飯を食う前に歌っていたものだ」
「おお! あれですか!」
娘は、食べることが好きである。
あまりに好きすぎて、その前になるといてもたってもいられなくなり、歌を歌うことがあるのだ。
にぎりーめしーは、うめぇーですー
めしをにぎって、しおふってー
たーけのかわにーつつんだらー
ふろしきづづみにしまいこむー
娘が即興で考えた、いうなればでたらめな歌だ。
しかし。
その時の心情や、生活をよく表した歌のように岩には思えた。
一種崩れたそういったものの方が、今の岩には好ましい。
「おら、おうたつくるの、とくいです!」
娘が作った歌を、岩に奉納する。
それは狸にも、素晴らしい案のように思われた。
「では、次のお祭りまでに作ってみるのもよいかもしれませんね」
「はい! せっかくおっちゃまのためにつくるから、ちゃんとかんがえるです!」
「内容を忘れぬように、書き留めておくといいかもしれません」
「おら、じ、かけねぇーです」
字を書けない、読めないというものは、この辺りでは珍しくない。
むしろ、どちらかでもできるというものの方が、少なかった。
「そうですね。そういえば、そういうものでしたか。では、文字をお教えしましょう。ついでに、ちょっとした算術等も出来るようになれば、色々と便利でしょう」
「たぬきさま、よみかきけーさん、できるですか?」
「赤鞘様のお役に立てるかと思いまして。人に化けて、習いに行ったのです。ですので、おみよ殿にもお教えできますよ」
「やったー!」
飛び跳ねて喜ぶ娘に、狸は目を細める。
「読み書き計算とやらが出来ると、よいことがあるのか」
疑問を投げかける岩に、狸が答えようと口を開いた。
だが、それより先に娘が声を発する。
いかにも得意げな様子に、狸は口元を綻ばせた。
「しらねぇーですか、おっちゃま! よみかきけーさんができると、うまいめしにありつけるです!」
狸は脱力し、近くの壁に頭をぶつけた。
「おっとーがいってました! おっきーまちでは、そういうのができるほうが、ぜにがかせげるです!」
「そういうものか。それは重要だ。人間の世では、銭は欠かせぬ物のようだからな」
「ぜにがあれば、うまいめし、いっぱいくえるらしーです!」
どうしたものかと、狸は額を抑える。
ヤマネは、呆れと関心が混じったように腕を組んだ。
「いやはや、流石おみよ様ですな!」
流石、といえば確かに娘らしい発想である。
これから少しずつ、そういったあたりも教えていく必要もあるだろう。
それは、狸の仕事である。
前途多難、というのは、まさにこのようなことを言うのではないだろうか。
御岩神社の宝物殿には、一年に一度の例大祭で奉納された歌を書いた板が収められている。
歌を作るのは、神職か、あるいは氏子の中でそういったことを得手としているものだ。
これに選ばれるのは大変に名誉なことであり、歌の内容や作り方なども、全て一任される。
どのように作るか、といった決まりは、まったくない。
それを示すように、ここ数年のうちでは、音声合成技術を使って作られた歌が奉納されたこともあった。
旅の道中、拝まれることによって神格化していったとされる御岩様は、流れるものを好むとされている。
流れとはつまり流行のことも示しており、人の世の変化もまた好むと解釈された。
歌の奉納は、まさにそれを示すものの一つといえるだろう。
また、御岩神社の神職も、大体こういったものに柔軟な姿勢を示している。
いち早く「ゆるキャラ」を取り入れ、「ヤマちゅー」という御使いであるヤマネを模したキャラクターを作ったことからも、それがわかるだろう。
ちなみに、神主曰く。
音声合成技術によって作られた奉納の歌に対する、御岩様の感想は。
「良く分からんが、面白かった」
というものであったらしい。
岩というと厳めしい印象を受けるものだが、御岩様は実に柔軟な神様なのだ
・御岩神社を擁する自治体発行の機関紙より 一部抜粋




