術
此の世のありとあらゆる場所が生き物で溢れる様に、妖怪変化は数多の場所に存在している。
あるものはその場所に棲み着き、またあるものは土地から土地へと流れていく。
そういったものの多くは、ひっそりと静かに暮らしているものであった。
獣や人の目に触れず、隠れるように息を潜めて居る。
だが。
中には、土地やそこに息づくもの達に、害を及ぼすものもいた。
他の生き物や人を喰らい尽くす。
あるいは、疫病を振りまく。
そういったものから、土地とそこに息づくもの達を守ること。
これもまた、土地神の役目であった。
土地神を補佐する巫女も、同じ役目を負うことになる。
「無論、おみよ殿も巫女である以上、そういったお役目もこなさねばなりません。つまるところ、妖と戦わねばならぬ事も在る訳ですな」
「おら、よーかいと、たたかうですか?」
不思議そうに首をかしげる娘に対し、狼は頷いて見せる。
娘と、頭の上に乗るヤマネは、不思議そうに首を傾げた。
後ろに立つ岩は、僅かに不機嫌そうに眉根を寄せている。
この日、狼は娘に戦う術を教えるため、岩の社へやって来ていた。
向かい合わせに座った娘に言い聞かせる様、狼は話を続ける。
「その通り。悪さをする妖の相手は、何時もであれば御岩様がなさっておいでだ。しかし、そうも行かぬ時もあるわけです」
「そーいえば、まえに、かいにくわれそーになったことがあるです」
「正に。その時は御岩様が助けに入られたそうですが、何時も助けられるとは限らりませぬ」
以前、娘は貝の妖怪に食われそうになったことがある。
岩への供え物を運んでいる最中のことだ。
その時は岩が居たので事なきを得たが、いつも助けることが出来るわけではない。
「御岩様も、神無月には出雲へいらっしゃる」
出雲には、年に一度多くの神が集まる。
岩も、この集まりには参加することになっていた。
その間に何かあれば、岩がすぐに駆け付けるという訳にはいかない。
「今はほとんどありませんが、御岩様がお出かけになられる事もあるでしょう。そういったとき、この土地と民を守るのは、おみよ殿ということになる」
「なるほど! おらが、みんなをまもるですか! まかせるです!」
力こぶを作って見せる娘を見て、狼は楽しげに笑う。
だが、やはり岩は不機嫌顔だ。
娘が戦わねばならぬかもしれない、というのが、おそらく気に喰わないのだろう。
必要だとわかってはいても、心はそうもいかないらしい。
ここの所、岩は感情をよく表に出すようになっていた。
相変わらず娘が関わる時ばかりではあるが、良い兆候だ。
人の心が分かる様になれば、土地に暮らす民を思いやる気持ちにも繋がる。
そうなるにはまだ時がかかるにしても、何時かそうなればよい。
「でもおら、けんかよえーです。ちっちぇから、ちからねぇーです」
「なぁに。おみよ殿が拳やら剣を振るう必要は無い。力の有る物を使えばよいのです。たとえば、ほれ、そこの小玉鼠ですな」
「こだまねずみ?」
狼が指さした先に居るのは、ヤマネであった。
丸まって震えていたヤマネは、大袈裟に体を跳ね上げる。
「ひぃっ! 私を食べても美味くはありませんぞ! 食いでもありませぬし、骨ばかりで御座いますればっ!」
どうやら、ヤマネは狼が恐ろしいらしい。
狼は楽しげに笑う。
「小玉鼠を食らおうとは思わんな! 何しろ、其方らは破裂する術が得意だというではないか!」
「そうそう。ヤマネの妖気は、爆発に向いてるのさ」
社の隅に蹲っていた、狐の声である。
時折この社に来て、岩と娘の世話を焼く狸。
あの狸と同じ神に仕えている、妖怪変化だ。
「あの狸はそれを知らなかったから、全然違う妖術を仕込んだみたいだけどね。まあ、それをモノにしちまうってのには驚いたけど」
「はぁ。確かに、何度も食われそうになりながら、必死に覚えはしましたが」
「なぁに。その気概があれば、爆発の術は簡単に覚えられるさ。失敗すると死ぬかもしれない術だけど、覚えられればなかなか使い勝手がいいもんさ」
「なんと! 左様で御座いますか! しかし、聞き捨てならぬ言葉があったように思われますがっ!」
やおら起き上がった狐は、ヤマネを拾い上げる。
体が強張っていたヤマネは、容易に捕まった。
「うまく使いこなせるようになれば良いのさ。死にはせん、死にはせん。失敗しなければね」
「そんな御無体な! 私、今のままでも十分に巫女様のお役に立ちますぞっ!」
「では、お岩様に巫女殿。ヤマネをちっと借りますよ。なぁに、狸より妖力は劣りますが、扱いに関しては私の方が上でしてね。安心してお任せなさいな」
言うやいなや、狐はヤマネを捕まえたまま外へと出て行った。
ヤマネが悲鳴を上げているが、誰も気にも留めない。
大袈裟に騒ぐのは、ヤマネの常である。
「と、話をする前に言ってしまったが。あの小玉鼠が様々の術を使えるようになれば、巫女殿の手先として戦うことが出来ることでしょう。あれは御岩様の使いというより、おみよ殿の子分ですからな」
「たよりねぇーこぶんだけど、いねぇーよりはましです」
「然り。少しは役に立つからな」
娘と岩は口々に言い、頷き合う。
少々ヤマネを不憫に思った狼であったが、今はまだ仕方あるまい。
株を上げる機会もあるだろう。
「さて。小玉鼠は狐殿に任せるとして、おみよ殿。貴女も、術を一つ覚えることとしましょうか」
「じゅつ? ですか?」
「左様。まあ、神通力ですな。なに、おみよ殿は御岩様のお姿も見える程ですから。そう難しくはないでしょうな」
「すげぇー! おら、じんつーりきつかえるですか!」
娘は興奮し、手足を振り回した。
岩や狼がそういったものを振るう姿を、見たことはあった。
まさか自分がそれを使えるようになるとは、思いもしない。
「おらも、いしでぼーんってやるです!」
ぼーん、ぼーん、と言いながら、娘は石を投げる仕草を繰り返す。
狼は、いささか驚いたように目を丸くした。
「神通力と言えば、普通は火や風を思い浮かべると思うのですが。やはり、御岩様の影響ですな」
「火も良いが、田畑が燃えるやも知れん」
岩の言うように、火は時に危険も伴う。
取り返しのつかない事態を招くこともある。
「なるほど、たしかに。石ならばそういった心配はいりませんな」
「石ならば、私の力も込めて置ける。役に立つだろう」
岩の力を込めた守り石ならば、確かに娘には扱いやすいだろう。
であるならば、そういった術を教えるのはよいことである。
狼は「ならば」と膝を打つ。
「そういった術をお教えすることとしましょう。まずは、投石の術、ですかな」
「石を投げるだけの術があるのか」
「投げた石の勢いを、神通力で何倍にも増させるのです。まあ、見た目にはただ石を投げているだけですな。まずは、やって見せましょう」
狼は岩と娘を連れ、社の外へと出た。
手にしていた錫杖で地面を突くと、土が壁のように持ち上がる。
「すっげぇーです! それ! おらもそれ、できるよーになるですか!」
「何時かは出来るようになるかもしれませんがな。これは的に使うのですよ。ほれ、このように」
言うや、狼は小石を一つ拾い上げ、それをひょいと軽く投げた。
緩やかな動きにもかかわらず、投げられた小石は霞むような速さで飛んでいく。
小石は土の壁に当たると、大きな音を上げてそれを抉る。
岩は静かにそれを眺め、娘は大声を上げて騒ぐ。
「すっげぇー! おらも、おらもやってみるです!」
今度は自分だとばかりに、娘は小石を拾い上げた。
片足を上げて振りかぶると、土の壁目掛けて放る。
しかし、力み過ぎたのだろう。
石は娘の足元に、勢いよく叩きつけられた。
「もっかい! もっかい!」
娘は小石を拾い上げ、再び放る。
また、足元に落ちた。
「むー!」
唸る娘を見て、狼は声を上げて笑う。
「強く投げようとして、上手くいかなくなっておるのでしょう。普通に投げればよいのです」
「でも、ふつーになげても、ぼーん! ってならねぇーです」
「なぁに。こういった術は、その様にあれ、と思い込む力が肝要なのです。精神統一も、小難しい印も、呪文も必要ありません。そうなのだと自分が納得さえしておれば、自ずとそうなるものなのですよ」
狼に励まされ、娘はまた石を投げる。
その姿を眺めながら、岩は眉根を寄せた。
「いかがなさいましたか、御岩様」
「アレに、ああいったことはさせたくない。だが、必要なことである事は分かる」
出来ることならば、常に守っていてやりたくはある。
ではあるが、それが出来るわけもない。
身を守る術も必要だ。
「複雑な心情、ですか。しかし、おみよ殿は術を使う以前の問題の様ですな」
どうも娘は、何度やっても上手く石が投げられないらしい。
不器用なのか、まだ幼いからなのか。
「とーせき。あんがい、おくがふけぇーです」
「はて。まずは、お手玉ででも練習した方が良さそうですかな」
「おら、おてだまもってねぇーです」
「明日にでも持って来ましょう。確か、幾つかあったはずですので」
この翌日から、娘の石投げの練習が始まった。
狼に貰った小豆入りのお手玉を、的に向かって投げ付ける。
行われるのは主に社の中。
的役は、岩やヤマネが勤めた。
ヤマネは、狐に喰われそうになりながら、破裂の術を身に付けた。
大きな音と、少々の衝撃を与えるだけのものではあるが、驚かせるには十分だ。
娘はこれを大変に気に入り、石を投げる要領でヤマネも投げるようになった。
何か術を覚えるたび、ヤマネは娘に投げられることとなっていく。
それも、娘が投石の術を扱えるようになる手助けになったのだが。
当のヤマネにしてみれば、あまり喜ばしいことではなかっただろう。