遊
娘の家は、村を興した頃から根付いている農家である。
そのためか広い農地を有しており、他の農家に比べて幾らか裕福であった。
娘が岩の社へ毎日のように遊びに行けるのも、それが理由だ。
まだ幼い娘が畑仕事に駆り出されない程度には、安定した生活を送ることが出来たのだ。
もっとも、裕福とはいえ、それは他の農家に比べての話である。
何もせずとも食べていける、というほどの余裕はない。
なので、岩の社へ遊びに行きがてら、娘も仕事をしていた。
娘のする仕事。
それは、娘だからこそ出来る、特異なものであった。
母親から分けてもらった味噌を、竹の皮に包む。
同じく塩のほうは、竹で作った筒の中へ入れる。
両方を風呂敷にしっかりと包み、後ろに背負う。
娘は母親に礼を言うと、一目散に家を飛び出した。
日が出たばかりで、周囲はまだ聊か暗い様子だ。
足元を照らす光も不確かだが、娘は構わず走り抜ける。
通い慣れた道だ。
迷う事もなければ、転ぶ事も無い。
なんなら、星か月の明りしかなくとも問題ないだろう。
村の家々の前を通り。
あぜ道を駆け抜け。
踏み均された山道を走る。
向った先にあるのは、鳥居と、大きな岩。
その隣には、社がある。
岩を奉る社だ。
娘は無遠慮に、声もかけずに戸を開く。
社の中は板張りで、普通の家の板間と同じような作りになっている。
戸から見て一番奥には、座布団が一つ敷いてあった。
社に祭られた神であるところの岩は、その座布団の横に座っている。
座布団の上に乗っているのは、仰向け、大の字になって寝ているヤマネであった。
「おっちゃま! おはよーです!」
「おはよう」
岩と挨拶を交わし、娘は社の中に入っていく。
寝こけているヤマネを掴み上げると、懐に仕舞いこむ。
次いで押入れへと向かい、中をあさり始める。
元々は座布団や布団程度しか入っていなかったが、今は娘が持ち込んだ様々な道具が中を占領していた。
「今日はなにをするのか」
「おやまにいって、さんさいをとります!」
竹で編まれたカゴを引っ張り出すと、それを背負う。
娘の仕事というのは、山菜取りであった。
山と言うのは、人の進入を拒む場所である。
一度入れば、生きて出られぬことも多い。
地形そのものが人の歩みを阻害し、疲弊させる。
草木や獣も厄介だ。
娘が以前遭遇したような、化生の類にかち合うこともあるかも知れない。
そうなれば、まず命はないだろう。
もちろん、普通ならばの話だ。
「山菜か。何を探す?」
「なにがあるかをさがすです!」
岩に守られた娘は、山の中で迷うということが無い。
獣や化生の類も、岩が遠ざけてくれる。
娘にとって見れば、山の中で遊ぶのも、村の中で遊ぶのもそう変わらない。
山の中を駆け回り、山菜を持ち帰る。
山菜が群生している場所を見つけたら、村に知らせたりもする。
食料は希少で、山菜等も重要な栄養源だ。
それを村にもたらし、位置を知らせるのが、娘の仕事なのである。
「そうか。たくさん見つかるといいな」
「はいです! たくさんみつけて、おなかいっぱいになるです!」
娘は鼻息荒く、社を出て行く。
岩も、その後ろに続く。
二人にとってこの散策は、時折行われる定番のものに成っている。
娘があちこち歩き回り、岩がその後ろに付いて行く。
巫女と土地神だからこそ、出来ることである。
勇んで山へと向う娘の後ろを、いつものようにゆったりと岩が歩く。
楽しそうな娘を見て、岩もふと笑顔を漏らした。
娘がまず見つけたのは、フキであった。
傘のような大きな葉をつけたそれは、娘の背丈よりも大きい。
それを見つけた娘は、手を叩いて喜んだ。
早速一つに近づくと、採集に掛かる。
両足と両手でしっかりとフキの茎を押さえ、渾身の力を篭めて左右に揺らす。
皮や茎の一部が折れ残るが、勢いをつけて引きちぎる。
なんとも強引な方法だが、娘は幼く、まだ刃物を持つことを許されていない。
山菜を集めるにしても、こういった手法をとるしかないのだ。
「とれたです!!」
娘はフキを頭上に掲げ、岩に見せた。
自慢げなその様子に、岩は感心したように頷いてみせる。
満足したのか、娘はフキへと注目を移す。
大きく口を開けると、そのままフキへと齧りつく。
そうして、フキの表面の皮を齧り剥き始める。
すっかり剥き終えると、娘は背負っていた風呂敷包みを降ろす。
そこから塩の包みを取り出すと、フキに塗りつける。
目的は、当然一つだ。
娘は大きく口を開け、フキに齧りつく。
「んー! こわっぽいです!」
渋い顔をしつつも、娘は満足そうにフキを食べ進める。
どうやら、灰汁を抜いてから食べたほうが良いものだったらしい。
だが、そのことをまったく意に介さない様子だ。
ある程度食べて満足したのか、降ろしていた竹カゴにフキを納める。
それだけでは足りないと思ったのか、娘は他のフキも収穫し始めた。
「そのまま食べて、美味いものなのか」
「あんまし、おいしくなかったです! そのままたべるなら、もっとちいさいやつがよかったみたいです」
娘は、毒でもない限り好き嫌いをしなかった。
食べて害のないものならば、どんなものでも大抵食べるのだ。
もちろん、好きなもの、苦手なものはある。
だが、基本的に食べることが好きなので、食べる事さえ出来れば、それでよいのだ。
「今日は、握り飯は持って来ていないのか?」
「もってきてねぇーです。やまんなかでとったもの、くーつもりです」
娘は普段、握り飯を持って社にやってくる。
だが、山に入るときは、時々それを持ってこないことがあった。
山で取れたものだけで、腹を満たす心積もりの時である。
収穫が少なければ、空きっ腹を抱えて山を降りることになってしまう。
とはいえ、娘はそういった心配は、一切していない様子だ。
「このあとは、さわにワサビをとりにいくです!」
「山葵か。あれは辛いぞ」
「まちにいって売ったり、おとながたべたりするです! ゼニになれば、また飴もかえるです!」
なるほど、と、岩は頷く。
岩は最近になって、ようやく「銭」というものがわかるようになってきていた。
人間が考えたその仕組みは、中々便利なものである。
「沢ならば、蟹も捕れるな」
「かに! ヤマネに、火をおこさせて、やいてたべるです!」
山の中にある沢には、小さなサワガニも生息している。
それを焼いて食べるのは、娘の好物の一つだ。
火を起すには労力が掛かるのだが、妖術を使うヤマネも居るので、問題はない。
「ヤマネはまだ寝ているのか」
「まだねこけてるです。まあ、やまねはやこーせーですから、しかたねぇーです」
散々揺すられただろうに、ヤマネは未だに娘の懐の中で寝ているらしい。
気配はあるので、死んではいないだろう。
図太い小動物である。
まあ、良い。
後でこっぴどく叩き起こされるのだろうから、それまではゆっくり寝ていれば良いだろう。
岩はそんな事を考えながら、娘がフキを収穫するのを眺めつつ、目を細めるのであった。